2006年06月05日

●JFAシンボルマークとヤタガラスの関係(EJ第883号)

 サッカーワールドカップ2006ドイツ大会は、いよいよ6月
9日からはじまります。F組に出場の日本は、6月12日にオー
ストラリアと対戦します。
 ところで、日本サッカー協会(JFA)が採用しているシンボ
ルマークをご存知ですか。日本代表選手のユニフォームには燦然
と輝く黄色いワッペンに何が描かれているのです。
 そこには、三本足のカラスがデザインされているのです。三本
足のカラスが二本足で立ち、もう一本の足でサッカーボールを押
さえている図柄です。(添付ファイル)
 このカラスの本当の名前は「八咫烏(ヤタガラス)」というの
です。ヤタガラスは、記紀神話に登場するカラスです。その神話
とは、神武天皇が東征するときの話なのですが、これについては
2001年4月2日のEJ587号でご紹介しています。しかし
ヤタガラスについては説明を省略したのです。
 九州を出発し、一路東に向かった神武天皇は、今の大坂のあた
りに上陸したのです。そこで先住民のナガスネヒコの軍と争いに
なり、それが全面戦争に発展します。しかし、このナガスネヒコ
の軍は強く、神武天皇の軍は退却を余儀なくされます。
 敗因を占った結果、天照大神の子孫でありながら太陽に向かっ
て軍を進め、戦をしたのが敗因であると出たのです。そこで、神
武天皇は、改めて戦略を練り直し、今度は太陽をつねに背負う形
になる南から攻め入ることにしたのです。具体的にいうと、難波
から紀伊半島を迂回し、熊野に上陸。そこから紀伊山脈を越えて
大和地方に入ることにしたのです。
 しかし、紀伊の山は道が険しく、神武天皇の軍は道に迷ってし
まいます。周囲には敵も潜んでおり、再び神武天皇の軍は窮地に
陥ってしまいます。そこに、どことなくあらわれたのが巨大なヤ
タガラスなのです。このカラスは、天照大神によって、神武天皇
を先導するよう使命を帯びていたのです。
 神武天皇はヤタガラスを神の使いと見抜き、それについていく
と、森を抜けることができ、吉野から大和に入れたのです。そし
て再びナガスネヒコと戦うのです。しかし、今回は太陽を背負っ
ての戦いであり、戦況は有利に運んで、ナガスネヒコの退治に成
功します。こういう経過から、ヤタガラスは勝利に導くシンボル
とされているのです。
 この再度の神武天皇とナガスネヒコの戦いにもうひとつ有名な
話が伝えられています。戦争が始まったとき一羽の金色の鳶(と
び)が飛来して、神武天皇の弓の先に止まり、あたり一面に金色
の光を撒き散らしたのです。ナガスネヒコ軍はこれによって戦意
を喪失したといわれているのです。そういう意味で、金色の鳶も
勝利のシンボルとされています。
 道を先導して勝利に導くヤタガラスと敵の戦意を喪失させて勝
利を決める金色の鳶――どちらも鳥が神武天皇を助けているので
す。このうち、金色の鳶については、のちに金鵄勲章にデザイン
されて一躍有名になります。
 それでは、日本サッカー協会はなぜヤタガラスをシンボルマー
クに採用したのでしょうか。
 それは、ヤタガラスが単に勝利に導くシンボルであること――
それはもちろんあります。しかし、それだけではないのです。そ
れは、明治時代に近代サッカーを日本に紹介した中村覚之助氏と
いう人物に関連があるのです。
 中村覚之助氏は、和歌山師範学校(現和歌山大学)を卒業後、
宇久井高等小学校の教師から東京高等師範学校に入学し、4年生
のときに米国の「アソシエーション・フットボール」という本を
翻訳して、そのうえで蹴球部を創設するのです。本は鐘美堂とい
う書店から、東京高等師範蹴球部の名前で出版されています。
 この本は当時、東京高等師範学校の運動部長であった坪井玄道
教授が海外視察のときに原書を手に入れ、帰国後、それを中村覚
之助氏に翻訳するよう託した結果、できあがったものなのです。
 当時、サッカーに似た競技はあったのですが、フットボールと
呼ばれており、ラクビーと渾然一体のスポーツだったのです。中
村覚之助氏は、正しいルールを記述した「アソシエーション・フ
ットボール」という本によって、日本で初めて「蹴球」というこ
とばを使ったのです。それ以後、現在のサッカー・スタイルの蹴
球は「ア式フットボール」または「ア式蹴球」と呼ばれるように
なったのです。
 中村覚之助氏は、和歌山県那智町(現那智勝浦町)浜ノ宮で生
まれています。ここには、ヤタガラスを祀る神社があるのです。
ちなみに神武天皇東征軍が上陸したのは那智勝浦海岸です。ここ
は熊野であり、ヤタガラスは、熊野三山――本宮大社、那智大社
速玉大社――では、霊鳥として祀られています。
 また、平安時代に「蹴鞠」の名人といわれた藤原成道は、その
技能向上を祈願するため、何度も熊野詣をしたと伝えられていま
す。つまり、熊野から日本サッカーの歴史が始まったといっても
過言ではないのです。そういう経過から、日本サッカー協会は、
その旗章にヤタガラスを使ったと考えられます。
 しかし、不思議なことに日本サッカー協会は、そのホームペー
ジにおいても、シンボルマークの三足烏は、中国の故事に基づく
ものとしか認めていないのです。日本サッカー協会は、昭和6年
にシンボルマークをデザインしており、図案の発案者は、当時の
東京高等師範学校の内野台巌教授を中心とする人々であるとされ
ています。
 内野台教授は、明治39年当時の蹴球部員であり、中村覚之助
氏をよく知る人の一人です。中村覚之助氏は、1906年7月に
中国から船で帰国する途中発病し、神戸で緊急入院したのですが
亡くなっています。まだ27歳の若さだったといいます。
 ヤタガラスについては、まだまだ述べることがあります。これ
を機会にもう少し古代史の世界をのぞいてみましょう。
                   −−−−[八咫烏01]

ヤタガラス.JPG


2006年06月06日

●なぜ、ヤタガラスを頭に置くのか(EJ第884号)

