2009年01月28日

●なぜ『ダ・ヴィンチ・コード』はヒットしたか(EJ第1883号)

今日からのテーマは「ダ・ヴィンチ・コード」です。これは、
2006年7月24日から2006年9月15日まで40回にわ
たって連載したものであることをお断りしておきます。
 全56回にわたる「秘密結社の謎を解く」のテーマに続いて、
その連載ではあまり触れることのできなかった「ダ・ヴィンチ・
コード」(小説+映画)について書いてみることにします。タイ
トルは次のようにしたいと思います。
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  「研究/ダ・ヴィンチ・コード/キリスト教の真実」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 今回は予告編のような話です。ところで、『ダ・ヴィンチ・コ
ード』の原作や映画は、ご覧になったでしょうか。
 映画館の混み具合、書店における『ダ・ヴィンチ・コード』関
連の書籍の扱い方などを見ると、そろそろ、ダ・ヴィンチ・コー
ド・ブームも一段落つきつつあるという感じです。しかし、EJ
の前回のテーマを読んでいただいた読者の方にはぜひ小説を読ん
でいただきたいし、映画も観て欲しいと思います。キリスト教に
ついて改めて考える機会が持てるからです。
 この小説にはいろいろな特徴がありますが、実は誰も指摘して
いない大きな特色がひとつあるのです。それは、この物語がある
日の午後10時46分から、次の日の夜までの話であるというこ
とです。
 とくに最初の夜が長い――角川文庫の14158の3分冊のシ
リーズでいうと、「上」と「中」までが最初の夜――午後10時
46分から翌日の午前6時頃までに当たります。そして、3冊目
の「下」が次の日の朝から夜までということになります。
 小説や映画の時間は、長いものなら何十年、何百年に及ぶもの
は珍しくありません。「それから5年の月日が過ぎて・・・」と
いうように、簡単に年代をスキップできるからです。
 しかし、今年の1月封切りの日本映画『有頂天ホテル』で脚本
家兼監督の三谷幸喜氏は、映画の時間と現実の時間を一致させる
珍しい映画作りをやっているのです。
 ある年の大晦日の午後9時45分から新年までの2時間15分
――本当は2時間にしようと思ったのですが、15分伸びてしま
ったので、午後10時を指している時計の針をCGで9時45分
に修正――この2時間15分に物語を詰め込んだのです。究極の
ワンシーン・カットであるといえます。
 映画『ダ・ヴィンチ・コード』の上映時間は150分です。も
ともと短い時間の中で何十年もの物語が語られるのが普通の映画
において、わずか1500分の間に起こった出来事が10分の1
の150分で語られるのに、何となく違和感を感ずるのはなぜで
しょうか。私はとても「長い夜だなぁ」と感じてしまうのです。
 したがって、映画の時間と実際の時間を一致させることは凄い
ことなのです。映画の中で経過する時間は、実際の時間よりも、
はるかに短く感ずるものなのです。
 それはさておき、なぜ、ダン・ブラウンの小説『ダ・ヴィンチ
・コード』は、これほどブームになったのでしょうか。たかが小
説なのです。
 『ダ・ヴィンチ・コード』のプロット自体は、ルーヴル美術館
で起きた殺人事件を発端に、ハーバード大学で宗教象徴学を教え
るロバート・ラングドン教授と、フランスの司法警察暗号解読官
ソフィー・ヌヴーが、ある日の午後10時46分から、次の日の
夜まで、秘密結社の魔手や警察の追跡をかわしながら、事件の背
後に秘められた歴史の真実に迫るという迫力に満ちたサスペンス
・ドラマに過ぎないのです。
 実は、ダ・ヴィンチ・コード・ブームが起きたのは、単にサス
ペンス小説として面白いだけでなく、キリスト教2000年の歴
史の常識を覆すと思われるアン・タッチャブルな仮説に言及して
いるからなのです。
 しかもその歴史の謎が、ルネッサンスを代表する天才芸術家で
あるレオナルド・ダ・ヴィンチの誰でも知っている名画「最後の
晩餐」の中にその手ががりが隠されている――こういうことが大
きな話題を呼んだのです。
 アカデミックな世界で常識とされていることに明らかに反する
ことを小説のかたちで発表するのは、今までにもよくあることで
す。2005年にEJのテーマとしても取り上げた「源義経=成
吉思汗説」もその典型的な例です。
 推理小説家、高木彬光氏の『成吉思汗の秘密』――史実として
確定できない部分は小説という隠れ蓑を巧みに使って、「源義経
=成吉思汗説」という大胆な仮説を実証しようとするわけです。
 それが証拠にダン・ブラウンは、サスペンス小説でありながら
ティーピングという宗教学者の口を借りて、例えば次のように歴
史を雄弁に主張しているのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「コンスタンティヌスはキリスト教徒だったと思いますけど」
 「とんでもない」ティーピングは鼻で笑った。
 「コンスタンティヌスは生涯を通じて異教徒で、抗う気力がな
 かった死の床で洗礼を受けさせられたにすぎない。当時のロー
 マの国教は太陽崇拝で、ソル・インウィクトゥス、すなわち不
 滅の太陽神を信仰し、コンスタンティヌスはその大神官だった
 が、折あしく、宗教紛争がローマ帝国に蔓延しつつあった。イ
 エス・キリストの磔刑から三世紀を経たそのころには、キリス
 ト教の信者がすさまじい勢いで増えたために、異教徒との争い
 が頻発し、激しさのあまりローマをふたつに分裂させかねない
 までになっていた。コンスタンティヌスとしても何か手を打た
 ざるをえず、やがてキリスト教を公認し、帝国の統一に利用し
 ようとした」。――ダン・ブラウン著/越前敏弥訳『ダ・ヴィ
         ンチ・コード』(中)/角川文庫14158
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 まるで、歴史書です。真面目に真剣に歴史を語っています。映
画でもこういう問答がえんえんと何回も繰り返されるのです。で
すから、映画の場合、予備知識がないと眠くなってしまう人もい
ると思います。    ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/01]


≪画像および関連情報≫
 ・ダン・バースタイン
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ジャーナリスト、ベストセラー作家。中国や日本、デジタル
  技術革命などをとりあげた著作を六冊発表。近年は、インタ
  ーネットやブログやナノテクノロジーの将来を扱った本の執
  筆に取り組んでいる。革新的な技術を持った企業へ出資する
  ニューヨークのベンチャー投資会社、ミレニアム・テクノロ
  ジー・ベンチャーズの設立者でもある
  ダン・バースタイン著/沖田樹梨亜・訳
        『ダ・ヴィンチ・コードの「真実」』/竹書房
  ―――――――――――――――――――――――――――

ダン・バースタインの謎解きの本.jpg
ダン・バースタインの謎解きの本
 

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2009年01月29日

●原作を先に読むか、映画を先に観るか(EJ第1884号)

 2003年の夏、次の興味深い会話があったのです。HとJは
誰かわかるでしょうか。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 H:今、君がとても好きそうな本を読んでいるんだ。休暇の楽
   しみにちょっと手に取ってみるとよい。――電話
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 H:例の本はもう手に入れたかい?
 J:ええ、買いました。
 H:そいつはいい。で、どうだった?
 J:いいえ・・・その、買ったんです。――映画化権を
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 HとJとは、それぞれソニー・コーポレーションハワード・ス
トリンガー会長と、映画『ダ・ヴィンチ・コード』の製作者、ソ
ニー・ピクチャーのジョン・コーリーCEOです。
 製作者のジョン・コーリーによると、ストリンガー会長から電
話のあったのが土曜日だったのですが、すぐその足で本を買いに
行き、日曜日の晩にはすべて読み終えて、この小説の映画化権を
買うことを決めたというのです。何とも素早い決断です。
 この小説の場合、映画を観てから原作を読むか、原作を読んで
から映画を観るか――あなたはどうされましたか。それともまだ
どちらもやっていませんか。
 私の場合、何か調べものをする場合は本を早く読めるのですが
小説を読むのは遅いのです。したがって、映画を先に観て、それ
から原作を読み、そのうえで、DVDを購入してもう一度観ると
いうようにしています。観る価値があればの話ですが・・・。
 しかし、映画『ダ・ヴィンチ・コード』のロン・ハワード監督
は、次のようにいっているのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『ダ・ヴィンチ・コード』に強く魅せられた人たちにこうお薦
 めしたい。まずダン・ブラウンの小説を読み、次にアキヴァの
 シナリオを読んで、それから私の映画を観てもらいたい。その
 後はもう一度、この3つを繰り返して・・・そしてさらに友達
 にも薦めて欲しい。魅力的なひとつの物語の3つのヴァージョ
 ンが、どれも満足のいく、わずかに違う、意味のあるものに仕
 上がっていることを望んでやまない。
                  ――ロン・ハワード監督
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 映画『ダ・ヴィンチ・コード』の製作スタッフは、次の通りと
なっています。
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  脚 色:アキヴァ・ゴールズマン
  原 作:ダン・ブラウン
  制 作:ジョン・コーリー/ブライアン・グレイザー
  美 術:アラン・キャメロン
  監 督:ロン・ハワード
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 原作の冒頭のシーンは、ルーヴル美術館から始まります。暗殺
者シラスに追われて、ジャック・ソニエール館長が、グランド・
ギャラリーのアーチ型通路をふらつく足どりで死に物狂いで走っ
て行くシーンから始まるのです。そして、近くにある絵を力まか
せに床に引き降ろすのです。
 ルーヴル美術館の場合、陳列されている絵がはがされて床に落
ちると、警報が鳴り、盗賊が逃げられないように鉄格子が下りて
退路を塞ぐ仕掛けになっているのです。
 実は映画の場合も原作と同様に、ソニエール館長が走って行く
シーンからはじまるのですが、台本の段階ではそうではなかった
のです。台本では、映画の冒頭は、フランスの田舎にある緑に覆
われた古い石造りの農家――ソニエール館長の家からはじまるの
です。平和でのどかな風景です。
 しかし、平和に見えるのは見かけだけであり、この家には不穏
な空気が流れていたのです。中で何やら争う声が聞こえます。カ
メラが家に向かって接近します。そうすると、重い木の扉が開い
て、顔を涙で濡らしたかわいい少女が飛び出してきます。少女は
何歩か進むと、怒りと不信に満ちた目で家の方を振り返ります。
カメラが少女の目にズームアップ――そして少女の目にカメラは
固定され、オープニング・タイトルが出ます。
 それがルーヴル美術館の巨匠たちの描いた作品の目に切り替わ
り、場所は一転してルーヴル美術館の館内の光景になるのです。
そしてカメラは巨匠たちの作品の多くの目の位置に替わると、ひ
とりの男がグランド・ギャラリーに飛び込んできます。男は館長
のジャック・ソニエールです。それを上から見ていることになり
ます。見事な画面転換である――そう思えるのですが、どうやら
この案は採用にならなかったようです。
 この少女はソフィー・ヌヴー――台本担当のアキヴァ・ゴール
ズマンとしては、ソフィーとソニエールにいさかいがあったこと
を映画の冒頭で暗示したかったものと思われます。殺された館長
ジャック・ソニエールは、ソフィー・ヌヴーの祖父であり、ある
出来事で祖父といさかいを起こしたソフィーは、祖父の家を出て
暮らしていたのです。しかし、台本通りのオープニングにすると
サスペンス・ドラマ特有の迫力感が出せないということで変更に
なったものと考えられます。
 このソフィー・ヌヴー役の女優は、オドレイ・トトゥ――19
78年生まれのフランスの女優で、2001年にジャン・ピエー
ル・ジュネ監督作品の『アメリ』で好演し、世界中の映画ファン
にその名を知られる存在になった有望な若手女優です。
 暗殺者のシラスがソニエールを殺したあと、画面はアメリカン
大学のパリ校に切り替わるのです。そして、もう1人の主役が登
場します。ロバート・ラングドン教授です。ソニエールが殺され
た夜、ラングドンはパリに来ていたのです。そして、ソニエール
と会う約束になっていたのです。
           ・・・ [ダ・ヴィンチ・コード/02]


≪画像および関連情報≫
 ・ロン・ハワード監督のコメント
  ―――――――――――――――――――――――――――
  僕の仕事上のパートナーであるブライアン・グレイザーから
  「これ映画にすると良いと思うよ」と勧められたんだ。まだ
  脚本も書かれていなかった段階で、僕はあくまで一読者とし
  て読んだよ。読み終わった瞬間に僕は「この映画版を、ぜひ
  観てみたいな」と素直に感じた。と同時に、誰が監督をする
  ことになるのであれ、この作品の映画化には多大なるチャレ
  ンジが待ち受けているだろうとも思ったよ。
  ―――――――――――――――――――――――――――

ジャック・ソニエール館長.jpg
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2009年01月30日

●五芒星は何を意味するか(EJ第1885号)

 アメリカン大学のパリ校――ルーヴル美術館長ソニエールが殺
害されたとき、ロバート・ラングドンはそこで学生たちに特別講
義をしていたのです。したがって、アリバイは完璧です。
 実はこのシーンは原作にはないのです。ラングドンが象徴に関
する専門家であることをわかりやすく伝えるため、学生たちに講
義を行う様子を見せるシーンを映画用に作ったのです。
 やがて講義が終了し、学生たちはラングドンの著書にサインを
もらおうと行列を作ったのです。そのとき、1人の小柄な男がラ
ングドンに近づいてきて、次のようにいいます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 教授、わたしはコレ警部補。DCPJ――司法警察中央署の者
 です。この写真を見ていただけませんか。
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 その写真はソニエールの死体の写真だったのです。その死体は
奇怪な姿をしており、特定の誰かに何らかのメッセージを伝えよ
うと、ソニエール自身が仕組んだものだったのです。
 コレ警部補は、上司のファーシュ警部が先生に現場を見ていた
だき、象徴学の立場から、アドバイスをいただきたいといい、ラ
ングドンはルーヴル美術館に行く羽目になるのです。
 原作では、ホテル・リッツ・パリに宿泊しているラングドンを
コレ警部補たちが午後10時過ぎに訪ねてきて、強引にルーヴル
美術館に連れて行くという設定になっています。
 さて、ソニエールは、いったい誰に、何を伝えようとしたので
しょうか。それがこの映画のポイントになります。ラングドンと
ファーシュ警部の間で次のやりとりがあります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ラングドン:ウィトルウィウス的人体図だ。
 ファーシュ:なぜ、そんなことを
 ラングドン:待ってください。ミスター・ソニエールは自分の
       血でこれを描いたのですか。
 ファーシュ:撃たれた傷の血でな。胃を撃たれると、死ぬまで
       たっぷり時間がかかる。
 ラングドン:気の毒に。
 ファーシュ:まったくだ。で、肌に描かれた星は?
 ラングドン:五芒星だ。
 ファーシュ:どんな意味がある?
 ラングドン:五芒星は古代から使われている。象徴は背景が異
       なれば意味もかわるものです。今夜、自分でも講
       演したばかりなんです。
 ファーシュ:聞きたいのは、この象徴だ。
 ラングドン:わかりました。五芒星は異教の図像です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ソニエールの死体の胸には、彼自身の血で五芒星が描かれてい
たのです。五芒星は、陰陽道、修験道、民間信仰や西洋諸国でも
ペンタグラムと呼ばれて、魔除けの印となっているのです。また
日本では、五芒星は安倍晴明公が考え出したといわれ、「晴明桔
梗印(セーマン)」ともいわれているのです。
 原作においてダン・ブラウンは、五芒星についてラングドンの
口を借りて次のように説明しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「五芒星は」ラングドンは説明した。「キリスト教以前の自然
 崇拝です。古代人は、世界がふたつの側面を持つと考えていま
 した――男性と女性ですね。男神と女神が力の均衡を維持する
 と見なしていたわけです。陰と陽。男女のバランスがとれてい
 れば、世界は調和が保たれる。バランスが崩れれば、混沌が訪
 れる」。 ――――ダン・ブラウン著/越前敏弥訳『ダ・ヴィ
         ンチ・コード』(上)/角川文庫14157
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ラングドンはこのようにいって、五芒星が象徴するのはヴィー
ナス――聖なる女性の象徴であるとファーシュ警部に説明するの
です。そしてラングドンは、ソニエールの死体の場合、ウィトル
ウィウス的人体図のかたちをしているので、これも五芒星をあら
わしており、意味が強められているというのです。
 どういうことかというと、ウィトルウィウス的人体図では2本
の腕と足と頭をそれぞれの頂点とする五角形が描けるからです。
したがって、これも五芒星をあらわしているわけです。
 ウィトルウィウス的人体図とは、古代ローマの建築家ウィトル
ウィウスの理論をもとにレオナルド・ダ・ヴィンチによって描か
れた図であり、これはイタリアの1ユーロ硬貨のモチーフになっ
ています。
 この映画でユニークなベズ・ファーシュ警部役を演ずる俳優は
ジャン・レノ――1948年、モロッコのカサブランカで生まれ
たスペイン系フランス人です。
 1988年の『グレート・ブルー』と、1989年の『ニキー
タ』は日本でも大ヒットしており、加えて、トヨタ自動車の「ア
ルファード」のCMに出演したり、タモリの「笑っていいとも」
にも出たこともあるなど、日本でも大活躍です。
 このジャン・レノ――「ファーシュ役をどのように演ずるか」
と聞かれて、次のように答えています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 役作りはシンプルに考えたよ。原作に描かれたことをすべて知
 ることなどできない。まず、ファーシュには「規律」や「厳し
 さ」を与えようと思った。そして、彼の内面的な亀裂をどのよ
 うに表現するか、興味深く取り組んだね。ファーシュは、自分
 が信じていた何かに裏切られ、内面に亀裂が入った人物なんだ
 よ。                  ――ジャン・レノ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 映画では、ファーシュ警部の部下であるコレ警部補の演技が印
象に残っています。この警部と警部補のやりとりはなかなか味の
あるものです。    ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/03]


≪画像および関連情報≫
 ・五芒星について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  リンゴを輪切りにしたとき、その芯が形造る五荘星形は、女
  神コレの象徴であった。この五芒星形(ペンタクル、ペンタ
  グラム)は、ピタゴラス学派の神秘主義者に崇拝され、彼ら
  はこれをペンタルファ(5回交錯する生誕文字)と呼んだ。
  五芒星形は「生命」あるいは「健康」を意味するとされた。
  あるものはこれを「イシュタル(あるいはアセト(イシス)
  あるいはアセトの冥界の双子ネベト=ヘウト(ネフティス)
  の星と呼んだ。エジプトでは5つの鋭い先端を持つ星は冥界
  の子宮を表した。
  http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/pentacle.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

ラングドン教授とファーシュ警部.jpg
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2009年02月02日

●メッセージを伝えたかった人とは誰か(EJ第1886号)

 映画の冒頭に人が一人殺される――誰が誰に何のために殺され
たのか。現場に残されたわずかな手がかりをたよりに、刑事たち
は犯人を捜しはじめる――サスペンス・ドラマのよくあるプロッ
トです。
 映画『ダ・ヴィンチ・コード』の場合も、映画の冒頭に人が一
人殺される――サスペンス・ドラマタッチです。しかし、この映
画の場合、殺された者も殺した者も観客にはわかっています。
 殺されたのはジャック・ソニエール――パリのルーヴル美術館
の館長であり、殺したのはシラスという色素欠乏症の若者――オ
プス・デイという宗教組織の修行僧です。
 わからないのは殺人の目的です。何のためにシラスはソニエー
ルを殺したのでしょうか。映画におけるシラスとソニエールの会
話を再現してみます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 シラス  :おまえや同胞たちは、おのれに属さないものを隠
       しもっている。
 ソニエール:なんの話かわからない。
 ――ソニエールに銃口を向ける――
 シラス  :命を懸けるほどの秘密なのか。
 ――ソニエールは頭を下げ、すすり泣きをはじめる――
 ソニエール:頼む。
 シラス  :それが答えか。
 ――シラスは親指で撃鉄を起こす
 ソニエール:待ってくれ。
 ――ソニエールは目を上げる。恐怖で涙ぐんでいる――
 ソニエール:神よ。許したまえ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ここで、ソニエールは何かをシラスに告げるのです。シラスは
それを聞き、満足したようにうなずくと、銃口をソニエールに向
けて引き金を引きます。ソニエールは何を告げたのでしょうか。
 ソニエールがシラスに告げたことばは、おそらく次のことばで
あると思われます。なぜ、このような表現をするのかというと、
それが原作にも映画にも登場しないからです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    サン・シュルピス教会のローズ・ラインにある
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 実はソニエールは、表向きの仕事はルーブル美術館の館長です
が、シオン修道会という秘密結社の総長なのです。シオン修道会
という秘密結社についてはいずれ詳しく説明しますが、総長のほ
かに3人の参事がおり、同じ重要な秘密を共有していたのです。
 そして4人は、もし緊急の事態に陥って、秘密を明かせと迫ら
れたときは、上記のことばを述べる約束になっていたのです。も
ちろんそれは真実ではなく、たとえ殺されても秘密は守るという
固い結束をしていたのです。
 シラスはソニエールのところに来る前に3人の参事を殺してき
ているのです。そして、3人とも死ぬ前に上記のことばを話した
ので、ソニエールのことばはウソでないと考えて、満足そうな表
情を浮かべたというわけです。
 しかし、胃に弾丸を撃ち込まれたソニエールは意識ははっきり
としていたのです。ダン・ブラウンの記述によると、胃を撃たれ
ると、死にいたるまで15分かかるとのことですが、同時に他の
重要器官の損傷にもよりますが、もっと長く生きていても不思議
はないそうです。腹腔を撃たれた人間の平均死亡率は12%程度
であるということです。もちろん耐えがたい苦痛はあるでしょう
が、身体を動かすことは十分可能なのです。
 「何とか秘密を伝えなければ・・」――こう考えたソニエール
は死力を尽くして、ある人物に宛てて、自分の身体に五芒星を描
き、床に暗号を書き残したのです。五芒星や暗号については、添
付ファイルを参照してください。
 自分の身体に書いた五芒星と自らの身体で示したウィトルウィ
ウス的人体図――これが聖なる女性をあらわしていることは昨日
のEJで述べていますが、それはソニエールの孫娘ソフィー・ヌ
ヴーに宛てたメッセージだったのです。
 ソニエールは、ソフィーの小さいときからパズルや謎解きや暗
号に関心を持たせ、誕生日やクリスマスのプレゼントなども何ら
かの暗号を解かないと与えなかったのです。
 これは、単にソニエールの趣味の押しつけではなく、明確な目
的を持ってソフィーにそういう謎解きの才能を高めようとしたの
です。その結果、ソフィーはその才能を開花させ、司法警察の暗
号解読官を職業にするまでになったのです。
 ソニエールはプロの暗号解読官であるソフィーに宛ててメッセ
ージを送ったのです。ソフィーならきっと解いてくれるに違いな
いと信じて、あの奇怪な格好で密かにあることを伝えたのです。
 こういう想定に立ってソニエールのメッセージの最終行につい
て考えてみましょう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     P.S.ロバート・ラングドンを探せ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 相手がソフィーであれば「ロバート・ラングドンを探して力に
なってもらえ」という意味であることはすぐわかります。それで
は「P.S.」とは何でしょうか。
 最初は「追伸」ととらえていたのですが、そうではなく「プリ
ンセス・ソフィー/P.S.」であることはソフィーにはわかっ
ていたのです。なぜなら、祖父ソニエールは彼女をよくそう呼ん
でいたからです。「お前は私にとってプリンセスだよ」と。
 しかし、「P.S.」には、もうひとつ重要な意味があったの
です。「フルール・ド・リス/百合」との関係において、不思議
な文様の鍵をソフィーは記憶していたのです。「ラングドンの力
を借りなさい」――秘密の解明にはラングドンの力が必要である
とソニエールは考えたのです。
           ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/04]


≪画像および関連情報≫
 ・ソフィー・ヌヴー
  ―――――――――――――――――――――――――――
  「ソフィー」はギリシャ語の「ソフィア」に由来する名前で
  ある。ソフィアは英知を意味し、ギリシャ神話では擬人化さ
  れ、女神として描かれる。「ヌヴー」はフランス語の「新し
  い」という意味とともに「新たなイヴ」を連想させ、ソフィ
  ーには聖書や伝説におけるイヴの役割に通じるものがある。
  英知の女神、第二のイヴ、復活した聖なる女性、これらはす
  べてソフィー・ヌヴーの称号としてふさわしい。
          ――ダン・バースタイン編/沖田樹梨亜訳
       『ダ・ヴィンチ・コードの真実』より。竹書房刊
  ―――――――――――――――――――――――――――

<ソニエールのメッセージ>
ソニエールのメッセージ.jpg
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2009年02月03日

●ローズラインとは何か(EJ第1887号)

 新しいテーマになって5回目ですが、フィクションに過ぎない
映画のプロットをなぜここまで詳しく追っているのか不思議に思
う人もいるかも知れません。
 確かに『ダ・ヴィンチ・コード』は、ダン・ブラウンの創作に
よるフィクションですが、その中には多くの事実が入っており、
どこまでがフィクションで、どこが真実かその境界が微妙なので
す。なかには本当は事実なのだが、それを前面に出すと関係各方
面に問題が起こるので、あえてフィクションにしているところも
あるのです。
 ダン・ブラウン自身も原作の冒頭部分で、次のように断ってい
るです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この小説における芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する
 記述は、すべて事実に基づいている。  ――ダン・ブラウン
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 重要なことは、この原作や映画の訴えようとしていることを本
当に理解すると、キリスト教の本質というか真実の姿が見えてく
ることです。そういう意味で、この映画は今までに誰も取り上げ
なかった角度から描いたキリスト映画であるともいえるのではな
いかと私は思うのです。
 なお、映画に関しては、この映画の脚本を担当したアキヴァ・
ゴールズマンの著書を手に入れ、それを参照して記述しており、
多くの『ダ・ヴィンチ・コード』の謎解き本とは一線を画す解説
になると考えております。
 さて、シオン修道会の総長ジャック・ソニエールをはじめ3人
の参事が命をかけて守り通した秘密とは一体何でしょうか。とく
にソニエールが孫娘のソフィー・ヌヴーに対して訴えたかったこ
ととは何でしょうか。また、4人を殺害してまで、シオン修道会
の秘密を奪おうとしたオプス・デイのシラスという男は何を狙っ
ているのでしょうか。それにその黒幕であるオプス・デイという
のは、どういう組織なのでしょうか。多くの疑問があります。
 暗殺者シラスがルーヴル美術館を出て向かった先はサン・シュ
ルピス教会でした。シオン修道会の4人の幹部が死ぬ間際に口を
揃えていったことば――「サン・シュルピス教会のローズライン
にある」を確かめるためです。
 シラスはオプス・デイの司教アリンガローサに電話して事情を
話し、夜分でもサン・シュルピス教会に入れてもらえるよう手配
をしてもらったのです。シラスを出迎えたのは、サン・シュルピ
ス教会のシスター、サンドリーヌです。中に入れてもらったシラ
スは、早速サンドリーヌに「ローズラインについて教えてくれ」
と頼むのです。
 ローズライン――北極と南極を結ぶ想像上の線のことで、子午
線あるいは経線のことです。これは無数に引くことができるので
すが、昔の航海者はそれらの線のどれを真のローズライン、つま
り、経度ゼロの線とするかを決める必要があったのです。
 現在、その線は英国のグリニッジにあり、世界共通になってい
ます。しかし、それまでは、フランスの子午線が世界初であり、
多くの国がそれを使っていたのです。
 しかし、数百年の年月を経て英国が地図製作や航海技術で世界
の頂点に立ったことから、英国の本初子午線――経度ゼロの子午
線を世界標準に決めざるを得なかったのです。
 1884年当時、本初子午線は次の11あったのです。これで
は、航法士は困ってしまいます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  グリニッジ  コペンハーゲン  サンクトペテルブルグ
  パリ     リスボン     ストックホルム
  ベルリン   リオ       東京
  カディス   ローマ      
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 しかし、商業用商船の72%がグリニッジの本初子午線を利用
していて、パリのそれを使っていたのはわずか8%でした。そこ
で、1884年にワシントンで開かれた国際会議において、25
ヶ国が投票した結果、22対1でグリニッジへの統一が決まった
のです。フランスとブラジルは棄権しています。
 フランスはグリニッジへの統一が決まった後もフランスの本初
子午線を使い続け、標準時間としては1911年まで、地図上の
基準としては1914年までがんばっていたのです。
 パリの街路などには135個の青銅のメタルが埋め込まれてお
り、これを結ぶと世界初の子午線――フランスの本初子午線にな
るのですが、それはサン・シュルピス教会を通っているのです。
 シラスは、サンドリーヌに1人で神に祈りたいので、引き取っ
て寝て欲しいといい、サンドリーヌを引き取らせます。しかし、
サンドリーヌはソニエールから、そういう事態になったときは連
絡するよう依頼されていたのです。そこで、引き取るフリをして
密かにシラスの行動を監視することにしたのです。
 シラスは、ローズラインの端にある巨大なオベリスクの下の床
の部分を鉄棒で壊します。そうすると、下は空洞になっていて、
そこには古い石板があり、その石板の表面には次の文字が刻まれ
ていたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
           ヨブ 38 11
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 サンドリーヌは急いで部屋に戻ると、ソニエールに教えられて
いた4つの電話番号に電話します。しかし、電話に出る者は誰も
いなかったのです。全員が殺されていたからです。
 ふとサンドリーヌが振り向くと、そこには石板を手にしたシラ
スが立っていたのです。そしてシラスはこういったのです。「シ
スター、ヨブ記38章11節を知っているか」と。
 シスターの返事を聞くやいなや、シラスは石板をシスターの頭
に叩きつけたのです。 ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/05]


≪画像および関連情報≫
 ・「ヨブ記38章11節」とは何か
  『ここまで来てもよい、越えてはならぬ、/おまえの高波は
  ここにとどまるのだ』。シラスには、敵の組織が神の言葉を
  借りて「これ以上の詮索はやめなさい。必要以上に知りたい
  と思う心を自制しなさい」と自分を諭したように思えたので
  屈辱と絶望と怒りから、突発的にシスターを殺してしまった
  のである。
 ・「ダ・ヴィンチ・コード」に対する教会の抗議
  サン・シュルピス教会は、異教徒の名残があるといわれたこ
  とに対して抗議文を配布し、ダ・ヴィンチ・コードに対して
  否定的な姿勢を示している。その否定的な姿勢のもう一つの
  原因は、神の家である教会が、神に仕える者同士が殺し殺さ
  れるという衝撃的な内容の舞台とされたことにも深く関係し
  ている。
     http://salut.at.webry.info/200601/article_46.html

