したが、一方の「メリザンド」とは一体何者なのでしようか。
メリザンドとは、もちろん、メーテルリンクの原作戯曲『ペレアスとメリザンド』の
メリザンドのことです。この戯曲は、1893年5月17日に、リュニェ・ポーの演出
によって初演されているのですが、この初演をドビュッシーは観ているのです。その後
この戯曲の原作戯曲を手に入れて一読したドビュッシーは感動し、音楽をつけることを
決意するのです。
ドビュッシーと原作者のメーテルリンクは、同じ1862年生まれであるので、ドビ
ュッシーは人を介してメーテルリンクと交渉し、すぐ音楽化の許可をもらっています。
音楽は1895年の夏には歌劇『ペレアスとメリザンド』として完成し、その秋にメー
テルリンクから上演の許可をもらったのですが、つまらぬことでゴタゴタし、結局約7
年後の1902年4月30日に、オペラ・コミック座で上演されたのです。
この『ペレアスとメリザンド』という歌劇に登場するメリザンドは、アルモンド国の
王子ゴローが深い森の中の泉のところで見つけた正体不明の女性なのです。王子ゴロー
はあまりの美しさに心を奪われてメリザンドを城に連れて帰ります。そのときゴローは
最初の妻を亡くし、独身だったのです。
メリザンドは自分の素性については一切明かさなかったのですが、結局ゴローはメリ
ザンドと再婚するのです。しかし、メリザンドは、あまりゴローが好きでなかったらし
く、ゴローからもらった結婚の指輪を泉のそばで放り投げて遊び、泉に落としてしまう
など不可解な行動をとります。
それどころか、メリザンドは、ゴローの弟であるペレアスに心を惹かれ、愛し合うよ
うになるのです。やがて、そのことを知ったゴローは怒り狂い、ペレアスを刺し殺し、
メリザンドも死んでしまう――話はこういう悲劇で終わるのです。
それでは、メリザンドはなぜ水の精といわれるのでしょうか。
これには諸説があるのです。王子や騎士が獣を追って深い森の中を行くと、泉のほと
りで若い女に出会うという話は中世の人魚の伝説「メリュジーヌ」に酷似しています。
しかも、メリザンドと名前までよく似ています。
メーテルリンクが作劇の構想をメモした手帳が残っているそうですが、その内容を分
析した研究者によると、『ペレアスとメリザンド』のヒロインの名前は次のように変遷
しているのです。
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クレール → ジュヌヴィエーヴ → メリザンド
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「クレール」は「光」を意味しており、「ジュヌヴィエーヴ」は、ベルギーではよく
知られている中世の伝説『ブラバンのジュヌヴィエーヴ』のヒロインの名前なのです。
しかし、このジュヌヴィエーヴは信仰の篤い聖女のような女性であり、弟と不倫を働く
うな女性のイメージには合わない――そういうわけで、メーテルリンクは、妖精のよう
なあやうい魅力を持つ人魚「メリュジーヌ」にちなんで、メリザンドと名づけたのでは
ないかと考えられるのです。
ちなみに、ドビュッシーの歌劇『ペレアスとメリザンド』には、ペレアスとゴローの
母として、ジュヌヴィエーヴというという名のアルトが登場しますが、メーテルリンク
は最初のうち、メリザンド役にジュヌヴィエーヴの名前を考えていたのです。
青柳いづみこは、『水の音楽』の副題に「オンディーヌとメリザンド」と付けただけ
あって、これらの妖精――水の精について非常によく調べています。ドビュッシーの研
究家である青柳としては、避けては通れない問題であるといえます。
確かに妖精はよく音楽のテーマになることが多く、とくにオペラでは、歌劇『ペレア
スとメリザンド』のように、タイトルロールとして取り上げられているものも多いので
す。
一般的に妖精は、人間の赤ちゃんの笑顔から生まれてきたといわれており、無邪気で
可愛いというイメージがあります。しかしそういう妖精は少数派であって、大半は恐ろ
しい悪魔の化身なのです。例えば、ムソルグスキーの組曲、『展覧会の絵』に登場する
「バーバ・ヤガー」は、森の中で道に迷って困っている人間を喰ってしまうロシアの残
酷な妖精なのです。
また、一見可愛らしく見える妖精――とくに水の精のように美しい女性の姿をしてい
る妖精も、人間社会の常識を知らず、善悪の判断を持たず、自らの意識のおもむくまま
に天衣無縫の行動する――それがときとして人間に役立つことがある反面、次の瞬間に
はとんでもないいたずらをやってのけたりするのです。それが妖精であり、根本的に人
間とは違うのです。
水の精は水に準じた特徴を持っています。流れるような長い髪を持ち、着物からはし
ずくがぽたぽた垂れています。その性格も水のように気まぐれでかわいらしかったり、
突然癇癪を起こしたり、煽情的だったり、いたずらっぽかったり、あるいはイジワルで
冷酷無比だったりする――これが音楽のさまざまな律動に自然に乗るのです。そして、
水の精は波のようにしなやかに踊ったり、この世ならぬ声で歌ったりする――音楽によ
くフィットするので、作曲家が進んで取り上げたくなる対象なのです。
青柳いづみこは、水の精の中には意図的に人間たちを誘惑し、自分たちの世界に同化
させようとする人間くさい目的意識を持つものが多いと指摘し、それらの水の精が人間
を誘惑するタイプには、次の4つの原型があると述べています。
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1.網をはり待つタイプ ・・・ メリザンド
2.引きずり込むタイプ ・・・ セイレーン
3.出かけて行くタイプ ・・・ オンディーヌ
4.何もやらないタイプ ・・・ メドゥ−サ
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・・・[青柳いづみこ/03]