 「八咫烏/ヤタガラス」の「咫」はヘンな字ですね。「尺」に
「只」という字をつけます。1尺は「寸」の約10倍でセンチに
直すと約30センチです。
 「1咫」は、手のひらの下端から先端までの長さで4寸――約
18センチ、「8咫」ですからこれを8倍すると144センチ、
ほぼ1.5メートルですから、ヤタガラスはかなり大きなカラス
ということになります。
 カラスは全身が黒、イメージは闇です。何となくうさんくさい
イメージです。しかし、神話の世界では光、太陽のイメージなの
です。ギリシャ神話でのカラスは太陽神アポロンの使いであり、
英国のワタリガラスは王家の紋章です。
 昨日のEJで、神武天皇の東征の神話の話をしましたが、実は
これとそっくりの話があるのです。それは『ブルターク英雄伝』
に書かれているアレキサンダー大王にまつわるカラスの伝説なの
です。アレキサンダーは紀元前4世紀にマケドニアの王子として
生まれ、25歳にして世界帝国の王として君臨した人です。
 アレキサンダー大王も東方遠征をしているのです。紀元前33
4年、イッソスの戦いに勝利したアレキサンダー大王は、そのま
ま地中沿いに南下し、エジプトに侵入し、プトレマイオス朝を征
服して自らファラオになることを決意します。ファラオは太陽神
アモンの子供であることを意味します。
 しかし、ファラオになるには、シバのアモンの神殿で託宣を受
けなければならないのです。そこで、アレキサンダーは、リビア
砂漠のオアシスにあるシバに向けて出発します。
 しかし、アレキサンダーの一行は、すさまじい砂嵐に巻き込ま
れて、道を見失ってしまうのです。このあたりの砂嵐は有名で、
1965年にアレキサンダー大王の行程をたどろうとしたドイツ
の探検家5人が死亡しているのです。
 もはやだめかと思われたとき、天空から一羽のカラスが現れて
先頭を飛び始めるのです。アレキサンダーは、藁をも掴む思いで
カラスの飛んでいく方向に進んでいくと、目指すシバのオアシス
にたどりつき、託宣を受けて、ファラオに即位したのです。
 これは、神武天皇の神話とそっくりです。天照大神とアモンは
ともに太陽神ですし、神武天皇とアレキサンダーはともに大王で
あり、ともに東方遠征をして道に迷い、カラスに救われる――本
当にそっくりです。
 これだけではないのです。神武天皇の神話とアレキサンダーの
伝説は驚くほど酷似しているのです。神武天皇が宇陀にやってき
たときのことです。敵地の土でお神酒を入れる瓶を作って神々を
祀れば、敵が降伏するという夢を見たというのです。神武天皇は
これにしたがい、配下に敵地の土を持ってこさせ、その土で瓶を
作ってお神酒を入れて神々を祀ったところ、敵が降伏してきたと
いうのです。
 これとそっくりな話がアルメニアの伝説にあります。アレキサ
ンダー大王は、ペルシャとの戦いの前日、神武天皇と同様の夢を
見るのです。アレキサンダー大王自身が敵地に侵入し、土を持っ
てきて酒杯を作ったところ、ペルシャ軍に勝ったというのです。
 これはもちろんアレキサンダーの話が先にあって、その話がペ
ルシャからインド、東南アジア、中国、朝鮮を経由して日本に入
ってきていると考えられます。
 今やカラスといえば、とくに都会では人間の敵というべき存在
ですが、カラスは太陽神の化身であり、神道においては祭祀氏族
のシンボルとなっています。また、カラスは聖霊の象徴としての
存在にもなっていたらしいのです。その証拠というべきものが、
日本の伝統的な「烏帽子」と「丁髷」(ちょんまげ)です。
 「烏帽子」は、「カラスの帽子」と書きますが、なぜ、カラス
なのでしょうか。かつて神道祭祀の者はもとより、日本人は正式
な場では、この烏帽子をかぶっていたのです。烏帽子には、身分
によって、次の3つに分かれています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     1.烏帽子 ・・・・・・・ 貴族
     2.侍烏帽子 ・・・・・・ 武士
     3.梨子烏帽子 ・・・・・ 庶民
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これらの色はすべて黒ですが、これは黒い帽子だからカラスな
のではなくて、もともとカラスをかたどった帽子であるがゆえに
「烏帽子」なのです。この烏帽子のカラスは、天から舞い降りた
カラス、すなわち八咫烏(ヤタガラス)なのです。
 それでは「丁髷」はどうでしょうか。
 まず、「丁髷」は「髪」であり、これは、上、神、守、皇、頭
に通じますが、いずれも自分よりも上位の存在を意味します。髪
にしても人体の一番上の頭部にあるので、「カミ」と呼ばれるの
です。神道では、頭部は神の宿る場所とされているのです。
 それに日本人の髪の色は黒です。これはカラスの黒に結びつき
ます。女性の長い黒髪は「烏の濡れ羽根」というように頭に生え
た髪はカラスに結びつくのです。それをあえてもっとカラスに見
えるようにしたものが「丁髷」なのです。
 丁髷を想像して見てください。左右の耳際の「びん」はカラス
の両翼、はね上げの「たば」はカラスの尾、頭頂の「まげ」がカ
ラスの頭部をあらわしているのです。
 このように烏帽子と丁髷は、ともに人間の頭に宿る神、すなわ
ち、八咫烏を意味しているのです。頭に神の霊が宿っているので
す。この考え方は、カラスを太陽神の使いとみなす古代エジプト
でも同じです。古代エジプトのカフラー王の座像に翼で頭を抱え
るようにしている隼(はやぶさ)がいます。
 しかし、なぜ、八咫烏を頭に置いているのでしょうか。何か特
別な意味があるのでしょうか。      −−−[八咫烏02]

カフラー王と隼.JPG

2006年06月07日

●ヤタガラスは陰陽道と関係がある(EJ第885号)

 「安倍晴明」がブームになったことがあります。安倍晴明を理
解するには、「陰陽道」について勉強する必要があります。実は
現在テーマとして取り上げている八咫烏(ヤタガラス)は、「陰
陽道」に深い関係があるのです。
 安倍晴明は「陰陽師」(おんみょうじ)ですが、陰陽師とは一
体何でしょうか。
 古来から日本では、徹底した二元論でこの世を読み解いてきて
います。それが陰陽道です。森羅万象、この世はすべて陰と陽が
あり、それによって成り立っているという思想です。人間の男と
女、電気のプラスとマイナス、磁気のN極とS極、空間の上下、
右と左、過去と未来、光と闇――すべて陰と陽です。
 陰陽道のルーツをたどると、中国の「道教」に行きつくのです
が、その道教の呪術体系が陰陽道であり、3〜5世紀ごろ渡来人
によって日本にもたらされたものです。
 陰陽道は、奈良時代の、いわゆる律令制のもとでは、その天文
学と暦法は政治の根幹に据えられていたのです。律令制のもとで
は、一般には太政官が一番エライ役職であると思われていますが
実は神祇官(じんぎかん)という役職の役人が事実上の最高権力
者なのです。
 神祇官は、神道の儀式を取り仕切る役人であり、神道の祭祀は
陰陽道に基づいて行われていたのです。当時国家の陰陽道は「陰
陽寮」(いんようりょう)と呼ばれる役所で行われており、陰陽
師はそこで働く公務員のような存在だったのです。
 安倍晴明は、生まれながらにして物怪(もののけ)を見抜く力
を持つ超能力や霊能力を持つ有能な陰陽師であり、賀茂忠行によ
ってその才能を認められ、忠行の子の賀茂保徳の下で陰陽道を修
行して、恐るべき才能を開花させたのです。
 この賀茂家というのは、陰陽道の宗家であり、京都には賀茂神
社があります。賀茂家の家紋は「葵」です。賀茂家の祭礼は葵祭
といわれ有名です。しかし、「葵の御紋」といえば徳川家の紋で
す。どうして徳川家が葵紋を使っているかについては、諸説があ
るそうです。
 この安倍晴明と並び称される陰陽師がいます。蘆屋道満という
陰陽師です。蘆屋道満は、安倍晴明と違って陰陽寮で働く陰陽師
ではなく、在野の陰陽師です。在野の陰陽師は全国を遊行して、
陰陽呪術の普及に務めたのです。
 安倍晴明と蘆屋道満は、同じ陰陽道であっても流派が違うので
す。これは、国家管理の陰陽道と在野の陰陽道の違いというわけ
ではないのです。この2つの流れは、それぞれの陰陽道のシンボ
ルマークが違うのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    安倍晴明 ・・・・・ セーマン/五 芒 星
    蘆屋道満 ・・・・・ ドーマン/九字切り
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 このように書くと、何か別の国の行事か古来の行事のように考
えるかも知れませんが、陰陽道の儀式というのは、現在の日本に
色濃く残っています。
 陰陽道では、数字には次の陰と陽があるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    陰 ・・・・・ 偶数
    陽 ・・・・・ 奇数 ⇒ めでたい儀式
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 神道ではおめでたい儀式には奇数を用いるのです。「753」
がそうですし、3月3日の雛祭り、5月5日の鯉のぼり――すべ
て奇数です。シンボルマークにしても安倍晴明は「5」、蘆屋道
満は「9」といずれも奇数です。
 さて、ここでややこしい話をしなければならないのですが、陰
陽道にも陰と陽があるのです。つまり、表の陰陽道と裏の陰陽道
があるのです。この分類では、安倍晴明のセーマンも蘆屋道満の
ドーマンも表の陰陽道なのです。
 裏の陰陽道――これは表の陰陽道とはすべてにおいて違うので
す。裏の陰陽道にはちゃんとした名前があります。その名前は、
次の通りです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
          カッパーラ=迦波羅
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 裏の陰陽道は、中心とする数字も陽数ではなく、陰数を使いま
す。具体的には次のようになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  裏セーマン ・・・・・ 5+1= 6 ⇒ 六芒星
  裏ドーマン ・・・・・ 9+1=10 ⇒ 十 字
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 裏の陰陽道では偶数を使うので、五芒星が六芒星になります。
五芒星は「ソロモンの星」といわれていますが、六芒星は「ダビ
デの星」といわれ、現在のイスラエル共和国の国旗に描かれてい
る有名な星です。つまり、六芒星はユダヤの紋章なのです。
 この六芒星――日本では「カゴメ紋」といわれ、日本でも無関
係ではないのです。しかし、なぜ、ユダヤの紋章が遠く離れた日
本にあるのでしょうか。
 しかし、五芒星が六芒星になり、九字が十字になると、急にユ
ダヤ教とキリスト教の世界になるというのは面白いと思います。
何か普通の人が知らない隠された世界がそこにあるのです。
 すべてのことに陰と陽があるのであれば、神道にも陰の神道と
陽の神道があることになります。実は「八咫烏」は陰の神道――
裏の神道に深いかかわりがあるのです。しかし、このことを明ら
かにするには、もう少し前提知識が必要になります。
                   −−−[八咫烏003]