サン・シュルピス教会.jpg
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2009年02月04日

●オプス・デイとヴァチカンとの関係(EJ第1888号)

 このあたりでシラスの属するオプス・デイという宗教組織につ
いて説明しておく必要があります。シラスはこれまでに5人を殺
しており、組織の指令による殺人であるとすると、凶悪で邪悪な
組織のように見えます。
 実はこのオプス・デイ――実在の宗教組織なのです。しかも、
カルト的色彩は濃いものの、れっきとしたカトリック教会の一員
なのです。1995年現在、オプス・デイは世界80ヶ国に公称
7万7000人の信徒を有しているといわれます。
 どうしてオプス・デイの会員がこのように伸びたかというと、
皇王ヨハネ・パウロ2世から特別のお墨付きをもらったからなの
です。特別のお墨付きとは、1982年にオプス・デイは「属人
区」として承認されたことをいいます。
 「属人区」とは何でしょうか。
 現在のカトリック教会の組織は、大部分は地域によって分けら
れ、信者は居住する区域の教会に属することになります。しかし
カトリック教会は地域的な習慣の違いなどから、種々の典礼を認
めているのです。すべての地域の教会が同じ典礼をやっているわ
けではないのです。
 例えば、あるカトリック信者が、自分が洗礼を受けた時とは異
なる典礼区域に移住した場合、その地域の教会に属さずに地理的
には別の場所にあっても、自分の典礼の教会に属すことが認めら
れています。これを「属人区」というのです。
 オプス・デイは「属人区」が認められていますが、これは独特
の典礼を行うオプス・デイの場合、どこに居住していようとも地
域の教会に属さず、あくまでオプス・デイの会員として行動でき
ることを意味しています。それでいて、れっきとしたカトリック
教会の一組織なのです。明らかに特別扱いといえます。
 「ダ・ヴィンチ・コード」の原作のなかで、オプス・デイの司
教アリンガローサが次のようにいうところがあります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これはまったく合法的な取引です。オプス・デイはヴァチカン
 市国の属人区であり、教皇聖下はあらゆる形で資金の用立てを
 なさることができます。いかなる法も犯していません。
                    ――アリンガローサ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 要するに、オプス・デイは聖職者の地位と同様で、地理的な制
約を一切受けないのです。これは大変な厚遇であり、ヴァチカン
はなぜオプス・デイをこれほどまで厚遇するのかが話題になるほ
どの贔屓ぶりといえます。
 オプス・デイには現在賛否両論があるのです。オプス・デイと
は「神の御業」という意味なのですが、会員にとっては、創始者
であるホセマリア・エスクリパーの説く日常生活の聖化を実践す
る場であるのに対して、批判者は会員の勧誘が強引であり、おの
れの意思を貫くのに手段を選ばない――隠蔽でも裏工作でも何で
もやる、強力で危険な狂信的組織であるというのです。つまり、
批判者にとってオプス・デイは、かつてのオーム真理教と同じで
あるといえます。
 ダン・ブラウンは、「ダ・ヴィンチ・コード」においてオプス
・デイを邪悪な宗教組織として描いていますが、それはそうする
ことによって、背後にいるカトリック教会に批判の目を向けてい
るとも解釈されるのです。
 原作や映画で、オプス・デイの司教アリンガローサとヴァチカ
ンの長官を含む幹部が接触するシーンがあります。シナリオで再
現してみましょう。司教はアリンガローサを指します。アリンガ
ローサと受け応えするのは若い幹部です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 長官:ようこそ、司教。会議を始めるとしよう。
 ――長官以外の4人はいっせいに答える。
 4人:父と子と聖霊の名において。
 長官:どんな話かね。
 司教:既にお伝えしましたが、金額は―――
 幹部:ヴァチカンの無記名債権で2000万ユーロ。高い手数
    料ですね、司教
 司教:いろいろ手を尽くさなければなりませんから。それに自
    由には大きな代償が伴うものです。
 幹部:あなたがそれを与えてくれるというわけですか。
 司教:私は人々の信仰を取り戻す手段を提供するだけです。
 幹部:何とも謙虚な―――
 長官:君の依頼に応ずるとして、この計画はいつから始めるの
    かね。
 司教:実は今夜です。すでに始まっています。わたしは口だけ
    の人間ではありません。行動で表します。ヴァチカンが
    教会法を緩めようとするのは、神を敬わない卑怯な行為
    です。キリスト教の神髄が踏みじみられているために、
    毎日どれだけの血が流されるのでしょうか。
 ――アリンガローサはグラスのワインを古い木製のテーブルに
 ぶちまける。
 司教:それも終わります。今夜、聖杯がもたらされます。今夜
    キリスト教の王座が聖化されるのです。
 ――アリンガローサは熱のこもった目で全員を見直す
 司教:「導師」とのみ名のる人物から接触を受けました。この
   議会のことをよく知っている男です。シオン修道会のこと
   も―――。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 映画にこういう会話のシーンがあるのですが、流して聞いてし
まうと、何のことかさっぱりわからないと思うのです。ちなみに
会談が行なわれている場所はカステル・ガンドルフォ――ローマ
教皇の避暑用の山荘のあるイタリア共和国ラツィオ州ローマ県の
地名。ヴァチカンの長官とオプス・デイの司教が何やら取引して
いる感じです。    ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/06]


≪画像および関連情報≫
 ・アリンガロ−サの名前に隠された意味
  ―――――――――――――――――――――――――――
  アリンガロ−サを「アリンガ・ローサ」と区切って読むと、
  イタリア語で「赤いニシン」、英語の「レッド・ヘリング」
  という意味になる。「レッド・ヘリング」とは、ミステリー
  小説において「読者の注意をほかにそらす仕掛け」のことで
  あるが、確かにアリンガローサやシラスの存在がこの小説を
  複雑なものにしているのは確かである。
  http://shizuoka.cool.ne.jp/littlewonder/consideration5.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

オプス・デイとヴァチカンとの会談.jpg
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2009年02月05日

●オプス・デイへのヴァチカンの通告(EJ第1889号)

 アリンガ・ローサ――「レッド・ヘリング」についてもう少し
追加説明を続けます。レッド・ヘリングというのは、燻製ニシン
のことです。かつて、猟犬を訓練する際、燻製ニシンを使って匂
いをつけ、獲物の匂いと紛らわしくしておいたことから、転じて
目くらましの意味にも使われるようになったのです。
 また、奇術において、タネがバレないように観客の注意をひき
つけておく道具や、ミステリーにおいて犯人を分かりにくくさせ
るための偽の手がかりなどもレッド・ヘリングというのです。
 オプス・デイの司教であるアリンガローサの名前がこの「レッ
ド・ヘリング――目くらまし」を意味するということは、この人
物を登場させることによって、ダン・ブラウンが「ダ・ヴィンチ
・コード」において一番訴えたいことに少しぼかしを入れたもの
と考えられるのです。
 一番わかりにくいのは、アリンガローサとヴァチカン長官らと
の会談です。一体何が目的だったのでしょうか。ヴァチカン側か
らオプス・デイに対して相当巨額の資金が渡されているのです。
 しかし、原作はともかくとして、映画においては会談の目的は
きわめて不透明です。したがって、原作を読まずに映画だけを観
た人は、オプス・デイ側がヴァチカンに対して何かを持ちかけ、
ヴァチカンが渋々それにしたがったとしか思えないのです。
 この部分に関しては、原作と映画では明らかに解釈が異なって
います。何しろ「ダ・ヴィンチ・コード」の映画化に関しては、
6ヵ月余りの間に台本が25回も書き直されているのです。原作
の映画化に関して、ヴァチカン側から何らかの申し入れがあった
のでしょうか。
 映画を観る限り、要するにプロットはこういうことであろうと
思います。ヴァチカンはカトリック教会の崩壊につながりかねな
いある重大な秘密を早急に手に入れる必要性に迫られ、その仕事
をオプス・デイにやらせることに決め、アリンガローサをカステ
ル・ガンドルフォの教皇の山荘に呼び出したのです。
 そして、アリンガローサに6ヵ月という期限を切って、その秘
密を手に入れるよう命じたのです。もちろん、それ相応の資金を
渡すことを条件としてです。
 アリンガローサは熟慮のすえ最も信頼のおける修行僧シラスに
その仕事を打ち明けたのですが、アリンガローサとしてはその仕
事を成し遂げる自信がなかったのです。そして、むなしく5ヶ月
が経過してしまうことになります。
 そのとき「導師」と名乗る男から連絡が入るのです。「シオン
修道会が秘密を握っている」という情報です。そのときから、シ
ラスは、その導師の携帯電話からの指示にしたがって行動を開始
するのです。そして、シオン修道会の総長と3人の参事を殺害し
秘密を握る「キーストーン」に迫ります。
 いよいよ秘密を握るキーストーンが今夜にでも入手できるとの
シラスの情報に狂喜したアリンガローサは、ヴァチカンと連絡を
取り、導師に支払う資金を要求するとともに、会議の開催を求め
て、カステル・ガンドルフォ山荘に乗り込むのです。昨日のEJ
でご紹介したヴァチカンとの会議がそれに当たるのです。
 会議が終わると、アリンガローサとヴァチカンの長官は外に出
て次の会話をかわします。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 長官:その導師とやらに非常な信頼を置いているようだね。
 司教:イエスでもあり、ノーでもあります。向こうの知らない
    もうひと組の目も使っていますから。
 長官:いつもながら万全の策だな。
 司教:導師の意に従う天使を貸し与えました。わたしのシラス
    ほど優れた神の兵士は考えられません。
 長官:君の修道僧か。献身は何よりの――
 ――アリンガローサの携帯電話が鳴る。
 司教:アリンガローサだ―――そんなばかな
 ――アリンガローサは青ざめ、長官と視線を合わせる
 司教:キーストーンの奪取に失敗しました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 しかし、原作は大幅に違うのです。ヴァチカンが最初にアリン
ガローサを呼び出したのは、ヴァチカン評議会がオプス・デイへ
の認可の撤回を決定したことを伝えるためだったのです。そのさ
いのヴァチカンの国務省長官のことばを原作からご紹介します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 わかりやすく言いますと、本日から6ヵ月後、オプス・デイは
 ヴァチカンの属人区と見なされなくなります。あなたがたは独
 立した教会組織になる。教皇庁はもはや無関係です。聖下も同
 意され、すでに正式な文書の作成がはじめられています。
             ――ダン・ブラウン著/越前敏弥訳
  『ダ・ヴィンチ・コード(下)』より。角川文庫14159
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 原作では、上巻の後半部分にアリンガローサとヴァチカン長官
との会談のシーンは描かれているものの、会談の内容が何であっ
たのかについては触れていません。だだ、アリンガローサが衝撃
を受けた様子については次のように記述されています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 扉に歩み寄ったときには、これから衝撃的な知らせを聞くこと
 になろうとは、そしてそれを機につぎつぎと恐ろしい出来事が
 起ころうとは、夢にも思わなかった。一時間後、会合を終えて
 おぼつかない足どりで部屋から出てきてはじめて、事の重大さ
 が身にしみた。あと、6ヵ月、アリンガローサは思った。神よ
 お救いください。!            ――上経書より
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このときの会談が何かわかるのは、下巻の189ページ以降な
のです。しかし、映画は明らかに違うのです。ヴァチカンからか
オプス・デイからか――いずれかから、何らかのクレームが届い
たのでしょうか。   ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/07]


≪画像および関連情報≫
 ・米国におけるオプス・デイの状況
  ―――――――――――――――――――――――――――
  米国における教団信者は5千人を数える。全米20都市にお
  いて、50ヶ所以上のセンターが開設された。米国における
  オプス・デイの活動の最盛期は、レーガン政権時代に一致し
  教団は、ホワイトハウス、国防総省の中級・高級官僚に代理
  人を有していた。クリントン政権下でも、教団は、ゆっくり
  とではあるが、発展した。しかしながら、ブッシュ大統領の
  就任後、状況は変わった。スパイ容疑で逮捕されたFBI職
  員ロバート・ハンセンがオプス・デイ信者であることが判明
  し、教団による米行政府・司法府への浸透工作の疑惑が持ち
  上がっている。           ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

長官とアリンガローサ.jpg
長官とアリンガローサ 
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2009年02月06日

●クリプテックスとは何か(EJ第1890号)

 「ダ・ヴィンチ・コード」のサスペンスとしての興味には次の
3つがあると思うのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.カトリック教会の崩壊につながりかねない重大な秘密とは
   どのような秘密なのか。
 2.その秘密の鍵を握る聖杯とは何か。それが隠されている場
   所とは一体どこなのか。
 3.その秘密の場所にシラスを導く謎の「導師」と名乗る男の
   正体は一体何者なのか。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 カトリック教会の崩壊につながりかねない重大な秘密――それ
は小説の中では「聖杯」という表現をとっていますが、この小説
は、のっけからその争奪戦の様相を呈します。
 その鍵を握っているのは、シオン修道会のジャック・ソニエー
ル――しかし、ソニエールはシラスに殺され、その秘密は孫娘の
ソフィ・ヌヴーに暗号のかたちで受け継がれます。そして、その
ソフィーを助けるラングドン、彼らを必死で追いかける司法警察
のファーシュ警部とコレ警部補、そしてオプス・デイの修行僧の
シラス――3どもえの争奪戦になります。
 そこにアリンガローサやシラスなどのレッド・ヘリングがから
んできて、話が一層ややこしくなる――本当に映画にいたっては
オプス・デイの司教、アリンガローサとヴァチカンの話が一番わ
けのわからない話になっています。
 その争奪の対象となるのはキー・ストーン――具体的にはクリ
プテックスといわれるものです。その中に聖杯のありかを示す地
図が隠されているのです。チューリッヒ保管銀行にソニエールが
預けていたものをソフィーが取り出したのです。
 ソフィーは、ソニエールの暗号にしたがって、ルーヴル美術の
「岩窟の聖母」の後ろから取り出した鎖付きの銀の十字架の鍵を
使い、ソニエールが死の間際に書き残した10桁の数字をコード
番号として入力してそれを取り出したのです。
 さて、ソフィーが取り出したこのクリプテックスについて、原
作には次の説明があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 クリプテックス。手紙でも地図でも図式でも、あらゆるものを
 保護して持ち運べる容器だ。クリプテックスに情報を入れて閉
 めてしまえば、正しいパスワードを知る者しかあけることがで
 きない。
             ――ダン・ブラウン著/越前敏弥訳
  『ダ・ヴィンチ・コード(中)』より。角川文庫14158
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このクリプテックス――壊して無理に開けようとすると、中に
はビネガー(酢)が入っていて、それが中に入っているものを溶
かしてしまう仕掛けになっています。酢で中のものが本当に溶け
るかどうかは別問題として・・・。
 クリプテックスは、真鍮と大理石とプラスチックを使って作ら
れており、五弁の薔薇の印の付いた紫檀の木箱の中に入っている
のです。映画では、実際に作動する機能を備えたクリプテックス
を4つ試作しています。原作によると、「テニスボールの缶ぐら
いの大きさ」とありますが、木箱全体がラングドンのポケットに
入らないと撮影上困るので、ポケットに入るように小型化するな
ど作るのが大変だったそうです。
 木箱の五弁の薔薇は何を意味しているのでしょうか。
 これについては、原作の中でソフィーが次のようにラングドン
に話しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 祖父は、薔薇は秘密を意味するといつも言ってたの。内密の電
 話をかけてわたしに邪魔されたくないときは、書斎のドアに薔
 薇の花を飾ったものよ。わたしにも同じようにしなさいと勧め
 た。           ――ダン・ブラウンの前掲書より
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「薔薇の下/スブ・ロサ」――古代ローマ人は会議のあいだに
薔薇を上から吊るして、それが極秘の集まりであることを示した
のです。会議の出席者は、薔薇の下で語られたことは決して口外
してはならないきまりになっていたのです。
 スブ・ロサ――この言葉を聞いて思い出したことがあります。
昔、日比谷の三井ビルに「スブ・ロサ」という喫茶店が合ったの
です。その喫茶店の窓側に座ると、真下に当時有楽座があったの
です。三井ビルは今でもあるので、今もあるかも知れませんが、
印象に残る喫茶店でした。スブ・ロサとは、どういう意味なのか
なとよく考えたものです。
 実は、薔薇はシオン修道会では「聖杯」を意味するのです。原
作では次のように説明されています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 シオン修道会において薔薇が聖杯の象徴として使われているの
 は、秘密めいた含みがあるからだけではない、とラングドンは
 説明した。薔薇は最古の品種のひとつである浜梨――ロサ・ル
 ゴサは、花びらが五枚で五角形の対称性を備えており、導きの
 星である金星と同じく、図像学的に「女性」との強い結びつき
 がある。また、薔薇は、「正しい方向」や「人を導く」という
 概念とも深いつながりを持つ。――ダン・ブラウン前掲書より
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 クリプテックスは、レオナルド・ダ・ヴィンチがこんなものも
考えられるとして書き残した設計図――ダ・ヴィンチはそういう
ものを多く残していたといわれる――にしたがって、ソニエール
が再現したものといわれています。ソフィーは子供の頃に祖父に
よくそういうものを作ってもらったといいます。
 重要な秘密を守るべき跡継ぎとして、ソフィーに対して暗号や
パズルなどの謎を解く能力を高めたい――そういうソニエールが
クリプテックスを作ったのです。
           ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/08]


≪画像および関連情報≫
 ・クリプテックスは販売されている
  ―――――――――――――――――――――――――――
  映画「ダ・ヴィンチ・コード」で登場するアイテム、クリプ
  テックスのミニレプリカ。設計したのはダ・ヴィンチ、聖杯
  に関する手がかりが入っており、映画の中で主人公たちが開
  けるのに苦労するアイテム。商品はパスワードを入れると、
  開閉可能。
  http://tenant.depart.livedoor.com/t/infinity/item2759955.html

クリプテックス.jpg
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2009年02月09日

●レンヌ・ル・シャトーのソニエールの話(第1891号)

 「ダ・ヴィンチ・コード」では、小説でも映画でも「キー・ス
トーン」という言葉がよく登場します。「キー・ストーン」とは
何でしょうか。
 キー・ストーンというのは、もともとはアーチ型通路を造るフ
リーメーソンの門外不出の技術だったのです。石造りのアーチ型
通路の場合、頂点の部分にほかの石をつなぎ留めて全重量を支え
る楔形の石が必要になります。この石のことを「クレ・ド・ヴッ
ト」英語でキー・ストーン――要石と呼んだのです。そして、そ
の技術は代々口頭伝承で伝えられたのです。これは、フリーメー
ソンのロイアル・アーチという位階にも深い関係があるのです。
 ラングドンは、チューリッヒ保管銀行の支配人ヴェルネの運転
する装甲トラックの荷室の中でソフィーに次のように伝えるシー
ンがあります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 シオン修道会の伝承によれば、キー・ストーンとは暗号で記さ
 れた地図のことなんだ。そこに示されているのは聖杯の隠し場
 所だ。             ――ロバート・ラングドン
             ――ダン・ブラウン著/越前敏弥訳
  『ダ・ヴィンチ・コード(中)』より。角川文庫14158
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 さて、「ダ・ヴィンチ・コード」を語るうえにおいて、避けて
通れないものが「レンヌ・ル・シャトー」に関する話なのです。
確か小説にも映画にも「レンヌ・ル・シャトー」の話は一切出て
こないはずですが、知っておく必要があります。
 レンヌ・ル・シャトーというのは、南フランスのカルカソンヌ
から25マイルほど離れた山頂の村です。この村の数マイル先に
はベズ山という山があるのですが、そこにはテンプル騎士団の遺
跡が残っているのです。
 それにレンヌ・ル・シャトーから東へ1マイルほど行った先に
は、テンプル騎士団の四代目総長を務めたベルトラン・ド・ブラ
ンシュフォールが住んでいたという家の跡が残っています。
 このレンヌ・ル・シャトー村は、このベズ山をはじめとする5
つの山に取り囲まれているのですが、それぞれの山の頂点を結ぶ
と五芒星を形成するのです。つまり、ベズ山をひとつの頂点とし
て、残りの4つの山頂を結ぶと、正五角形になるのです。これは
単なる偶然の産物ではなく、そこには明確な幾何学的規則性が見
られるのです。
 これについては、「ダ・ヴィンチ・コード」のタネ本のひとつ
といわれる「レンヌ・ル・シャトーの謎」の執筆者の一人、ヘン
リー・リンカーンの次の著書に詳しく出ています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  『隠された聖地』ヘンリー・リンカーン著/荒俣宏訳
                   河出書房新社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ヘンリー・リンカーンは、ある雑誌のインタビューで、幾何学
的模様がどのようにして出現するのかについて次のように述べて
います。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 実のところ、幾何学性を完成させるために山頂を創出するとい
 うのは、別に人類の能力を超越した技術を要さない。例えば、
 誰もが人工的だと知っているシルベリー・ヒルや大ピラミッド
 の模様を見れば明白だ。だから、山々の五角形を象る頂点が調
 整された可能性は、十分ある。けれども個人的には、自然な状
 態でこれに近かったのではないかという驚異的な確率に賭けて
 みたい。       ――マーティン・ラン著/秋宗れい訳
        「ダ・ヴィンチ・コード・デコーデッド」より
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このレンヌ・ル・シャトー村にベランジュ・ソニエールという
人物が祭司としてやってくるのです。「ダ・ヴィンチ・コード」
のソニエールはジャック・ソニエール――明らかにダン・ブラウ
ンは意識して「ソニエール」という名前を使っています。
 それに「ダ・ヴィンチ・コード」には、ベズ・ハーシュという
警部が登場しますが、この「ベズ」とレンヌ・ル・シャトーのベ
ズ山は関係があると思います。このように、原作者のダン・ブラ
ウンは、いろいろ関連資料をていねいに調べ、関連のある名前を
巧みに使っているのです。
 レンヌ・ル・シャトー教会にやってきたベランジェ・ソニエー
ルは、教会があまりにも荒れていたので、一部修復しようと考え
たのです。1891年のことです。この教会はマグダラのマリア
に献堂されたものとされ、6世紀の西ゴート族の教会跡地に建て
られていたのです。マグダラのマリアについては後で述べます。
 祭壇に埋め込まれている石をソニエールが外したところ支柱の
ひとつが空洞になっており、そのくり抜かれた柱の中に2つの木
製の筒に納められた4枚の羊皮紙が入っていたのです。
 4枚の羊皮紙のうち2枚は家系図のようなもので、その1つは
1244年、もうひとつには1644年の日付が記されていたの
です。残りの2枚は、ソニエールの前任者であるアントアーヌ・
ビグー神父によるラテン語の記録だったのです。このビグー神父
は、この地方の有力な地主であったブランシュフォール家の専属
司祭を務めていたのです。
 ビグー神父のラテン語の記録の1枚目は、1780年代のもの
であり、新約聖書からのラテン語の引用と思われます。もう1枚
は、意味のよくわからない文字が羅列されていたのです。
 何か重要な文書ではないかと考えたソニエールは、カルカソン
ヌ司教に相談したのです。後から振り返ると、それはソニエール
のその後の人生において大きな転換期となったのです。
 しばらくすると、司教はソニエールにパリに行って、カトリッ
ク教会のある聖職者と面会するよう命令し、そのための費用を渡
します。そのパリ行き以来、ソニエールの人生は大変貌を遂げた
のです。       ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/09]


≪画像および関連情報≫
 ・関連するあるブログより
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1953年年某日、南フランスのレンヌ・ル・シャトーとい
  う、スペイン国境の近くピレネーの山麓にある小さな村で、
  とある資産家の婦人が静かにその人生を終えた。その村で生
  まれ、生涯そこを一歩も出ることなかった彼女。名はマリー
  ・デナルドー、享年77歳。彼女は、我々と変わらぬ善良で
  平凡な一市民として近くの墓所に葬られた。…だが、彼女の
  生涯は「平凡で善良な一市民」とするには、あまりにも奇妙
  で興味深いミステリーに満ちている。
      http://www.magiccity.ne.jp/~ks-w/ST/pass01.html
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

レンヌ・ル・シャトー教会と祭司.jpg
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2009年02月10日

●異様な装飾のレンヌ・ル・シャトー教会(EJ第1892号)

 ベランジェ・ソニエールはパリに3週間滞在しているのです。
そして、会った相手とは、サン・シュルピス神学校長官のビエイ
ユ神父とその甥のエミール・オッフェです。エミール・オッフェ
はまだ20代でしたが、言語学、暗号解読、古文書学の分野では
名声の高い学者であり、聖職者の道を目指していたのです。
 ソニエールが彼らに4枚の羊皮紙を見せたのは間違いないので
すが、そこでどのような会話がかわされたのかについては、何も
わかっていないのです。ただ、ソニエールが急に大金持ちになっ
たことはその後の彼の行動を見れば間違いないことです。
 ソニエールは、ルーヴル美術館に行き、絵画のレプリカを3点
購入しています。単に欲しいものを購入したのではなく、発見し
た羊皮紙に書かれていた次の文に関係のある作品を買い求めてい
るのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 誘惑ではない羊飼いの女、プッサンとテニールスが鍵を握る。
 681年の平和、十字架と神の馬にかけて、守護霊の悪霊を正
 午に完成させる(破壊する)。青りんご。
            ――マーティン・ラン著/秋宗れい訳
        「ダ・ヴィンチ・コード・デコーデッド」より
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 上記の文に該当する絵は、ニコラ・プッサンの「アルカディア
の牧童」です。アルカディアという単語は、ギリシアの守護神で
狩猟の神アルテミスの妹でカリストーの息子のアルカスからきて
います。伝説ではメロヴィング朝はトロイの血を引く者たちであ
るといわれています。
 王立美術学院のクリストファー・コーンフォート教授はこの絵
を分析し、その中に五芒星が隠されていることを発見したと述べ
ているのですが、「アルカディアの牧童」の絵と五芒星の関係に
ついては、添付ファイルをご覧ください。
 さて、ソニエールは、悠々としてパリで3週間を過ごした後、
レンヌ・ル・シャトーに戻ると、直ちに教会の改造に着手したの
です。そのとき教会に家政婦として住み込んでいたマリー・ドナ
ルノと一緒に野山を歩きまわり、岩石を拾い集めたのです。
 さらにソニエールは非常に多くの人に手紙を送っており、その
発信先は全世界に及んでいたため、その切手代として莫大な資金
を使っているのです。そして、それを機に非常に多くの人がレン
ヌ・ル・シャトー教会を訪れるようになったのです。その来訪者
の中には、大変高貴な人も含まれていたのです。
 来訪者の中には、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフの従兄
弟に当たるヨハン・サルヴァトール・フォン・ハプスブルグ大公
がおり、彼はソニエールに多額の資金を支払っていることが銀行
記録からわかっています。
 ソニエールは、教会の改装だけでなく、教会にいたる道路整備
にまで資金を投じています。とにかく資金はいくらでもあるよう
なのです。さらに山の峰の背にはマグダラ塔を建て、自分の住ま
いとしてではなく、ベタニヤ荘――ベタニアというのは、シオン
修道会がレンヌ・ル・シャトーの「アーチ門」に授けた名前――
という屋敷まで建造しています。
 さらに理解に苦しむのは、教会の装飾についてなのです。教会
の玄関には次の刻印の標識掲げられているのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        TERRIBILIS EST LOCUSISTE
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この言葉をそのまま訳すと「この場所は恐ろしい」となるので
すが、「これは畏れ多い場所」――すなわち「神の家」の意では
ないかという指摘もあります。
 教会の玄関を入ったところにソニエールは悪霊アスモデウスの
像を置いています。とても教会には似つかわしい像ではないので
すが、秘密を管理し、隠された宝を守るという意味があるものと
考えられます。
 教会の中には2つのキリスト像があり、一つは少し高い位置に
あって、上の壁にある薔薇十字付きの丸天井を指差し、もうひと
つの手は、低い位置にあるキリスト像を指しているように見える
のです。そして、低い位置のキリスト像は、教皇権を象徴するも
のを握っているのです。
 壁沿いには次の5人の聖者が描かれています。その頭文字は、
G.R.A.A.L――Holy Grail「聖杯」になるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    G ・・・・・ 聖ジェルマン
    R ・・・・・ 聖ロック
    A ・・・・・ パトヴァの聖アントニウス
    A ・・・・・ 隠修士アントニウス
    L ・・・・・ 聖ルカ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これらの五聖人はMの形で並んでいるのです。このMは教会の
守護聖人を表しており、シオン修道会の聖杯一族の家母長である
「マグダラ」を象徴していると思われます。
 Mの形といえば、「ダ・ヴィンチ・コード」では、レオナルド
・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の絵に見られるMの形を想起さ
せます。「最後の晩餐」の中のイエスとマグダラのマリアとされ
る人物の輪郭をなぞると出てくるMの形です。明らかに、ダン・
ブラウンは、このレンヌ・ル・シャトー教会とソニエールの話を
ベースに小説を書いていることがわかります。
 教会のモチーフは薔薇十字、フランス王家のシンボルであった
百合のシンボル――これらは聖杯一族のシオン修道会とフランス
王家の結びつきを感じさせます。だからこそ、このような辺鄙な
場所の教会に王家の血を引く者が多くきているのです。
 ベランジェ・ソニエールの話はこれで終わりではなく、まだ続
きます。一体彼は、どのようにしてこのような巨額の資金を手に
入れたのでしょうか。 ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/10]


≪画像および関連情報≫
 ・「アルカディアの牧童」の中に隠された五芒星/古代ペンタ
  クロス文化のブログより
  ―――――――――――――――――――――――――――
  プッサンの絵に描かれた3人の羊飼い達の人体ポイント描写
  に「五角形」が隠されているのがおわかりでしょうか。この
  絵がもし財宝の秘匿場所を示す地図だとすれば、黄点にレン
  ヌ・ル・シャトー五角形を重ねて、中央右側の羊飼いが指し
  示す青十字星あたりに隠すでしょうか。
  http://blogs.dion.ne.jp/pentacross/archives/2667057.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

ニコラ・プッサン/アルカディアの牧童.jpg
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2009年02月12日

●ソニエールはなぜ大金を得たのか(EJ第1893号)

