そのひとつです。なお、このレポートは、2001年4月2日から4月16日まで、1
1回にわたって連載したものであることをお断りしておきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
今朝から古代史の話をします。古代史の話といっても漠然としていますが、EJで取
り上げているのは日本人のルーツにマトを絞っています。自分の国の歴史がはっきりし
ない国は先進国では日本くらいのものです。また、他国から抗議されて教科書の歴史的
事実を書き替えることを繰り返す国もおそらく日本しかないでしょう。
なぜ、そうなってしまうのでしょうか。本来であれば重要な手がかりになるべき「古
事記」や「日本書紀」などの国の歴史書に大きな謎と意図的なウソの記述があり、本当
のことがわかりにくくなっているからです。国際化時代になって、諸外国の人と接する
機会の多い世の中では、自分の国についてきちんとした歴史観を持っていることは大切
なことであると思います。
「日本書紀」は、一般には神武天皇以来連綿と続く万世一系の皇統の歴史を綴った書
物といわれています。「万世一系の皇統」とは戦前までよく聞かれた言葉ですが、要す
るに天皇家は世襲制で連綿としてつながってきたということを意味しているのです。
しかし、「日本書紀」の内容を仔細に検討すると、一方で万世一系の皇統といいなが
ら、他方で王朝交代の可能性を認めているところがあるのです。
実は、「日本書紀」には、2つの大きな物語というか2つの世界があるのです。その
1つは、初代の神武天皇に始まり、応神天皇に終る物語です。もう1つは、仁徳天皇に
始まり、武烈天皇に終る物語です。
一応「日本書紀」では、前半の最後の天皇である応神天皇と、後半の最初の天皇であ
る仁徳天皇は父子関係で結んでいるので、皇統はつながっているようにみえます。しか
し、応神天皇と仁徳天皇は父子関係ではないとする説が多いのです。
『天皇誕生』(中公新書刊)の著者である遠山美都男氏によると、「日本書紀」の後
半の世界では、前半の世界のような世襲ではなく、中国のように天命を受けて成立し、
天命が離れることによって崩壊する王朝が、日本にもあったという事実を示していると
いうのです。大和朝廷の成立の謎を解くには、天皇がどのようにして誕生し、続いてき
たかということを明らかにする必要があると思うので、そういう角度から考察して見る
ことにします。
初代の天皇は神武天皇です。神武天皇以下、15代までの天皇を並べてみます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
1.神武天皇* 6.孝安天皇 11.垂任天皇
2.綏靖天皇 7.孝霊天皇 12.景行天皇
3.安寧天皇 8.孝元天皇 13.成務天皇
4.懿徳天皇 9.開花天皇 14.仲哀天皇
5.孝昭天皇 10.崇神天皇* 15.応神天皇*
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
戦前は「じんむ、すいぜい、あんねい、いとく、こうしょう、こうあん、こうれい、
こうげん・・・」というように暗記させられたということです。国として「万世一系の
皇統」というものを国民に意識づける狙いがあったと思いますが、実際にはこれだけの
数の天皇が本当にいたかどうかは非常に疑問なのです。
この15代の天皇のうち、名前に「神」が入る天皇は3人――神武、崇神、応神――
います。これら3人の天皇の業績や記述は非常に多いのです。したがって、これら3人
の天皇は実在したとみられていますが、他の天皇に関しては実在したかどうかについて
さまざまな意見があります。
はっきりしていることは、第2代の綏靖から第9代の開花までは、その歴史的な記述
がほとんどなく、実在しなかったのではないかといわれています。これは「欠史8代」
といって専門家も認めている事実です。
神武天皇は、その生まれも育ちも九州であり、彼にとって九州以外の国は未知の世界
だったのです。「魏志倭人伝」によると、当時九州にはいくつか大きな国があったとさ
れており、神武天皇は、それらの国を束ねる大王ではなかったかと思われます。
その神武天皇の前に「塩土老翁」なる人物が現れ、「東の方によい土地があり、青い
山脈が取り巻いている。その中に「天磐舟(あまのいわふね)」に乗って下ってきた者
がいる」ということを伝えたのです。
ここで「東方」とは、具体的には「畿内」のことを意味しています。畿内とは、現在
の京都、奈良盆地一帯を指します。神武天皇の関心は東方に向けられ、そこに都を作ろ
うと大軍を率いて東に向かうのです。これが有名な神武天皇の東征です。
ところが当時畿内には既にニギハヤ命(ニギハヤのみこと)という人が畿内を制覇し
ており、畿内王朝を形成していたのです。そこに神武天皇軍が攻めてきたのですから、
王朝をかけた戦争になったのです。
ニギハヤ命にはナガスネヒコという武将がおり、神武天皇軍を相手に獅子奮迅の活躍
をするのです。そのため神武天皇軍は大苦戦を強いられます。神武天皇は太陽の国であ
るわが軍が太陽に向かって戦うのは不利と悟り、いったんは兵を引きます。そして、紀
伊半島をぐるりと回り、熊野地方から上陸して紀伊半島を北上し、吉野を超えて再びナ
ガスネヒコ軍と対峙します。
今度は、太陽を背にしての戦いであり、ナガスネヒコ軍を圧倒します。このときどこ
からともなく金色の鴉(とび)が飛来して神武天皇の弓の先に止まり、あたり一面に金
色の光を発光します。これがナガスネヒコ軍の戦意を喪失させて神武天皇軍を勝利に導
いた話はあまりにも有名です。神武天皇は大和に入ると、橿原宮を建立して正式に初代
天皇に即位したのです。
歴史的記述を調べると、神武天皇については、いま述べたようにその即位までの記述
は豊富であるのに天皇に即位してから業績は不明なのに対して、崇神天皇の場合は天皇
に即位してからの業績は詳細なのです。つまり、両者を合わせて1人前なのです。この
ことから神武天皇は架空であり、崇神天皇が初代の天皇であるという説があるのです。 ・・・[日本人のルーツ/01]