捲竓星/九字切り.jpg

2006年06月08日

●漢波羅の本拠地は下鴨神社である(EJ第886号)

 昨日のEJで、陰陽道自体の陽と陰――すなわち、表の陰陽道
と裏の陰陽道があるという話をしました。この表の陰陽道の使い
手が陰陽師です。彼らには陰陽寮という役所に仕える役人のよう
な存在の陰陽師と在野の陰陽師があります。有名な安倍晴明は正
式な陰陽師、すなわち陰陽寮に仕える陰陽師です。
 ところが裏の陰陽道というものがあります。この裏の陰陽道の
ことを「迦波羅」(カッバーラ)といい、カッバーラの使い手を
「漢波羅」というのです。まとめておきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     陰陽師 ・・・・・ 表の陰陽道の使い手
     漢波羅 ・・・・・ 裏の陰陽道の使い手
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 日本では、「カッバーラ」ではなく、「カバラ」という名称で
次のようなものが伝えられています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
     カバラ・タロット     カバラ占い
     カバラ数秘術       カバラ占星術
     カバラ魔術        カバラ恋愛術
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 これらは本物のカッバーラではなく、カッバーラから派生した
枝葉末節の呪術に過ぎないのです。専門家によると、この手のも
の――とくにタロットなどは、興味本位でもてあそぶのは危険で
あると警告しています。何かの拍子に魔界に入ってしまう恐れが
あるからです。「コックリさん」という遊びをやっていて、そう
なってしまった人が実際にいるからです。
 ちなみに、イスラエルでは「カッバーラ」は「領収書」のこと
であり、あくまでも相手から差し出され、受け取るものをいうの
です。これを人間と神の存在におきかえると、カッバーラとは神
から人間に与えられる知識(叡智)であり、それなりの修行をし
勉強してはじめて手にすることができるものとされます。そして
神からカッバーラの奥義を授けられた者が「預言者」といわれる
のです。預言者とは「神の言葉を預かる者」という意味です。こ
の「神の言葉」こそカッバーラなのです。
 カッバーラは、預言者の間でのみ口頭伝承されてきており、イ
エス・キリストからその弟子に伝えられ、現在まで継承されてき
ています。中でもイエス直系の教えを受けているとされるのが、
エルサレム教団であるといわれます。
 日本には、神道というかたちでカッパーラが根付いていますが
問題はそれがどこから、誰からもたらされたものかということで
す。表面上神道は日本古来のものであるとされていますが、渡来
人が日本に持ち込んだものという説が有力なのです。そして、そ
の渡来人は「秦氏」という一族であり、そのルーツは、歴史の舞
台から姿を消したエルサレム教団――失われたイスラエルの十二
支族にたどりつくといわれているのです。
 それはさておき、神道には表と裏があるように、神社にも表と
裏があります。
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      表神道の頂点 ・・・・・ 伊勢神宮
      裏神道の頂点 ・・・・・ 賀茂神社
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 神社の総本山はよく知られているように、伊勢神宮ということ
になっています。これが表神道の頂点ということになります。こ
れに対して、裏神道の頂点は京都の賀茂神社です。いい換えると
賀茂神社は、裏神道の呪術、「迦波羅」(カッバーラ)の使い手
の本拠地ということになります。
 既に述べたように、カッバーラの使い手を漢波羅というのです
が、漢波羅はすべて賀茂氏なのです。その賀茂氏が崇拝する神社
の中枢が賀茂神社なのです。
 伊勢神宮の本殿は、「内宮」と「外宮」があり、その周りに数
多くの別宮や摂社、末社が配置されています。賀茂神社について
も本殿は次の2つがあり、境内には数多くの摂社があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1.下 鴨神社
  2.上賀茂神社
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 これら2つの本殿は、「下上賀茂神社」(げじょうかも神社)
というのですが、下鴨神社が「下賀茂神社」ではないというのは
興味深いものがあります。
 本来、賀茂氏の「カモ」は、「加茂」、「迦毛」、「加茂」、
「可毛」などと表記しますが、その真に意味するところは「鴨」
――つまり、鳥であるということです。神道祭祀にかかわる氏族
は、何らかのかたちでシンボルとして「鳥」とかかわってくるの
です。それは、鳥が天と地を行き来できる存在であり、神と人と
の間を取りもつ象徴として意義があるからです。
 繰り返しますが、重要なことは、伊勢神宮と賀茂神社が表裏一
体の関係にあるということです。表の神道において全国の神社の
頂点に立つのは伊勢神宮ですが、裏神道において事実上全国の神
社の頂点に立ち、実質的な権限を握っているのは賀茂神社なので
す。いわば、神道界の総元締め的存在が賀茂神社といえます。
 なぜなら、天皇が天皇になるためにもっとも重要な儀式といわ
れる「大嘗祭」を主催し、そのすべてを取り仕切っているのは、
宮内庁でも伊勢神宮でもなく、京都の賀茂神社――それも、天皇
の儀式のいっさいを執り行うのは下鴨神社なのです。
                   −−−[八咫烏004]

下鴨神ミ.JPG

2006年06月09日

●鳥居は『鳥が居る』ということである(EJ第887号)

 昨日、下鴨神社は実質的に神道の総元締めのような存在である
という話をしました。今回の古代史の話は、「八咫烏(ヤタガラ
ス)」の話から入っていますので、ときどき話を整理しながら、
八咫烏と結びつけていきます。
 実は下鴨神社は八咫烏を祀っているのです。下鴨神社の主祭神
の1人「賀茂建角身命(かもたれつねみのみこと)」は賀茂氏の
祖先であり、この主祭神が八咫烏なのです。賀茂建角身命は神武
天皇の母である玉依姫(たまよりひめ)の父親に当たります。と
いうことは、神武天皇の祖父に当たるわけです。神武天皇が八咫
烏に助けられたという神話は、神武天皇の祖父が八咫烏となって
孫の神武天皇を助けたということになります。
 下鴨神社は、漢波羅の本拠地ですから、その神社が祀る賀茂建
角身命は漢波羅の親玉的存在ということになります。つまり、大
漢波羅というべき存在です。ここで、留意していただきたいのは
賀茂建角身命だけが八咫烏というわけではなく、代々引き継がれ
て、それはある集団を指すようになってきていることです。
 つまり、八咫烏とは、下鴨神社に属して陰陽道をきわめ、カッ
バーラを知り尽した漢波羅の集団の名称と考えるべきなのです。
もっと具体的にいうと、漢波羅の中でももっとも優秀な漢波羅が
構成する秘密組織なのです。
 そして、重要なことは、この秘密組織は昔存在しただけではな
く、現在もなお存在するということです。もちろん、秘密組織で
すから、ひそかにそれは存在するのです。
 それでは、秘密組織八咫烏は、何を目的としていまもなお存在
しているのでしょうか。
 八咫烏の使命は、「この国――日本を存続させること」あるの
みです。天皇を裏で支え、神道を根幹として霊的な呪術をはりめ
ぐらすのです。この秘密組織の一団は、下鴨神社を拠点としてひ
そかに活動しているといわれます。皇室の存続と神道の擁護のた
めに彼らは働いているのです。あなたは、信じられますか。
 ところで、神社には「鳥居」があります。鳥居は文字通り「鳥
が居る」という意味です。何のために居るのかというと、それは
不審者が入ってこないよう監視しているのです。
 家の中の部屋の門というべきものに「鴨居」があります。これ
また「鴨」――鳥が登場します。神社の参道にはいくつもの鳥居
があり、家の中にもいくつも鴨居があるように、奥の院、奥の部
屋にたどり着くには、いくつものトビラを開かなければならない
わけです。それらのいくつものチェックポイントで、八咫烏が目
を光らせているわけです。
 この八咫烏の存在を知ったうえで日本史を調べると、そこには
ぜんぜん別の歴史が展開されているのを知ることができます。少
なくとも日本の歴史においてかつて権力を握ったものは、この八
咫烏のめがねにかなった人物だけなのです。
 日本最古の神社のひとつに、奈良の大神(おおみわ)神社とい
うのがあります。一度EJで取り上げたことがある神社です。大
神神社には本殿はなく、ご神体は三輪山にあり、山そのものを遥
拝するために拝殿があるのみです。そして、三輪山の麓に鳥居が
立っているのです。
 添付ファイルを見ていただくと分かるように、この鳥居は非常
に変わっています。3つの鳥居が横一列に合体しているのですが
鳥居の足は4本しかないのです。中央の鳥居だけは大きく、左右
の鳥居は小さいのです。これを「三ツ鳥居」と呼んでいます。
 なぜ「三ツ鳥居」なのかというと、大神神社は三神を祀ってい
るからです。三神とは次の通りです。
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       和魂 ・・・・・ 大物主神
       幸魂 ・・・・・ 大己貴神
       奇魂 ・・・・・ 少彦名神
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 正面の一番大きな鳥居が大物主神、向かって右の小さな鳥居が
大己貴神、左の鳥居が少彦名神です。それでは、「和魂」、「幸
魂」、「奇魂」とは何でしようか。
 神道では、神の御魂を次の二つに分けています。
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    和魂(にぎみたま) ・・・ 神の和やかな魂
    荒魂(あらみたま) ・・・ 神の荒らぶる魂
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 「和魂」というのは神の和やかな魂のことです。自然界におけ
る恵みや幸といった人間を祝福する側面です。人間が神社を参拝
して神に願い事をし、感謝を捧げる対象としての神です。
 「荒魂」というのは神の荒らぶる魂のことです。自然界におけ
る嵐や暴風雨、天変地異という激しい破壊的な側面です。このう
ち、「和魂」は、さらに次のように2つにわかれます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   幸魂(さちみたま) ・・・ 目に見える物質的側面
   奇魂(くしみたま) ・・・ 目に見えぬ精神的側面
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「幸魂」は、動植物が成長し繁栄していくことを示す、物質的
側面のことです。これに対して「奇魂」は目に見えないもの――
人間のもっている愛情や動植物の生命力、または死んだ人の霊魂
をつかさどる御魂です。
 この大神神社の氏子のひとりに「サントリー」の創業者、鳥居
信治氏がいたのです。鳥居姓は大神神社の三ツ鳥居にあるのです
が、社名の由来は次のように決まったといわれます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      三ツ鳥居 ⇒ 三鳥居 ⇒ サントリー
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 実はこの「3」という数が八咫烏に大いに関係があるのです。
                   −−−[八咫烏005]

三ツ鳥居.JPG

2006年06月12日

●秦氏創建の神社と賀茂氏の関係(EJ第888号)

 9日に八咫烏の正体は、下鴨神社に帰属して陰陽道をきわめ、
カッバーラを知り尽くした漢波羅たちによって構成される秘密
組織であり、その組織は現在もなお存続しているということを
述べました。
 にわかには信じられないという方がほとんどでしょうが、少
しずつ事実を明らかにしていきます。こういう組織が存在する
ことで分かることは、神道にはさまざまな重要な儀式があって
そういう儀式をどのようなことがあっても守るという強い意思
が働いていることを感じます。
 謎を解くひとつのカギは、下鴨神社です。既に述べたように、
この神社は裏神道を仕切る賀茂氏の神社です。下鴨神社の境内に
は深い緑の森があります。この森は「糺の森」(ただすのもり)
と呼ばれています。「糺(ただす)」というのは、身を糺すとい
う意味であり、毎年土用の丑の日、境内の池では人々は手足を水
に浸して汚れを祓い、無病息災を祈るのです。
 実は、京都にはもうひとつ「糺の森」があるのです。それは、
右京区太秦にあるのですが、この森は「元糺の森」とよばれてい
ます。「元糺の森」も神社の境内にあり、それは次の神社です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  木嶋坐天照御魂神社
  このしまにいますあまてるみたま神社
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この神社の摂社を「養蚕神社」(こかいじんじゃ)というので
すが、この神社は呉服屋、三井家によって崇拝されているところ
から、地元では「蚕の社」として知られています。三井家は蚕の
社の氏子なのです。
 この蚕の社は秦氏によって創建されている神社なのですが、こ
こには奇妙な鳥居が立っています。それは三柱鳥居といって立体
的に3基の鳥居が合体しています。3本の柱によって、三角形の
空間を囲んでおり、一種の結界を形成しているのです。
 三柱鳥居が立っている神社は全国にありますが、そのほとんど
は再建されたものであるのに対し、古代まで遡れるものとしては
蚕の社の三柱鳥居が唯一のものです。
 さて、蚕の社にある「元糺の森」ですが、「元」とあるように
こちらが本家であることを示しています。調べてみると、もとも
と「糺の森」は蚕の社にあったのですが、9世紀の初頭、嵯峨天
皇のころ、糺の森は下鴨神社境内に移ったのです。いうまでもな
く、森そのものが移動したわけではなく、名前だけが移動したの
です。そのため、蚕の社の森は「元糺の森」と称せられるように
なったのです。
 糺の森という名前が移動したといっても、コトは神社の話であ
り、そこに祀られている御魂――すなわち、祭神が移動したと考
えるのが自然です。つまり、蚕の社――木嶋坐天照御魂神社は、
元下鴨神社だった可能性が強いのです。
 それは、蚕の社の社紋が下鴨神社の社紋と同じ「二葉葵」であ
ることが、そのことを何よりも証明しています。蚕の社を祀る秦
氏と下鴨神社の賀茂氏との間には、表に出ない何か深い関係があ
ると考えてよいと思います。
 既に述べたように、三井家は蚕の社の氏子ですが、三井家と同
じ名前の三井神社は、下鴨神社の摂社なのです。そこには、賀茂
建角身命と伊可古夜日女と玉依姫の3人が祀られているのです。
とても偶然とは思われませんし、明らかに同族であると考えてよ
いと思います。
 ところで、「葵の御紋」といえば徳川家の家紋です。しかし、
徳川家の紋は「三葉葵」です。どうして、徳川家がこの紋を使っ
ているのかについては諸説があります。徳川家康は、三河の松平
家の本流といわれていますが、その出自にはいろいろ、疑問があ
るのです。
 歴史家の村岡素一郎氏の研究によると、徳川家康はもともと松
平氏とは関係のない「世良田二郎三郎元信」と称する男であり、
この男が松平当主であった信康を暗殺して岡崎城主になったとい
うのです。この真偽は定かではないですが、家康がいろいろ系図
操作をしていることは確かなのです。
 ところで、葵を家紋としていたのは、徳川四天王のひとりであ
る本多正信です。本多氏は賀茂神社の神官の一族であり、そのル
ーツは賀茂氏、その家紋は「立ち葵」です。そこで、家康は本多
家にあやかって葵を家紋としたといわれているのです。
 しかし、これとても真相であるとは思えないのです。むしろ、
徳川家も賀茂氏の系統で、配下に陰陽師や漢波羅を抱えていたと
する説の方が説得力があります。EJ887号でも述べたように
およそ日本の歴史において、今まで権力を握ったものは、そのす
べてが秘密組織「八咫烏」の力を借りているからです。したがっ
て、徳川家康がそれと無関係であることは考えられないのです。
 さて、秦氏の創建による蚕の社の祭神が下鴨神社に移ったとい
う事実――それが真実であれば、秦氏と賀茂氏はつながっている
ことになります。いや、つながっているというより、賀茂氏は秦
氏そのものであることも考えられるのです。
 5月15日に京都では、平安時代の貴族に扮した人々が街を優
雅に練り歩く祭礼「葵祭」があります。この葵祭を主催している
のが下上賀茂神社なのです。この日天皇の命を受けた勅使が下上
賀茂神社に出向き、神殿において御祭文や祝詞、東遊舞などを奉
納する社頭の儀というものが今でも行われるのです。それに加え
て、5月12日に下鴨神社で行われる秘祭があるのです。これが
葵祭で行われるもっとも重要な儀式となっています。
 2002年6月23日のNHKスペシャル「アジア古都物語」
で、水に関して、下鴨神社のこの秘祭と葵祭が取り上げられま
した。ご覧になったでしょうか。     −−−[八咫烏06]

のミと三柱鳥居.JPG

2006年06月13日

●童謡『とおりゃんせ』の深い謎(EJ第889号)

 2002年6月23日−−夜のNHKスペシャル「アジア古都
物語」 テレビに登場した鴨氏は、謎の渡来人といわれる秦氏に
つながる一族――というか、秦氏そのものなのです。秦氏は高度
な土木建築の技術も持っており、京都の水についてもコントロー
ルしていたのです。なお、5月12日に下鴨神社で鴨氏がやって
いた水の行事は、御蔭祭(みかげまつり)といって裏神道の秘祭
であり、よくテレビで公開したものだと思います。秦氏について
は、さらに研究する必要があると思います。
 なお、葵祭に参加するのは、下上賀茂神社だけではなく、松尾
大社も参加します。この松尾大社を創建したのも秦氏――秦都理
という人です。そして、上賀茂神社、下鴨神社、松尾大社の3つ
を「秦氏三所明神」といっているのです。
 さて、『童謡の謎』(合田道人著、祥伝社刊)という本がよく
売れているそうです。昔から何気なく歌っている誰でも知ってい
る歌が、意外なメッセージを伝えているということはよくいわれ
ます。ところで、次の歌を知らない人はいないと思います。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ――とおりゃんせ、とおりゃんせ
   ここは、どこの細道じゃ
   天神様の細道じゃ
   そっととおして、くだしゃんせ
   御用のない者、とおしゃせぬ
   この子の七つのお祝いに、お札を納めに参ります
   行きはよいよい 帰りは怖い
   怖いながらも、とおりゃんせ、とおりゃんせ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この歌の解釈は、『童謡の謎2』に20ページを使って説明が
出ています。合田道人氏の解釈については改めて述べますが、以
下にご紹介する解釈は、合田氏とはぜんぜん別の解釈です。
 誰でも知っている歌ですが、歌の意味を考えてみると、よくわ
からないことがたくさんあります。それに、とても不気味な歌だ
と思いませんか。実はこの歌は、陰陽道やカッバーラに深く関係
している歌なのです。
 ご存知のように、この歌は遊戯が伴っています。最近の若い人
は知らないと思うので、ご紹介しましょう。
 ふたり一組になった子どもが手をつなぎ、それを門のように上
にかかげます。残った子どもたちは歌を歌いながらその門の下を
次々と通り抜けるのです。歌が終わると、ふたりの子どもの両手
は下ろされ、門は閉じられます。このとき、両腕の間に挟まった
子どもは「鬼」になってしまうのです。こういう遊戯です。
 この遊戯で「鬼」になるということは、この世のものではなく
なることを意味しています。「鬼」は陰府へ至る死者を暗示して
いるのです。
 この歌は対話形式になっていますが、子どもを連れた母親が神
社の門番と対話しているイメージがあります。この神社の門番と
は「鳥居」なのです。鳥居には人間の目には見えない鳥がつねに
居り、不審者が近づこうとすると姿をあらわし、誰何する――と
いうわけです。どこに近づこうとするかというと、神道奥義であ
り、そこに接近しようとする者を警戒するのです。神社の奥の院
にはそういうものがあるからです。
 この歌には、いくつもの謎があります。大きく分けると、次の
3つです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1.天神様の細道
  2.七つのお祝い
  3.行きはよいよい、帰りは怖い
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 まず、「天神様」と何でしょうか。「天神様」といえば、菅原
道真のことですが、これをそのように解釈すると、もっとわから
なくなってしまいます。
 これは、素直に「天の神」というように解釈すべきです。もう
少し正確にいうと、天神とは「造化三神」のことです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1.天之御中主神 ・・・ あめのみなかぬしのかみ
  2.高御産巣日神 ・・・ たかみむすびのかみ
  3.神 産巣日神 ・・・ かみむすびのかみ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 昨日のEJで蚕の社の境内の池に立つ三柱鳥居の写真をご紹介
しましたが、その写真をよく見ると、三柱鳥居の中心には、根元
に積み石がしてあります。これは天之御中主神を祀っているので
す。この神は、この世の初めに誕生した唯一の神であり、神道の
絶対神といわれます。
 天之御中主神と同時に、高御産巣日神と神産巣日神があらわれ
三神を構成しています。蚕の社の三柱鳥居はこの三神をあらわし
ているのです。これらの神は、神道では宇宙の根源的な絶対神と
されているのです。
 それでは「細道」とは何でしょうか。
 実はここは、聖なる神々に関する神道の叡智を試す試練所なの
です。誰でもそれに挑むことはできますが、それに合格すること
は困難であるということをいっているのです。すなわち、合格す
るのが難しいということを「細道」と呼んでいるのです。
 それでは、そんなところになぜ7歳の子どもを連れて行くので
しょうか。それは、ここでいう「七」が「七五三」の行事を意味
しており、この七五三の行事こそ神道の重要な儀式に他ならない
からなのです。         −−−[八咫烏07]

童謡の謎/2.JPG

2006年06月14日

●七五三にかかわる神道奥義(EJ第890号)

 「天神」についてもう少し詳しく述べる必要があります。出典
は「古事記」です。
 最初にこの世にあらわれたのは、天之御中主神です。この神と
同時に高御産巣日神と神産巣日神があらわれたのです。これらの
三神を「造化三神」といいます。ここまでは復習ですが、最初に
「3」という数字が出たことに注目していただきたいのです。
 造化三神に続いて、次の二神があらわれます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1.宇摩志阿斯訶備比古遅神 うましあしかびひこじのかみ
 2.天常立神 ・・・・・・ あめとこたてがみ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この時点で、この二神と造化三神とあわせて五神――「5」と
いう数字が出たことに留意していただきたいと思います。
 これらの五神が姿を隠すと、さらに二神が姿をあらわします。
国之常立神と豊雲野神です。そのあとは、男女のふたりワンセッ
トで神々が次々と姿をあらわすのです。この場合は男女一神と数
えます。七番目の神は「イザナギ命」と「イザナミ命」です。
 「古事記」では、国之常立神から、「イザナギ命」+「イザナ
ミ命」までを「神代七代」と記述しています。「3」「5」とき
て、ここでやっと「7」があらわれます。ここで「七五三」の数
字がすべて揃ったわけです。
 神道では、いわゆる「八百万の神々(やおよろずの神々)」と
は聖別して「七五三」の神々のことを「天神」というのです。こ
の造化三神と神代七代までの間に、想像を絶するような神道奥義
が凝縮されているのです。
 このように考えてくると、「とうりゃんせ」の歌の最初の部分
は解けてきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ――通してください 通してください
   ここは、何を試すところですか
   聖なる神々に関する神道の叡智を試す厳しい場所です
   志と覚悟のできていない者を受け入れることはできない
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 ここまでは解けるのですが、「七五三」のところが難解です。
七五三――これらの数字に凝縮された神道奥義とは一体どのよう
なものでしょうか。
 一般的には、七五三とは、子どもの成長を願うお祝いのことで
す。数え年で男の子は三歳と五歳、女の子は三歳と七歳の11月
15日に晴れ着で神社に参詣する習わしのことです。
 実はこれは見せかけであり、子どもの儀式のことではないので
す。本当の意味は別のところにあります。この歌は、神道奥義の
何らかの試験のことを歌っており、それも七五三にかかわる試験
なのです。
 七五三にかかわる神道奥義――といってもピンとこないと思う
ので、その基本をひとつ示すことにします。それは「魔方陣」と
いわれるものです。
 神道における数字は、1〜9までで基本的には一桁です。二桁
以上の数はそれぞれを加えて、一桁の数になるまで加えます。例
えば、2002年6月26日は次のように計算します。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   2+0+0+2+6+2+6=18→ 1+8=9
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 そこで、一桁の数字1〜9までを3行3列の升目に入れて、な
おかつ、縦横斜めの3つの数字を足しても、みな同じ数になるよ
うにすると次のようになります。これを3次魔方陣といいます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
           6 7 2
           1 5 9
           8 3 4
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この3次魔方陣では、四隅の数字はすべて偶数であり、残りの
数字は奇数となります。そして、縦横斜めの合計はいずれも15
になるのです。七五三のお祝いが11月15日に行われる理由は
ここにあります。
 この魔方陣は、古今東西に共通する呪術アイテムのひとつであ
り、東洋においてはあの諸葛孔明が駆使したといわれる奇門遁甲
術、九星気学、易などの基礎となっているのです。
 15という数を1+5で一桁の数に直すと、「6」になります
が、神道では「6」は人間の数字であり、「7」は完全数といっ
て、神の数字なのです。つまり、「6」は「7」に1足りない数
字なのです。ですから、「七つのお祝い」とは、試験が人間のこ
とではなく、神にかかわるものであるということがわかります。
 1〜9の数の世界は人間が活動する「この世」のことであり、
3×3の魔方陣は漢字の「囲」を表現しています。「囲」が示す
ように、この宇宙が無限ではなく、有限の閉じた世界であること
も暗示しています。
 神道奥義というのは、この魔方陣をはじめとして、陰陽五行説
カッバーラの数秘術ゲマトリアなど、複雑にからまっており、そ
れをすべて極めるのは容易なことではないのです。これらについ
て私は若い頃から勉強はしていますが、その奥は深く大変深遠な
世界であるといえると思います。
 神道奥義を極める試験――これに極めて類似しているのはモー
ツァルトの歌劇「魔笛」です。もともとこのオペラは、フリーメ
イソンの入会儀式を描いたものとして有名ですが、それにしても
よく似ていると思います。
 3つの神殿(叡智、理性、自然)にはそれぞれ門番がおり、門
番と問答をして、やっと門をくぐると、今度はさまざまな試験が
用意されている――そっくりです。仮に八咫烏という秘密組織を
フリーメイソンにたとえると、その性格は酷似していると思うの
です。フリーメーソンについては、現在、EJ/BLOGで毎日
連載をしています。
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     http://electronic-journal.seesaa.net/
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2006年06月15日

●『とうりゃんせ』の由来は多くある(EJ第891号)

 童謡「とうりゃんせ」の「七つのお祝い」の部分は、子どもの
7歳のお祝いの儀式ではなく、神の数「7」にかかわる神道奥義
の試験を意味するという話をしました。天神にいたる道は細く閉
ざされており、文字通り狭き門なのです。
 それでは、「行きはよいよい、帰りは怖い」というのは、どう
いう意味でしょうか。神道の研究家によると「試験に合格すれば
よいが、合格しないと五体満足で帰れる保証はない」という意味
だと述べていますが、いまひとつ説得力がないと思います。
 『童謡の謎2』の合田道人氏は、この部分をどのように説明し
ているのでしょうか。ご紹介しておきたいと思います。
 合田氏は、この歌の発祥地は、現在も埼玉県川越市にある三芳
野神社であるといっています。ちゃんと天神様を祀っており、細
道もあるというのです。三芳野神社は昔からあったのですが、長
禄元年(1457年)に川越城が建てられて、三芳野神社は川越
城の城内に移されているのです。合田氏の説明は、ここがキーポ
イントになるのです。
 「とうりゃんせ」は、もともと川越城内の子女を遊ばせるため
に作られたわらべ歌であるといいます。城内の子女を意識的に外
部とのふれあいから避けるために作られ、子どもを遊ばせた歌で
あるというのです。
 城外の市民が三芳野神社に参詣できないわけではないのです。
しかし、神社は城内にありますから、門番にいちいち誰何され、
参詣の目的を聞かれる――このように考えると、つじつまが合っ
てきます。
 七五三は、当時の子どもは抵抗力が弱く、医学も発達していな
かったので、三歳まで生かせていただいた、五歳まで生かせてい
ただいたというように、神社にお礼に行くというのが、当時の習
わしだったのです。
 この七五三のお参りに三芳野神社に行くとき、門番にわけを話
して入れてもらうのですが、城を警備する武士からみると忍びか
もしれないし、警戒すべき対象となるわけです。子連れの親とし
ては「怖い」わけです。しかし、それなら、「行きはよいよい」
とならず、「行きも怖いし、帰りも怖い」となるはずです。この
帰りだけが怖い理由としては、帰りに城外に出るとき厳しい持ち
物検査などをされたからという説もあります。
 しかし、「とうりゃんせ」の川越発祥の地説はいくつかの点で
難があるのです。というのは、この歌は日本全国くまなく広がっ
ているという点です。川越から広がって行ったといっても日本全
国くまなく広がるものでしょうか。
 それに三芳野神社は城内にあるという特殊事情があり、そうい
うことで歌の意味が通じるのですが、これは一般的ではないと思
います。だいいち、子どもの七つのお祝い程度のことで、一般人
を城内に入れるでしょうか。仮にもし入れたとしても、一年に一
度か二度の特殊の日――例えば、大祭の日などに厳重な監視付き
で許可する程度だと思います。
 それに日本全国には、「とうりゃんせ」発祥の地というのが川
越のほかにもあるのです。ひとつ例をあげると、小田原市国府津
に正暦5年(994年)開基といわれる菅原神社があるのですが
ここには「わらべうた 通りゃんせ 発祥の地」という石碑が立
っており、歌詞も刻まれているのです。
 ここを発祥の地とした場合、通す通さないのやりとりは、箱根
の関所ということで理解できます。合田氏は、この菅原神社を発
祥の地とすると、「細道」とは箱根の山の街道のことではないか
といっています。箱根の関所から歩けば、国府津の菅原神社まで
4時間から5時間はかかるはずです。
 関所は、今の時間で午前6時から夕方4時まで(明け六つ〜夕
七つ)でしたから、朝6時に関所を出て4時間歩いて神社に参拝
し、2時間休んで引き返すと関所の閉門ぎりぎりになってしまう
のです。それに、行きは下り坂ですから「よいよい」ですが、帰
りは登り道ですから、ヘトヘトになってしまいます。
 これが「行きはよいよい、帰りは怖い」という意味ではないか
というわけです。合田氏は歌の中の「怖い」は「こわい」――疲
労困憊という意味ではないかといっています。北海道では、「疲
れた」ということを「こわい」というからです。しかし、関所と
いう制度は江戸時代に作られており、そういう点では年代的には
疑問があります。
 とにかく諸説があるのですが、いずれも決め手はないのです。
しかし、日本全国隅々まで、いやそれどころか現代にいたるまで
「とうりゃんせ」の歌は完全に日本人の頭の中に浸透しているわ
けです。ある発祥地が長い間にわたって、少しずつ浸透していっ
たということでは説明がつかないのです。それよりも、ときの権
力者(天皇)が明確な目的をもって全国に浸透させたと考える方
が納得がいくと思うのです。
 やはりこの歌は、神道奥義を問う試験に関連して、志のある者
がこれに挑戦するということを意味しているのではないか――そ
のように考えます。
 関所の話が出てきたので、少し脱線します。テレビでお馴染み
の杉浦日向子さんの話ですが、当時関所に関して、「入鉄砲と出
女」ということがいわれたのです。どういうことかというと、関
所の役割は、江戸に入る鉄砲と江戸を出る女を厳しく取り締まる
ことだったのです。鉄砲はわかるとして、なぜ、江戸を出る女を
取り締まったのでしょうか。
 それは、江戸幕府は、各藩主が人質として江戸の邸宅に残して
いる妻や娘が国許にこっそり帰るのを警戒したのです。女の場合
化粧をして風貌を変えたり、汚い着物を着て卑賤の者に姿を変え
ることができます。なぜなら、遊女や芸人などは比較的簡単に通
してくれたからです。それに比べれば男に対して関所は寛大であ
ったそうです。ですから、男装をして出ようとする女もいたので
す。それに、奉行所には女性は絶対に入れなかったのです。もち
ろん、奉行所には女性の職員はいないのです。
                    −−−[八咫烏09]

オ五三のお祝い.JPG

2006年06月16日

●八咫烏とはどのような組織か(EJ第892号)

 八咫烏の話――まだ続きますが、そろそろ一応の結論を出す時
期にきています。話を整理しながら、先に進めます。
 神道に表と裏があるということは、天皇にも表と裏があること
を意味します。われわれが目にする天皇は、もちろん表の天皇と
いうことになります。ここで重要なことは、天皇とは神道儀式を
行う中心的存在――つまり、祭司であるということです。しかも
神道儀式にはいろいろあって、それらを間断なく行う必要がある
のです。そういう儀式を祭司として行うだけでも、天皇は結構忙
しいのです。
 しかし、明治時代以降の天皇は、表の仕事も非常に忙しいので
す。明治時代において天皇は国家元首でしたし、民主主義になっ
てからの現在の天皇は、外交儀礼や民間の行事などに関わり、古
来の儀式を十分に行う時間がなくなってきています。
 そのため、皇位継承などの重要行事は別として、その他の神道
行事については、裏天皇が天皇に代わって神道儀式を祭司として
執り行うことが必要になってきたのです。この裏の天皇に率いら
れる組織が秘密組織八咫烏なのです。八咫烏――漢波羅秘密組織
は、天皇の祭祀のいっさいを仕切るとともに自らも神道儀式を行
うのです。
 この八咫烏は現在も存在するということですが、どのようなこ
とがあっても表に出ることはないのです。なぜなら、彼らには名
前がないからです。どうしてかというと、子どもが生まれても届
けないからです。それでは何をもって識別するのでしょうか――
彼らにあるのはコードネームであり、これで識別します。
 そんな馬鹿な・・といわれるかも知れませんが、そういう人た
ちを支える組織があれば、戸籍がなくても十分生きていくことは
可能なのです。彼らは一般社会とは異なる世界に生きているので
す。そういえば、表の天皇は人前に出るので名前はありますが、
姓や苗字はないのです。よって戸籍がないのです。また、戸籍法
によると、一般から皇族に嫁ぐ人はそれまでの戸籍からは除籍さ
れるのです。そういう意味で表の天皇や皇族も別の世界に生きて
いるといえます。
 専門家によると、秘密組織八咫烏の人数は数十人――推測では
70人前後の規模といわれています。組織の一員として生まれた
ときから神道儀式全般、陰陽道、迦波羅を徹底的に仕込まれるの
です。そして一生八咫烏の組織の一員としての使命を果たすとい
われています。
 中核となる八咫烏は12人――「十二烏」といい、このメンバ
ーに欠員が出るとそのつど補充されるようになっているのです。
これら12烏のさらに上に八咫烏の大ボスが3人います。これら
3人が12烏の中の3人か別の3人かは分かりませんが、彼らは
他の八咫烏から「大烏」と呼ばれています。「三羽烏」というの
はここからきています。
 この三羽烏は、造化三神(三神にして一神/絶対神)に対応し
ているのですが、裏天皇というのはこの三羽烏のことをいってい
るのです。つまり、表の天皇は1人ですが、裏の天皇は3人で1
人なのです。絶対三神が唯一神を形成するように3人で裏天皇を
務めているのです。
 もうひとつ、これらの三羽烏は別名を持っています。それは、
「金鵄(きんし)」です。金鵄とは神武天皇の弓の上に止まった
鳥のことです。「金鵄勲章」の金鵄です。
 このような事実を知ると、不思議な一致があることに気が付き
ます。それは、イエス・キリストとその弟子の話に非常に似てい
ることです。
 イエス・キリストは、伝道を開始するに当たって12人の弟子
をユダヤ人の中から選んでいます。「12使徒」がそれです。そ
して、イエスは重要なことがあると、ペテロとヤコブとヨハネを
連れて歩いています。マタイによる福音書には、次の記述がある
のです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『イエスは、ペテロ、それにヤコブとその兄弟のヨハネだけを
 連れて、高い山に登られた』。
 (「マタイによる福音書」第17章1節)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 「12」と「3」――これが神道奥義とぴったりなのです。そ
れだけではないのです。神道奥義を調べていくと、なぜかイエス
・キリストと結びついてくるのです。
 いくつかあげてみましょう。EJ890号でご紹介した神道奥
義のひとつの魔方陣をもう一度見てください。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
             6 7 2
             1 5 9
             8 3 4
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 魔方陣では、奇数は陽数、偶数は陰数です。これが陰陽道のき
まりなのです。この9つの数字について陽数、つまり奇数だけを
見てください。十字になっているのです。
 迦波羅、すなわちカッバーラのシンボル、裏ドーマンは、ずば
り十字――陰陽道が九字を切るのに対して、迦波羅では十字を切
るのです。この十字を切る所作は、キリスト教徒が祈りを捧げる
さいに切る十字とまったく同じなのです。
 もうひとつ、「日本」という文字について考えます。「日」と
いう字は、文字通り「太陽」――太陽神、天照大神をあらわして
います。問題は「本」の字です。この字から「大」の字を外して
みてください。そうすると何が残りますか。
 そうです。「十」――十字架があらわれるのです。いろいろな
ところに十字架が隠されているのです。陰陽道は渡来文化です。
そのため、陰陽師は渡来人によって占められてきたのです。資料
には、数多くの陰陽師が名をつらねていますが、中でも一番多い
のは秦氏です。秦氏についてはいろいろ説がありますが、ユダヤ
人原始キリスト教徒であるといわれているのです。
                    −−−[八咫烏10]

2006年06月19日

●秦氏のルーツはイスラエルの10支族なり(EJ第893号)

 EJ892号で「秦氏はユダヤ人原始キリスト教徒である」と
いう指摘をしましたが、今回はこれのルーツを明らかにしてみる
ことにします。JPAの八咫烏のマークからはじまった古代史の
シリーズは、今回を含めてあと2回でひとまず終ります。
 「イスラエル12支族」というのは、一般的には次の12の支
族のことをいいます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  1.ルペン族        7.ガド族
  2.シメオン族       8.アシェル族
 祭3.レビ族         9.イッサカル族
 南4.ユダ族        10.ゼルブン族
  5.ダン族        11.ヨセフ族
  6.ナフタリ族     南12.ベニヤミン族
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 イスラエル王国は、かつて北朝イスラエル王国と南朝ユダ王国
に分かれていたのですが、現在ユダヤ人といわれている人は南朝
ユダ王国の人たちの末裔と考えてよいと思います。南朝ユダ王国
は、エルサレムを聖地としていたのです。
 南朝ユダ王国は、ユダ族とベニヤミン族の2支族で構成されて
おり、北朝イスラエル王国は、残りの10支族から構成されるの
です。これら12支族のうちレビ族は祭祀を担当しており、北朝
と南朝の両方に属するという考え方があります。
 それに加えて、ヨセフの息子のマナセとエフライムをそれぞれ
独立させることによって、レビ族を外しても北朝は10支族にな
るのです。
 北朝イスラエル王国は、紀元前722年にその首都サマリアが
アッシリアによって陥落し、北朝イスラエルの人たちはメソポタ
ミア地方に捕囚されてしまいます。そして、他の民族を北朝イス
ラエル王国のあった土地に入植させたのです。
 その後、南朝ユダも滅ぼされ、やはり捕囚にされるのですが、
その後バビロニア王国を滅ぼしたペルシャの大王キロス2世の配
慮によって、捕囚となっていた北朝イスラエルと南朝ユダの人た
ちは開放されるのです。南朝ユダの人たちは、喜び勇んで国に帰
り、ソロモンの神殿を再建しますが、北朝イスラエルの人々は戻
らず、忽然と姿を消してしまうのです。これを「失われたイスラ
エルの10支族」といっているのです。
 南朝ユダはその後、古代ローマ帝国に滅ぼされ、1948年に
パレスチナの地にイスラエル国が建設されるまで、ユダヤ人は流
民となって世界各地をさまようことになるのです。したがって、
現在、イスラエル人といわれる人たちは、南朝ユダの末裔という
ことになります。
 問題は、歴史の舞台から忽然と消えてしまった「失われたイス
ラエルの10支族」です。彼らはいったいどこへ行ったのでしょ
うか。
 中世以降になって、これらのイスラエル10支族の情報が入り
始めます。失われたイスラエルの10支族は、中国、日本、イン
ド、エチオピア、スーダン、アフガニスタン、パキスタン、シベ
リアなど・・・世界中にその足跡が発見されています。
 これらの失われたイスラエルの10支族の一部が、シルクロー
ドを通って、中国、朝鮮半島を経由して日本に入ってきていると
いう説を唱えるのが、ユダヤ教ラビ、マーヴィン・トケイヤー氏
が著した次の本です。前にも何度かご紹介した本です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  『日本・ユダヤ封印の古代史/失われた10部族の謎』
   マーヴィン・トケイヤー著/久保有政訳 徳間書店刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 シルクロードをそのまま東に進むとやがて中国にいたります。
事実中国にはユダヤ人が多く住んでおり、その数はかなりの数に
達していたといわれます。秦の始皇帝自身がユダヤ人であったと
いう説もあるくらいです。
 ところで、当時ユダヤを支配していたのは、古代ローマ帝国で
すが、ローマ帝国のことを中国では「大秦」と呼んでいたという
のです。したがって、彼らが朝鮮半島経由で日本に渡来したとき
「大秦」から一字をとって「秦氏」と名乗っても不思議はないと
いえます。中国人から「秦人」と呼ばれていた支族が朝鮮半島に
渡って、「秦韓」を建国し、それが「新羅」に代わったという話
も実際にあるのです。
 そうなると、日本で秦氏と呼ばれている一族は、失われたイス
ラエルの10支族の一部であったという説は、あながち荒唐無稽
な説とはいい切れないと思うのです。
 注目すべきは、秦氏が日本において多くの神社を創建している
ことです。日本における神社は神道と深い関わりがあります。こ
の説が正しいとすると、神道と原始キリスト教の間には共通する
点が多くあることになります。
 神道の奥義は唯一絶対神への信仰であり、さらに造化三神(天
之御中主神、高御産巣日神、神 産巣日神)を中心に据えていま
す。これに対すて原始キリスト教が崇拝するのも唯一絶対神であ
り、それは絶対三神(御父、御子、聖霊)によって形成されてい
るのです。 これを整理すると次のようになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   1.天之御中主神 = 御父
   2.高御産巣日神 = 御子イエス・キリスト
   3.神 産巣日神 = 聖霊ルーハ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 表の神道は八百万の神々を崇拝する多神教ですが、裏神道は唯
一神信仰であり、絶対三神を崇拝するのです。
 神道と原始キリスト教の関係の分析は興味あるテーマであり、
いずれEJで取り上げてみたいと考えています。それでは、秦氏
と賀茂氏はどのような関係にあるのでしょうか。これについては
明日のEJで述べます。         −−−[八咫烏11]