 ベランジェ・ソニエール神父の話を続けます。教会の改装が終
わっても彼はどんどん出費を続けたのです。何となく異様なマグ
ダラ塔を建て、中に豪華な図書館を作り、オレンジ栽培の温室や
動物園まで作ったのです。陶磁器や織物、骨董品を収集して飾り
たて、教区民を豪華な晩餐会を招くなど、贅沢のきわみを尽くし
たのです。
 このソニエールの教会改装にはさらに不思議なことがあるので
す。それは「22」という数字です。マーティン・ランの本から
その部分を引用します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ソニエールの改装に関連して22という数字が登場する回数は
 偶然にしては多すぎる。なにしろ、それは彼の暗号の一つだっ
 たのだ。マグダラ塔には屋根へつながる22の階段があり、頂
 上は22の凸壁で囲まれている。<ガラスの塔>の下には、侵
 入不可能な地下室へと続く22段の階段があり、庭には11段
 の階段が2組設置されている。墓地の門に据えられた、頭蓋骨
 の下に大腿骨を十字に組み合わせたどくろはテンプルとメーソ
 ン主義を象徴するが、これには22本の歯がある。教会に刻ま
 れた言葉には、22文字になるよう故意に綴り間違えたものも
 ある。22枚で成り立っているタロットの大アルカナカード、
 22の文字があるヘブライ語の神秘的アルファベットとの関連
 性は定かでない。   ――マーティン・ラン著/秋宗れい訳
        「ダ・ヴィンチ・コード・デコーデッド」より
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この「22」はオカルティックが数字ですが、ソニエールが何
を意図したものかはわかっておりません。しかし、「頭蓋骨の下
に大腿骨を十字に組み合わせたどくろ」については、明らかにテ
ンプル騎士団に関係があります。このマークはテンプル騎士団の
船団の旗に描かれているもので、海賊船のマークとして知られて
います。しかし、テンプル騎士団の場合は正確にいうと「頭蓋骨
と交差大腿骨」です。いずれにせよ、ソニエールが明らかに何か
の基準にしたがって教会を改装し、マグダラ塔を建てたのは明ら
かであると思われます。
 それにしてもソニエールは、こうしたことを可能にした莫大な
資金をどのようにして手に入れたのでしょうか。パリに行って、
カトリック教会の聖職者に会ってから、急に金持ちになったので
すから、ヴァチカンが何か関与していることは明らかです。
 この話ととてもよく似ているのは、EJ第1843号で述べた
テンプル騎士団の初代総長であるユーグ・ド・パヤンスがソロモ
ン神殿の跡地で何かを発見し、それを教皇ホノリウスに示してか
ら急にテンプル騎士団はヴァチカンの特別待遇になり、莫大な資
金を手にしたという話です。
 関係ないとは思いますが、似たような話はオプス・デイにもい
えるのです。オプス・デイが聖パウロ2世から特別待遇の「属人
区」の指定を受けている件です。どうして教皇はオプス・デイに
対してそういう特権を与えたのか――これについては、いろいろ
な議論があるのです。
 ダン・ブラウンはあくまでフィクションとしてですが、この話
を「ダ・ヴィンチ・コード」の中で取り上げています。教皇がオ
プス・デイの属人区を取り消すという話にしてです。
 原作での設定では、名前こそ出してはいませんが、聖パウロ2
世に代わった新教皇ベネディクト16世がカトリック教会の改革
の一環としてオプス・デイを属人区から外すということを匂わせ
ています。原作にはこうあります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 かつてないほどの急進派である現教皇は、ヴァチカン史上最も
 紛糾した異例のコンクラーベを通じて選出された。教皇は思い
 がけずその座を得たことに気後れするどころか、時を移さずし
 て、キリスト教世界の最高職としての力を見せつけた。枢機卿
 内部にひろがる急進派支持の流れに乗じ、教皇は、みずからの
 使命が「ヴァチカンの教理の若返りと第三千年紀に向けたカト
 リック教会の革新」だと公言している。
             ――ダン・ブラウン著/越前敏弥訳
  『ダ・ヴィンチ・コード(上)』より。角川文庫14157
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ソニエール神父の話に戻します。ソニエールのやることに知ら
ぬ顔を決め込んでいたカトリック教会は、さすがにこれではまず
いと考えて行動に出たのです。担当のカルカソンヌ司教は、聖物
販売罪でソニエールを告発し、自らの行動について釈明を求めた
のです。しかし、ソニエールはこれを拒否したので、司教は彼の
地位を剥奪してしまいます。
 しかし、ソニエールはその足でヴァチカンに出かけていって直
訴し、地位を奪い返しているのです。まるで、ヴァチカンはソニ
エールに弱みを握られているようです。
 しかし、1917年1月17日、ソニエールは突然の脳卒中で
死亡します。遺書が読み上げられて誰もが驚いたのは、ソニエー
ルは自分のすべての資産を家政婦のマリー・ドナルノに移譲して
いたことです。
 マリー・ドナルノはソニエールから莫大な資産を引き継いだの
ですが、その後も一人で質素に暮らしていたのです。多くの人が
ソニエールが大金を手にしたいきさつを彼女に聞きに訪れたので
すが、彼女は誰にも秘密は明かさなかったのです。
 第2次世界大戦後、フランス政府は新たな通貨を発行し、国民
に対して旧フランを換金するよう求めます。しかし、そのさい、
資金の出所を報告しなければならなかったのです。
 この処置に対し、マリー・ドナルノは出所を明かさず、ベタニ
ア荘の庭で大量の紙幣を燃やしてしまったのです。そのうえで、
家を売却して、そのお金で余生を過ごしたといわれています。そ
して、誰にも秘密を明かさないまま、77歳でソニエールと同じ
脳卒中でこの世を去ったのです。
           ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/11]


≪画像および関連情報≫
 ・レンヌ・ル・シャトー/インフォメーション
  ―――――――――――――――――――――――――――
  レンヌ・ル・シャトー/インフォメーションの話によると、
  レンヌ・ル・シャトー村の公式サイトとして次のアドレスが
  用意されている。このサイトではレンヌ・ル・シャトー村の
  全貌を写真で知ることができる興味深いサイトである。
             http://www.rennes-le-chateau.fr/
  ―――――――――――――――――――――――――――

レンヌ・ル・シャトー村全貌.jpg
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2009年02月13日

●なぜ、イエスは神になったのか(EJ第1894号)

 「ダ・ヴィンチ・コード」の映画の中で、おそらく一番分かり
にくいのは、ラングドンとソフィーが逃げ込んだシャトー・ヴィ
レットにおける謎の宗教学者、リー・ティーピングとラングドン
それにソフィーの3人による宗教問答であろうと思われます。し
かし、このシーンが理解できていないと、あとの展開は今ひとつ
消化不良にならざるを得ないのです。
 ローマ皇帝コンスタンティヌスは、ローマ帝国を維持していく
うえで宗教のキリスト教への一本化が不可欠であると判断して、
有名なニケーア公会議を開催したのです。
 リー・ティーピングの邸であるシャトー・ヴィレットにおける
宗教問答の一シーンを台本で再現してみることにします。「リ」
はティーピング、「ラ」はラングドン、「ソ」はソフィーをあら
わします。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 リ:この会議で、キリスト教のさまざまな宗派が議論を交わし
   評決を行った――どの福音書を正典と認め、どの福音書を
   認めないか。また復活祭の日付や秘蹟の授与をどうするか
   などについて。そしてもちろん、イエスを人間とするかど
   うかについて。
 ソ:よく分からないわ。
 リ:マ・シェリ(お嬢さん)、その時点まで信者の多くはイエ
   スを大預言者だと――影響力に富んだ偉大な人物ではある
   が、あくまでも人間とみなしてきたのだよ。命のある限り
   人間だと。
 ラ:人間だと思っていた信者もいたが、神だと思っていた信者
   もいた。
 ソ:神の子ではないということ?
 リ:甥の甥ですらない。
 ソ:ちょっと待って。投票の結果、イエスが神になったの。
 リ:いいかね。当時は神がどこにでもいた。イエスとは神の力
   を操る人間だったと吹き込み、地上で奇跡を行い、みずか
   ら復活する力を備えていたと宣伝することによって、コン
   スタンティヌスはイエスを人間世界の神に変えた。要する
   にもっと縁の薄い神は追い払ったのだよ。
 ラ:コンスタンティヌスが初めて神にしたんじゃないだろう。
   それを認めただけで、すでに多くの人がそう信じていた。
 リ:揚げ足を取るな。
 ラ:いや、揚げ足じゃない。君は自説に都合のいいように事実
   を解釈している。
 リ:事実は、多数のキリスト教徒にとって、イエスが1日で人
   間から神に変わったんだ。
 ラ:少数のキリスト教徒がイエスは神だという確信を深めたに
   過ぎない。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 イエスは人間かそれとも神か――この論争において、ラングド
ンが主張している内容はアカデミクスを代表しているといってよ
いと思います。ニケーア公会議において、アリウスとアタナシウ
スの論争が行われたのです。
 アレキサンドリアの神学者で司教のアリウスは、イエスは人間
であり、神ではないと唱えたのです。神は神であり、イエスが神
であるとするのは神への冒とくであるとしたのです。当時キリス
ト教徒の大半はアリウスのように考えていたのです。
 これに対してアタナシウスは、御父と御子は実質的には同じで
あり、イエスは人間ではなく、神であると主張したのです。そし
て、投票の結果、アリウスは敗れ、イエスは神であるというよう
に決まったのです。
 議論させ、そのうえで投票して決めており、民主的な決め方で
ある――多くの学者はそう主張しており、これが定説となってい
るのです。この問題に詳しく、「ダ・ヴィンチ・コード」の研究
家であるダン・バーンスタインは、これに関して次のように述べ
ています。彼もアカデミクス側に立っているようです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ニケーア公会議はアリウス派との論争を完全に収束させたわけ
 でもなく、キリストは神だという教義を押しつけたわけでもな
 い。司教たちは古来の伝統的な信仰をたしかめ合い、救世主た
 るキリストの力を否定しようとする将来の動きに備え、共同戦
 線を張ったにすぎない。
         ――ダン・バースタイン著/沖田樹梨亜・訳
        『ダ・ヴィンチ・コードの「真実」』/竹書房
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 しかし、当時のローマ帝国の状況を考えたとき、宗教の統一が
ローマ帝国の生き残る道であり、その場合、イエスが神であった
方がコンスタンティヌス帝としては都合がよかったのです。した
がって、アタナシウスが勝つように工作をしたことは明らかだろ
うと思います。会議は極めて巧妙に演出されたのです。
 その証拠にアリウスが敗れると、コンスタンティヌス帝は「イ
エスは神である」という教義を否定する発言を許さず、違反者は
異端として逮捕し、処刑したのです。また、教義に合わない多く
の文書が正典から外され、それらに「グノーシス的」というレッ
テルを貼って、処分していったのです。
 映画でリー・ティテーピングがいうように、コンスタンティヌ
ス帝はキリスト教の守護者として崇められているが、実は太陽信
仰を最後まで捨てず、死ぬ間際に洗礼を受けさせられたといわれ
ているのです。キリスト教をローマ帝国の正教にしたのは、あく
まで帝国を維持するための手段だったということが、そのことか
らもわかると思います。
 それ以降、レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめとする芸術家た
ちは何とかして後世に真実を伝えようとして、自分の作品に謎と
してメッセージを伝えようと試みたのです。異端とされるのを恐
れたからです。    ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/12]


≪画像および関連情報≫
 ・アリウス派とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  アレクサンドリアの司祭アリウス(250頃〜336)によ
  り唱えられたキリスト論に組みする一派。アリウスは,聖父
  の神性を重視し,〈神のみは始まりをもたずに存在する〉と
  いう立場から,聖子キリストは父なる神の被造物である,と
  聖子の人性を強調した“聖子従属説”を主張し,アレクサン
  ドリア司教アレクサンドロスによって,321年に破門され
  た。そこで有力な教会政治家ニコメディア司教エウセビオス
  に助けを求めたので,教会全体を巻き込む論争になった。皇
  帝コンスタンティヌスは調停を試み,325年にニケーア公
  会議を召集,アリウスとその同調者の破門を決定,アリウス
  らは追放された。
     http://www.tabiken.com/history/doc/A/A233C100.HTM
  ―――――――――――――――――――――――――――

ニケーア公会議/宗教問答.jpg

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2009年02月16日

●キリスト教の創立者/コンスタンティヌス(EJ第1895号)

 コンスタンティヌス帝について調べてみると、この皇帝は大変
聡明で、優れた政治家であったことがわかってきます。当時ロー
マ帝国は西と東があり、西はコンスタンティヌス帝、東はリキニ
ウス帝です。
 あるとき、コンスタンティヌスはリキニウスと話し合い、キリ
スト教徒の迫害をやめないかと提案し、リキニウスはそれに同意
したのです。そのときリキニウスは「変だな」と感じたのです。
どうしてかというと、そのときキリスト教徒の迫害など、ほとん
どなくなっていたからです。
 しかし、やがてリキニウスはコンスタンティヌスの意図を知る
ことになります。コンスタンティヌスは、リキニウスがこの約束
に背いたことを理由に、リキニウスを殺害してしまったのです。
帝国の基盤を磐石なものにするには、ローマ帝国はひとつである
必要があるとコンスタンティヌスが考えたからです。
 そして、宗教の統一化を実現するために、十分に練ったシナリ
オを書き、慎重な根回しと、巧みな演出のもとに、ニケーア公会
議を開催したのです。そして、ローマ帝国の国教としてキリスト
教を採用したのです。西暦325年5月20日のことです。
 この会議で制定されたのは「ニケーア信経」――これは、当時
の多種多様な教義を統一したもので、現在でもキリスト教権力の
基盤となっているものを定めたのですが、その中心的主題は、イ
エスは神か人かであり、もし神であるというなら、その神性の本
質とは何かを定めたものだったのです。さらに、異端者に対する
対応についても定められたのです。
 ところで、このコンスタンティヌスはローマの国教であったソ
ル・インウイクトウス――「不滅の太陽」の大神官を務めていた
のです。これは、太陽崇拝の宗教で、当時より100年くらい前
にシリアからローマに伝えられたのです。さらに別の太陽崇拝の
カルトといわれるミトラ信仰――この信仰もローまでは広く支持
されていたのです。
 「不滅の太陽」と「ミトラ信仰」、それに「キリスト教」――
これらはどの視点から見ても共通点が多く、一本化は可能である
――コンスタンティヌスはそう見抜いたのです。
 コンスタンティヌス自身は、あくまで「不滅の太陽」の大神官
であるという前提に立ち、もし、イエス・キリストに神格を与え
れば「不滅の太陽」と直接関連づけて、イエス・キリストは「不
滅の太陽」の現世の代表であるという理論武装をして会議に臨ん
でいるのです。
 コンスタンティヌスにとって、キリスト教の神とは「不滅の太
陽」という宗教から見た神でしかなかったのです。したがって、
キリスト教には太陽崇拝の痕跡が色濃く残っているのです。「ダ
・ヴィンチ・コード」の原作で、ラングドンは次のようにいって
いるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 キリスト教で使われる象徴に異教の痕跡が残っているのはまぎ
 れもない事実なんだよ。エジプトの太陽神の頭上にある円盤は
 カトリックの聖人の光輪と化した。イシスは奇跡的な方法で息
 子ホルスを身ごもったが、その授乳の姿を描いた壁画は今日は
 の聖母子像の原型となっている。カトリックの典礼のほとんど
 すべての要素は――司教冠や祭壇や栄誦、そして、「神を食べ
 る」行為である聖体拝領も――かつての神秘的な異教から受け
 継がれたものだ。             ――ラングドン
             ――ダン・ブラウン著/越前敏弥訳
  『ダ・ヴィンチ・コード(中)』より。角川文庫14158
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 コンスタンティヌスは、メシアの到来を待つというユダヤ教の
伝統をうまく利用し、自らがメシアにふさわしいと君主の神格化
を図っているのです。すなわち、メシアとは、治癒力をもって世
の中の悪を正す者をいい、それは君主たる自分にほかならないと
主張するようになります。そしてローマ教会は、そうしたコンス
タンティヌスの行動を容認したのです。
 したがって、われわれの知っているキリスト教の創立者は、一
世紀のイエス・キリストではなく、四世紀のコンスタンティヌス
ということになるのです。「ダ・ヴィンチ・コード」の原作でも
リー・ティーピングは次のようにいっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 メシアたるキリストの存在は、教会とローマ帝国が存続してい
 くために不可欠だった。初期の教会は従来の信者からイエスを
 まさしく奪い、人間としての教えを乗っとり、神性という不可
 侵の覆いで包み隠し、それによって勢力を拡大した、と多くの
 学者が主張していいいる。     ――リー・ティーピング
             ――ダン・ブラウン著/越前敏弥訳
  『ダ・ヴィンチ・コード(中)』より。角川文庫14158
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 後にローマ教会は、コンスタンティヌスの死後、ローマ帝国の
権能――君主の選出や否認の権利を含む権能はすべてローマ教会
に移転したと主張するようになり、教会が絶対的な権力を持つよ
うになっていったのです。これは、後に「コンスタンティヌスの
寄進状」として物議をかもすことになります。次の一文はローマ
教皇グレゴリウス9世が神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ2世
に宛てた手紙の一節です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 使徒の長の代理者として、聖職の帝国と全世界の魂を統治して
 きた(ローマ教皇は)、全世界の万物万人をも支配すべきであ
 り、彼が正義の手綱で地上のものを管理していることを考えれ
 ば、神によって精神的な全てを担当するよう任命されたに違い
 ない。コンスタンティヌス帝はその誓いによって自らを卑下し
 帝国の記章、ローマ市国・公国とともに、帝国をローマ教皇の
 永遠の監督に託した・・・。
−−−−−−−−−−−・・・[ダ・ヴィンチ・コード/13]


≪画像および関連情報≫
 ・ニケーアの場所はどこか
  ヘレニズム時代に「アンティゴニア」と呼ばれたこの街は、
  B.C.300年頃にアレクサンドロス大王に占領され、手柄
  を立てた将軍の妻の名を取って「ニカエア(ニケーア)」と
  名付けられた。後に小王国の首都として栄え始めたニケーア
  は、A.D.1世紀ごろからローマ帝国属州の首都となった。
  4世紀ごろ、ローマは領土の統治のために、いくつもの分派
  に別れていたキリスト教を統一しようとした。そこで325
  年に、300人の僧を集めてニケーアで宗教会議を開き、ア
  タナシウス派(三位一体説)を正統と認めた。しかしその後
  も各教派が争い続け、8世紀に至るまで何度もこの街で会議
  が開かれた。第4次十字軍がコンスタンチノープルを占領し
  た13世紀、ビザンチン帝国は一時期ニケーアに逃れ、再び
  コンスタンチノープルを奪回する50年後まで、ここに首都
  を置いた。
   http://www.asahi-net.or.jp/~qn9e-nkd/iznik/iznik.htm

シャトー・ヴィレットでの宗教問答.jpg
シャトー・ヴィレットでの宗教問答


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2009年02月17日

●初期キリスト教の伝道者は聖ヤコブ(EJ第1896号)

 ダン・ブラウン原作の「ダ・ヴィンチ・コード」が、なぜこれ
ほど話題になったかというと、キリスト教の知られざる部分をク
ローズアップさせたからであるといえます。誤解を恐れずにあえ
て書くと、カトリック教会として最も取り上げて欲しくないテー
マをあえて白日の下に曝け出して見せた――そういうことになる
と思います。
 果たせるかな、多くの宗教団体が非難の声をあげ、ダン・ブラ
ウンの多くの誤りを指摘する書籍が出版され、関連するウェブサ
イトやブログには批判のことばが殺到したのです。
 しかし、キリスト教の神学者や聖職者で作る次のウェブサイト
で、ジョン・ティンテラーは次のように書いています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「ダ・ヴィンチ・コード」の宗教に関する記述は、完全に間違
 っているわけではないが、飛躍しすぎのきらいがある。だがそ
 れでも、キリスト教界を長年の眠りから起こす効果があったこ
 とはたしかだろう。つまり、これまで見過ごしがちだったキリ
 スト教の原点や歴史を、よい面も悪い面も含めて、新たな目で
 見つめなおす機会を与えてくれたのである。
               http://www.explorefaith.org/
         ――ダン・バースタイン著/沖田樹梨亜・訳
        『ダ・ヴィンチ・コードの「真実」』/竹書房
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 確かにこの小説を読むと、キリスト教というものを改めて調べ
直そうという興味が湧いてきます。われわれはキリスト教につい
てどれほどの知識を持っていたでしょうか。その知識はきわめて
漠然としたものでしかなかったはずです。
 日本の仏教徒だって「お経」の中身はさっぱりわからないし、
キリスト教徒にしても聖書の4つの福音書を読んで、なぜ福音書
が4種類あるのか、福音書によって記述が異なる部分が多いのは
なぜかなどと考える人は少ないと思うのです。
 キリスト教について考えるとき、イエスの死後からニケーア公
会議以前のキリスト教がどうであったかについて、基本的なこと
を押さえておく必要があるでしょう。このことは、現在のキリス
ト教を考えるさいにも役に立つと思います。
 何はともあれ、ヤコブとパウロについて知る必要があります。
まず、ヤコブについて述べます。イエスが磔刑に処せられ死亡し
たあと、イエスの教えを広める先頭に立ったのは、キリストの4
人兄弟の中で最年長であるといわれるヤコブなのです。
 一般的には、イエスはかなり長く布教していた印象があります
が、実はたったの1年なのです。その後20年以上はヤコブが布
教を行ったのです。したがって、その当時のキリスト教は「ヤコ
ブ教」といってもよいほどなのです。
 そもそもイエスが逮捕される直前、ゲッセマネの園で祈ってい
たのは、イエスのほかにペテロ、ヤコブ、ヨハネの3人だけであ
り、この3人はイエスの側近中の側近であるといえます。しかし
これほどの側近でありながら、ヤコブのことは新約聖書ではほと
んど触れられていないし、福音書でも彼の行動やセリフは描かれ
ていないのです。
 それにイエスが布教をしている頃のキリスト教は新興宗教であ
り、イエスが教祖だったということです。イエスもヤコブもユダ
ヤ教徒だったのですが、新しい宗教を興したわけです。一般論で
すが、新興宗教というものは既存の宗教を否定し、世の中の常識
的な価値観を破壊し、新しい世界を創出する――そういういわば
現状を壊す過激派的な性格を必然的に帯びるものなのですが、キ
リスト教も同様だったといえます。
 その教祖であるイエスが犯罪者として裁かれ、死刑に処せられ
る――考えてみれば、キリスト教は、そういう最悪の状況からス
タートしたのです。しかも、そのようにして自分が殺されるとい
うことをイエス自身が覚悟していたというところにキリスト教の
すごさがあるのです。
 新興宗教は教祖がいなくなると崩壊してしまうものです。しか
し、キリスト教がそうならなかったのは、イエスがあらかじめ自
分の死を前提として、自分の教えを弟子たちに文章で記録させる
という方法で残したからです。この記録があれば、イエスが死ん
でも弟子たちによって教えを広めることができるからです。この
ようにして生まれたのが福音書です。
 このヤコブ――民族主義者であり、古代パレスチナの領主であ
るヘロデ・アンティパスを批判する反体制主義者だったのです。
イエスの死後もガラリア州で反体制運動をやっていたものと思わ
れます。そのため、やがてヤコブは逮捕され、処刑されてしまう
のです。つまり、ヤコブは、イエスの12人の弟子の中で最初の
殉教者ということになります。
 この殉教者ヤコブの人気は高く、やがてそれは伝説となって伝
えられることになります。斬首されたヤコブの遺体は小舟に乗せ
られ、地中海に流されたのですが、それがスペインに流れ着いて
いるのです。そしてスペインで墓が作られ、これが後に発見され
て大寺院が建設されることになります。
 聖書の研究家として知られる三田誠広氏の著書には、ヤコブに
ついて次の興味ある記述があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ヤコブは英語でジェイコブ、変形してジェイムスと呼ばれるが
 スペインではイアーゴと呼ばれる。聖ヤコブは、サンティアー
 ゴ、あるいはサンチャゴとなる。スペインの西海岸にサンチャ
 ゴ・デ・コンポステラ(星の野の聖ヤコブ)という地があるが
 ここはヨーロッパの人々の巡礼の目的地になっている。また、
 エルサレム、ローマと並んでキリスト教の三大聖地とされてい
 る。――三田誠広著、「ユダの謎キリストの謎/こんなにも怖
      い、真実の聖書入門」より。祥伝社/ノン・ブック
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
           ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/14]


≪画像および関連情報≫
 ・聖ヤコブについて
  ―――――――――――――――――――――――――――
  キリスト教12使徒の一人である聖ヤコブ(スペイン語名サ
  ンティアゴ)の墓が9世紀初頭、スペイン北西部サンティア
  ゴ・デ・コンポステーラで発見され、それ以来、ローマ、エ
  ルサレムと並び、このサンティアゴがヨーロッパ三大巡礼地
  の一つとして崇められ、キリスト教信者の心の拠り所となっ
  ています。中世には年間50万もの人が徒歩又は馬車でピレ
  ネー山脈を越え、聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラを
  目指したと言われています。
   http://home.att.ne.jp/wood/aztak/untiku/santiago.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

最初の殉教者/聖ヤコブ.jpg


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2009年02月18日

●パウロは偽りの説教者か(EJ第1897号)

 昨日のヤコブに続いてパウロについてお話しします。パウロは
ローマの市民権を持っており、キリスト教徒を迫害する使命を有
していた人物です。
 といっても、もちろん当時はキリスト教なるものはなく、イエ
スの亡きあとヤコブが率いていたのはエルサレム教団――正統派
ユダヤ教徒だったのです。彼らは、ローマ帝国からの独立を求め
ており、ローマ帝国側から見ると、ユダヤ人のローマ帝国からの
独立運動としてとらえられていたのです。その独立運動の鎮圧を
担当していたのがパウロということになります。
 しかし、パウロはある旅の途中、復活したキリストを幻影で見
るのです。これによって、パウロの考えは変わります。パウロは
幻影でキリストを見たことを聖霊的な方法で神から託宣を受けた
と考えたのです。
 そこでパウロは、過去にイエスの運動を迫害したことの埋め合
わせとして、イエスの教えを世界中に広める使命に人生を捧げよ
うと決心したのです。しかし、パウロのキリスト教に関する考え
方は、ヤコブのそれとは大きく異なっていたのです。とくにイエ
スの誕生、お告げ、神性についてヤコブとパウロの隔たりは大き
かったのです。
 パウロはキリスト教を広めるためには、非ユダヤ人を引き入れ
る必要があるので、そのときヤコブのようにユダヤの律法遵守を
強制しない方がよいと考えたのです。しかし、ヤコブはエルサレ
ム教団の本質はユダヤ教であり、非ユダヤ人であってもユダヤの
律法を遵守すべきであるとして譲らなかったのです。これはこれ
で筋が通っているといえます。
 これについて、ヤコブとパウロは何回も話し合いをしているの
ですが、遂に一致することはなかったのです。しかし、パウロは
イエスの説くキリスト教の基本がユダヤ教であることだけは認め
たのです。そして、ヤコブに対し、私は私の考え方に基づいて布
教を行うが、あなたのやっている運動――布教を含む独立運動に
関しては一切干渉しないと約束したのです。
 このパウロの考え方は、宗教家というよりもビジネスパーソン
の発想と同じ合理性があるといえます。確かにあまり戒律を厳し
くすると、入門する者が少なくなるので、律法で縛らない方がよ
いという考え方です。実際問題として、このパウロの考え方がな
ければ、キリスト教は今日のように広がっていなかったといって
よいと思います。
 しかし、パウロは目的のためには手段を選ばないというところ
があったのです。彼は次のようにいっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷
 になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人
 に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るた
 めです。・・・・律法を持たない人に対しては、律法を持たな
 い人のようになりました。律法を持たない人を得るためです。
 すべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためで
 す。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは
 わたしが福音にともにあずかる者となるためです。
       ――「コリント人への手紙」第9章19〜23節
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この「〜人への手紙」というのは、新約聖書の後半部分を占め
ていますが、これはパウロが布教のために書いた思想書であり、
キリスト教の解説書なのです。これがあったからこそ初期キリス
ト教の教義が完成され、キリスト教は世界宗教へと発展していく
ことになるのです。
 パウロは、彼の友人であり、医師であるギリシャ人のルカに福
音書の執筆を依頼しています。そのさい、マタイやマルコのよう
にユダヤ人を対象に書くのではなく、ローマ人やギリシャ人や外
国に住むユダヤ人などを対象にした福音書にして欲しいと依頼し
ているのです。「ルカによる福音書」やその続編とされる「使徒
行伝」はこのようにして生まれています。
 しかし、多くのユダヤ人はパウロのこの考え方に反発し、パウ
ロを「偽りの説教者」と呼んで嫌ったのです。その結果、パウロ
はエルサレムで群集たちによってリンチを受け、大勢のローマ兵
によって救い出されるという事件まで起こしているのです。
 その復讐とみられる事件がヤコブに対して起こり、ヤコブは殺
害されてしまうのです。これによってヤコブはイエスの12使徒
の中で最初に殉教したことになりますが、これを原因として西暦
66年〜70年までユダヤ戦争が勃発し、ユダヤはローマ帝国に
よって滅ぼされ、エルサレム教団は滅亡することになるのです。
 このときエルサレム教団の数々の文書が異教徒の手に落ちない
ように隠蔽されたのです。後年発見される「死海文書」などはそ
のとき隠された文書のひとつなのです。
 それから時を経てコンスタンティヌス帝の時代――既に述べた
ようにキリスト教はローマ帝国の国教となるのですが、そのとき
ベースとなったのは、パウロの教義なのです。
 コンスタンティヌス帝は彼の新たな宗教に矛盾するすべての物
証を破壊しています。この作業は異常ともいえる熱意によって進
められ、そして331年、コンスタンティヌス帝は新約聖書の書
き直しを命じ、歴史はほぼ完全に彼に都合がよいように書き直さ
れたのです。これについて、既出のマーティン・ランは、次のよ
うに書いています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 現在我々の元にある新約聖書は、四世紀に、コンスタンティヌ
 スにとって好ましい政治的意図をもって書かれたということで
 ある。それは、アメリカ大統領が自分の政治的目標と合致する
 ようにシェイクスピアを修正するようなものだ。
            ――マーティン・ラン著/秋宗れい訳
        「ダ・ヴィンチ・コード・デコーデッド」より
−−−−−−−−−−−・・・[ダ・ヴィンチ・コード/15]


