構造改革や景気回復の問題を考えるとき、過去の日本の景気循環がどうであったかに
ついて知っておく必要があります。
1970年代のはじめに大規模な投機ブームがあり、それが、1974年以降の不況
につながっています。70年代後半には経済成長が加速したのですが、80年代のはじ
めに失速します。それから80年代後半には空前のバブル経済が発生します。このバブ
ルがはじけて、90年代の10年はずっと不況と記録的な失業が続き、2000年以降
もこの傾向が続いています。そして、ついに失業率は5%に達してしまっています。
その間日本はインフレとは無縁だったのです。1976年から96年までの20年間
消費者物価の上昇率(インフレ率)は、平均して2.9%、1986年から96年まで
の10年間でみると、1.2%という低さです。
同じ20年間を米国は5.3%、ドイツは3.1%、10年間では米国3.5%、ドイ
ツ2.4%ですから、日本のインフレ率は、1986年から96年までの10年平均に
ついては、低インフレのお手本といわれるドイツの半分なのです。
それほど、インフレコントロールに優れている日銀が、なぜ、デフレを放置したので
しょうか。とくに1900年台以降10年以上にわたる不況において、日銀はなぜ信用
創造量を大幅にダウンさせたままにしたのでしょうか。日本の中央銀行の実力からみて
これは明らかに意図的な“事件”といえます。
1970年のはじめに起こった投機ブームによって、起こされた小さなバブルがはじ
けて不況になりますが、1975年に日銀は積極的に信用創造量を増加させて不況を克
服し、日本経済を経済成長の波に乗せることに成功しています。要するに、紙幣を積極
的に印刷して経済を急回復させているのです。
このときの日銀総裁は森永貞一郎という大蔵省出身の総裁だったのですが、事実上日
銀をコントロールしていたのは副総裁の前川春雄であり、信用創造の量を決定する権限
を有する営業局長の地位いたのが三重野康なのです。この75年の経済回復は、前川―
三重野コンビによる鮮やかな経済コントロールの手腕といえるのです。
その三重野康は1989年12月に日銀総裁になるのですが、以来日銀は、信用創造
量を大幅にダウンさせ、今日の不況の原因をあえて作っているように見えるのです。ヴ
ェルナー氏によるとその不況によって今まで目の上のタンコブだった旧大蔵省から、日
銀は金融政策の権限を事実上奪取し、独立性を勝ち取ることに成功したのです。
その権限を手にしたうえで、日銀としてはもっと大きな目標があったのです。それは
三重野康が総裁時代に発言した次のことばによくあらわれています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
『(経済の構造調整を完成させるには)金融政策を運営するに
当たっても、中長期的な課題を十分に念頭に置いておくことが
重要である。この点、もう少し具体的に申し上げれば、私ども
がこの調整過程のなかで、政策運営の最大のよりどころとして
きた判断基準は、単に目先の景気をよくするという短期的な物
差しではなく、やや長い物差しでみて、日本経済をインフレな
き、バブルなき、長続きする成長過程に、いかにしてつないで
いくかということである』。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
要するに、三重野元総裁は、日本経済の体制の変革を成し遂げる必要があると考えて
いたのです。しかし、構造改革の重要性は不況にならないと認識されないこともよく知
っていたのです。そこで、金融政策によって危機を深刻化させ、それによって国を構造
改革に向かわせることを考えたのです。
ひとつわからないことがあります。佐々木、前川、三重野の流れからいうと、次の総
裁は、福井俊彦氏でなければならなかったはずです。今までの日銀出身の総裁は、総裁
になる何年か前には営業局長を経験し、それから副総裁として事実上の日銀総裁を務め
たのち、総裁の座につくという流れがあったのです。
そうであるとすれば、1994年から副総裁を務めた福井氏が次の総裁になるはずな
のに、なぜか、速水優氏が総裁となって現在も総裁の座にあることです。日銀法の改正
に関係があると思いますが、それだけに次期総裁に福井俊彦氏の名前が取りざたされて
いるのだと思います。
日銀のプリンスたちの狙いが経済の構造改革にあることは、わかってきましたが、そ
れにしてもデフレの現況をそのままにして、構造改革を進めることはできないと思いま
す。そういうわけで、インフレターゲット論が出てきたのですが、なぜ日銀は信用創造
に踏み切らないのでしょうか。経済回復の必要十分条件は新たな購買力の創造しかない
のです。これをやれるところは、銀行か日銀なのですが、大半の銀行は不良債権がネッ
クとなってほとんど貸出しができない状況にあるので、日銀がやるしかないのです。
日銀による信用創造は、何らかの対価となるものを日銀が買い上げることによって行
われます。買い上げるものは金融資産でも何でもいいのです。銀行の貸出しが機能して
いないのですから企業に社債やCP(コマーシャルペーパー)などの債務証書を発行さ
せて、それを日銀が買い上げて新たに印刷された紙幣で支払うという方法もあります。
もし、零細企業であれば、社債を発行する大企業からの信用取引というかたちでも資
金を入手できる方法があります。銀行が貸出しという本来行うべき仕事をしていないの
ですから、日銀がそれに代わるしかないのです。
もうひとつ方法があります。財政政策を信用創造で裏づける方法です。国債を民間
部門に売ったのでは量的クラウディング・アウトによって効果がありませんが、日銀が
それを引き受ければ、新たなお金を経済に注入できるのです。しかし、速水総裁は、か
ねがね「それだけは絶対にやらん」といっており、リスクも確かに大きいのですが・・・。
・・・[円の支配者日銀/18]
2008年04月16日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック



