昨日のヤコブに続いてパウロについてお話しします。パウロは
ローマの市民権を持っており、キリスト教徒を迫害する使命を有
していた人物です。
といっても、もちろん当時はキリスト教なるものはなく、イエ
スの亡きあとヤコブが率いていたのはエルサレム教団――正統派
ユダヤ教徒だったのです。彼らは、ローマ帝国からの独立を求め
ており、ローマ帝国側から見ると、ユダヤ人のローマ帝国からの
独立運動としてとらえられていたのです。その独立運動の鎮圧を
担当していたのがパウロということになります。
しかし、パウロはある旅の途中、復活したキリストを幻影で見
るのです。これによって、パウロの考えは変わります。パウロは
幻影でキリストを見たことを聖霊的な方法で神から託宣を受けた
と考えたのです。
そこでパウロは、過去にイエスの運動を迫害したことの埋め合
わせとして、イエスの教えを世界中に広める使命に人生を捧げよ
うと決心したのです。しかし、パウロのキリスト教に関する考え
方は、ヤコブのそれとは大きく異なっていたのです。とくにイエ
スの誕生、お告げ、神性についてヤコブとパウロの隔たりは大き
かったのです。
パウロはキリスト教を広めるためには、非ユダヤ人を引き入れ
る必要があるので、そのときヤコブのようにユダヤの律法遵守を
強制しない方がよいと考えたのです。しかし、ヤコブはエルサレ
ム教団の本質はユダヤ教であり、非ユダヤ人であってもユダヤの
律法を遵守すべきであるとして譲らなかったのです。これはこれ
で筋が通っているといえます。
これについて、ヤコブとパウロは何回も話し合いをしているの
ですが、遂に一致することはなかったのです。しかし、パウロは
イエスの説くキリスト教の基本がユダヤ教であることだけは認め
たのです。そして、ヤコブに対し、私は私の考え方に基づいて布
教を行うが、あなたのやっている運動――布教を含む独立運動に
関しては一切干渉しないと約束したのです。
このパウロの考え方は、宗教家というよりもビジネスパーソン
の発想と同じ合理性があるといえます。確かにあまり戒律を厳し
くすると、入門する者が少なくなるので、律法で縛らない方がよ
いという考え方です。実際問題として、このパウロの考え方がな
ければ、キリスト教は今日のように広がっていなかったといって
よいと思います。
しかし、パウロは目的のためには手段を選ばないというところ
があったのです。彼は次のようにいっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷
になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人
に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るた
めです。・・・・律法を持たない人に対しては、律法を持たな
い人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。
すべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためで
す。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは
わたしが福音にともにあずかる者となるためです。
――「コリント人への手紙」第9章19〜23節
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この「〜人への手紙」というのは、新約聖書の後半部分を占め
ていますが、これはパウロが布教のために書いた思想書であり、
キリスト教の解説書なのです。これがあったからこそ初期キリス
ト教の教義が完成され、キリスト教は世界宗教へと発展していく
ことになるのです。
パウロは、彼の友人であり、医師であるギリシャ人のルカに福
音書の執筆を依頼しています。そのさい、マタイやマルコのよう
にユダヤ人を対象に書くのではなく、ローマ人やギリシャ人や外
国に住むユダヤ人などを対象にした福音書にして欲しいと依頼し
ているのです。「ルカによる福音書」やその続編とされる「使徒
行伝」はこのようにして生まれています。
しかし、多くのユダヤ人はパウロのこの考え方に反発し、パウ
ロを「偽りの説教者」と呼んで嫌ったのです。その結果、パウロ
はエルサレムで群集たちによってリンチを受け、大勢のローマ兵
によって救い出されるという事件まで起こしているのです。
その復讐とみられる事件がヤコブに対して起こり、ヤコブは殺
害されてしまうのです。これによってヤコブはイエスの12使徒
の中で最初に殉教したことになりますが、これを原因として西暦
66年〜70年までユダヤ戦争が勃発し、ユダヤはローマ帝国に
よって滅ぼされ、エルサレム教団は滅亡することになるのです。
このときエルサレム教団の数々の文書が異教徒の手に落ちない
ように隠蔽されたのです。後年発見される「死海文書」などはそ
のとき隠された文書のひとつなのです。
それから時を経てコンスタンティヌス帝の時代――既に述べた
ようにキリスト教はローマ帝国の国教となるのですが、そのとき
ベースとなったのは、パウロの教義なのです。
コンスタンティヌス帝は彼の新たな宗教に矛盾するすべての物
証を破壊しています。この作業は異常ともいえる熱意によって進
められ、そして331年、コンスタンティヌス帝は新約聖書の書
き直しを命じ、歴史はほぼ完全に彼に都合がよいように書き直さ
れたのです。これについて、既出のマーティン・ランは、次のよ
うに書いています。
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現在我々の元にある新約聖書は、四世紀に、コンスタンティヌ
スにとって好ましい政治的意図をもって書かれたということで
ある。それは、アメリカ大統領が自分の政治的目標と合致する
ようにシェイクスピアを修正するようなものだ。
――マーティン・ラン著/秋宗れい訳
「ダ・ヴィンチ・コード・デコーデッド」より
−−−−−−−−−−−・・・[ダ・ヴィンチ・コード/15]
≪画像および関連情報≫
・マーティン・ランの著書(前掲書)より
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・我々が認識しているイエスの姿というのは、このパウロと
いう人物によって、厳選・発信された情報から導き出され
ている。明らかに政治的な意図をもってパウロは4つの福
音書の執筆に影響を及ぼし、ユダヤ人の愛国心など存在し
なかったという印象を植え付けた。
・パウロ派の教会は現在の様々なキリスト教会の先駆けだと
解釈されている。新約聖書は手つかずの状態で今日に伝え
られたわけではない。福音書の中には、キリスト教の「公
認路線」に合致しないために切り捨てられたものもある。
互いに矛盾するマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書は
その時々の流儀と政治的傾向によって訳され、書き換えら
れてきた。五千ほど現存する新約聖書の写本の中に4世紀
以前のものはない。
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2009年02月18日
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