≪画像および関連情報≫
 ・マーティン・ランの著書(前掲書)より
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ・我々が認識しているイエスの姿というのは、このパウロと
   いう人物によって、厳選・発信された情報から導き出され
   ている。明らかに政治的な意図をもってパウロは4つの福
   音書の執筆に影響を及ぼし、ユダヤ人の愛国心など存在し
   なかったという印象を植え付けた。
  ・パウロ派の教会は現在の様々なキリスト教会の先駆けだと
   解釈されている。新約聖書は手つかずの状態で今日に伝え
   られたわけではない。福音書の中には、キリスト教の「公
   認路線」に合致しないために切り捨てられたものもある。
   互いに矛盾するマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書は
   その時々の流儀と政治的傾向によって訳され、書き換えら
   れてきた。五千ほど現存する新約聖書の写本の中に4世紀
   以前のものはない。
   ――――――――――――――――――――――――――

イエスの幻影を見て失神するパウロ.jpg
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2009年02月19日

●イエスの右側に座るのはヨハネである(EJ第1898号)

 「ダ・ヴィンチ・コード」の映画が公開される前から、テレビ
では、レオナルド・ダ・ヴィンチのいくつかの絵画――とくに、
「最後の晩餐」や「モナリザ」などをめぐって、いわゆる謎解き
番組が提供されています。
 とくに「最後の晩餐」――これに関してはテレビ番組の解説で
は消化不良の感があり、原作や映画のシーンでもいまひとつ納得
できない人が多いと思われます。
 「最後の晩餐」はイエスを中心にして12使徒が左右に並んで
います。イエスを含めて全員が横一列に並んでおり、イエスと使
徒たちとの食事の風景を描いたものとしては、並び方が不自然だ
と思いませんか。
 実は、「最後の晩餐」は教会の食堂に描かれたもので、教会の
神父や修道士がイエスや12人の使徒と向かい合って食事をする
ことを目的とし描かれているのです。
 それでは、イエスを囲んだ実際の食事風景はどうだったのかと
いうと、中央に主賓の席――これは3人がけの寝椅子が用意され
中央にイエス、その左右に2人の弟子が座り、その手前の両側に
使徒たちの席が設置されていたのです。中央の寝椅子は別として
この並び方であれば不自然ではないと思います。
 奇妙なのは「寝椅子」です。聖書研究家の三田誠広氏は次のよ
うに述べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 当時多くの館で用いられていたのは、ギリシャふうの三人がけ
 の寝椅子である。これは、左側にもたれる台があるので、左端
 の人はそこに寄りかかる。真ん中の人は左側の人にもたれ、右
 端の人は真ん中の人にもたれる。左側に寄りかかるのは、右手
 でワインを飲んだり食事をするためである。
   ――三田誠広著、「ユダの謎キリストの謎/こんなにも怖
      い、真実の聖書入門」より。祥伝社/ノン・ブック
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 3人がけの椅子の中央にイエスが座り、イエスから見て左側と
右側に使徒が座るのです。この場合、イエスの右側と左側に座る
使徒とは、いわゆる高弟ということになります。
 イエスから見て左側の人物は、左にある椅子の台に寄りかかり
イエスはその人物に寄りかかるのです。これはよいでしょう。し
かし、イエスの右側に座る人物はイエスに頭を乗せて寄りかかる
のです。ずいぶんだらしない姿勢です。本当にこんな格好で食事
をしていたのでしょうか。
 三田誠広氏は、イエスの左側はユダ、右側はヨハネであると上
掲の著書で述べています。ヨハネはイエスから唯一「愛しておら
れた弟子」といわれているのです。そういうわけで、ここでヨハ
ネについて述べる必要があります。
 ヨハネは2人いるのです。そこで、区別するために次のように
呼んでいます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
          1.洗礼者のヨハネ
          2.使 徒のヨハネ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 最初に洗礼者のヨハネ――バプテスマのヨハネについて述べる
ことにします。「マタイの福音書」3章によると、ヨハネは「ら
くだの皮衣を着て、腰に革の帯をしめ、いなごと野蜜を食べ物」
とする人物であるとしています。改心を呼びかけながら、ヨルダ
ン川で洗礼を授け、多くの支持者を集めていたのです。イエスも
このヨハネから洗礼を受けています。
 しかし、ヨハネは当時の領主ヘロデ王の結婚を非難したため、
捕らえられ、首をはねられて処刑されてしまったのです。ヨハネ
の首はヘロデの執事の妻によって埋葬されたのですが、キリスト
教伝承では首はのちに再び発見され、コンスタンティノポリスに
もたらされたのです。このヨハネの死の顛末は、後にオスカー・
ワイルドのドラマ「サロメ」として有名です。
 続いて使徒のヨハネは、ゼベタイの子ヨハネ、福音記者のヨハ
ネ、神学者のヨハネなどともいわれます。ゼベタイというのはガ
リラヤ湖の漁師の網元なのです。網元は流通や加工も担当として
おり、裕福な商人であるといえます。
 ゼベタイにはヤコブとヨハネという2人の息子がいたのです。
ヤコブは、EJ第1896号で述べたヤコブであり、ヤコブ、ヨ
ハネというように、ヤコブの名が先に記載されるので、ヤコブが
兄で、ヨハネは弟であるとされています。
 イエスもヤコブもヨハネも洗礼者ヨハネの弟子なのです。とこ
ろが洗礼者ヨハネが殺されて、イエスがその後を引継ぐと、ヤコ
ブもヨハネもイエスの弟子になったのです。ゼベタイは、ガリラ
ヤ湖の魚という地主に支配されない商品を扱うことによって、巨
額の富を得ており、ヘロデ体制を批判する洗礼者ヨハネの運動を
支援していたのです。
 ところが教祖である洗礼者ヨハネが殺されて、その弟子たちの
多くをイエスが継承したので、ヤコブとヨハネもイエスの弟子に
なったのです。そしてゼベタイもイエスが洗礼者ヨハネの継承者
であると認めて、イエスの支援者となったのです。ヤコブとイエ
スが高弟として遇されたのはこういう事情があったのです。
 ちなみに、よくイエスの12使徒といいますが、弟子が12人
という意味ではなく、大勢の弟子の中からイエスが12人を選ん
で使徒にしたのです。
 ヨハネによる福音書では、イエスが十字架にかけられたとき、
弟子としてただ一人――「イエスの愛してあられた弟子」である
ヨハネが十字架の下にいたと書かれています。そのため、キリス
トの磔刑図は、伝統的にイエスの母マリアとヨハネを左右に配置
する構図になっているのです。
 「ヨハネの福音書」の基本テーマは、「ヨハネこそイエスの愛
しておられた弟子である」ということです。福音記者であるヨハ
ネは自らそれを強調したのでしょうか。
           ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/16]


≪画像および関連情報≫
 ・ヤコブとヨハネ
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ペトロやアンデレと同時にイエスの弟子となった漁師ヨハネ
  と兄弟ヤコブは、イエスから「ボアネルゲス」(雷の子ら)
  という呼び名をつけられているが(マルコ3・17)、これ
  は彼らの短気な性格とその激しさを示すものであろう。愛を
  強調するヨハネ福音書やヨハネの手紙一などの著者はヨハネ
  であるという伝承があり、そのため愛の使徒ヨハネといった
  イメージが広く教会内に行きわたっている。しかしいわゆる
  ヨハネ文書は、ヨハネの直接の作とは考えられず、またヨハ
  ネが晩年、愛と寛容の人になったと仮定するにしても、イエ
  スの弟子であったころのヨハネの言動は、「雷の子」らしく
  激しいものであったらしい。
  http://www.h3.dion.ne.jp/~vincent/person/person52.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

使徒ヨハネ.jpg

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2009年02月20日

●イエスの右隣りの人物は女性である(EJ第1899号)

 「イエスの愛しておられた弟子」とは、一体誰を指していって
いるのでしょうか。
 「イエスの愛しておられた弟子」は、ヨハネの福音書の最後の
部分に次のように出てくるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来
 るのを見た。この弟子はあの晩餐のとき、イエスの右側にいて
 「主よ、あなたを裏切る者はだれですか」と言った者である。
            ――「ヨハネの福音書/21:20」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 上記は日本語訳のヨハネの福音書ですが、実は本来は次のよう
に訳すべきなのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ・・・・この弟子はあの晩餐のとき、イエスの胸もとに寄りか
 かったまま「主よ。あなたを裏切る者は・・・」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 つまり、「イエスの胸もとに寄りかかったまま」の部分が訳出
されていないのです。これはどうしたことでしょうか。そのため
日本ではこのことに長い間気が付かなかったといえます。
 そのあと少し意味不明のやりとりがイエスとペテロの間で行わ
れるのですが、最後の21:24には次のように、記述されてい
るのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子
 である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知ってい
 る。         ――ヨハネの福音書(21:24)より
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これをもってこの弟子が必ずしもヨハネであるということには
ならないと思います。もし、ヨハネであるとすると、ヨハネは自
ら自分こそ「イエスの愛しておられた弟子」であるといっている
こになります。
 ここで、「最後の晩餐」を見ることにします。レオナルド・ダ
・ヴィンチの絵では、イエスの方から見て右隣りの人物はヨハネ
の福音書のように、イエスではなく右隣の人物の胸元に寄りそっ
ています。聖書と明らかに違うのです。
 この人物についてダン・ブラウンは、どう見ても女性と断じて
いますが、確かにそう見えます。これについて、ダン・バースタ
インは次のように述べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 聖書の記述によると、この場面では「イエスの愛しておられた
 者」である若い聖ヨハネがイエスの「すぐ隣」で寄り添ってい
 るはずである。だが、ダ・ヴィンチはそうした聖書の演出には
 従わず、不自然なほど購い主から体を離し、しなを作るように
 首を右にかしげた姿勢でこの若者を描いている。この絵をはじ
 めて目にする者は、その人物が聖ヨハネだと説明されても簡単
 には納得できないにちがいない。ダ・ヴィンチという画家はた
 しかに、典型的な男性美をやや繊細に表現するのを好むが、こ
 こに描かれているのはまぎれもなく女性である。
         ――ダン・バースタイン著/沖田樹梨亜・訳
        『ダ・ヴィンチ・コードの「真実」』/竹書房
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ちなみにイエスの教団には、多くの女性の信者がいたのです。
これは当時としては驚くべきことなのですが、事実です。当時の
ユダヤでは、女性の地位は著しく低かったからです。
 映画「ダ・ヴィンチ・コード」には、次のシーンがあります。
「リ」はティーピング、「ソ」はソフィーをあらわしています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 り:しかもその女性は、実のところこの絵に登場している。
 ――ソフィーは歩み寄って絵を念入りに見る。
 ソ:でも、みんな男よ。
 リ:ほんとうかね。主から見て右隣の誉れある席に座している
   人物はどうだろう。
 ――ティーピングがマウスを動かすと、細部の輪郭がはっきり
   する。画像は絵をそのまま写したものではなく、コンピュ
   ータで三次元的に処理されている。
 リ:ゆるやかに垂れた赤い髪。組んだ指は華奢だ。胸もかすか
   にふくらんでいるのでは?
 ソ:アンクロワイヤブル(信じられない)
 リ:そうだろうな。ストコマ(盲点)と呼ばれる現象だ。先入
   観でものが見えなくなるのだよ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ここで、イエスの12使徒を記述しておきます。イエスを加え
て13人となります。「12+1」というのは、ユダヤにおいて
はラッキー・ナンバーなのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.ペテロ          7.トマス
 2.アンデレ         8.マタイ
 3.ヤコブ(ゼベダイの子)  9.アルバヨの子ヤコブ
 4.ヨハネ(ゼベダイの子) 10.タダイ
 5.ピリポ         11.熱心党のシモン
 6.バルトロマイ      12.イスカリオテのユダ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」において、イエスの方から見て
右側の人物が女性に見えるのは確かですが、もともとヨハネは、
髭のない女性的な少年の姿で、イエスの隣に置かれることが通例
なのです。そのため、長い間、多くの人はヨハネであると思い込
んでしまったのです。
 これが、映画でリー・ティーピングがいっている「ストコマ」
という現象なのです。しかし、「最後の晩餐」で描かれているの
は明らかに女性なのです。
           ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/17]


≪画像および関連情報≫
 ・「イエスの愛しておられた弟子」がヨハネでない場合の5つ
  の可能性について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  1.ゼベダイの子ヨハネとは別人の長老ヨハネ
  2.「使徒言行録」に登場するマルコとと呼ばれるヨハネ
  3.「マルコの福音書に登場する「1人の若者」
  4.マグダラのマリア
  5.弟子の理想の姿を抽象化した架空の存在
  ―――――――――――――――――――――――――――

「最後の晩餐」の謎.jpg

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2009年02月23日

●聖ヨハネかマグダラのマリアか(EJ第1900号)

 「最後の晩餐」の解釈については、多くの別説が存在します。
今日はそのひとつをご紹介します。そもそも、レオナルド・ダ・
ヴィンチの絵画「最後の晩餐」はどういう場面を描いたものなの
でしょうか。
 この「最後の晩餐」の場面は、マテオ、マルコ、ルカ、ヨハネ
の4つの福音書にはすべて登場するのですが、この晩餐でイエス
が行ったことを時系列的に示すと、次のようになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    1.イエスが過ぎ越しの祭りを祝う晩餐会開催
    2.イエスが弟子たち全員の足を洗いはじめる
    3.全員が食卓につき、イエスが裏切りの予告
    4.これは私の体、私の血/聖体の秘蹟を制定
    5.「互いに愛し合いなさい」という新掟付与
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 イエスはいつも弟子たちと一緒に食事を共にし、親しい交わり
の中で生活してきたのです。「最後の晩餐」もそのような食事の
一つ、それも最後の一回であったわけです。
 さて、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は、上記の3の場面を描
いたものなのです。12人の使途の顔を観察してみると、いずれ
も尋常ならざる表情をしていることがわかります。それは、イエ
スが「はっきりいっておくが、あなたがたのうちの一人が私を裏
切ろうとしている」と予告したので、弟子たちの間で衝撃が広が
るさまを描き出しているからです。
 ダ・ヴィンチが描きたかったのは、「裏切り者が出る」といっ
たときの弟子たちの驚愕と不安の表情とイエスの孤独であったと
思われます。確かに「最後の晩餐」のイエスは本当に孤独でさび
しげな表情をしています。
 それから、ダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コード」では、
聖杯のあるなしを問題にしていますが、聖杯は次の第4段階では
じめて登場するので、聖杯がテーブルに出ていなくても不思議は
ないと主張する人もいるのです。
 「最後の晩餐」の絵をよく見ると、絵に向かってイエスの左側
の6人は、イエスの方から見て右側の人物――ヨハネかマグダラ
のマリアかはわからないが――その人物に視線を向けているよう
に見えますが、どうしてなのでしょうか。
 それは、昨日のEJで述べたヨハネの福音書/21:20の記
述に関係があるのです。再現しておきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来
 るのを見た。この弟子はあの晩餐のとき、イエスの右側にいて
 「主よ、あなたを裏切る者はだれですか」と言った者である。
            ――「ヨハネの福音書/21:20」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 その謎を解明する鍵を握るのはペテロなのです。ペテロは12
使徒の筆頭といわれますが、このペテロについて三田誠広氏が面
白いことを書いています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 イエスが教えを説く。頭のいい弟子はわかったふりをして黙っ
 て聞いている。愚直なペテロは、わからないことがあると、そ
 れはどういう意味かと質問する。それにイエスが答える。漫才
 にボケが必要なように、ペテロの素朴すぎるほどの質問によっ
 て、聴衆はイエスの教えを理解することができたのである。
   ――三田誠広著、「ユダの謎キリストの謎/こんなにも怖
      い、真実の聖書入門」より。祥伝社/ノン・ブック
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 イエスが裏切り者の予言をしたとき、ペテロはイエスの右隣り
の人物に合図を送って、それが誰か尋ねるように頼んでいるので
す。それならペテロはどこにいたのでしょうか。合図を送ったと
いう表現から、晩餐のときペテロはイエスからかなり離れた位置
にいたと解釈することができます。この説に立つと、おそらくペ
テロは絵に向かって一番左にいる人物ではないかと思われます。
しかし、一般的な解釈では、イエスの右隣りの人物の耳に何かを
ささやいている弟子がペテロであるとしているようです。
 いずれにせよ、ペテロからの合図があったからこそ「主よ、あ
なたを裏切る者はだれですか」という発言が出てくるのです。イ
エスの胸元に寄りかかってそう聞いたのです。
 そのときイエスが右隣り弟子に何をいったのか――絵の左側の
5人の弟子がいっせいにイエスの右隣の人物に顔を寄せて、イエ
スが何といったかを聞こうとしている――そのように絵を読み取
ることができると思います。
 中井俊巳氏という人がいます。オプス・デイの信者であり、長
崎大学在学中に、ローマにてヨハネ・パウロ二世教皇より、カト
リック受洗。オプス・デイに属して26年になるそうです。
 この中井氏によると、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」において
イエスの右隣りの人物はマグダラのマリアではなく、ヨハネであ
ると断言しています。
 確かに中井氏の指摘はそれなりの説得力があります。なぜなら
もし、イエスの右隣りの弟子がマグダラのマリアだとすると、ヨ
ハネに該当する人物が見当たらなくなるからです。ヨハネは12
使徒の中でもっとも若く、思春期の少年だったので、女性と間違
えても不思議はないからです。ダ・ヴィンチの絵の中には、イエ
スの右隣の人物を除くと、それに該当する人はいないのです。
 中井氏によると、髪が長いのは当時の若い男性の流行であり、
髪が長いことをもって女性だという理由にはならないと述べてい
ます。        ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/18]


≪画像および関連情報≫
 ・ペテロについて
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ペテロは、3つの名前をもっていた。 彼は、まずシモン・
  バルヨナとよばれたが、シモン(Simon)とは「 聴き従う者
  従順な人」、あるいは「悲しみに身をゆだねる者」というこ
  とである。バルヨナ(Barjona) は「鳩の子」を意味する。
  というのは、barはシリア語で「息子」、jona はヘブル語で
  「鳩」のことだからである。彼は従順であった。イエスに召
  されたとき、最初の呼び声ですぐ主にしたがったからである
  (マタイ4:20)。彼は、悲しみに身をゆだねた。主を否
  認したとき、外へ出てはげしく泣いたからである(マタイ26
  :75)。彼は、すなおに信じて神に仕えることにはげんだから
  鳩の子であった。 つぎに、彼はケパ(Cephas)ともよばれ
  た。これは、「頭」あるいは「岩」、また「鳴りひびく口を
  もつ人」を意味する。
    http://homepage3.nifty.com/st_peter/ptr/index.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

イエスの右隣りの人に集まる5人の視線.jpg
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2009年02月24日

●私はイエスが分からない(EJ第1901号)

 「最後の晩餐」に描かれている12使徒の中に女性がいる−−
これはダン・ブラウンの主張ですが、昨日も述べたようにかなり
無理があります。なぜなら、この絵には12使徒が全部揃ってい
なければならないからです。もし、女性が入っているとすれば、
12使徒は1人欠けてしまうからです。
 もし本当に、イエスの方から見て右側に座っている人物が女性
であったとしたら、その女性は何者でしょうか。
 マグダラのマリアである――ダン・ブラウンはそういっていま
す。マグダラのマリアは、キリスト教の世界では今までタブーと
されてきた女性なのですが、「ダ・ヴィンチ・コード」によって
一挙に注目のマトになったといえます。
 「ジーサス・クライスト・スーパースター」というロック・オ
ペラがあります。原作はティム・ライス、音楽はアンドリュー・
ロイド・ウェーバー、ノーマン・ジュイスンが監督をして同名の
映画も公開されたのです。
 その中に「マリア」という黒人の女性が登場するのです。つね
にイエスに寄り添い、身の回りの世話をしていた女性です。それ
がマグダラのマリアなのです。少し長いですが、マリアが映画の
中で歌う「私はイエスが分からない」の歌詞をご紹介します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 どのようにこの人を愛そうか どうやって彼の心を得ようか
 私は変った 本当に変った ほんの少し前を振り返ってみれば
 今の私はまるで別人

 どうしたんだろうこの気持 なぜ、こんなに心が動くのか
 この人もただの男のはず 多くの男をめぐってきた私
 さまざまな思いも この人もその一人

 あざけってやろうか 大声でわめこうか 愛をささやこうか
 この思いの全てを こんなことになろうとは
 どうしたのかしら

 どう考えてもあり得ないこと 私がこうなろうとは
 今までの私の心はいつも
 クールで男に目をくらむこともなく
 うまくやってきたのに あの人が恐ろしい
 こんな事になろうとは どうしたのかしら

 もしあの人が私を愛しているといったら
 私は途方にくれて怯えるだろう
 どうしていいか心が乱れて きっと逃げ出してしまうだろう
 そして1人みじめな思い 恐ろしいけれど求めてしまう
 こんなにも愛している
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「ジーサス・クライスト・スーパースター」の原作者のティム
・ライスは、イエスとマリアの関係について、次のように述べて
います。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「私はイエスが分からない」の歌詞を読んで欲しいと思います
 ね。マリアはイエスに恋していたが、これは精神的なラブであ
 り、肉体的なものではない。イエスは彼女をおびえさすような
 影響を与えています――彼女はイエスに畏敬の念を抱いたので
 すね。イエスは、そのようにマリアを恐れさせたのです。マリ
 アが交流できた唯一のものはイエスだったのです。この歌の最
 後の一節は、それを明らかにしています。
 ――リチャード・ブロデリック+エリック・ナッサワー/南川
 貞治訳 『燃え上がるロック・オペラ/ジーザス・クライスト
        ・スーパースターの創造』より 音楽の友社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 京都大学大学院教授の岡田温司氏は、マグダラのマリアについ
ての近著において、上記映画のマリアの歌について次のように述
べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 とりわけ現代において、彼女がもっとも活躍する舞台は、映画
 というメディアである。ノーマン・ジュイソン監督によるロッ
 クの受難劇「ジーサス・クライスト・スーパースター」(19
 73年)は、まだ記憶に新しいところであろう。ティム・ライ
 ス原作、アンドリュー・ロイド・ウェーバー音楽による同名の
 ロック・ミュージカルを映画化したものだが、ここに登場する
 マグダラは、自分の過去をいたずらに悔いたりはしない。むし
 ろ、彼女の方がキリストを励ましさえする。
            ――岡田温司著『マグダラのマリア/
        エロスとアガペーの聖女』 中公新書1781
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 聖書の研究家の三田誠広氏は面白いことをいっています。イエ
スの時代――ユダヤはローマに支配されていたのですが、日本の
終戦直後の状態によく似ているというのです。
 終戦後、日本は米軍の管理下にあったのです。天皇制は認めら
れ、宗教の自由はあったのですが、当時の日本は貧乏のどん底に
あったのです。
 そういう時代に、米軍兵士の相手をするクラブやバーやキャバ
レーが多くできたのです。当時のガリラヤにもホステスはおり、
州都ティベリアスの少し北にあたるガリラヤ湖の湖岸にマグダラ
という町があったのです。
 マグダラは温泉の出るところであり、ローマ軍将校専用の保養
地になっていたのです。ローマ軍といっても、ローマ人は将校ク
ラスであり、兵士の大半はアラブ系か、ギリシャ系の傭兵で占め
られていたのです。したがって、マグダラのマリアとは、マグダ
ラ出身の女というよりも、マグダラで働く女という意味もあると
いえます。      ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/19]


≪画像および関連情報≫
 ・マグダラのマリアについて
  ―――――――――――――――――――――――――――
  『ルカによる福音書』において、イエス・キリストに七つの
  悪霊を追い出してもらったという女性の名前。イエス・キリ
  ストや十二使徒らとともに宣教の旅を続けた。『新約聖書』
  の各福音書では、イエス・キリストが十字架にかけられ処刑
  された時、その様子を見ていた女性たちの筆頭として描かれ
  ている。中でも、『マルコによる福音書』及び『ヨハネによ
  る福音書』では、復活をはたしたイエスは、まず最初に、イ
  エスの墓を覗きに行ったマグダラのマリアの前に姿を現した
  と記している。
    http://www.pandaemonium.net/rdb/menu/file/1845.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

マグダラのマリア.jpg

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2009年02月25日

●マグダラのマリアのイメージ(EJ第1902号)

 マグダラのマリアが、ダ・ヴィンチの絵画「最後の晩餐」に登
場しているかどうかは別として、マグダラのマリアが存在したこ
とは確かなことなのです。
 マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの福音書のすべてにマグ
ダラのマリアは登場しています。4つの福音書で共通しているこ
とは次のことです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 悪霊に憑かれた病をイエスによって癒され、磔にされたイエス
 を遠くから見守り、その埋葬を見届けたこと。そして、復活し
 たイエスに最初に立ち会った一人であること。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この中でとくに重要なことは、復活したイエスを最初に見たの
がマグダラのマリアであるという点です。これは、イエスがいか
にマリアを弟子として信頼していたかを示すエピソードであるか
らです。「復活」というのは、キリスト教信仰の中心的な教義で
すが、マグダラのマリアは、イエスの「復活の証人」であり、そ
れを他の弟子たちに伝える使徒という重要な役割を担うことにな
るからです。福音書には次のように書いてあります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  安息日が終わって、週の初めの日の明け方にイエスの納めら
 れている墓に向かった。その時、大地震が起こり、墓の入り口
 を塞いでいた大きな石が転がり、墓の入り口が開いた。
  しばらくしていつの間にかマグダラのマリアのそばには復活
 したイエスがついていたが、最初、彼女はそれがイエスだとは
 気づかなかった。「マリア」と呼びかけられてやっと、彼女は
 そうと気づいた。
 『彼女は振り向いて、ヘブライ語で「ラボニ」と言った。「先
 生」という意味である』。(ヨハネによる福音書20:16)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ダン・ブラウンがマグダラのマリアとダ・ヴィンチの「最後の
晩餐」を結びつけたのは、その方が話として面白いからです。映
画では、マグダラのマリアを次のようにソフィーに紹介するシー
ンがあります。例によって、「リ」はティーピング、「ラ」はラ
ングドン、「ソ」はソフィーをあらわします。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ソ:この女性は?
 リ:マグダラのマリアだ。
 ソ:あの娼婦の?
 リ:マグダラのマリアは娼婦などではない。591年に教会が
   その汚名を着せたのだ。マグダラのマリアは、イエスの妻
   だった。
 ――ラングドンは手で目を覆い、かぶりを振る。
 ラ:リー、そんなのは単なる言い伝えにすぎない。
 リ:いや、信ずるに値する。
 ラ:それを裏付ける証拠はないと言っていい。
 リ:なぜわたしが何かを証明しなければならないのだ。ロバー
   ト.夜中の2時にたたき起しにきたのはどちらだ?
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 問題は、マグダラのマリアがなぜ娼婦とされたかです。実は新
約聖書には「マリア」という名前の女性が複数登場し、混乱が生
じていたのです。
 591年に教皇グレゴリウス一世が、新約聖書に複数登場する
マリアと呼ばれる女性を一人に融合させたのです。具体的にいう
と、「7つの悪霊にとりつかれた女性」や「石で打ち殺されそう
になっていた罪の女」などを一人にしてしまったのです。その結
果、マグダラのマリアは「懺悔した娼婦」というイメージに統一
されたのです。
 これについて、既出のダン・バースタインは次のように述べて
います。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 マグダラのマリアを懺悔した元娼婦にすることで、第一の使徒
 (最も重要な使徒)としての役割が貶められました。これがな
 ければ、(マリア)はきわめて重要な役割を持っていたと伝え
 られていたでしょう。陰謀があったかどうかはわかりませんが
 教会の政略が絡んでいたことはたしかです。初代教会には女性
 の司祭や司教が存在しましたが、五世紀までには女性が聖職者
 になることが禁じられています。
         ――ダン・バースタイン著/沖田樹梨亜・訳
        『ダ・ヴィンチ・コードの「真実」』/竹書房
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 マグダラのマリアについては、映画「ダ・ヴィンチ・コード」
では、さらに次のやりとりがあります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 リ:イエスはマグダラのマリアに対し、その手に教会の今後を
   委ねると告げているのだよ。
 リ:マグダラのマリアが、もとから高い地位を備えた女性でも
   あったことは、ほとんど知られていない。
 ソ:そうなの?
 ラ:マグダラのマリアはベニヤミン族の出身だ。王族の血を引
   いている。
 リ:知ってのとおり、イエスはダビデ王の流れをくんでいる。
   つまり、ユダヤ人の王の末裔だ。
 リ:ところで、聖杯をフランス語で言うと?
 ソ:サン・グラール(Saint・Graar)よ。
 リ:語源は中世英語の「サングレイル(Sangreal)」だ。
 ――ティーピングは即席の黒板にすでにその語を記している。
 リ:さて、それを二つに分ける。訳してもらえるかな。
 ――ティーピングは指で線を引き、SangとRealを切り離す
 ソ:サン(Sang)・・(Real)「王家の血」という意味だわ。
−−−−−−−−−−・・・[ダ・ヴィンチ・コード/20]


≪画像および関連情報≫
 ・神父とは何か/司教・司祭・助祭の違い
  ―――――――――――――――――――――――――――
  カトリック教会において、司祭とは司教・司祭・助祭と三つ
  ある聖職位階のうちの一つ。既に助祭に叙階されている者が
  叙階の秘跡の中で司教の按手を受けることで司祭に叙階され
  る。一般には神父という敬称で呼ばれる。司祭はミサをはじ
  めとする秘跡を執り行うが、男性に限られ、終生独身である
  ことが求められる。
      http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E7%A5%AD
  ―――――――――――――――――――――――――――

懺悔のマグダラのマリア.jpg

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2009年02月26日

●福音書におけるマグダラのマリア(EJ第1903号)