2006年06月20日

●『鴨がねぎを背負ってくる』の意味(EJ第894号)

 神社にて神を祀る――これが神道というものであり、日本固有
の宗教であると多くの人が信じています。その神社を渡来人であ
る秦氏が創建する――これは本来奇妙な話なのです。
専門の古代史研究家ですら「秦氏は帰化支族としては不可解な
ほど神祇信仰と密着している」と不思議がるほど、秦氏は神道儀
式に通じているのです。むしろ秦氏の宗教である原始キリスト教
がベースになって神道ができたのではないか――そういう考え方
が出てもおかしくないのです。
 それでは、秦氏は、いったいどのような神社を創建しているの
でしょうか。
 ところで、全国で一番多い神社は何という神社かご存知でしょ
うか。それは、稲荷神社です。これには、仏教系と神道系の2つ
があるのですが、古いのは神道系です。そして、全国の稲荷神社
発祥の神社は京都の伏見稲荷大社なのです。
 伏見稲荷大社の由来書を見ると、この神社を創建したのは、秦
伊呂具なる人物です。次に数が多いのは八幡神社です。武術の神
として、源氏の守護神としても有名なのが八幡神であり、それを
祀っている神社が八幡神社です。
 八幡神社の総本山は、九州大分にある宇佐八幡宮です。ここで
原始八幡信仰を担っていたのは、地元の豪族の辛嶋氏なのですが
辛嶋氏は秦氏の支族なのです。それから松尾神社というのがあり
ます。松尾神社の総本山は京都の松尾大社ですが、その創建者は
秦都理という人で、やはり秦氏です。
 それに四国には「金力比羅宮」がありますが、ここは「旗宮」
もしくは「秦宮」と呼ばれており、やはり秦氏の神社なのです。
それだけではないのです。宗像神社、諏訪大社、大避神社、白鬚
神社、鹿島神宮、白木神社、兵主神社、出石神社などなど――こ
れらは、すべて秦氏の神社なのです。・
 それでは賀茂氏というのは何者でしょうか。「古事記」によれ
ば、「賀茂」の名を持つ神としては「迦毛大御神」があります。
この迦毛大御神は「大国主命」の子であり、現在、奈良県御所市
の高鴨神社に主祭神として祀られています。大国主命の子といえ
ば、もう一人「事代主命」がいます。
 賀茂氏は主としてこの事代主命を祀っているのです。これと関
連のあるのは三島神社です。「三島」という名前が付く神社は全
国に1万社以上あるといわれますが、その総本山は、静岡にある
「三島大社」なのです。『延喜式』によると、三島大社はもとも
とは、伊豆国賀茂郡にあったというのです。
 伊豆は、かなり早い時期から賀茂氏が支配していた場所であり
伊豆諸島の神社はことごとく事代主命を祀っているのです。しか
し、よく調べてみると、三島大社は「大山祇命」(おおやまずみ
のみこと)を主祭神として祀っていたとあるのです。
 そして、『伊予風土記』によると、大山祇命は百済からやって
きた神であるとしています。神様だけがひとりでにくるはずがな
いから、三島明神を祀る一族である賀茂氏が、大山祇命を運んで
きたのではないかという推理が成り立つのです。つまり、賀茂氏
はどうやら渡来人であったということです。
 旧暦の5月5日に、大山祇神社で行われる「御田植祭」という
祭りがあります。このとき、「一人角力(ひとりすもう)」とい
う奇妙な儀式が行われます。二人で相撲をとるのではなく、ひと
りで行うのです。実は、相手は神様であり、目に見えない相手に
相撲をとるので、ひとり相撲と呼ばれるのです。
 この神様と人間との相撲は『旧約聖書』に載っているのです。
イスラエル人の祖といわれるヤコブはあるとき神と格闘し、最後
に勝って「イスラエル」という名前をもらったというのです。
 「一人角力」のルーツが、もし、『旧約聖書』にあるとすると
ユダヤ人原始キリスト教徒である秦氏が浮かび上がってくるので
す。このあたりから、賀茂氏と秦氏の関係を探っていくと、細か
な経緯は省きますが、両者は完全に同じであるという結論に達す
るのです。賀茂氏イコール秦氏なのです。
 そうであるとすると、なぜ、賀茂氏といわずに秦氏としないの
でしょうか。同じ一族なら秦氏でよいのではないでしょうか。
 それは、賀茂氏がイスラエル12支族の「レビ族」と同じ位置
づけだからです。イスラエル12支族が北朝イスラエル国と南朝
ユダ国に分かれたとき、レビ族だけはどちらにも属さなかったの
を覚えておられますか。レビ族は祭祀を担当するので、両国の共
用とされたのです。
 既にお話ししているように、賀茂氏は裏神道の儀式の一切を取
り仕切る祭祀人の役割をしています。したがって、あえて秦氏と
は名乗らず、賀茂氏、または鴨氏の名称を使ったのです。
 賀茂氏が裏神道の祭祀人の役割を果たしていたとすると、賀茂
氏は全国の神社に絶大な権力で支配していたことになります。こ
の間の事情を物語るあることばがあります。それは、『鴨ねぎ』
ということばです。
 鴨鍋をしようと思ったら、鴨がねぎを背負ってやってきたとい
うことをいうことばですが、意味が違うのです。「鴨」は鴨氏の
ことであり、「ねぎ」は禰宜――神社の宮司や神官の下で働く神
職を意味するのです。
 鴨氏が禰宜を背負ってくる――これは鴨氏が全国の神社に鴨氏
の息のかかった禰宜を送り込むという意味なのです。いくら賀茂
氏といえども、最初から全国の神社を仕切っていたのではなく、
神職の人間を強制的に送り込んで、もともとあった神社を次々と
乗っ取っていったのです。
 これに従わない場合は、おそらく武力をもって神官を追い出し
追放するということもやったと思われます。藤原不比等が古代に
あった唯一神道を封じたウラには、賀茂氏と組んだ大規模な神道
再編計画があったと考えられるのです。
 お話ししたいことはまだまだたくさんあります。しかし、この
話だけを続けるわけにはいきません。明日からは新しいテーマを
取り上げます。             −−−[八咫烏12]

神と相撲を取るヤコブ.JPG
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