5年6月6日から2005年7月8日まで25回にわたって掲載
されたものであることをお断りしておきます。
1995年5月8日、月曜日、午後5時30分(タイ現地時間
による)――台湾出身の歌手テレサ・テンがタイのチェン・マイ
のホテルで気管支喘息のため急逝した日です。今年はテレサ・テ
ン没後10年目になるのです。
今日から始まるテーマは「テレサ・テン」です。可能な限り資
料を集めましたが、量はあまりないので、どこまで書けるかわか
りませんが、やってみようと思います。最初は予告編のような話
からはじめることにします。
私の場合、テレサ・テンといえばすぐ頭に浮かぶのは「何日君
再来」という歌です。テレサ・テンとこの歌が結びつく人は、か
なりの年配者のはずです。もっと若い人であれば「時の流れに身
をまかせ」とか「つぐない」という歌になると思います。
この「何日君再来」という歌は、テレサ・テンのCDに収録さ
れているのはほとんど日本語バージョンです。しかし、この曲に
関しては中国語で聴かないとダメです。なぜかというと、ぜんぜ
ん響きというかニュアンスが違うからです。
新宿3丁目に「香蘭」というスナックがあります。この店は中
国人のママが経営しているのですが、彼女の歌う中国語の「何日
君再来」は絶品。この歌を聴きによく通ったものです。
今となっては、中国語でテレサ・テンが歌う「何日君再来」を
聴くことは極めて限られていますが、1985年12月15日に
NHKホールで行われたライブ・コンサートでは「何日君再来」
をフルに中国語で歌っています。私はこのレーザーディスク盤を
持っています。確認していませんが、このライブ版はDVD盤で
も発売されているはずです。
なお、「何日君再来」を中国語で歌っているCDとしては、次
のものがあります。
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『Top Ten/Teresa Teng/中国語編』
Taurus TAC−2509
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現在、中国、台湾、日本において「何日君再来」はテレサ・テ
ンの歌として定着していますが、もともとこの歌はテレサ・テン
の持ち歌ではないのです。実はこの歌にはとても政治的なドラマ
チックな歴史があるのです。
「何日君再来」は、第2次上海事変がおきた1938年に映画
『孤島天堂』の挿入歌として作られたのです。映画の内容は、あ
る抗日愛国青年が日本軍のスパイから情報を聞き出し、それに基
づいて行動に起こし作戦に成功する――そして、彼の所属する部
隊は次の任地に移動するという内容です。「何日君再来」は、そ
の青年に想いを寄せる酒場の踊り子が去りゆく恋人を想って歌う
歌なのです。つまり、愛する人との別れを歌った歌です。
この曲はタンゴ調の切ないメロディの名曲で、まず、中国で爆
発的にヒットしたのです。この映画の主演女優リー・リリが歌い
時の上海歌謡のトップ・スターであったチョウ・シュアンが同じ
曲を歌って中国で大ヒットになったのです。
これに目をつけたのは日本のレコード会社です。日本語の歌詞
をつけては渡辺はま子が「君いつの日帰る」のタイトルで歌い、
続いて「満映」の女優をしていた李香蘭(山口淑子)もこの曲を
レコーディングして、日本でも大変流行したのです。
しかし、この歌はその後さんざん時の政情にもてあそばれるこ
とになるのです。
最初は日本軍がこの歌を問題にしたのです。それはこの歌が抗
日映画『孤島天堂』の主題歌であったからです。直接的にはこの
歌の題名が問題にされたのです。
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「何日君再来」――ホー・リン・チン・ツァイ・ライ
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「何日君再来」の中の「君」は、中国語で「チン」と発音する
のですが、これは「軍」も意味するのです。「軍」も「チン」と
発音するのです。そのため「軍」とは国民党軍の蒋介石を指して
いるのではないかと日本軍が疑ったのです。つまり、この歌の意
味を「いつかは蒋介石が帰ってくる」と解釈したのです。
戦争が終わると、今度は「君」を日本軍を意味するものとして
台湾ではこの歌を禁止流行歌に指定してしまいます。台湾ではも
とから台湾に住んでいる人を「本省人」、中国大陸から蒋介石と
一緒に台湾に渡ってきた中国人を「外省人」と呼んでいるのです
が、外省人から成る国民党政府は、何かにつけて日本軍統治時代
を懐かしむ本省人を牽制したのです。
もちろんこの時点の「何日君再来」は、テレサ・テンの歌でな
いことはいうまでもありません。チョウ・シュアンや李香蘭の歌
だったのです。テレサ・テンがこの歌をはじめて歌ったのは彼女
が14歳のときなのです。その最初の歌は、1967年9月に台
湾の宇宙レコードの出したLP――「テレサ・テン(漢字)之歌
第一集/風陽花鼓」に収録されたのです。
ところが、このときは歌のタイトルを「何日君再来」とはせず
自主規制して名称を変更しています。当時の政情においてこの曲
を台湾で出すことははばかられたからです。しかし、その以後テ
レサ・テンは何回もこの曲を録音することになります。
中国大陸では、1976年の毛沢東死去以降にテレサ・テンの
歌が流行しはじめるのです。中でも「何日君再来」はとくに人気
があったのです。その時点で「何日君再来」は禁止歌となってい
るのに効果はなく、中国政府は困り果てるのです。
ところが、北京の音楽評論家が劉雪庵が新説を出します。この
歌は「チン」は軍、すなわち人民軍のことであり、台湾に行った
その軍が大陸にまた帰ってくる――すなわち、台湾が中国に帰っ
てくる歌であるとしたのです。
結果としてこの歌は、台湾でも中国大陸でもそれぞれ勝手な理
屈をつけて禁止歌ではなくなったのです。これを契機にテレサ・
テンの歌は台湾でも中国大陸でも大流行することになります。
・・・[テレサ・テン/01]
≪画像および関連情報≫
・何日君再来/いつの日君帰る
美しい花はいつも咲きはしない
美しい景色はいつも在るわけではない
愁いかさなっても笑みを浮かべ
涙が胸につのる思いを濡らしているけれど
今宵別れてのち
いつの日貴方はまた帰って来るのでしょう
この杯をあけてください
この料理を召し上がって
人生で心から酔えることなど何回もない
いま楽しまなければ何を楽しみとすればよいのだろう
「さあさ、もう一杯あけてください」
今宵別れてのち
いつの日貴方は帰って来るのでしょう
―――作詞・作曲/劉雪庵
平野久美子著『テレサ・テンが見た夢』より
晶文社刊
テレサ・テン