 サン・グラール――フランス語で「聖杯」という意味です。映
画でティーピングは、その語源は中世英語の「サングレイル」で
あることを指摘し、それがフランス語で「王家の血」を意味する
ことにソフィーは気がつく――シャトー・ヴィレットのティーピ
ング邸でのシーンです。
 ダン・ブラウンは、「ダ・ヴィンチ・コード」のプロットを次
のように組み立てたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1.イエスは「神」ではなく「人間」そのものである
  2.イエスは「人間」であるから、当然結婚している
  3.マグダラのマリアこそ、イエスの妻その人である
  4.イエスの磔刑時にマリアは妊娠していたのである
  5.イエスの血を継ぐ子孫は現在も受け継がれている
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これに関してはいろいろな意見があるでしょう。荒唐無稽であ
るという意見もあると思います。敬虔なるキリスト教徒の方の中
には憤慨される人も多いかもしれません。しかし、ダン・ブラウ
ンは、そこを小説として逃げているのです。
 しかし、「ダ・ヴィンチ・コード」では、上記のプロットにし
たがってドラマは進んでいきます。映画で添付ファイルのシーン
があったことを覚えておられるでしょうか。
 イエスの磔刑時にマリアは妊娠しており、イエスの子の安全を
図るために、マグダラのマリアはパレスチナを離れてフランスに
渡っている――これはティーピングのセリフとしてソフィーに伝
えられるのです。
 ティーピングはマグダラのマリアが生んだのは女の子であり、
名前は「サラ」ということまでも明らかにするのです。しかし、
この話が必ずしも物語を面白くするための荒唐無稽な話でないこ
とが後で明らかになってきます。
 このマグダラのマリア――新約聖書にはほとんど書かれていな
いのですが、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネのそれぞれの福音書
には、マグダラのマリアはすべてに登場してくるのです。その登
場シーンは次の4つの場面に限られています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     1.主と福音の旅   3.イエスの埋葬
     2.イエスの磔刑   4.イエスの復活
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ところが、そこに描かれているマリアは、「懺悔した娼婦」と
いうイメージとは程遠いものなのです。しかし、4つの福音書に
おいて表現されているマグダラのマリア像は、それぞれが微妙に
違っているのです。
 たとえば、イエスの磔刑に立ち会う場面では、マタイ、マルコ
ルカの3人によれば「遠くから眺めて」とあるのに、ヨハネによ
ると「十字架のそばに」立っていたとあるのです。とくにヨハネ
においては、イエスとマグダラのマリアとの関係を親密に描いて
いるのです。
 ヨハネの福音書では、イエスの犠牲の証人として、マグダラの
マリアたち女性にもそれ相応の役割が与えられていると書いてあ
ります。もっともマタイとマルコの福音書でも、マグダラのマリ
アがイエスの復活の最初の証言者であることは認めており、それ
を弟子たちに伝える最初の使徒――使徒たちの女使徒(アポスト
ロールム・アポストラ)と呼べる存在として、重要な役割を担っ
ているといっているのです。
 ただ、ルカの福音書はかなり違うのです。岡田温司氏はこれに
ついて次のように述べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 もちろんルカもまた、マグダラのマリアが、主の復活の場面に
 居合わせ、しかも主本人から、そのことを弟子たちに伝えるよ
 う託されたという経緯を、大筋では認めているようである。し
 かし、ルカはすかさず、「使徒たちには、この話はたわごとに
 思われたので彼らは女たちを信用しなかった」(24:11)
 と付け加え、マグダラのマリア(と彼女に象徴される女性)の
 役割をできるだけ、引き下げようとしているのである。
            ――岡田温司著『マグダラのマリア/
        エロスとアガペーの聖女』 中公新書1781
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 つまり、ルカの福音書では、マグダラのマリアの地位を少しで
も貶めようと細工をこらしているところがあるのです。復活の場
面にしても、ルカの福音書では、復活したイエスが最初に姿を顕
わしたとされるのは「エマオへと向かう2人の男の使徒に対して
である(54:13−35)」と書いてあり、2人の使徒の1人
はペテロなのです。
 つまり、ルカの福音書は、マグダラのマリアを貶めることで、
使徒ペテロの権威を持ち上げようとしているともいえるのです。
とくにペテロは、マグダラのマリアに対して強い敵意や猜疑心を
抱いていたといわれるのです。
 既に述べたように、ルカに福音書を書かせたのはパウロなので
す。ルカはパウロの友人であり、医師でもあるのです。パウロは
ルカに、ユダヤ人を読者に想定した福音書ではなく、ローマ人や
ギリシャ人や外地にいるユダヤ人を読者に想定して書いてくれと
依頼しているのです。
 したがって、ルカの福音書がローマ・カトリック教会に近いも
のになるのは仕方がないことであるといえるのです。なお、ルカ
はイエスと会ったことはなく、エルサレムやガリラヤの地理や風
土に詳しくはないのです。
           ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/21]


≪画像および関連情報≫
 ・ルカについて
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ルカ(福音記者ルカ)は新約聖書の『ルカによる福音書』お
  よび『使徒行伝』の著者とされる人物。キリスト教の聖人で
  あり、記念日は10月18日である。新約聖書中ではルカの
  名前はパウロの書簡に協力者として現れる。(『フィレモン
  への手紙』24、『テモテへの手紙2』4:11、『コロサ
  イ人への手紙』4:14 『コロサイ書』に「愛する医者ル
  カ」とあることから、ルカの職業は伝統的に医者であると信
  じられてきた。また、画才があり、初めて聖母マリアの絵を
  描いたという伝承もあったため、中世の絵画などに、聖母子
  を描くルカの姿が好んで描かれている。
              ――ウィキペディア「ルカ」より
  ―――――――――――――――――――――――――――

フランスに行くマグダラのマリア.jpg
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2009年02月27日

●イエスの教団と熱心党(EJ第1904号)

 福音書というのは何でしょうか。
 実はいろいろな解釈があるのですが、イエスの言行録をまとめ
たものであるというのが一番わかりやすいと思います。歴史的な
資料としてみると、福音書はイエスを知る手がかりということに
なると思います。なぜなら、ローマの歴史書にはイエスについて
の記述がいっさいないからです。
 福音書には「正典」と「外典」の2つがあります。正典という
のは、新約聖書に収められた、それぞれの福音記者による次の4
つの福音書をいいます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   1.マタイによる福音書 ――
   2.マルコによる福音書   I → 共観福音書
   3.ル カによる福音書 ――
   4.ヨハネによる福音書
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「共観福音書」というのは、内容に共通部分が多いということ
でそう呼ばれます。事前に資料があって、それを基にして記述さ
れたのではないかという説もあるくらいです。
 しかし、共通部分はあるといっても、それぞれのイエス像には
微妙なズレがあります。違う人間が書いているので、ズレがあっ
て当然であり、かえってイエスが存在したという事実を感じさせ
るといえます。
 これに対してヨハネによる福音書は、明らかに他の3人の作者
とは異なる立場でイエスを描いています。聖書研究家の三田誠広
氏は、これについて次のように述べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 それは、他の3人の作者と違って、独自の見解と世界観が、明
 確に描かれているからだ。その見解は、バプテスマのヨハネの
 死後もヨハネの教団は存続し、信者も残っていた。『ヨハネ』
 という作品(ヨハネによる福音書)は、そうしたバプテスマの
 ヨハネの信者を、キリスト教団にむ引き込むために書かれたも
 のと思われる。
   ――三田誠広著、「ユダの謎キリストの謎/こんなにも怖
      い、真実の聖書入門」より。祥伝社/ノン・ブック
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ヨハネとルカについては少し書いたので、マタイとマルコにつ
いても触れておきます。キリスト教のことを知るには12使徒や
よく出てくる人の人物像について知識を持っている必要があると
思うからです。
 マタイは12使徒の1人でユダヤ人です。彼は「旧約聖書」を
よく研究しており、そのうえで福音書を書いています。というの
は、「旧約聖書」にはメシアが予言されており、マタイはそれが
イエスであることを証明しようとして、イエスの生前の行動をよ
く調べて福音書に取り込んでいるからです。したがって、福音書
の量は相当多くなっています。
 これに対してマルコは12使徒ではないのです。おそらくペテ
ロの側近か弟子ではないかといわれています。ペテロはイエスの
秘書のような仕事をしており、イエスについては詳しく知ってい
たので、その話を聞いて書いたものと思われます。
 マルコによる福音書の特徴は、イエスの起こした奇跡が多く書
かれている点です。おそらく師のペテロがそういう奇跡を中心に
弟子たちに話したものと考えられます。マルコによる福音書は量
がマタイの半分よりも少し多い程度であるのに、イエスの奇跡の
話の割合が多いのです。
 ここで、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の12使
徒がどこにいるかを明らかにしておきましょう。添付ファイルの
A〜Lまでの使徒は次の通りです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  A.バルトロマイ      G.トマス
  B.アルファイの子ヤコブ  H.ゼベタイの子ヤコブ
  C.アンデレ        I.フィリポ
  D.ユダ          J.マタイ
  E.ペテロ         K.タダイ
  F.ヨハネ         L.熱心党のシモン
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 12使徒のうち、ユダ、アルファイの子ヤコブ、タダイ、熱心
党のシモンについて、既出の三田誠広氏はとても興味深いことを
いっているので、ご紹介します。
 「熱心党」というのは、ガリラヤなどの辺境の地で勢力を伸ば
していた過激なゲリラ組織の名前なのです。この「熱心」は「律
法に熱心」という意味なのですが、同じように律法に厳しいエッ
セネ派とは違う組織です。
 エルサレムがローマの直轄地になり、ローマ帝国による管理支
配が強化されるに及んで、この事態を打開するには、ローマ帝国
と戦うことも辞さずと考えたのが熱心党なのです。そして熱心党
は、ちょうどその頃急速に台頭してきたイエスの教団の力を利用
しようと考えたのです。
 そのためには、まずは教団の中枢に入り込んで実質的に教団の
主導権を奪い、イエスの人気で教団員を増やす――そして途中で
教団を熱心党に吸収するという作戦だったのです。
 ユダは熱心党の地位の高い党員であり、党の闘争資金の一部を
自分の判断で使える立場にあったといわれます。そのため、イエ
スの教団の会計を握っていたのもユダなのです。イエスの信者は
貧民が多かったので、多くの寄進は望めず、財政はきわめて厳し
かったのです。ユダはそういうイエスの教団のために熱心党の闘
争資金の一部を使い、教団を支えたのです。
 アルファイの子ヤコブ、タダイ、シモン、そしてユダはいつも
4人組で登場するのです。そのことから4人は熱心党の仲間だっ
たと考えられます。しかし、イエスはすべてを知っており、あえ
てユダに裏切りをさせたのです。 
           ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/22]


≪画像および関連情報≫
 ・「Q資料」とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  今日、もっとも広く受け入れられている説は、マルコが最初
  に書かれ、マタイとルカがマルコおよびもう一つの共通資料
  をもとに書かれ、最後にヨハネが成立したという説である。
  マタイとマルコが参照したもう一つの資料はドイツ語の「資
  料」をあらわすクエッレ(Quelle)からQ資料と呼ばれ、マ
  マタイとルカが、マルコとQ資料の二つの資料を参照したと
  いう想定から「二資料仮説」と呼ばれている。これ以外にも
  マタイとルカが、マルコとQ資料およびそれぞれの独自資料
  (M資料およびL資料ともいう)を用いたという説もあり、
  これを「四資料仮説」という。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

12使徒の並び方.jpg

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2009年03月02日

●バラバとは何者か(EJ第1905号)

 映画「ダ・ヴィンチ・コード」から少し離れますが、イエスの
逮捕と磔刑のいきさつについてお話しします。マグダラのマリア
の出現の背景を知るためです。
 イエス・キリスト――日本ではこのようにイエスのことを呼ん
でいます。英語では「ジーザス・クライスト」と表現しますが、
これはイエスを表わす以外に、俗語で「何だって、こん畜生!」
という汚い俗語としても使われるのです。
 「キリスト」という言葉はギリシャ語で「油で清められた」と
いう意味であり、ヘブライ語では「メシア」を意味するのです。
ユダヤ教の場合、「メシア」は単なる王ではなく、「偉大なるダ
ビデ王」を意味するのです。「油で清める」――これは選ばれた
王を祝福する儀式であり、キリストとは「神によって祝福された
王」という意味になるのです。
 イエスは、ガリラヤの民から「ダビデ王の再来」と称えられ、
かつてのダビデ王のようにユダヤの民を救ってくれるメシアであ
るという期待を集めるようになっていったのです。だからこそ、
そういう民衆と同じ思いを持っていた熱心党のユダは、イエスに
近づいていったのです。
 しかし、イエスはローマとは戦おうとはせず、自らが死ぬこと
によって教団を存続させようとしたのです。ローマ帝国を相手に
反乱を起こせば、民衆を現在よりも悲惨な状況に追い込むことに
なることをよくわかっていたからです。
 しかもイエスが求めていたものは、ユダヤ民族の救済ではなく
全人類の救済を実現させるという途方もない夢だったのです。そ
のために早くから弟子たちに自分の教えを記録させ、自分の死後
それによって布教ができるよう周到な準備をしているのです。こ
れが福音書なのです。
 何とか自分だけが逮捕され、12使徒は罪を被らず、生きのび
る方法がないか――イエスはそのことを真剣に考えたのです。そ
のためには12使徒の中から裏切り者をあえて出させ、悪いのは
教祖であって、われわれは教祖のいう通りにやらされてきたとい
うかたちを作る必要がある――イエスはそういう仕掛けを作り、
自分を裏切る役割をユダにやらせることにしたのです。したがっ
て、ユダによってイエスの教団は救われたといえます。
 ユダの密告によってイエスを逮捕したのは、同じユダヤ人のサ
ドカイ派の神殿兵です。当時ユダヤはローマ帝国の支配下にあっ
たのですが、自治権は与えられていたのです。サドカイ派という
のは、エルサレムにおける宗教的な貴族官僚で、宗教観は保守的
であり、死後の世界を信ぜず、ローマ帝国に追随することで、自
分たちのよい生活を確保していた一種の売国奴です。
 彼らはとにかく騒ぎを大きくしたくなかったのです。もし、そ
んなことになったら、ローマ帝国から自治権を取り上げられてし
まう恐れがあったからです。その点では、ガリラヤ州のヘロデ王
も同じ考えだったのです。もし、イエスだけでなく、12使徒全
員を逮捕してしまうと、自分のガリラヤ州で民衆の暴動が起こる
――この事態は避けなければならないと考えたのです。
 しかし、テレビも新聞もない時代ですから、神殿兵たちはイエ
スの顔を知らず、本気で捕まえるには12使徒全員を逮捕しなけ
ればならなかったのです。したがって、イエスだけを捕まえるに
は、12使徒から密告者を出して、「これが教祖だ」と指で指し
てもらう必要があったのです。
 そこで大司教カヤパとヘロデは共謀して、ユダの裏切りによっ
て教祖のイエスだけを逮捕して、ことを収めようと画策したので
す。それに民衆が暴動を起こしにくい過越しの祭りの前夜をあえ
て選んでイエスを逮捕したのです。
 逮捕されたイエスは次の日に総督ピラトのところに連れてこら
れます。しかし、総督ピラトもイエスを処刑して民衆の暴動が起
こっては困る立場なのです。そこで、ちょうど過越の祭りである
から、ユダヤの罪人を1人恩赦で許してやろうとユダヤの民衆に
提案したのです。
 ピラトとしては、そうすればユダヤの民衆は、人気のあるイエ
スを選ぶに決まっている――そう考えたのです。そうすれば、自
らは民衆の恨みを買わないで済むという計算です。しかし、民衆
はピラトの考えの思惑とは逆に、バラバという罪人の恩赦を求め
たのです。
 これは有名な話であり、アンソニー・クイーン主演による映画
『バラバ』も公開されたのです。しかし、これはすんなりとは理
解できない不思議な話であると思います。どうして、あれほど人
気のあったイエスが選ばれなかったのでしょうか。なぜ、極悪人
といわれるバラバの恩赦を民衆は選択したのでしょうか。
 「バラバ」とは何者でしょうか。
 「バラバ」の正体については、次の3つの説があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     1.正真正銘の極悪非道の罪人である
     2.熱心党の有力なるスタッフである
     3.聖職者のイエスこそバラバである
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 明確にいえることは「1」ではあり得ないということです。し
かし、一般論としては「1」ということになっています。そこで
考えられるのは「2」なのです。
 イエスの教団の中枢に入り込んだユダは、イエスがローマと戦
おうとしないことに失望し、イエスの逮捕と引き換えに、すでに
逮捕されている熱心党の有力スタッフの解放に動いたのです。そ
れがバラバなのです。
 これに対して、『封印のイエス』の著者であるナイト/ロマス
なよると、バラバとは聖職者イエスであるというのです。バラバ
という名前は、正式には「バラバ・イエス」というのです。さら
にバラバはアラム語で「父の子」を意味するのです。一体これは
何を意味しているのでしょうか。これについては、明日のEJで
お話しします。    ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/23]


≪画像および関連情報≫
 ・「過越し祭」の由来について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  モーセが生まれた時、エジプト王はユダヤ人の赤ん坊を皆殺
  しにした。モーセの旅立ちにあたって、神の怒りがエジプト
  人に及び、エジプト人の赤ん坊がすべて死ぬことになる。そ
  の時、間違えてユダヤ人の子供が殺されないように、ユダヤ
  人は生け贄の小羊の血を戸口に塗って、神の怒りが戸口の前
  を「通り過ぎていく」のを待った。これが「過越し祭」の由
  来である。
   ――三田誠広著、「ユダの謎キリストの謎/こんなにも怖
      い、真実の聖書入門」より。祥伝社/ノン・ブック
  ―――――――――――――――――――――――――――

映画『BARABBAS』.jpg
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2009年03月03日

●バラバは義人ヤコブである(EJ第1906号)

 「バラバ」の正式名称は「バラバ・イエス」というのです。イ
エスを書くと、イエス・キリストと混同されるので、写本や翻訳
では「イエス」を除いて、単に「バラバ」としているのです。
 問題は「バラバ」がアラム語で「父の子」を意味する「バル・
アッパ」ではないかといわれている点です。「アッパ」というの
は、パパ、すなわち「父」という意味なのです。イエスは神に呼
びかけるとき、「アッパ」という言葉を使ったのです。「父よ」
という意味です。ちなみにママは「イマ」といいます。
 そうであるとすると、「バラバ・イエス」は「父の子イエス」
「神の子イエス」という意味になります。これは、イエスと同じ
意味になってしまいます。バラバとは何者なのでしょうか。
 はじめに知識を整理しておきます。ガリラヤ湖の網元のゼベタ
イには、ヤコブとヨハネという2人の息子がいたのです。ゼベタ
イは洗礼者ヨハネ教を信仰しており、2人の息子も洗礼者ヨハネ
の弟子になったのです。イエスも洗礼者ヨハネの洗礼を受けてお
り、ヨハネ教に入門しているのです。洗礼者ヨハネの思想はエッ
セネ派の流れを汲む律法に厳しい教義を持っていたのです。
 ここで洗礼者ヨハネによるヨルダン川での「水による洗礼」が
その当時、いかに画期的であったかについて述べておく必要があ
ります。聖書研究家の三田誠広氏は、これについて次のように述
べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 バプテスマのヨハネの洗礼はユダヤ教の日常的な慣例とはまっ
 たく違うものだ。ユダヤ教徒がエルサレムの神殿で、業者から
 購入した生け贄の血によって浄めの儀式を受けるという、神殿
 の権威によってのみ成立する浄めを、ヨルダン川の水ですませ
 てしまおうというのだから、ある意味ではとんでもない試みで
 ある。  ――三田誠広著、「ユダの謎キリストの謎/こんな
   にも怖い、真実の聖書入門」より。祥伝社/ノン・ブック
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 洗礼者ヨハネ以前は、洗礼を受けるには大変お金がかかったの
です。まず、エルサレムまで長い旅をしなければならない――日
帰りは無理なので宿泊代がかかるし、生け贄を購入するお金も必
要なのです。しかし、当時ガリラヤ州の民衆はとても貧乏であっ
てそんなお金はとても払えなかったのです。
 これに対して、ヨハネの洗礼はガリラヤの民衆にとっては遠く
に出かける必要はないし、お金もかからない――まさに画期的で
あり、民衆は本当に助かったのです。それにヨハネはローマの傀
儡政権になっていたヘロデ王を歯に衣を着せずに批判したので、
洗礼者ヨハネによる教団は人気が沸騰し、ヘロデ王を脅かすほど
の勢力になっていったのです。
 ところが洗礼者ヨハネがヘロデ王に殺されると、イエスの教団
がヨハネの教団を取り込んで大きくなっていきます。ゼベタイの
息子のヤコブとヨハネもイエスの教団に中枢を占めるようになる
のです。こうしてイエスの教団は大きくなっていったのです。
 このイエスの教団には、実は2人のイエスが次のように存在し
たのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.ユダヤの王としてのイエス ・・・  ミシュパト △
 2.祭司メシアとしてのイエス ・・・ ツァディーク ▽
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『封印のイエス』著者、ナイト/ロマスによると、ローマの総
督ピラトは、イエスの教団のこの2人のイエスを捕らえたといっ
ているのです。その部分を引用します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 イエスとヤコブ、過激派セクトの2本の柱は、今やローマのユ
 ダヤ総督ポンティウス・ピラトの手中にあった。(中略)われ
 われはこれまで「王のメシア」イエスと呼んできたが、それは
 彼の名前ではなく、「救世主」を意味する肩書きである。そし
 てヤコブのほうも同じく、「救世主」――すなわち「イエス」
 すなわちイエスと呼ばれていた。すなわち、審理にかけられた
 ふたりは、ともにイエスと呼ばれていたのだ。ひとりは「ユダ
 ヤの王イエス」、そしてもうひとりは、「神の子イエス」であ
 る。すなわち、ここでは、祭司権メシアであるヤコブのほうが
 バラバ(神の子)である。
     ――クリストファー・ナイト/ロバート・ロマス著/
       松田和也訳、『封印のイエス/「ヒラムの鍵」が
         解くキリストのミステリー』/学習研究社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ナイト/ロマスの説によると、ピラト総督は、イエスとヤコブ
の2人を逮捕し、1人を恩赦でどちらかを選べとガリラヤの民衆
に選択させたのです。しかし、洗礼者ヨハネの時代から祭司を担
当してきたヤコブに圧倒的な人気が集まって、「ユダヤの王イエ
ス」が有罪となって、処刑されたというのです。十字架の頭の上
に「ユダヤの王」という札をつけられてです。そして、ヤコブこ
そは「バラバ」その人であったというわけです。
 さて、ややこしい話ですが、ヤコブというのは、少なくとも次
の3人が考えられるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.アルファイの子ヤコブ ・・12使徒の1人
 2.ゼベタイ子ヤコブ   ・・12使徒の1人大ヤコブ
 3.義人ヤコブ      ・・12使徒でない
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ふたりのイエスの1人であるやコブは、3の「義人ヤコブ」の
ようなのです。このヤコブはイエスの弟であるといわれているの
です。もし、そうであるなら、イエスが逮捕される前にこの義人
ヤコブ、すなわちバラバは逮捕されており、ピラトはイエスか義
人ヤコブかの選択を民衆に委ねたことになります。このあたりの
ことは、重要ですので、もう少していねいに調査して取り上げる
ことにします。    ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/24]


≪画像および関連情報≫
 ・義人ヤコブについて
  ―――――――――――――――――――――――――――
  現代の研究者たちの多くは単に「ヤコブ」というのは名前だ
  けであり、三人のヤコブの特定の誰かが著者だとは考えてい
  ない。しかし研究者の共通の認識は「ヤコブ」を名乗る著者
  がエルサレム教会のリーダーだった義人ヤコブを意識して名
  乗っていたことは間違いないだろうということである。(む
  ろんこの考え方に対しての異論もある)。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

洗礼者ヨハネとヘロデ王.jpg
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2009年03月04日

●初期キリスト教指導者ヤコブ(EJ第1907号)

 ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』に触発されて、イ
エス・キリストのことをいろいろ調べていくと、ますますイエス
の正体がわからなくなってきます。
 明らかにイエスに関する諸史料に真実ではない記述があり、多
くのことが故意に隠されている――調べれば調べるほどそのよう
に思えるのです。
 原点に戻って考えてみる必要があります。イエスはどのような
罪で死刑になったのでしょうか。まず、これがはっきりとしてい
ないのです。
 当時のユダヤはローマ帝国に支配されていましたが、ローマ帝
国には、既に完成された法律が存在していたのです。さしたる理
由もないのに死刑に処せられることはあり得ないことです。
 確かにイエスは当時は新興宗教の教祖であり、熱心党のシモン
などを従えて、エルサレムの神殿の屋台を壊したりはしましたが
別に人を殺したわけではなく、その程度のことで死刑などにはな
らないのです。
 ところで、イエスたちが壊したというエルサレムの神殿の屋台
では何が売られていたのでしょうか。
 当時ユダヤでは、民衆は年に一度はエルサレムの神殿に礼拝し
罪の「浄めの儀式」をしないといけなかったのです。その儀式に
は生け贄を供えることになっていたのです。
 浄めの儀式には3つのランクがあって、それは生け贄によって
決められていたのです。最高ランクは牛、続いて羊、最低ランク
は鳩なのです。神殿の前の屋台では、そういう生け贄が売られて
いたのです。
 しかし、浄めの儀式といっても実際に牛や羊や鳩がそのつど殺
されるのではなく、あくまで建前として殺したことにして、動物
はあとでこっそりと屋台に戻されていたのです。したがって、屋
台の業者や神殿は大儲けができたのです。
 こういう行為はある意味では現代風ではありますが、イエスは
お金さえ払えば浄められるという儀式の形骸化――宗教の形骸化
が許せなかったのです。したがって、屋台を壊してしまったので
す。そういう意味で、イエスの率いる一派は、現体制を批判する
過激派と見られる側面はあったといえます。
 このように考えると、洗礼者ヨハネがヘロデ王によって捕らえ
られ、殺害されたのはわかります。なぜなら、ヨルダン川の水で
無料で浄めの儀式をやられてしまったら、それによって潤うはず
の神殿――当然、ヘロデ王につながっている体制側が、経済的に
打撃を受けるのは必至だからです。
 さて、イエスについて調べていくとわからなくなることがひと
つあります。それは「ヤコブ」という名前の人物のことです。前
にも述べたように、イエスが正面に立って布教した期間はたった
の一年なのです。そのあと、処刑されています。
 そのあとのイエスの教団(エルサレム教会)を20年以上にわ
たって率いたのは、ヤコブ――義のヤコブともいわれる――なの
です。しかし、このヤコブは12使徒に入っていないのです。
 最初のうち私は、このヤコブは12使徒のひとり、ゼベタイの
子ヤコブであると思っていたのですが、別人なのです。これまで
のEJでは、そのように記述した部分がありますが、間違えであ
り、お詫びしなければなりません。
 少なくともヤコブは、イエスの教団――初期キリスト教運動の
指導者であり、これは重要な歴史的事実のはずです。実質的にイ
エスの教団の宗教的な指揮を執っていたのはイエスではなく、ヤ
コブたったのです。
 しかし、この義のヤコブについては故意に隠蔽され、史料がき
わめて乏しいのです。キリスト教について、ペテロ、パウロ、ヨ
ハネは誰でも知っていますが、ヤコブのことになると、キリスト
教徒でも深く知る人は限られてくると思います。
 義のヤコブとは一体何者なのでしょうか。
 私が義のヤコブについて知ったのは、既出のナイト/ロマスの
『封印のイエス』(学習研究社)です。ところが、今年の5月に
次の本が発刊されたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  ジェイムズ・D・テイバー著/伏見威蕃・黒川由美訳
  『イエスの王朝/一族の秘められた歴史』
           ソフトバンク クリエイティブ刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 当初、『ダ・ヴィンチ・コード』ブームに乗って出された謎解
き出版物のひとつとして考えていたのですが、書店で手にして読
んでみると、凄いことが書いてあることがわかり、購入して現在
読んでおります。
 2002年10月21日月曜日の正午、「聖書考古学評論」誌
編集人ハーシェル・シャンクス氏は、ワシントンDCで記者会見
を行い、次の発表をしています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 古代アラム語で「ヤコブ、ヨセフの息子、イエスの弟」と刻ま
 れた石灰石の骨箱がエルサレムで発見された。
               ――ハーシェル・シャンクス氏
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 当日の午後にはAP通信がこれを世界中に伝え、「ニューヨー
ク・タイムス」、「ワシントン・ポスト」をはじめ、世界中のほ
とんどの新聞が、ヤコブの骨箱のことを第一面で報じています。
そして夜になると、全国ネットの大手テレビ局が一斉に報道した
のです。しかし、マスコミや一般大衆は、イエスに弟がいたこと
をほとんど知らなかったといいます。
 現在、このヤコブの骨箱は、オンタリオ国立博物館で展示され
ていますが、真贋論争はあるようです。そういうものが出てくる
と困る向きもあるのでしょう。しかし、ヤコブを前提にキリスト
教を見直すと、今までとは全く違うキリスト教が見えてくること
は確かなことです。  ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/25]


≪画像および関連情報≫
 ・『イエスの王朝』/ジェイムズ・D・テイバー著
  ―――――――――――――――――――――――――――
  イエスが打ち立てたのは教団でも新しい宗派でもなかった。
  弟たちをはじめとする血族をまとめ王朝を打ち立てたのだ!
  30年以上に及ぶ発掘調査と研究をもとに、人間イエスと王
  家の血を引く一族の数々の衝撃的な事実を掘り起こす、世界
  各国で話題騒然のノンフィクション。イエスの一族や時代が
  分かる図版約70点収録。
  ―――――――――――――――――――――――――――

「イエスの王朝」.jpg


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2009年03月05日

●メロヴィング朝とイエスとの関係(EJ第2524号)

