ました。しかし、いまだにその謎は解明されておらず、大きな謎が残っています。
「御巣鷹山飛行機事故」についは、1999年5月7日のEJ132号からはじまっ
て、1999年5月25日のEJ144号までの13回にわたって取り上げています。
以来、このテーマについて再研究をしてきたのですが、新事実も数多くあり、本日か
らこのテーマを再構築して取り上げることにしたいと思います。単なる再現ではなく、
新規にレポートするつもりです。今日は「予告編」だと思ってください。
第1回のEJ132号では、次のメッセージによってこのテーマはスタートを切って
います。
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今日から取り上げるテーマは、私自身がまだ半信半疑に思っ
ているものです。何度かEJで取り上げようと思ったのですが
見送ってきたテーマです。テーマの内容は「御巣鷹山/JAL
123便遭難」です。
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半信半疑は今もあります。しかし、その後の情報収集によってそういうことがあって
も不思議はないと思うようになってきています。何よりもわれわれは、この不幸な事故
を風化させてはならないと思います。そのためにもEJで再び取り上げるのは意義があ
ると思います。
1998年の暮れのことです。私はいつも土曜日にブックハンティングに行くジュン
ク堂書店で、次の本を見つけたのです。
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池田昌昭著
『JAL123便は自衛隊が撃墜した』/文芸社刊
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思わずギョッとするようなタイトルです。タイトルを見る限りキワもののように見え
ます。しかし、実はこの本は2冊目であり私がEJに取り上げる直前にさらに3冊目が
出版されているのです。そして、2001年7月に4冊目が出ています。内容はキワも
のではなく、事実に基づいて記述されています。
関連書籍については、あとでまとめてお知らせしますので、まずはEJのレポートを
読んでいただきたいと思います。読み進めるにしたがって、池田氏の2冊目の本のタイ
トル『JAL123便は自衛隊が撃墜した』という結論に近づくのかどうかです。
1985年8月12日、羽田発大坂行きJAL123便は、乗客509人、乗員15
人、合計524人を乗せて、午後6時12分に羽田を離陸したのですが、午後6時56
分30秒、群馬県側の山岳地帯である御巣鷹山に墜落――乗客のうち重傷4名は8月1
3日に救出されたものの、505人の乗客と15人の乗員は還らぬ人となったのです。
問題は事故の原因です。当時の運輸省航空事故調査委員会は結論として、次のように
述べています。報告書はもっと詳細なものですが、重要な部分のみ書きます。
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機体後部の圧力隔壁の破壊による機内与圧空気の急激な噴流に
より、垂直尾翼を噴き飛ばし、JAL123便は操縦不能とな
り、御巣鷹山に墜落したものである
―――運輸省航空事故調査委員会の報告書より
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大きな疑問点は、次の3つがあります。
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1.圧力隔壁は何によって破壊されたか
2.機内急減圧が本当に起きているのか
3.墜落場所がなぜ御巣鷹山になったか
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事故調査委員会は、機体後部の圧力隔壁が破壊された原因について、「疲労亀裂の進
展で残留強度が著しく低下したため」としています。JAL123便は、垂直尾翼が3
分の2も損傷しているのです。航空機の垂直尾翼は非常に頑丈なものであり、簡単に破
損するものではないのです。機内与圧空気の急激な噴流などで壊れるものかどうかは疑
問です。
事故調査委員会は、機内与圧空気の急激な噴流が尾翼破壊の原因という説を正当化す
るために、圧力隔壁の破壊を後からつけたのではないでしょうか。
もし、与圧空気の噴流が頑丈な垂直尾翼を吹き飛ばすほど強いものであったなら、機
内にはその空気抜けによる急減圧が起きているはずなのです。何しろ高度24000フ
ィート(7200メートル)で起こったことなのですから、機内の人たちは大変なこと
になっていたはずです。
しかし、生存者の証言を調べても、そのような急減圧は起きているフシはないのです
。事故調査委員会も急減圧の起きていないことは一応認めており、これを解明できない
未解決事項としているのです。
垂直尾翼が破壊された原因を常識的に考えると、何らかの飛行物体が尾翼にぶつかっ
たのではないかということになります。疲労亀裂で圧力隔壁に穴が開き、内部の空気の
墳流によって尾翼を飛ばしたという説明はかなり苦しいのではないでしょうか。
そして、3つ目の疑問は、なぜ航路から大きく外れた御巣鷹山に墜落したのでしょう
か。途中で操縦不能になり、ダッチロールによって御巣鷹山まで行ってしまったという
説を信じている人は多いのですが、御巣鷹山に行く必然性がないのです。
このように、事故から17年を経過しても、なお不明なことがあまりにも多いのです
。これら多くの疑問点にひとつずつメスを入れていくことにします。
−−[御巣鷹山事故の謎/01]