 ここでどうしても取り上げなければならないのが「シオン修道
会」という秘密結社です。小説では、ルーヴル美術館長ジャック
・ソニエールが、その秘密結社の総長であるという設定になって
います。簡単にいってしまえば、シオン修道会の目的は「聖杯を
守る」ということに尽きるのです。
 既に述べているように、「聖杯」とは「王家の血」という意味
であり、具体的にいうと「イエスの血脈を守る」のが目的という
ことになります。つまり、シオン修道会の存在理由は、次の2つ
の前提条件によって成り立っているのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   1.イエスは人間であり、結婚して子孫がいる
   2.イエスの子孫は現在まで受け継がれている
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 そして、ダン・ブラウンは、そのイエスの血脈を受け継いでい
る人物がフランス司法警察/暗号解読官・ソフィー・ヌヴーであ
る――そういう設定にしているのです。もちろん、話を面白くさ
せるためにしていることであり、フィクションです。
 レオナルド・ダ・ヴィンチも、シオン修道会のメンバーといわ
れており、だからこそ彼は自分の手になる数々の絵画に暗号を隠
して、後世の人にそれを伝えさせようとしたというのが、ダン・
ブラウンの主張なのです。
 EJ第1890号で、「ダ・ヴィンチ・コード」のサスペンス
としての興味として3つのことを指摘しましたが、そのうちの1
つは「カトリック教会の崩壊につながりかねない重大な秘密とは
どのような秘密なのか」ということです。
 この1については、既に明らかになっています。それはシオン
修道会の存在理由である2つの前提条件そのものです。なぜなら
聖杯がイエスの血脈であるという概念が正しいとすると、それは
今日のキリスト教的ヒエラルキーを否定してしまうことにつなが
りかねないからです。
 導師と名乗る謎の人物によって、聖杯――イエスの血脈に関す
る証拠をシオン修道会が握っていると告げられたオプス・デイの
司教アリンガローサは「これは使える」と考えたのです。
 というのは、そのときオプス・デイは、ヴァチカンから、せっ
かく許されている属人区の指定の取り消しを通告されていたから
です。アリンガローサは、シオン修道会が握っている聖杯の秘密
をヴァチカンにもたらせば、オプス・デイはカトリック教会の属
人区としての特権を守れると考えて、修道僧シラスを使ってその
秘密の強奪を狙って動き始めるのです。
 もちろん、これはダン・ブラウンの完全なフィクションであり
オプス・デイは現在カトリック教会の正式な一組織であって、属
人区の指定も何も変わっていないのです。しかし、原作や映画を
見る限り、オプス・デイはきわめて怪しげで悪質な宗教組織では
ないかと考える人が多いと思います。
 オプス・デイの広報部は、映画『ダ・ヴィンチ・コード』の公
開に当たって、映画を製作したソニー株式会社に対し、長文の手
紙を送りつけています。その一部をご紹介しましょう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ご存じのように、小説「ダ・ヴィンチ・コード」は、カトリッ
 ク教会とその創始者イエス・キリストを、荒唐無稽な姿で描い
 ており、キリスト教信者の宗教的信条を傷つけています。さら
 に、キリスト教信仰がウソを出発点としており、カトリック教
 会は、無知な人々をひきつけておくために犯罪と暴力的な手段
 を用いてきたと、小説は主張しています。
             ――オプス・デイ広報室/稲畑誠三
  中井俊巳著、『ダ・ヴィンチ・コード』はなぜ問題なのか?
                        グラフ社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 映画『ダ・ヴィンチ・コード』の撮影現場では、かつて例のな
いほど台本の変更があったと伝えられています。映画におけるオ
プス・デイ関連の描写がきわめてわかりにくいのは、それが原因
ではないかと思うのです。
 シオン修道会の目的である「王家の血脈を守る」ということを
もう少し正確にいうと、「メロヴィング朝の血脈を守る」という
ことになります。このメロヴィング朝の祖先がイエスとマグダラ
のマリアであると『レンヌ・ル・シャトー――イエスの血脈と聖
杯伝説』の著者である、マイケル・ベイジェント、リチャード・
リー、ヘンリー・リンカーンは主張しているのです。
 メロヴィング朝は、5世紀から8世紀にかけて、現在のフラン
スとドイツにあたる領土を統治していたのです。メロヴィング朝
の王位継承権のある息子は、12歳の誕生日になると自動的に王
となるのです。王に任命されるのではなく、一定の年齢になると
必然的に王になったのです。しかし、王は象徴的な存在であり、
統治の役は「大宰相」に任されることになっていたのです。
 遊牧騎馬民族フン族に追われて、東ゴート族、西ゴード族、フ
ランク族などは民族移動を開始したのですが、フランク族は周辺
地域を少し移動しただけで済んだのです。ドイツ北部からフラン
ス北部への移動です。そのため、王国を再構築しやすかったので
す。そこでメロヴィング朝のクロヴィス一世を君主とするフラン
ク王国を築くのです。
 ローマ帝国のかたちを引き継いだといわれるフランク王国は、
クロヴィス一世の統治下で大きく発展し、領地も現在のフランス
とドイツのほとんどを占めるまで拡大したのです。そして、ロー
マ・カトリック教を国内に広め、カトリック教会と親密な関係を
築くことに成功したのです。
 クロヴィス一世はなぜか西ゴート族を打ち負かすことに執念を
燃やしており、西ゴート族はラゼ地方のレーゼまで追い詰められ
たのです。レーゼは現在のレンヌ・ル・シャートー村にあたるの
ですが、メロヴィング朝のその後の出来事を考えると、運命的な
ものを覚えざるを得ないのです。 
           ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/26]


≪画像および関連情報≫
 ・フランク王国について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  古代末期、旧ローマ帝国領にゲルマン系諸族が大量の移住を
  行ったことによる。幾つかの幸運が重なり、フランク族は3
  世紀の間、中部ヨーロッパで勢力を保ち続け、次第に現在の
  ドイツとフランスに勢力を伸ばした。ローマ帝国の没落につ
  れて、フランク王国は西ヨーロッパで最大の国力をもつこと
  となった。フランク王国の系譜はシカンブリ人系のサリー・
  フランク人クロヴィス一世がフランク人を統一して王国を開
  いたメロディング朝と、それを継承したカロリング朝に分け
  られる。              ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

クロヴィス1世.jpg

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2009年03月06日

●メロヴィング朝からカロリング朝へ(EJ第1909号)

 クロヴィス1世が亡くなると、4人の息子によってフランク王
国は、アウストラシア、ネウストリア、ブルグンド、アクィタニ
アの四国に分割されたのです。
 そのうち、フランク王国の東北部を支配する分国アウストラシ
アの王、ジギベルト3世の子として生まれたのが、ダゴベルト2
世なのです。651年のことです。彼こそメロヴィング朝の血を
引く王子なのです。
 しかし、ダゴベルト2世誕生の5年後にジギベルト3世が亡く
なると、大宰相のグリモアルドはその機に乗じてアウストラシア
国を乗っ取ることを企てるのです。この当時このようなことは頻
繁に行われていたのです。
 グリモアルドは、5歳のダゴベルト2世を自ら誘拐して、死亡
したことを伝えます。そして、言葉巧みにダゴベルトの母親を説
得し、自分の息子をアウストラシア王に就任させるのです。しか
し、さすがにダゴベルト2世を本当に殺害することはできず、ア
イルランドに亡命させます。
 ダゴベルト2世はダブリン近郊のスレイン修道院で教育を受け
て成長します。そして、ケルト族の王女マチルドと結婚して、北
イングランドのヨークに行って、ヨーク司教の聖ウィルフレッド
に出会うのです。運命的な出会いです。
 聖ウィルフレッドは、ダゴベルト2世を利用して、クロヴィス
1世のときのように、フランク王国とローマ教会を強固な関係に
できないかと考えたのです。ところが、670年にダゴベルトの
妻が亡くなったのです。
 好機到来と聖ウィルフレッドは、ダゴベルト2世の後妻を慎重
に選出し、ラゼ伯爵の娘で、西ゴート王の姪であるジゼル・ド・
ラゼと結婚させたのです。西ゴート族はクロヴィス1世にレンヌ
・ル・シャトー村まで追い詰められていたのですが、西ゴート族
を取り込むことで、その統率力は現在のフランス全域に拡大し、
ローマ教会との関係も強固になることが期待されたのです。
 ダゴベルト2世とジゼル・ド・ラゼは、レンヌ・ル・シャトー
のサント・マドレーヌ教会で結婚式を挙げたのです。そして、息
子のジギベルト4世が誕生します。ダゴベルト2世は、レンヌ・
ル・シャトー村で3年間暮らし、アウストラシア王になります。
 しかし、聖ウィルフレッドには大きな誤算があったのです。肝
心のローマ教会との関係がうまくいかなかったからです。という
のは、西ゴート族はローマ教会から見ると異教的なアリウス派に
近い考え方を持っており、ダゴベルト2世も同じ考え方であった
からです。既に述べたようにアリウス派は、イエスは普通の人間
であり、他者と同じように生まれたと主張する一派です。
 このようなローマ教会との不協和音を敏感に感じ取って、当時
アウストラシア国の宮宰職――宮内行政長官をしていたピピンは
部下に命じてダゴベルト2世が狩猟中に眠っているところを目を
突いて殺害し、あわせて家族全員を殺すというクーデターを敢行
したのです。
 ダゴベルト2世の死によって、メロヴィング家の時代は実質的
に終止符を打ったようにように見えたのですが、王位をはじめと
する地位は、その後100年近く存続したのです。つまり、メロ
ヴィング朝の王位はそのままだったのです。
 それは、クーデターを起こしたピピンのとった対応によるので
す。ピピンは、王の死によって、自分の息子であるシャルル・マ
ルテルを軍の指導者の地位には就任させたものの、彼自身は王位
を奪取しなかったのです。おそらくピピンは、王家の血脈として
長く継承されてきたメロヴィング家の権利に敬意を表しており、
自らが王位に就くことを躊躇したものと考えられます。
 しかし、メロヴィング朝の最後の王ヒルデリヒ3世のとき、大
宰相の地位にあったピピン3世は、使節団を率いてローマ教皇に
会い、誰が王になるべきかを尋ねて、教皇の同意を得るのです。
その結果、ヒルデリヒ3世は修道院に送られ、その3年後に死亡
します。ヒルデリヒ3世には後継者はなく、メロディング朝の炎
は燃え尽きたといえます。
 754年にピピン3世は王位に就き、シャルル・マルテルの名
をとったカロリング朝がはじまるのです。しかし、戴冠式の直前
にピピン3世はメロディング朝の王女と結婚しています。つまり
王位の正当性を主張する何かが欲しかったものと思われます。そ
して、今までメロディング朝の王だけに認められていたローマ帝
国皇帝の称号も800年に与えられているのです。
 これはクロヴィス1世がローマ教会との取引で、メロディング
朝がローマ教会のために力を尽くすことと引き換えに、新たなロ
ーマ系キリスト教帝国をあらわすローマ帝国皇帝の称号をもらう
約定を交わしていたのです。
 しかし、その後もカロリング朝の王たちは、正当性を確保する
ためか、メロヴィング家の王女を結婚相手に選んでいるのです。
このようにしてイエスに直結するダヴィデ家の系統は、旧約聖書
の時代から正当に保持していた王座への復権を果たすことになっ
たといえるのです。
 ここまでの話と「ダ・ヴィンチ・コード」の原作との関係です
が、シャトー・ヴィレットにおける宗教問答で、ティーピングが
「ダゴベルト2世の話を聞いたことがあるかね」とソフィーに聞
き、ソフィーに説明する次の部分があるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「メロヴィング朝の王よね。寝ているとき目を刺されたんじゃ
 なかった?」「正解だ。ヴァチカンがピピン2世と共謀して暗
 殺した。7世紀後半のことだ。ダゴベルトの死によって、メロ
 ヴィング朝は途絶えかけたが、幸いにも息子のシギベルト4世
 がひそかに難を逃れて王家の血を伝え、後にそこからゴドフロ
 ワ・ド・ブイヨン、つまりシオン修道会の創始者が生まれた」
             ――ダン・ブラウン著/越前敏弥訳
  『ダ・ヴィンチ・コード(中)』より。角川文庫14158
−−−−−−−−−−−・・・[ダ・ヴィンチ・コード/27]


≪画像および関連情報≫
 ・メロディング朝年代記
 ――――――――――――――――――――――――――――
 「フランク族」とは「自由にして勇敢なる者」の意である。3
 世紀中頃の彼等は大きく2群にわかれ、1群はライン河下流域
 に住んで「サリ(塩の意)支族」、1群はライン河中流域に住
 んで「ブアリ(河の人の意)支族」と呼ばれていた。彼等の一
 部はローマ帝国軍に雇われて主にライン河東岸の警備にあたっ
 ていたが、5世紀頃に現在のベルギーから北フランスにかけて
 勢力を拡大し、各地にいくつかの小王国を建設した。伝説によ
 れば、現在の北フランス地域に初めて地歩を固めたフランクの
 王はファラモンなる人物であったとされるが、その実在には疑
 問がもたれ、その子でサリ系フランク人の王となったクロディ
 オン、さらにその子メロヴィクあたが記録で確認出来るフラン
 ク最古の王であるとされている。メロヴィクの子孫が継承した
 王朝がつまり「メロヴィング朝」である。
           http://www.kaho.biz/merovingiens.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

ゴドフロワ・ド・ブイヨン.jpg
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2009年03月09日

●シオン修道会とは何か(EJ第1910号)

 シオン修道会については、それが実際に存在した組織であるか
どうかに関して諸説があるのです。存在したかどうかの事実関係
からいうと、それは存在したといわざるを得ないのです。なぜな
ら、フランス政府の官報に記載されているからです。
 それによると、1956年6月25日に次のように届け出され
ているのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 名 称:「カトリック制度と戒律での独立伝統主義騎士団」
 会 長:アンドレ・ボドム
 事務局:ピェール・プランタール
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 しかし、この組織としての活動はほとんどなく、単に名目上存
在していたのです。それなら、何のためにピェール・プランター
ルなる人物は、このような組織を登録したのでしょうか。
 1964年から1967年にかけて、パリのフランス国立図書
館に6種類の秘密文書が登録・保存されたのです。それらの文書
は『アンリ・ロビーノの秘密文書』と題されていたのです。
 これらの秘密文書では、ピェール・プランタールがフランク王
ダゴベルト2世の末裔であることが主張されているのです。つま
り、ピェール・プランタールは自分はフランス王の血脈――メロ
ヴィング朝の血脈であると主張しているわけです。
 さらに、シオン修道会は11世紀に設立されており、それは現
在に至るまで続いている――そして、シオン修道会の過去の総長
をリストとして公開し、その中には歴史的な著名人の名前が数多
く連ねられていたのです。
 しかし、これらの秘密文書は、プランタールの捏造だったので
す。それは、シオン修道会のメンバーにも名を連ねており、ミッ
テラン大統領の友人であるフランスの投資家ロジェ・パトリス・
ペラのインサイダー取り引き事件に関連して、プランタールは取
り調べを受け、家宅捜索までを受ける事態になったのです。
 家宅捜索の結果、シオン修道会関連の文書が多数押収され、ブ
ランタールは裁判所で2日間尋問されたのです。そして、その結
果、パリの国立図書館に寄贈した秘密文書はすべて自分が捏造し
たことを認めたのです。
 この事件があったことによって、シオン修道会はその存在を著
しく疑われることになったのです。しかし、シオン修道会が存在
したことは間違いがないようなのです。『ダ・ヴィンチ・コード
の「真実」』の著者、ダン・バースタインは次のように述べてい
ます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 シオン修道会、シオンの聖母騎士団などとも呼ばれるシオン修
 道会は、その創立を第一回十字軍のさなかの1095年だとし
 ているが、これは組織として形を成した年にすぎず、そのはる
 か昔から重大な秘密を守る役割をしてきた。(中略)一説によれ
 ば、シオン修道会とテンプル騎士団は実質的に合併し、一時は
 同じ総長に統轄されていたが、1188年に分裂して別々の道
 を歩み出したという。
         ――ダン・バースタイン著/沖田樹梨亜・訳
        『ダ・ヴィンチ・コードの「真実」』/竹書房
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 先にシオン修道会の目的は「イエスの血脈を守る」と書きまし
たが、もう少し正確にいうと、ダゴベルト2世の暗殺で相続権を
失ったメロヴィング朝の血統をヨーロッパの王座に復権させよう
という使命を帯びていたのです。
 ダン・ブラウンの小説によると、シオン修道会の創始者として
ゴドフロア・ド・ブイヨンの名前が上がっています。ゴドフロア
・ド・ブイヨンは、自らが聖杯一族の出身であり、メロヴィング
家の一員として、ダヴィデ家を通じて家系をたどれる人物です。
ブイヨンは第1次十字軍としてイスラエルに侵攻し、勝利して事
実上イスラエルの王――聖墳墓の守護者の地位に就いています。
 そしてブイヨンは、テンプル騎士団が創設されたのとほぼ同時
期に、「シオン宗教会」を創始し、シオン山のノートルダム修道
院を拠点にしたといわれています。このように、当初の名称はシ
オン宗教会だったのです。
 なお、テンプル騎士団とシオン修道会は、当初は同じ総長の下
で統轄される2部門であったともいわれることについては、上記
のダン・バースタインが指摘している通りです。
 しかし、1188年の「楡の伐採」という出来事をきっかけと
して2つの組織に分かれ、そのさいにシオン修道会を名乗るよう
になったといわれています。
 「楡の伐採」は、パリの北西60キロメートルに位置するジゾ
ールにある樹齢800年以上の樹――大人が9人で手をつないで
も幹の周りを囲むことができないという大木を巡るイギリスとフ
ランスの諍いなのです。
 結局、この楡の樹は、フランス軍によって切り倒されてしまう
のですが、これを機にテンプル騎士団とシオン修道会は別々の道
を目指すようになったのです。理由は不明です。
 「楡の伐採」のいきさつについて書いてあるマーティン・ラン
の本に次の興味深いエピソードが載っています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 コクトーをめぐる奇妙な「偶然」がある。1188年の「楡の
 伐採」以来、シオン修道会においては初代総長ジャン・ド・ジ
 ゾールを筆頭に、男性総長は「ジャン」、女性総長は「ジャン
 ヌ」を名乗っていた。ところが、ジャン・ド・ジゾールは修道
 会の文書の中で「ジャン1世」ではなく、「ジャン2世」と記
 されているため、ジャン1世は洗礼者ヨハネか最愛の使途ヨハ
 ネ、または黙示録の著者である聖ヨハネではないかという憶測
 が飛び交っている。――マーティン・ラン著/秋宗れい訳「ダ
     ・ヴィンチ・コード・デコーデット」より。集英社刊
−−−−−−−−−−−・・・[ダ・ヴィンチ・コード/28]


≪画像および関連情報≫
 ・第1回十字軍とゴドフロア・ド・ブイヨン
  ―――――――――――――――――――――――――――
  十字軍はファーティマ朝支配下のエルサレムを占領し、住民
  の大量虐殺を行なった。十字軍占領地に諸侯の領地が設定さ
  れ、エルサレムにはエルサレム王国が建国された。ロレーヌ
  (ロートリンゲン)公ゴドフロアを統治者に選んだ。エルサ
  レム王国は、エデッサ伯国・アンティオキア公国・トリポリ
  伯国に対して宗主権を持っていたが、この三国は事実上独立
  していた。
  http://www.vivonet.co.jp/History/a6_Eu_Jujigun/Jujigun.htm
  ―――――――――――――――――――――――――――

十字軍当時のエルサレム王国.jpg
十字軍当時のエルサレム王国
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2009年03月10日

●クロパの妻マリアとは何者か(EJ第1911号)

 イエスにとってマクダラのマリアがどのような存在であったか
を知るために、イエスの磔刑の立会いに参加しているかどうかを
調べる方法があります。4つの福音書から検証してみます。
 このとき男性の使徒は逃げていて当然立会いには出てきていま
せんが、ゆかりのある女性や使徒は許されたのです。磔刑や埋葬
に誰が立ち会ったかについては、4つの福音書のうち、ルカによ
る福音書については、名前はすべて略され、単に「婦人たちがい
た」とのみ書かれています。どうもこの福音書は恣意的に何かを
隠蔽しようとしているように思えます。
 マルコによる福音書とマタイによる福音書では、次の3人の名
前が記述されています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      ≪マルコによる福音書≫
       1.マグダラのマリア
       2.小ヤコブとヨセの母マリア
       3.サロメ
      ≪マタイによる福音書≫
       1.マグダラのマリア
       2.ヤコブとヨセフの母マリア
       3.ゼベタイの子らの母
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 一見してわかるように、マグダラのマリアは両福音書とも参加
していたことを認めています。マルコによる福音書では、イエス
には4人の弟(ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモン)と2人の妹(マリ
ア、サロメ)がいたとしています。
 そうであるとすると、マルコによる福音書の「小ヤコブとヨセ
の母マリア」は、イエスの母マリア――つまり、聖母マリアとい
うことになります。サロメはイエスの妹でしょう。
 マタイによる福音書の「ヤコブとヨセフの母マリア」のマリア
についても聖母マリアと考えてよいと思われます。イエスの埋葬
場面でのマルコとマタイによる両福音書では、次のように記述さ
れています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ≪マルコによる福音書≫
  マクダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスの納められ
  るところをよく見ていた。[27:61]
 ≪マタイによる福音書≫
  そこには、マグダラのマリアとほかのマリアとが墓のほうを
  向いてすわっていた。  [15:47]
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この「ヨセの母マリア」と「ほかのマリア」と表現されている
マリアは、明らかに聖母マリアと考えられます。それなら「ゼベ
タイの子らの母」とは誰を指しているのでしょうか。
 既に述べたように、ゼベタイには12使徒のヤコブとヨハネと
いう2人の息子がいます。したがって、ゼベタイの子というとき
は、12使徒のヤコブとヨハネを指しているものと思われます。
そうであれば、ヤコブとヨハネの母が磔刑の立会いや埋葬に来て
も不思議ではないわけです。
 ところが、その12使徒のヨハネによる福音書によると、磔刑
に立ち会ったのは次の3人になっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       1.イエスの母マリア
       2.母の姉妹、クロパの妻マリア
       3.マグダラのマリア
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 驚くべきことは、3人ともマリアであることです。マリアとい
う名前が当時ポピュラーな名前であることを考慮しても、3人と
もマリアでは、まるでパズルです。
 これによると、イエスの磔刑や埋葬には、聖母マリアとマグダ
ラのマリアが立ち会ったのは間違いないといえます。問題は「母
の姉妹、クロパの妻マリア」です。これは、次の2つのことを意
味しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      1.イエスの母の姉妹に当たる
      2.クロパという者の妻である
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「クロパ」とは何者でしょうか。最古の記録によると、イエス
の弟のヤコブ――イエスは彼を後継者として後事を託しているの
ですが、そのヤコブは62年に殺害され、その後を引き継いだの
が「クロパの子シモン」とされています。このクロパは、聖母マ
リアの夫ヨセフの兄弟といわれているのです。
 ヨハネは、「イエスの姉妹マリア」と「クロパの妻マリア」と
いう表現で、あたかも2人のマリアがいるように演出しています
が、これはともに聖母マリアのことなのです。
 イエスの母親は聖母マリアですが、イエスはマリアの夫である
ヨセフの子ではないといわれているのです。そして、ヨセフはマ
リアとの間に子をなさないで死亡したと考えられるのです。そう
すると、マリアは寡婦となり、ユダヤの律法では亡父ヨセフの兄
弟――もし、兄弟がいないときは近い親戚の男子と結婚し、子を
つくらなければならないと定めているのです。しかし、そのよう
にして生まれた子は、亡父の名がつけられることになっているの
です。血脈を絶やさないための制度であり、これを「レビレート
婚」といっているのです。
 つまり、寡婦のマリアは、夫ヨセフが死んだことにより、ヨセ
フの兄弟であるクロパと結婚し、4人の男児――ヤコブ、ヨセ、
ユダ、シモンと2人の女児――マリア、サロメを生んだことにな
ります。これら6人の子とイエスは父親が違う兄弟ということに
なるのです。この驚くべき説は、『イエスの王朝』のジェイムズ
・D・テイバーによるものであり、詳しくは同書を参照されるこ
とをお勧めします。  ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/29]


≪画像および関連情報≫
 ・『イエスの王朝/一族の秘められた歴史』より
  ―――――――――――――――――――――――――――
  まず、ヨセフはイエスの父親ではなかった。次に、名の知れ
  ない男のためにマリアが受胎したことは、社会の規範からし
  て「不法」だった。さらに、イエスには腹ちがいの弟4人と
  腹ちがいの妹が2人いて、みなマリアの子であるが、イエス
  とは父親が異なる――父親はヨセフもしくはその兄弟のクロ
  パとと思われる。
   ――ジェイムズ・D・テイバー著/伏見威蕃・黒川由美訳
          『イエスの王朝/一族の秘められた歴史』
              ソフトバンク クリエイティブ刊
  ―――――――――――――――――――――――――――

イエスの磔刑における2人のマリア.jpg
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2009年03月11日

●イエスの家族が秘匿された理由(EJ第1912号)

 マルコによる福音書で、イエスの磔刑の現場にいたもう一人の
マリア――「小ヤコブとヨセの母マリア」について、少し補足し
ておくことにします。
 ここで「小ヤコブ」というのは、同じ12使徒のヤコブ――ゼ
ベタイの子ヤコブと区別するためそう呼ばれるのです。つまり、
整理すると次のようになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     ゼベタイ の子ヤコブ ・・・ 大ヤコブ
     アルファイの子ヤコブ ・・・ 小ヤコブ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この考え方に立つと、ここでいう小ヤコブ――アルファイの子
ヤコブがイエスの弟のヤコブになってしまうのです。『イエスの
王朝』の著者であるジェイムズ・D・テイバーは、明言はしてい
ないものの、アルファイの子ヤコブがイエスの弟のヤコブではな
いかともとれる示唆をしています。
 その示唆とは、ジェイムズ・D・テイバーによるの次の興味深
い一文です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 クロパは、ヘブライ語で「変わる」あるいは「跡を継ぐ」とい
 う言葉から来ている。イスラム宗教的指導者を意味する「カリ
 フ」と語源はおなじである。つまり、クロパは正式な名ではな
 く、「呼び名」である可能性が高い。クロパは、子をなさずし
 て死んだ兄弟ヨセフの「跡を継いだ」のである。クロパはおな
 じ名のギリシャ語形で何度も登場する――アルファイである。
   ――ジェイムズ・D・テイバー著/伏見威蕃・黒川由美訳
          『イエスの王朝/一族の秘められた歴史』
              ソフトバンク クリエイティブ刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 もし、「クロパ・イコール・アルファイ」なら、アルファイの
子ヤコブは、イエスの弟のヤコブということてになります。しか
し、この「アルファイの子ヤコブ」については記述されているも
のがあまりにも少なく、あえてこれ以上詮索せずに先に進み、よ
く調査して改めて取り上げます。
 さて、これは推理ですが、イエスの置かれた状況は、ローマ帝
国や教会など、イエスを神としたい一派にとって、誠に都合がよ
かったといえます。それはこういうことです。
 イエスは聖母マリアの子供には違いないのですが、その父ヨセ
フの実子ではないのです。そこにどういう事情があったかは詮索
しないことにします。つまり、ヨセフはイエスを身ごもっていた
マリアと結婚したわけです。
 しかし、ヨセフはマリアとの間に子をなさないまま死亡したの
です。それはイエスが10歳になるかならないかの時点であった
と考えられます。そうすると、マリアは寡婦になり、レビレート
婚のしきたりによってヨセフの兄弟であるクロパと結婚し、6人
の子が生まれているということは昨日のEJで述べた通りです。
 この状況を利用して、イエスはマリアが処女懐胎したことにし
――それは神の子の証しであるとして宣伝したのです。しかし、
その一方においてこの論拠に立つと、聖母マリアのことや夫のヨ
セフ、イエスの家族、とくに義人ヤコブと呼ばれることになる弟
のヤコブについては徹底的に秘匿する必要があるわけです。
 実際に、聖母マリアやイエスの家族のことについては福音書な
どでは言及されていませんし、ましてイエスが結婚していたかど
うかなどにいたっては一切が秘匿されたままです。もし、そのよ
うな事実が出てきたら、せっかく組み立てた論拠が一挙に瓦解し
てしまうからです。
 「ダ・ヴィンチ・コード」の原作のティーピング邸でのシーン
に次の一節があります。最初のセリフはティピングです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「すでに話したように、イエスとマグダラのマリアの結婚は史
 実として記録されている」。本の山を掻き分けはじめる。「そ
 れに、イエスを既婚の男性とするほうが聖書に従って独身だっ
 たとする通説よりもはるかに理にかなっている。
 「どうして?」とソフィーは尋ねた。
 「イエスがユダヤ人だったからだよ」本を探すティーピングに
 かわってラングドンが言った。「当時の社会秩序は、男性が結
 婚しないことを事実上禁じていたんだ。ユダヤの慣習では、独
 身は批判され、息子にふさわしい嫁を見つけるのが父親の義務
 だった。もしイエスが結婚しなかったのなら、福音書のどれか
 がそれに言及し、独身という不自然な状態を通した理由につい
 てなんらかの説明をしているはずだ。ところが、そんな記述は
 どこにもない」。    ――ダン・ブラウン著/越前敏弥訳
  『ダ・ヴィンチ・コード(中)』より。角川文庫14158
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このラングドンの主張は、レビレート婚という驚くべき制度が
律法としてユダヤにあったことを知ると、きわめて現実味を帯び
てくると思うのです。
 イエスが結婚した相手がマグダラのマリアであるかどうかは別
として、イエスの磔刑の現場や埋葬の場面にマグダラのマリアが
立ち会っていたことは、聖母マリアよりもはっきりと福音書に記
述されているのです。
 これはマグダラのマリアがイエスの側近の使徒であり、イエス
が彼女を非常に重用していたことを示す証拠です。しかし、ダン
・ブラウンの主張のように、ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」のイ
エスの方から見て右に位置する人物はマグダラのマリアではなく
聖ヨハネであり、「イエスの愛しておられた弟子」については、
マグダラのマリアでも聖ヨハネでもないのです。これは、ダン・
ブラウンが小説を面白くするためのウソなのです。
 信頼できる史料から類推できるイエスの人生は33年間である
といわれますが、その33年間の史料が一切ないのです。そのよ
うな歴史上の人物があったでしょうか。
           ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/30]


≪画像および関連情報≫
 ・義人ヤコブに関するウィキペディアの記述
  ―――――――――――――――――――――――――――
  義人ヤコブ。三世紀の半ば以降、教父たちはイエスの兄弟で
  「義人」と呼ばれたヤコブが本書簡――「ヤコブの手紙」の
  著者であるとしてきた。彼は12使徒に含まれておらず、パ
  ウロが、『ガラテヤの信徒への手紙』で『主の兄弟』(1:
  19)、「教会の3人の柱の一人」(2:9)として言及す
  る人物である。   ――ウィキペディア「ヤコブの手紙」
  ―――――――――――――――――――――――――――

ジェイムズ・D・テイバー.jpg


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2009年03月12日

●マグダラのマリアはイエスの後継者か(EJ第2529号)

 このテーマを書き始めて本号で31回目になります。そろそろ
終わりに近づいていますが、ここで取り上げなければならないの
は、「ダ・ヴィンチ・コード」の主役であるマグダラのマリアの
イエスの教団での役割です。
 新約聖書にはマグダラのマリアの名前が12回登場します。少
なくとも彼女は次の4つのことをしているのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     1.イエスの磔刑を現場で見届けている
     2.イエスの埋葬に立ち会っている一人
     3.復活したイエスに最初に会っている
     4.イエスのことばを使徒に伝えている
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 イエスの磔刑の現場でイエスの最後を見届ける――その現場に
は12使徒をはじめ男性の弟子は誰一人いなかったのです。彼ら
はローマ兵に捕まることを恐れていたからです。それは、イエス
が最後の晩餐の席で既に見抜いていたように、ペテロが3回もイ
エスを知らないとウソをついたことで見えています。
 それでは、女性の使徒ならば許されたのでしょうか。そういう
律法があったわけではないのです。捕まる恐れもあったと思うの
です。それにもかかわらず、彼女は勇敢に磔刑の現場に立会い、
埋葬も見届けています。そういう意味でマグダラのマリアは弟子
たちの模範的な存在であったのです。だからこそ復活したイエス
は、最初に彼女の前に現れたのではないでしょうか。
 既出のダン・バースタインは、これについて次のように述べて
います。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 復活したイエスがマグダラのマリアの前に最初に現れたことは
 キリスト教徒にとってこの上なく重要ですし、そう考えるべき
 でしょう。というのも、キリスト教の根本的な教理は永遠の命
 の約束であり、キリストがこのメッセージを彼女に授け、世界
 に伝えさせたからです。女が目撃者になることを許さず、復活
 の知らせを伝える権利を男の弟子たちのものにしたのは、ユダ
 ヤ的、ヘレニズム的な女性差別でした。
         ――ダン・バースタイン著/沖田樹梨亜・訳
        『ダ・ヴィンチ・コードの「真実」』/竹書房
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 実は「マリアによる福音書」というのがあります。このマリア
はもちろんマグダラのマリアです。この福音書は125年――ヨ
ハネによる福音書が書かれた約50年後に成立しています。
 「マリアによる福音書」は、新約聖書の外典のひとつであり、
女性の名前を冠した唯一の福音書です。これを読むと、マリアは
今でいう超能力者――幻視を見る力に恵まれた預言者のような存
在であり、イエスから個人的に教えを受けたことを男の弟子たち
に伝えていることがわかります。
 例えば、マグダラのマリアが男の弟子たちを励ます様子は次の
ように伝えられています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 泣かないでください。悲しんだり、疑ったりしないで下さい。
 というのも彼の恵みが(今後も)しっかりとあなたがたと共に
 あり、あなたがたを護ってくれるのですから。それよりもむし
 ろ、彼の偉大さを讃えるべきです。彼が私たちを準備し、私た
 ちを人の中にあるものとして下さったのですから。
              ――「マリアによる福音書」より
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この記述は重要な意味を持っているのです。それは、4つの福
音書がこぞってペテロに対して認めているイエスの仲介者として
の地位を奪うものだからです。実は教皇の権威は、ペテロにまで
さかのぼるのであり、これはとても受け入れ難いことだったと思
われます。
 デトロイト・マーシー大学の宗教学と女性学の教授であるジェ
イン・シェイバーグは、ヨハネによる福音書を再検討したところ
イエスがマグダラのマリアを後継の預言者と考えていたことを物
語る箇所を発見したといっています。
 このように、マグダラのマリアの存在は、カトリック教会を揺
るがすものであり、それを徹底的に排除しようとしたのも十分理
解できることなのです。
 シェイバーグ教授は、教会が「マリアによる福音書」を外典と
し、マグダラのマリアを徹底的に貶めたのは、忘れられた男女の
戦いであって、この戦いで教父が勝利したために「教母」誕生の
きっかけが摘み取られたとしています。そして、現在われわれが
手にしている聖典は勝者が書いたものであり、これによって教会
における絶対的な男性優位思想が確立したといっています。
 この風潮は現在でもカトリック教会にはあり、前教皇のヨハネ
・パウロ2世は、1994年に女性司祭について議論するのも禁
止しています。そして、なぜ男性でなければならないかについて
イエスが12使徒をすべて男性からのみ選んでいることを根拠に
しているのです。
 「マリアによる福音書」と共に外典とされたものに「トマスに
よる福音書」、「フィリポによる福音書」、「ピスティス・ソフ
ィア」などがあります。これらによると、マグダラのマリアは、
12使徒よりも、はるかにイエスに近く、その奥義を授かった女
性とされているのです。だからこそ、これらの福音書は外典とさ
れたのです。
 このような状況ですから、イエスの磔刑のあと、マグダラのマ
リアはパレスチナから姿を消しています。おそらく身の危険を感
じたからでしょう。12使徒の中でとくにペテロとの対立は先鋭
化していたのです。
 どこに行ったのか――これは伝説となっているのですが、もっ
とも有力な説としてフランス(当時のガリア)へ渡ったという説
があります。現在のプロヴァンスです。
           ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/31]


≪画像および関連情報≫
 ・マドレーヌの由来
  ―――――――――――――――――――――――――――
  よく知られた焼き菓子マドレーヌは、マグダラのマリアとか
  かわりがある。クッキーとパンを合わせたようなこの菓子は
  昔から、卵とバターと小麦粉と砂糖で作られている。マルセ
  ル・プルーストに超長編小説『失われた時をも求めて』を語
  らせたのは、マドレーヌを口にした瞬間によみがえった郷愁
  に満ちた思い出だった。伝説によると、コメルシの町の女子
  修道院の修道女たちが、マドレーヌを考案したか完成させた
  かして、マグダラのマリアに献じたらしい。その後、民間の
  パン職人たちに相当な額でレシピを売り、フランス革命で修
  道院が閉鎖されたあとの暮らしを立てたという。マドレーヌ
  はフランス各地に拡がったが、マグダラのマリアの祝日にあ
  たる7月22日には、特にたくさん焼かれていた。
         ――ダン・バースタイン著/沖田樹梨亜・訳
        『ダ・ヴィンチ・コードの「真実」』/竹書房
  ―――――――――――――――――――――――――――

マドレーヌとマグダラのマリア.jpg

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2009年03月13日

●聖杯伝説とは何か(EJ第1914号)

 イエスのことを調べてみて、新しくわかったことがいくつもあ
ります。そのひとつに「磔刑」があります。それは、日本の磔刑
とギリシャ・ローマの磔刑が根本的に異なるということです。
 日本の場合、受刑者を十字架に縄で固定し、執行役2人が左右
から槍で脇腹から肩にかけて刺すのです。受刑者は2〜3回で絶
命しますが、その後も30回ほど刺すことを繰り返すことになっ
ているそうです。
 しかし、ギリシャ・ローマの磔刑はもっと残酷なのです。受刑
者は十字架の横木に手首を縄ではなく釘付けにされます。宗教画
によく見られるように手のひらに釘を刺すのではないのです。手
のひらに釘を打つと、自分の体重を支えきれず手が裂けて体が落
ちてしまうので、手首のとう骨と尺骨の間と手のひらの付け根の
手根骨との間に釘を打つのです。
 これなら、何とか体重を支えられるのです。さらに十字架の下
部に足を支える台を作り、そこに足を乗せさせて自重の負荷を減
少させます。そして、そのまま放置するのです。槍を持った兵士
はいますが、槍で刺して殺すのではないのです。
 要するに、すぐには殺さないのです。したがって、何日も生き
ながらえる受刑者もいるそうですが、そういうときは斧で脚を折
り、絶命させるのです。脚を折られると、全体重が手首にかかっ
て大出血を起こし、絶命します。槍で刺すのは生きているのか死
んでいるのかわからないときに確認のために刺すのです。
 したがって、受刑者の家族は十字架の下にいて、声をかけたり
することはできたようです。マグダラのマリアや聖母マリアが十
字架の下にいたのはそのためです。イエスの磔刑の絵画には、イ
エスの架けられた十字架の下でひざまづいて嘆き悲しむ数人の女
性が描かれています。
 実はローマの最高法院の議員の中にひそかにイエスを支持する
アリマタヤのヨセフという人物がいたのです。ヨセフは死刑執行
役の兵士に、イエスは既に死んでいるから、どうか脚を折らない
で欲しいと懇願したのです。そこで、兵士はイエスを槍で刺して
死亡を確認したといわれます。この兵士はローマ百卒長のロンギ
ヌスというのですが、後年その槍は聖槍――ロンギヌスの槍とし
て有名になるのです。
 そのとき、イエスの身体からしたたり落ちる血を受けた杯があ
るといわれています。いわゆる「聖杯」です。この聖杯でワイン
を飲むと、永遠の命を授かるという伝説がヨーロッパにはあるの
です。これが「聖杯伝説」です。
 この聖杯と聖槍を取り上げたオペラが、ワーグナーの最後の作
品――楽劇「パルジファル」です。その演奏時間は、実に4時間
30分に及びます。このオペラを観るときは、そのプロットと制
作の背景をよく勉強してご覧になることをお勧めします。
 さて、このアリマタヤのヨセフの行動から、イエスは実は死ん
でいないという俗説が後から生まれることになります。「ダ・ヴ
ィンチ・コード」では、ティーピングの言葉として、マグダラの
マリアはこのアリマタヤのヨセフの助けで南フランスに落ちのび
たといっています。そして、その南フランスのレンヌ・ル・シャ
トーにおいて、マグダラのマリアの子孫がメロヴィング朝を創始
したという伝説も存在するのです。
 「ダ・ヴィンチ・コード」では、聖杯はマグダラのマリア自身
であり、その血脈ということになっています。小説の中のシャト
ー・ヴィレットのシーンにおけるラングドンのセリフに次のよう
なものがあります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 聖杯とは、忘れ去られた女神の象徴だ。キリスト教が栄え続け
 たといっても、古代の異教がやすやすと滅びたわけじゃないん
 だ。失われた聖杯を探す騎士たちの伝説は、実のところ、失わ
 れた聖なる女性を追い求める禁じられた探索の物語なんだよ。
 騎士が「杯を探す」と語るのは、隠語を用いることで、教会の
 弾圧から身を守るためだ。教会は女性を隷属させ、女神を追放
 し、屈しない者を火刑に処し、聖なる女性を崇める異教を弾圧
 してきたんだから。
             ――ダン・ブラウン著/越前敏弥訳
  『ダ・ヴィンチ・コード(中)』より。角川文庫14158
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 聖杯とは、聖なる血脈――王家の血脈を意味しているのです。
「ダ・ヴィンチ・コード」では、イエスとマグタラのマリアは結
婚しているとの前提に立って、シオン修道会の総長をしていたソ
ニエールによって大事に育てられた孫娘ソフィー・ヌヴーがイエ
スとマグダラのマリアの聖なる血脈の末裔という想定になってい
るわけです。
 「ダ・ヴィンチ・コード」の終わりの部分で、ソニエールに妻
のマリー・ショーヴェルが元気でいることが明らかになります。
これは、マリー・ショーヴェルの話で明らかになるのですが、ソ
フィーの両親はメロヴィング朝の出身――すなわち、イエスとマ
グダラのマリアの直系の子孫なのです。
 しかし、ソフィーの両親が自動車事故で死亡したために、ソニ
エールは重大な決断をするのです。それは、事故が仕組まれたも
のではないかと考えたからです。自動車事故ではソニーと彼女の
弟が助かったのですが、ソニエールはソフィーを手元に引き取り
妻のマリーは弟を引き取って、スコットランドのロスリン礼拝堂
の近くで暮らすことにしたのです。血脈を守るためです。
 ところが、ソニエールがソフィーに重大な秘密を明かす前にソ
ニエールがシラスに撃たれて死に直面することになり、あのよう
な奇妙な細工をせざるを得なくなったのです。
 しかし、このいきさつは、「ダ・ヴィンチ・コード」の原作を
読まずに映画だけを観た人には少しわかりにくいと思うのです。
とにかく映画には説明が多く欠落しており、最終台本とも内容は
一致していないのです。カトリック教会などからの何らかの圧力
があったのでしょうか。・・・[ダ・ヴィンチ・コード/32]


≪画像および関連情報≫
 ・ワーグナー/楽劇『パルジファル』について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  パルジファル(Parsifal)はリヒャルト・ワーグナーが作曲
  した最後のオペラ。この作品をワーグナーは「舞台神聖祝祭
  劇」と呼んでいる。台本も作曲家自身による。中世(10世
  紀ごろ)スペインのモンサルヴァート城及びクリングゾルの
  魔の城を舞台とする。『パルジファル』の題材となった聖杯
  伝説は、キリスト教に基づく伝説である。だが、『パルジフ
  ァル』は誘惑に負けたアンフォルタスの救済が、単に純潔と
  いうだけでは達成されず、共に苦しんで知を得る愚者によっ
  てなされる、という「神託」の実現が物語の中核をなしてお
  り、キリスト教的というより、むしろ独自の宗教色を示して
  いるといえる。           ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

ソフィーの祖母.jpg
ソフィーの祖母 



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2009年03月16日

●レンヌ・ル・シャトーの暗号文(EJ第1915号)

 マグタラのマリアがイエスの磔刑のあと、海路南フランスに渡
ったというのは本当のようです。『マグダラとヨハネのミステリ
ー』の著者は次のように記述しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 マグダラのマリアは、磔刑のあとすぐに姉弟のマルタやラザロ
 そのほかの数名――その名前は版によって異なる――と共に、
 現在のプロヴァンス海岸に海路辿り着いた。版によつて異なる
 登場人物としては、イエスの72人の弟子でプロヴァンス最初
 の伝説的な司教サン・マクシャン(聖マクシミヌス)、イエス
 の叔母といわれるマリア・ヤコビとマリア・サロメ、サラとい
 う黒人の下僕少女、通常グラストンベリーの物語と結びつけら
 れるイエスの裕福な友人アリマタヤのヨセフがあげられる。
  ――リン・ピクネット&クライブ・プリンス著、『マグダラ
    とヨハネのミステリー/2つの顔を持ったイエス』より
                         三交社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 プロヴァンスに着いたマグダラのマリアの一行がその後どこに
行ったかについては諸説があります。しかし、南フランスのカル
カソンヌの近くのレンヌ・ル・シャトーにはマグダラのマリアの
痕跡が数多く残されているのです。
 レンヌ・ル・シャトーに関わる謎に関しては、既にご紹介して
いるヘンリー・リンカーンの『隠された聖地』/河出書房新社刊
が非常に面白いと思います。レンヌ・ル・シャトーの不思議な物
語については、既にEJ第1891号〜1893号でベランジェ
・ソニエール神父に関連して取り上げています。
 しかし、『隠された聖地』の主張によると、レンヌ・ル・シャ
トーは、村そのものが聖なる女性の象徴である五芒星が溢れるミ
ステリー・スポットであるというのです。聖なる女性の象徴とは
マグダラのマリアを指しています。
 『隠された聖地』の監訳者の荒俣宏氏は、この本を1992年
に北イタリアを旅していたときに書店で見つけたそうです。本の
内容に魅せられた荒俣氏は、その後何度もレンヌ・ル・シャトー
に出かけて調査した上で、本の翻訳に取り組んだのです。
 ダン・ブラウンは「ダ・ヴィンチ・コード」ではレンヌ・ル・
シャトーの謎については全くふれていませんが、「ダ・ヴィンチ
・コード」を読んで面白いと思った読者はぜひ『隠された聖地』
を読まれることをお勧めします。きっとその面白さのトリコにな
ってしまうでしょう。
 中世において、レンヌ・ル・シャトーの地は、テンプル騎士団
のグランドマスターを務めたブランシュフォールが支配していた
のですが、その後テンプル騎士団はヴァチカンに危険視されて全
滅し、その秘密は姻戚のヴォアサン家に伝えられたのです。
 しかし、ヴォアサン家もフランス革命直後の1781年に最後
の血統であるマリー・ド・ネグレの死によって断絶しています。
そのマリー・ド・ネグレは、臨終の席にビゴーという神父を呼ん
ですべての秘密を打ち明けていたのです。
 ビゴー神父はマリー・ド・ネグレをレンヌ・ル・シャトーにあ
る聖マグダラのマリア教会に埋葬するとともに、漏らされた秘密
を暗号化して文書にまとめ、レンヌ・ル・シャトー教会の中に隠
したのです。それをレンヌ・ル・シャトー教会に赴任してきたベ
ランジェ・ソニエール神父が見つけたというわけです。
 発見された文書は2枚の羊皮紙です。添付ファイルのAはその
一つです。内容は安息日にトウモロコシ畑を歩くイエスと使徒の
話であり、ラテン語で書かれています。当時の神父はラテン語は
読めたので、ソニエールは内容を理解できたはずです。
 ここに暗号が隠されているのですが、それほど難しいものでは
なく、素人でも解ける程度の暗号なのです。文をよく見るとおか
しな部分が多くあることがわかります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   1.余白があるのに単語の途中での改行がある
   2.明らかに上部に飛び出している文字がある
   3.意味の不明な「+」印が文中に2箇所ある
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 全部で14行ありますが、各行で上に飛び出している文字をひ
ろって並べると、次のフランス語になります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 A DAGOBERT II ROSI A SION EST CETRESOR ET IL EST LA MORT
 この財宝はダゴベルト2世王とシオンに属す。彼はそこに死す
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 EJ第1909号で述べたように、ダゴベルト2世は、レンヌ
・ル・シャトーで暮らしていたことがあります。暗号文はその財
宝についてふれているのです。しかし、これは単なる秘密の表紙
のようなものに過ぎないのです。
 続いて、文中の「+」印と「+」印を線で結びます。斜めの赤
線が引かれていますが、線が横切る文字に注目すること。「S」
「I」「O」の3文字です。そこで、線をそのまま左下に伸ばし
てぶつかる文字を見ると、「N」になります。つまり、「SIO
N」になるわけです。「SION」は、シオン、ザイオン――つ
まり、エルサレムを意味することばです。しかし、この言葉その
ものに意味があるわけではなく、暗号を解こうとしてやっている
ことが間違っていないことを示すサインと思われます。そして三
角形が誘導されます。これがBです。
 このようにして、暗号を解いていくのですが、この文書に関し
ては最終的にCのようになります。そこには五芒星があらわれて
いるのです。ソニエール神父はこの謎を解いて、大金を手にした
ものと思われます。
 レンヌ・ル・シャトーに隠された謎はこの程度のものではなく
もっと奥が深いのですが、残念ながら、そのすべてをご紹介する
スペースはありません。あとは『隠された聖地』を読んでいただ
きたいと思います。  ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/33]


≪画像および関連情報≫
 ・シオン(SION)について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  シオンはエルサレム地方の歴史的地名。もとダビデの支配下
  に入ったエブス人の町として登場する地名だが、神殿の丘の
  別名となり、後にエルサレム全体、さらにイスラエルの地全
  体への形容詞ともなった。シオンの丘というものが存在する
  シオニズムの語源になる。
  ―――――――――――――――――――――――――――

暗号解読/隠された聖地.jpg
暗号解読/隠された聖地
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2009年03月17日

●救世主イエスとハッカーのネオ(EJ第1916号)

 『マトリックス』という映画があります。EJでは次の期間に
9回にわたってこの映画を取り上げたことがあります。
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   2003年12月15日/EJ第1252号
      〜2003年12月19日/EJ第1256号
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 それが、なぜ、いま『マトリックス』なのかというと、この映
画が明らかにイエス・キリストの物語をベースにしているからで
す。キリストをテーマにした映画はたくさんあります。思いつく
ままにいくつかあげてみましょう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.『パッション』/2004年
 2.『ジーザス・クライスト・スーパースター』/1973年
 3.『キング・オブ・キングス』/1961年
 4.『ベン・ハー』/1959年
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 一番新しい映画は、2004年のメル・ギブソン主演の『パッ
ション』です。メル・ギブソンがかなり熱心なクリスチャンであ
ることは、欧米では有名な話だそうです。
 ところで、この『マトリックス』も立派なキリスト映画である
と考えます。そこでこの映画に関連させて、イエスとマグダラの
マリア論を書いてみたいと思います。映画『マトリックス』をご
覧になっていなくてもわかるように書くつもりです。
 映画『マトリックス』には最初から「救世主」という言葉が何
回も使われます。最初に使われるのは、コンピューター・プログ
ラマのネオの自宅に注文したデータを取りにきたチョイという男
の次のセリフです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ハレルヤ!あんたはおれの救世主だ。おれにとってはイエス・
 キリストだ!                 ――チョイ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 チョイは、ある種の違法ソフトウェアの収集をネオに依頼して
いたのです。そのときネオは、この取引については誰にもいわな
いでくれとチョイに頼むのですが、チョイはそれを了解します。
このシーンは、マルコによる福音書においてイエスが救世主であ
ることを隠そうとする話によく似ています。
 映画『マトリックス』のプロットを簡単にいうのは難しいので
すが、次のような映画であると思ってください。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 大手ソフトウェア会社に勤めるプログラマ、トーマス・アンダ
 ーソンは、あらゆるコンピュータ犯罪を犯すハッカーのネオと
 いうもう一つの顔があった。ある夜、モーフィアスという人物
 からメッセージが届く。「follow the white rabbit ――白ウ
 サギについていけ」。やがてネオは今まで現実だと思っていた
 世界がコンピューターの反乱によって作られた仮想現実だと知
 らされる。現実の世界では人類は養殖されており、ネオはAI
 マシンとの壮絶な戦いに巻き込まれる。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 つまり、ネオは圧倒的なAIマシンの攻撃から人類を救い出す
救世主という役どころなのです。ネオを支えるのは、ネブカドネ
ザル号の船長モーフィアスとトリニティ、タンク、サイファー、
ドーザー、エイポック、スイッチ、マウスの乗組員7人の計8人
――残念ながら12人ではないのですが・・・。
 しかし、ネブカドネザル号のクルーとイエスの教団と酷似して
いる点が2つあるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      1.乗組員の中に兄弟がいること
      2.ネオが何者かわかっていない
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 12使徒の中にはゼベタイの子のヤコブとヨハネの兄弟がいま
すが、ネブカドネザル号のクルーの中にも兄弟がいるのです。こ
れはとても偶然とは思えず、意識してそうしたとしか考えられな
いのです。これが酷似している点の第1です。
 イエスの12人の使徒たちも群集も実はイエスが何者か本当は
わかっていなかったのです。確かにイエスは人並みはずれた存在
であることはわかってはいたものの、果たして真の救世主である
かどうかについては、心から信用している者から疑っている者ま
でかなりの温度差があったと思うのです。
 だからこそ、イエスがローマ兵に捕らえられ、裁判にかけられ
ても何もできないのを見ると、とたんに手のひらを返して「死刑
だ!十字架だ!殺せ!」と叫ぶのです。
 映画『マトリックス』でも、ネオを心から救世主であると信ず
るモーフィアスやトリニティから、頭からそれを否定しているサ
イファーまで大きな温度差があります。モーフィアスは別として
トリニティでさえも最初のうちはネオが真の救世主であるかどう
かは信じ兼ねていたのです。
 そして、映画を観ている観客にも、ネオが救世主であるかどう
かについて判断を下せるほどの情報は与えられていないのです。
そういう情報を与える主体として預言者のオラクルというのが登
場しますが、彼女は何一つそのための判断を下せる情報を喋って
いないのです。どちらともとれる情報ばかりです。
 ネオの力が最初に発揮されるのは、モーフィアスが捕まり、監
禁され、自白剤を打たれて、人類が隠れ住む地底都市ザイオンの
コードを吐かせられる寸前に追い込まれたときです。もし、コー
ドを教えてしまうと、機械軍団はザイオンに総攻撃をかけ人類は
滅びてしまうことになります。
 こういう絶体絶命のときにネオは立ち上がり、トリニティと一
緒に敵の巣窟に対してヘリコプターを使い、信じられないエネル
ギーでモーフィアスを救出し、結果として人類を救います。まさ
に救世主です。    ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/34]


≪画像および関連情報≫
 ・映画『マトリックス』のあらすじ
  ―――――――――――――――――――――――――――
  人類にとって機械は良きパートナーだった。人間はより高性
  能の機械を創造し、世の中を便利にしていった。あるとき一
  体のロボットが、不満から人間を殺してしまう事件が発生し
  た。知性があるまでに進化したロボットは裁判を受け有罪と
  なってしまう。この事件を契機として日頃機械に敵意を持っ
  ている人間は器械を迫害する。
      http://www.fujigoko.tv/rev/prof/doc6/index.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

救世主/ネオ.jpg
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2009年03月18日

●トリニティはマグダラのマリアである(EJ第1917号)

 プラトンの哲学に「人間とは洞窟内に鎖でつながれ、手のこん
だ人形芝居を眺めている囚人である」という比喩があります。映
画『マトリックス』を制作したウォシャウスキー兄弟は、どうや
らこの比喩を現実化したものと考えられます。
 『マトリックス』の状況設定はこうなっているのです。未来の
人類は、愚かな核戦争などの影響によって太陽を失い、地表は人
の住めない荒涼たる世界に変わってしまっていたのです。
 その頃の機械はというと、人間の知性とほとんど変わらないレ
ベルに達しており、そのエネルギーは太陽電池から受けていたの
です。しかし、太陽を失ってしまったので、賢い機械は人間をエ
ネルギー源にしようと考えます。
 人間は生体電気を生み出す120ボルト以上のバッテリーにな
り得るのです。地球上の人間を全部接続してしまえば巨大なエネ
ルギーになる――機械たちはそう考えて実行に移したのです。し
かし、人間にそれと気付かれないように、脳に接続されたバイオ
ポートを通じて、人間は現代のわれわれの世界と何も変わらない
仮想現実の世界――マトリックスに住んでいるように錯覚させら
れているのです。ここでは人間は繭状容器に昏睡状態で横たわり
機械にエネルギーを供給し続けるだけという惨めな状況に置かれ
ていたのです。
 しかし、こういう状況から脱出した一部の人類がいるのです。
彼らは暖かさを求めて地球の核近くに地底都市ザイオンを作り、
そこに移り住んで、長い間に相当な規模の人口をかかえるまでに
なっていったのです。
 モーフィアスやトリニティたちは、ザイオンを守って戦う戦士
です。頻繁にマトリックスに出入りして機械たちと壮絶に戦って
きています。その努力によって、機械たちは依然としてザイオン
の所在を正確には把握できないでいます。そこで、機械たちの指
令で動くエージェントは、モーフィアスを捕らえて、自白剤を飲
ませ、ザイオンのコードを聞き出そうとします。そのモーフィア
スをネオとトリニティは一大活劇を演じて救出したことは昨日の
EJで述べた通りです。
 トリニティ――モーフィアス船長の部下でネオとともに機械軍
団と戦う女性の戦士です。この役柄は明らかにマグダラのマリア
そのものです。トリニティはつねにネオと行動を共にし、何かと
彼の身の回りの世話をしています。それでいて、エージェントと
戦うときは滅法強く、男社会にあってひときわ目立つ存在の女性
です。マグダラのマリアもイエスのいつもそばにいて、イエスが
最も信頼していた弟子であったといわれています。
 決定的なことは、トリニティは、ネオがエージェントに撃たれ
て死亡したときそばにいたし、その後ネオが生き返ったときも最
初に気がついたのも彼女なのです。このネオの死をイエスの復活
と考えるとき、トリニティの役柄は明らかにマグダラのマリアそ
のものということになります。
 この「復活」――キリスト教神学の中心ですが、この思想を確
立したのはパウロなのです。これについて、ポール・フォンタナ
は、次のように述べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「コリント人への第一の手紙」第15章は、新約聖書の中でも
 最も神学的に重要な章だが、ここでパウロは復活――イエスと
 イエスを信じる者の終末における完全な復活――キリスト信仰
 の中心だと語っている。このことがわれわれの議論にとって重
 要なのは、パウロが復活した体をどのように描いたかがわかる
 からだ。パウロは「ソーマ・プニュマティコン」(「コリント
 人への第一の手紙」第15章44節)という謎の言葉を使って
 いるが、「霊のからだ」と訳されている。
 ――グレン・イェフェス編/小川隆ほか訳「『マトリックス』
 完全分析」/ポール・フォンタナ「『マトリックス』のなかに
                 神はいる」より。扶桑社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 パウロのいう「ソーマ・プニュマティコン」は、学者の間でも
いろいろ議論があるようですが、映画『マトリックス』ではそれ
がどういうものであるかを実際に目にすることができるのです。
 それは、モーテルの303号室でエージェントの拳銃で死ぬ前
のネオと、一度死んで復活した後のネオの違いに注目してみるこ
とによって容易にわかります。
 ゆっくりと起き上がるネオを見て驚く3人のエージェントは、
一斉に銃弾をネオに浴びせます。しかし、銃弾はネオの前ですべ
てストップし、床にバラバラ落ちるだけです。一人のエージェン
トはネオに飛びかかると、ネオは片手を後ろにまわしたままで簡
単に撃退し、逃げるエージェントの身体の中に飛び込んで、内部
から破壊する――エージェントは全く為すすべがないのです。さ
らにスーパーマンさながら空を飛び、人間にとって、電磁パルス
しか攻撃方法のない機械軍団のセンティネルを仮想現実の世界で
あるマトリックスの中でないのに、片手で止めたりするのです。
明らかに復活前とはパワーが異なるのです。
 イエスにしても同じです。復活後のイエスは白く輝き、水の上
を歩いたりしていますが、これが「ソーマ・プニュマティコン」
なのです。「コリント人への第一の手紙」第15章には、次の有
名な一節があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 まかれるときは朽ちるものでも、朽ちないものによみがえり、
 まかれるときには卑しいものでも、栄光あるものによみがえり
 まかれるときには弱いものでも、強いものによみがえる。
   ――「コリント人への第一の手紙」第15章42〜43節
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 復活後のネオは本当に強く、強いもの、栄光あるもの、朽ちな
いものに甦っています。まさに「ソーマ・プニュマティコン」そ
のものです。明らかにネオはイエスを意識して描かれたものであ
ることは確かです。  ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/35]


≪画像および関連情報≫
 ・トリニティという言葉の由来
  ―――――――――――――――――――――――――――
  モーフィアスに信頼を寄せ、ネオを深く愛するサイバー戦士
  トリニティ。その名はキリスト教の、父なる神・子なる神・
  聖霊は元来一体のものという「三位一体」の精神――3つの
  ものが1つに心を合わせることに由来する。
  ―――――――――――――――――――――――――――

戦士トリニティと救世主ネオ.jpg

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2009年03月19日

●青いカプセルか赤いカプセルか(EJ第1918号)

 イエス・キリストの物語で欠くことのできない登場人物の一人
はユダです。映画『マトリックス』でユダに該当する人物は、ネ
ブカドネザル号のクルーの一人「サイファー」です。
 彼は、ネオと同様にモーフィアスの出した青と赤のカプセルの
うち、赤のカプセルを飲んで、マトリックスから抜け出したので
すが、マトリックスの外の現実世界の厳しさに耐えかねて、赤で
はなく青いカプセルを飲むべきであったとあとで悔やむのです。
 サイファーが仲間に隠れてエージェント・スミスとレストラン
で会う場面は、ユダが祭司長カヤバと会ってイエスを裏切る相談
をする場面とよく似ています。
 彼はスミスに仲間を裏切る代償として、自分の記憶をすべて消
して仮想現実の世界に戻してくれと頼むのです。そして権力のあ
るVIPか人気俳優にして欲しいと要求し、スミスから「思いの
ままだ」という約束を引き出したうえで、裏切りを決意します。
 「サイファー」――この言葉には、「秘密のメッセージ」とか
「ゼロ」という意味があります。これは「マルコによる福音書」
の次の言葉と関連があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人
 の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方がその者のた
 めによかった。            ――第14章21節
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これはユダのことをいっているのですが、ここでいう「生まれ
なかった方がその者のためによかった」というのは、すなわち、
生まれない――何もない、ゼロであることを意味していると考え
られるのです。
 サイファーの裏切りは、操縦士タンク以外のほとんどのクルー
がマトリックスに入っているときに行われ、3人のクルーがあっ
さりと死亡します。マトリックスに入っているときに脳幹に差し
込まれているケーブルを引き抜かれると、人間は生きてはいられ
ないのです。つまり、ネブカドネザル号の内部には絶対に敵を入
れてはならないのです。
 しかし、操縦士のタンクは負傷しながらも、サイファーを殺し
モーフィアス船長以下のクルーの命を助けるのです。このタンク
は、イエスの物語ではペテロに擬せられると思います。
 タンクは、最初のうちはネオが救世主であることをあまり信じ
ていなかったのですが、ネオがモーフィアスを救い出したことに
心底驚き、ネオが救世主であることをはじめて信じるのです。
 イエスの12使徒も、イエスに従いながらも、イエスのことが
よくわかっていなかったのです。彼らが心からイエスが救世主で
あると信じたのは、イエスが復活してからなのです。また、イエ
スは復活については何も予言していないのです。したがって、そ
れが現実に起こったとき、彼らは驚愕し、そしてはじめてイエス
の教えの深い意味を悟ったのです。
 とくにペテロは、イエスが逮捕され、群集からイエスと一緒に
いたことを指摘されると3回にわたって否定するなど、彼自身も
気がついていなかったように、イエスを心底からは信じてはいな
かったのです。
 映画『マトリックス』で、イエスが死んだとき、あのモーフィ
アスでさえも「まさか!」と叫んだのです。彼はネオが死ぬとは
考えていなったのです。ただひとり、ネオが死んだときも息のな
いネオをやさしく抱き、死んだことを信じず、動じなかったのは
トリニティただひとりなのです。その彼女の中にマグダラのマリ
アの本質が見えてくるといえないでしょうか。
 それでは、モーフィアスは聖書では誰に該当するでしょうか。
 モーフィアスは、これから救世主が現れることを告げる役割を
担い、一貫して救世主の出現を信じています。それからもうひと
つ、最初のころネオをいろいろ指導しています。マトリックスと
現実世界、そしてカンフーを含むマトリックスでの行動のあり方
など、モーフィアスはネオの指導教官を務めています。
 聖書の中でイエスに対し、そういう役割を担える人物は一人し
かいないのです。それは、洗礼者ヨハネです。
 「ヨハネによる福音書」の中で洗礼者ヨハネは、自分は重要な
存在ではないことを強調し、次のようにいっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 あなたがたの知らないかたが、あなたがたのなかにおられる。
 それがわたしのあとにおいでになる方であって、わたしはその
 人の履き物のひもを解く値うちもない。
       ――「ヨハネによる福音書」第1章26〜27節
 その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこれらるのを見ていっ
 た。「見よ、世の扉を取り除く神の子羊。『わたしのあとにく
 る方はわたしよりすぐれた方である。わたしより先におられた
 方である』とわたしがいったのは、この人のことである」。
       ――「ヨハネによる福音書」第1章29〜30節
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このように映画『マトリックス』は、イエスの物語と多くの共
通性があります。したがって、キリスト教的テーマに関心のある
人がこの映画をその観点に立って何回か繰り返して観れば、とて
も興味深い事実をいくつも発見できるはずです。
 ここまでのいわゆるマトリックス論は、次の本のポール・フォ
ンタナの論文「『マトリックス』のなかに神はいる」に基づいて
います。この本には、映画『マトリックス』に関する質の高い論
文が14本も掲載されており、とても読み応えがありますので、
ご一読をお勧めします。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     グレン・イェフェス編/小川隆ほか訳
     『マトリックス完全分析』 扶桑社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 明日からはいよいよしめくくりです。今回のテーマは15日で
終了します。     ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/36]


≪画像および関連情報≫
 ・「自由と赤いカプセル」/ピーター・J・ベトケ
  ―――――――――――――――――――――――――――
  『マトリックス』は、自由な選択という重荷が人間に引き起
  こす根本的なジレンマを見事に描いた作品だ。もし「青いカ
  プセル」を選んで重荷から逃げ出せば、人は意義ある人生を
  生きることができない。人生を経験することはできてもそれ
  は生きることではないのだ。反対に「赤いカプセセル」を選
  んでウサギの穴に奥深く入りこんだなら、われわれは厳しい
  道徳的な選択をしたり、ときに誤った決断をしたり、人間関
  係で傷ついたりといった現実と向きあっていかなければなら
  ない。しかし、われわれは同時に冒険や達成の喜びを知る。
  人間は、モーフィアスが迫った選択に応じてはじめて、人生
  を謳歌することができるのだ。そして応じたあとで真に問題
  となるのは、元に戻れるか否かではなく、戻れたとしても戻
  りたいか否かということになる。
           ――前掲『マトリックス完全分析』より
  ―――――――――――――――――――――――――――

モーフィアスとトリニティ.jpg
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2009年03月23日

●四行詩の謎を解く/ニュートンの墓(EJ第1919号)

 マグダラのマリア――すなわち「聖杯」は現在どこに眠ってい
るのか。そこには王家の血筋を示すサングリアル文書も一緒にあ
るはずである――後半の「ダ・ヴィンチ・コード」の関心はこの
一点に尽きるといえます。
 そのカギはあのクリプテックスにあるとして、英国に向かう飛
行機の中でティーピングとラングドンはクリプテックスを開ける
キーワード探しに取り組みます。そして、ティーピングは、その
キーワードが「SOFIA」であることを発見します。
 そしてクリプテックスを開いたところ、羊皮紙にくるまれて、
さらに小さな黒の縞大理石でできているクリプテックスが出てき
たのです。つまり、クリプテックスは二重構造になっていたわけ
です。その羊皮紙には次の四行詩がしたためられていたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      教皇の葬った騎士がロンドンに眠る
      彼の者の労苦の果は神の怒りを被る
      その墓を飾るべき球体を探し求めよ
      それは薔薇の肉と種宿る胎とを表す
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 映画ではそういう複雑な構造のクリプテックスを作るのは困難
であるとして別の方法で羊皮紙を取り出しています。さて、この
四行詩から、ウェストミンスター寺院にあるサー・アイザック・
ニュートンの墓が導き出されるのですが、原作を読まないで映画
だけを観た人は、おそらくその謎解きのプロセスはわからなかっ
たのではないかと思います。
 謎解きのカギは一行目の詩にあるのです。英文を付けておきま
すから、一緒に見ていただきたいと思います。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     In London lies a knight a Pope interred
     教皇の葬った騎士がロンドンに眠る
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ここで「Pope」を「教皇」と訳していますが、これが問題なの
です。教皇と訳すと、「教皇の葬った騎士」とは「教皇が殺した
騎士」という意味になるので、テンプル騎士団であると考えてし
まいます。そこで、英国のテンプル教会に行くのです。
 しかし、「Pope」はアレグザンダー・ポープという人の名前で
であって、教皇のことではないのです。これを発見したのは、ラ
ングドンとソフィーですが、キングス・カレッジの電子データ・
ベースからそれを見つけたのです。
 原作では実際にキングス・カレッジの宗教学資料館に行って、
パメラ・ゲタムという司書の力を借りて検索するのに対し、映画
では、バスの中である青年の携帯電話を借りて、データベースに
アクセスし、サー・アイザック・ニュートンにたどり着く設定に
なっています。映画でのその様子を再現します。「ラ」はラング
ドン、「青」は青年です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ラ:ロンドン中の墓がヒットしている。検索することばを絞ろ
   う。「騎士」「ロンドン」「教皇(ポープ)」「球体」・・
 ラ:(キーを打ちながら)
   「聖杯」「薔薇」「サングレイル」「杯」・・・
 青:それじゃ、だめだよ。ブール検索をかけないと。
 ラ:できるかい。
 青:任せて――信じられないほどのスピードでキーを打つ
 青:何だかおかしいな。行き詰まっているぞ。違う意味のこと
   ばがヒットしている。入力したキーワードの検索結果はど
   れも「アレグザンダー・ポープ」という名前なんだ。
 ラ:ソフィー、ミスター・ソニエールは天才だ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 原作では、宗教学資料館のデータベースから、検索キーワード
に含まれる次のテキストを呼び出しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 名誉ある勲ナイトサー・アイザック・ニュートンは−−
 1727年にロンドンで――
 ウェストミンスター寺院にある墓は――
 友人および同僚であったアレグザンダー・ポープの司宰により
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 そうすると、四行詩の第1行は次のようになります。「Pope」
ではなく「a Pope」がそのままアレグザンダー・ポープを意味し
ているのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     In London lies a knight a Pope interred
     ポープの葬ったナイトがロンドンに眠る
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これにより、舞台はウェストミンスター寺院に移るのです。こ
の寺院にあるニュートンの墓で、三行目の詩「その墓を飾るべき
球体を探し求めよ」の謎を解くことになるのです。
 石棺の上で木に寄りかかっているニュートンの彫像――その奥
には巨大な球体を載せたピラミッドがあります。その大きな球体
には浅浮き彫りが施され、ありとあらゆる種類の天体が描かれて
いるのです。惑星もあれば、星座、黄道十二宮・・・球体だらけ
なのです。そして、ラングドンは、追い詰められた状況において
「APPLE/リンゴ」にたどりつくのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 その球体はイヴが口にして神の怒りを買った。原罪。聖なる女
 性の転落の象徴だよ。ニュートンの墓を飾るべき球体とは、天
 から降ってきて当人の頭にぶつかり、生涯の研究に啓示を与え
 た赤いリンゴをおいてありえない。ニュートンの苦労の果。薔
 薇の肉と種宿る胎。
             ――ダン・ブラウン著/越前敏弥訳
  『ダ・ヴィンチ・コード(下)』より。角川文庫14159
−−−−−−−−−−−・・・[ダ・ヴィンチ・コード/37]


≪画像および関連情報≫
 ・映画における「ニュートンの墓」において
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ニュートンの墓は細部の彫刻に至るまで完璧に再現されてい
  る。大理石と木でできた墓の外形は、発砲スチロールなどの
  はるかに軽い素材を使って複製された。高さが数階分に及ぶ
  セットは、分解してリンカーン大聖堂へ搬送され、その後ま
  た同じ手順で、約260キロ離れたロンドンシェパートン・
  スタジオに移された。――映画「ダ・ヴィンチ・コード」オ
  フィシャル・ムービー・ブックより
  ―――――――――――――――――――――――――――

ニュートンの墓.jpg
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2009年03月24日

●導師とはいったい誰なのか(EJ第1920号)

 映画/原作の「ダ・ヴィンチ・コード」における主役は、誰で
しょうか。
 ロバート・ラングドン(トム・ハンクス)とソフィー・ヌヴー
(オドレイ・トトゥ)でしょうか。それとも、リー・ティーピン
グ(イアン・マッケラン)でしょうか。
 俳優の格などを中心に考えるならば、ラングドンとソフィーと
いうことになります。しかし、この物語はラングドンとソフィー
を中心に読んだり観たりすると、理解できない部分が話の最後の
部分まで残ってすっきりしないはずです。しかし、一見端役に見
えるリー・ティーピングを中心に考えると物語は非常にわかりや
すくなるのです。
 イギリス人の宗教史学者――原作に記述されているティーピン
グの紹介ですが、これでは何のことかわからないでしょう。原作
において、キングス・カレッジの宗教学資料館の司書、パメラ・
ゲタムは、ティーピングのことを次のようにいっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ゲタムは顔を輝かせて笑った。「ええ、存じています。個性的
 なかたですよね。まさに熱狂者!いらっしゃるたびに、いつも
 同じ検索をなさるのです。聖杯。聖杯。聖杯。きっと死んでも
 探索をあきらめないにちがいないわ」そう言って、ウィンクし
 た。「時間とお金があるからああいう贅沢ができるんでしょう
 ね。そう思いません?正真正銘のドン・キホーテですわ。あの
 かたは」               ――パメラ・ゲタム
             ――ダン・ブラウン著/越前敏弥訳
  『ダ・ヴィンチ・コード(下)』より。角川文庫14159
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 聖杯偏執狂ともいうべきティーピングは、何としても聖杯に関
する情報が欲しかったのです。彼はシオン修道会が情報を握って
いると考えたのです。しかし、自分が直接乗り出すのはまずいの
で、誰か使える人間はいないかと探していたのです。
 そのとき、耳寄りの情報が飛び込んできたのです。それは、カ
トリック教会から属人区を認められている宗教団体オプス・デイ
が、信徒の勧誘方法や修行のやり方などをめぐって社会から批判
を浴びていることを理由に、6ヶ月の猶予期間のあと、属人区の
特典を取り上げるということをヴァチカンから通告されていたと
いう情報です。「これは使える!」−−ティーピングはこの情報
を基にしてオプス・デイを利用しようと考えたのです。
 ティーピングはオプス・デイのアリンガローサ司教に身分を隠
して連絡を取り、「オプス・デイを守る方法がある」と伝えるの
です。そのとき自分をあらわすことばとして使ったのが、エクト
ール――導師なのです。
 アリンガローサ司教はこの話に飛びつきます。そして、信頼す
る配下の修行僧シラスを使って、シオン修道会総長のジャック・
ソニエールをはじめ3人の参事から情報を聞き出させます。
 シラスは、聖杯のありかを示すキー・ストーンの隠し場所につ
いて、参事3人と総長が全員同じ場所――サン・シュピルス教会
のローズ・ラインであると告げたので、死を前にした告白は本物
であると判断して、邪魔をされては面倒と4人を拳銃で殺害して
しまうのです。
 しかし、そのサン・シュピルス教会で見つけたのは、「ヨブ記
38章11節/ここまで来るはよいが、先に進むべからず」とい
うメッセージだったのです。総長以下の3人はこういうときに備
えて、同じ合言葉を打ち合わせていたのです。怒りのあまり、シ
ラスは緊急電話をかけようとしたサン・シュピルス教会のシスタ
ー・サンドリーヌまで殺害してしまうのです。これで、5人を殺
害したことになります。
 ところが、パリの司法警察のベズ・ファーシュ警部は、ソニエ
ールの殺害現場から逃げ出したラングドンとソフィーをその殺人
犯人と勘違いして、パリ全土に指名手配します。追い込まれた2
人はティーピング邸シャトー・ヴィレットに逃げ込むのです。
 ティーピングから見ると、願ってもない状況になったのです。
もっとも手に入れたいものを持っている人物が自分の屋敷に勝手
に転がり込んできたからです。ティーピングは執事のレミーに命
じ、シラスの携帯電話に電話して「シャトー・ヴィレットにキー
ストーンを持った者がいる」という情報を与えるのです。レミー
だけはティーピングが導師であることを知っていたのです。
 経過は省きますが、ティーピングとレミー、そしてラングドン
とソフィー、捕われたシラスの5人はティーピングの飛行機で英
国に行くのです。そして、最初の舞台がテンプル教会なのです。
実はティーピングはレミーに一芝居打たせるつもりで、そういう
ことを演じ易いテンプル教会を選んだのです。目的はクリプテッ
クスを奪い取ることです。成功させたら自由にしてやる――これ
がティーピングがレミーに約束しているご褒美なのです。
 ティーピングとラングドンそしてソフィーが教会内にいるとき
レミーはシラスの縄を解き、拳銃でソフィーを拘束しろと命ずる
のです。シラスはそれを実行し、クリプテックスを渡せと迫りま
す。拒むラングドンとティーピング――そこにレミーが登場し、
ティーピングに拳銃を向けるのです。驚くティーピングとラング
ドン、そしてソフィー――やむなくラングドンはクリプテックス
を渡し、ソフィーの手を引いてその場から逃げ去ります。
 その後、ティーピングはレミーによって拘束され、車の荷台に
監禁されます。といっても、それはシラスを安心させるための見
せかけであり、実際には拘束していなかったのです。
 車を運転するレミー――そのとき、助手席のシラスの携帯電話
が鳴ります。電話に出るシラス。電話の主は導師。クリプテック
スの奪取を報告すると、導師はそれを賞賛し、それをレミーに渡
すようにいいます。そして、シラスにオプス・デイの宿舎で待つ
よう命令します。何のことはない。荷台からティーピングが電話
しているのです。そして、そのあと、レミーはウィスキーに入れ
た毒薬で殺されてしまうのです。
           ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/38]


≪画像および関連情報≫
 ・リムジンの中のシーン/シラス、レミー、ティーピング
  ―――――――――――――――――――――――――――
  数分後、ジャガーのリムジンが街なかを疾走しているとき、
  シラスの携帯電話が鳴った。導師だ。シラスは胸を躍らせて
  出た。「はい」
  「シラス」導師がフランス語訛りの声で言った。「おまえの
  声を聞けて安心した。無事ということだな」
   シラスも同様に、導師の声を聞いてほっとした。前回から
  何時間もたち、計画は大幅に狂っている。けれども軌道を戻
  せた気がした。「キーストーンを手に入れました」
  「すばらしい知らせだ」導師は言った。「レミーもそこにい
  るのか」
             ――ダン・ブラウン著/越前敏弥訳
  『ダ・ヴィンチ・コード(下)』より。角川文庫14159
 ――――――――――――――――――――――――――――

導師が仕掛ける.jpg
導師が仕掛ける
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2009年03月25日

●聖なる女性はどこに眠っているのか(EJ第1921号)

 「APPLE」のキーワードで黒縞のクリプテックスを開いた
ラングドン――ビネガーの容器に巻かれていた羊皮紙には次の詩
が綴られていたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
       聖杯は古のロスリンの下で待ち
       その門を剣と杯が庇い護る
       匠の美しき芸術に囲まれて横たわり
       ついには星の輝く空の下で眠る
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この中のポイントは第1行にあります。第1行の英語の原文を
つけておきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    聖杯は古(いにしえ)のロスリンの下で待ち
    The Holy Grail’neath ancience Roslin waits
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ラングドンは「聖杯は古のロスリンの下で待ち」という詩の第
1行から、スコットランドのロスリン礼拝堂を指していることに
気がつくのです。実際にこの詩を書いたジャック・ソニエールは
孫娘のソフィーに対してロスリン教会堂に注意を向けさせようと
しています。なぜなら、そこにはソフィーの弟が祖母が暮らして
いるからです。
 ここで注目すべきは「ロスリン」のスペルです。この綴りは古
い綴りなのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
         Roslin  →  Rosslyn
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 このような微妙なスペルの違いは、なかなか映画では出しにく
いし、英語圏の住民でない日本人にはわかりにくいものです。こ
の部分を原作では次のように書いています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 礼拝堂のある場所は、グラストンベリーを通る南北子午線の真
 上に相当する。この子午線――ローズ・ライン――はアーサー
 王のアヴァロン島の所在を示す目印であると伝承され、イギリ
 スの神聖な地形の中心をなす柱とも言われている。ロスリンは
 (Rosslyn) は元来RSLINと綴られ、この聖なるローズ・ラ
 インの名前を起源とする。
             ――ダン・ブラウン著/越前敏弥訳
  『ダ・ヴィンチ・コード(下)』より。角川文庫14159
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 王家の血を引く聖なる女性――マグダラのマリアはどこに眠っ
ているのでしょうか。その墓はどこにあるのでしょうか。これに
ついては次の2説があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        1.レンヌ・ル・シャトー
        2.ロスリン礼拝堂の周辺
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「ダ・ヴィンチ・コード」では、1については完全に無視し、
何となく2を示唆しています。なぜなら、最後のシーンがロスリ
ン礼拝堂になるからです。しかし、決め手になるものは今日でも
依然としてないといえるのです。
 しかし、「ダ・ヴィンチ・コード」の最後の場面――原作では
「エピローグ」の部分、映画ではホテル・リッツ・パリの部分以
降で、ダン・ブラウンは謎の示唆をわれわれに与えています。こ
の物語の印象深いエンデテングとしてです。
 「Rosslyn」 をあえて「Roslin」と綴ったのは、ローズライン
を示唆しているとラングドンは考えたのです。パリの歩道や中庭
や街路には、135個の青銅のメダルが埋めこまれ、南北に走る
軸線を形成しています。
 このかつての本初子午線を辿っていくと、ルーヴル美術館のピ
ラミッドに行きつくのです。その部分のシナリオは、次のように
なっています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ルーヴル美術館――夜
 すべてが始まった場所に戻ったラングドンは、カルーセル広場
 の芝生を横切って、上下逆さまの巨大なピラミッドへ直行
 ソニエールの声 :匠の美しき芸術に囲まれて横たわり
 ダヴィンチやボッティチェルリの絵の画像が挿入される。ラン
 グドンは急勾配で下るガラスを透かし見る。はるか下の地下空
 間には、小ぶりな上向きのピラミッドがある。
 ソニエールの声 :その門を剣と杯が庇い護る――
 ラングドンは頭上の無数の光を見上げる。
 ソニエールの声 :ついには星の輝く空の下で眠る
 ――ラングドンがひざまつくと、カメラが下降してガラスを抜
 け、何もない空間を通して地下の小さなピラミッドの内部を映
 し、それが巨大なピラミッド形の地下室の先端部分であるのを
 明らかにする。
 ――そこには石棺がひとつ置かれている。マグダラのマリアの
 最後の安息の地だ。美しくエッチングされた顔が上方に視線を
 向けている。それは初めて見る顔ではない。ソフィーの顔だ。
 ――フェード・アウト  
 ――映画「ダ・ヴィンチ・コード」オフィシャル・ムービー・
         ブックより。株式会社角川メディアハウス刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 マグダラのマリアはルーヴル美術館の地下に眠る――「匠の美
しき芸術に囲まれて横たわり」という一節は、それを意味してい
るというのです。結局、ダン・ブラウンの「ダ・ヴィンチ・コー
ド」の物語は、ルーヴル美術館にはじまってルーヴル美術館に終
わるのです。「ダ・ヴィンチ・コード」は何を訴えているのかに
ついては、これまで39回の分析ではっきりしたと思います。こ
のテーマは明日で終了します。 
           ・・・[ダ・ヴィンチ・コード/39]


≪画像および関連情報≫
 ・脚色/アキヴァ・ゴールズマンの言
  ―――――――――――――――――――――――――――
  小説「ダ・ヴィンチ・コード」は、背景の書き込みに寄りか
  かるところが大きい。だが、映画ではそうはいかない。しか
  も構造的には、英国出身の我が妻が言うところの「羽のある
  魚」だ。歴史小説の心臓と、アクションアドベンチャーの骨
  格をもっている。そのうえ、セリフがたっぷりある。膨大な
  量だ。しかし、物語そのものには心酔した。そしてそれと同
  じだけ、ロン・ハワード(監督)に心酔している。(中略)
  ロンは寛大で、実直で、思慮深く、物語というものに精通し
  ているうえ、共同して働く人間ひとりひとりを刺激して最高
  の力を引き出す。好漢の衣をまとった天才映画監督だ。
  −映画「ダ・ヴィンチ・コード」オフィシャル・ムービー・
         ブックより。株式会社角川メディアハウス刊
  ―――――――――――――――――――――――――――

ダ・ヴィンチ・コードの台本.bmp
ダ・ヴィンチ・コードの台本
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2009年03月26日

●ラングドンとソフィーは再会するのか(EJ第1922号)

 映画「ダ・ヴィンチ・コード」は、相当の観客動員数を記録し
ているはずですが、映画としてはけっして成功作ではなかったの
ではないかなと思います。なぜなら、原作を読んだ人でも内容が
わかりにくいところが多くあるからです。
 このテーマの最後に当たって、この映画の2つの印象的なシー
ンを振り返ってみることにします。
 この映画で注目されるのは、ファーシュ警部(ジャン・レノ)
とコレ警部補(エチェンヌ・シコ)です。この2人の掛け合いが
なかなか絶妙です。ところで、原作のファーシュ警部と映画のそ
れとは明らかに異なるのですが、おわかりになるでしょうか。
 原作のファーシュ警部は、猪突猛進型であるが、数々の実績を
誇るなかなか腕利きの捜査官である――そういう設定であり、そ
ういうところに部下のコレ警部補は惚れ込んでいます。しかし、
映画におけるファーシュ警部は、腕利きの捜査官であることに加
えて、オプスデイの会員という設定になっています。
 ラングドンとソフィーらがティーピングの飛行機で飛び立った
あと、ティーピングらが乗り捨てたレンジ・ローヴァーのところ
で、ファーシュとコレが交わす次のセリフがあります。「フ」は
ファーシュ、「コ」はコレです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 フ:逃げられた。やつらはスイスに飛んだよ。協定がないから
   引き渡し要求はできない。
 ――コレはうなづく。ファーシュの目にはほかの表情も浮かん
 でいる。絶望だ。
 コ:管制官はあなたを告訴しましたよ。通信司令係のアリが連
   絡してきました。
 ――ファーシュは管制官を殴り飛ばしているからである。
 コ:ベズ、いったいどうしたというのです。
 ――少し間を置いて答える。
 フ:私がオプス・デイの会員なのは知っているか?
 ――コレは「当たり前でしょう」と言いたげに肩をすくめる
 フ:昨晩、高い地位にいる人物から電話があった。私の属する
   派の司教からだ。殺人事件が発覚するはずだという話だっ
   た。しかも4件だ。殺人犯が司教に懺悔したんだよ。名前
   はロバート・ラングドン。司教は誓いを破ってまで私に話
   した。想像もつかないほどの邪悪さを秘めた男で、これか
   らも人殺しをやめないだろうという話だった。私がこの男
   を止めなければならない、それが義務だと言われた。私は
   誰の期待を裏切ってしまったんだ、ジェローム?司教か、
   神ご自身か?
 ――ファーシュは祈るときのように指を組み合わせ、そこに顔
 を埋める
 コ:彼らは飛行計画を変えたそうです。ロンドンに向かってい
   ます。
 ――ファーシュはびっくりしてコレに視線を注ぐ
 コ:行ってください。管制官はなんとかします。いくらかつか
   ませれば大丈夫でしょう。でも、警部の払いですよ。次か
   らは、ちゃんと話してください。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 コレはティーピングらがロンドンに行き先を変更したのを最初
から知っていたのです。しかし、事情を何も話してくれないで命
令するファーシュにいささかアタマに来ていたので、少しいじわ
るをしたのです。ところが、いつもの強気のファーシュが元気が
ないので心配になり、本当のことを告げてファーシュを励ますの
です。男同士の友情です。
 ファーシュはオプス・デイの会員である――これは原作のどこ
を探してもないのです。映画だけの設定と思われるのですが、何
が狙いの設定の変更なのでしょうか。
 もうひとつの印象に残るシーンです。チューリッヒ保管銀行の
ヴェルネの運転する車の荷台に乗っているラングドンとソフィー
――ラングドンは顔をしかめます。彼は閉所恐怖症なのです。そ
のときの会話です。「ラ」はラングドン、「ソ」はソフィー。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ソ:平気じゃなさそうよ ――ラングドン弱々しく笑う
 ラ:狭い場所が苦手なんだ。
 ソ:ちょっと試してみていい?なぜか効くのよ。私がおびえて
   いるとき母がよくこうしてくれた気がする。
 ――ソフィーは両手を伸ばしてラングドンのこめかみを挟み込
 むと、額と額を押しつけて軽く揺らす。しばらくその姿勢
 ラ:なんかラクになった気がする
 ソ:よかった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 どうということのないシーンですが、なぜかこれが印象に残っ
ています。強い性格に見えるソフィーの優しさを感じます。
 そして、最後のロスリンでの次のシーンです。何となく別れが
たい気持ちのラングドンとソフィーです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ラ:なぜ人間と神を分ける必要がある?人間が神なのかもしれ
   ない。さて、ここで質問だ。イエス・キリストの子孫が生
   きていたとして、彼女は信仰を破壊するのか?それとも信
   仰を復活させるのか?
 ――ラングドンはソフィーの美しいひとみを見つめる
 ラ:だから同じことを言おう。本当に大事なのは、君が何を信
   じるかだ。
 ソ:ありがとう。ここに導いてくれて。祖父に選ばれてくれた
   ことも。サー・ロバート
 ラ:何かあったらいつでも駆けつけるよ、ソフィー
 ソ:分かっている。ありがとう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 長い間のご愛読感謝します。
           ・・・[ダ。ヴィンチ・コード/40]


≪画像および関連情報≫
 ・ロスリン礼拝堂撮影の秘話
  ―――――――――――――――――――――――――――
  築600年の建物での撮影には、それゆえの苦労があった。
  ロスリン礼拝堂は華やかな歴史に包まれているぱかりではな
  く、修復工事用の足場に囲まれてもいた。当初は概観の大部
  分を覆うその足場を、後日デジタル処理で消すことになって
  いたが、もっと現実的な解決策が見つかった。VFXプロデ
  ューサーのバリー・ヘムズリーの発案で、礼拝堂の6分の1
  スケールの模型がつくられ、それを単体で撮影した映像が現
  地で撮った実写写真と合成された。
  ―映画「ダ・ヴィンチ・コード」オフィシャル・ムービー・
         ブックより。株式会社角川メディアハウス刊
  ―――――――――――――――――――――――――――

印象に残る映画のシーン.jpg 
印象に残る映画のシーン 
posted by 管理者 at 04:49| Comment(0) | TrackBack(0) | ダ・ヴィンチ・コード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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