2007年09月05日

●特殊部隊は墜落現場で何をしたか(EJ第1063号)

 JAL123便が墜落したのは、午後6時56分です。それから約1時間後に、上野
村三つ岐というところに自衛隊の一団が集結しはじめたのです。その数50人〜100
人――彼らは何かの合図を待っているように静かに待機していたのです。1985年8
月12日のことです。
 ちなみに、墜落現場から一番近い自衛隊の基地といえば、長野県松本市の陸上自衛隊
第13普通科連隊、陸上自衛隊第12師団司令部のある群馬県相馬原の部隊です。しか
し、ここに集まってきていたのは、そのいずれでもないのです。
 この上野村三つ岐は群馬県にあり、神流川主流に沿って浜平鉱泉・諏訪山方面から御
巣鷹山付近へも、または長野県境のぶとう峠方面へもいける交通の要衝に当たります。
とくに群馬県側から御巣鷹山付近に行くには最適の待機地点といえます。
 午後9時30分過ぎになって、JAL123便の墜落現場――御巣鷹山方向から信号
弾が上がったのです。その信号弾に呼応して、上野村三つ岐に待機していたその自衛隊
とおぼしき一団は整然と移動を開始したのです。そして、御巣鷹山の墜落現場に入って
いったというのです。
 この時刻は、米軍のC−130と救難ヘリが横田基地からの連絡により、乗員・乗客
の救出を断念して引き上げた時刻と一致するのです。つまり、米軍が去るのを待ってい
て、信号弾を打ち上げたと思われます。彼らはそこで何をしたのでしょうか。はっきり
していることは、救助ではないことです。
 その一団の行動は整然として無駄がなく、特殊訓練を受けた部隊のように見えたとい
います。おそらくその一団は自衛隊の秘密部隊であると考えられます。どこの国にもそ
ういう部隊は存在し特殊任務を遂行するのです。
 もうひとつ重要なことは、JAL123便が墜落した御巣鷹山一帯が、自衛隊特殊部
隊の秘密訓練地帯になっていることです。したがって、墜落場所からそう遠くないとこ
ろにその秘密部隊の基地があったとしても不思議はないのです。
 それにしても、2機の自衛隊機がJAL123便を強引に御巣鷹山付近へ誘導したこ
とといい、墜落場所へ行く絶好の地点に少なくとも50人を超える人数を午後8時(墜
落の1時間後)に集めていることといい、そこに何か意図的というか計画的なものを感
じるのです。
 池田昌昭氏によると、その秘密部隊は、墜落現場で、機体の前部・中部の様子を入念
に調べ、何やら作業をしていたそうです。そして、スゲノ沢の機体後部付近で、無線交
信妨害電波を出しながら、何かをやっていたといわれます。その時点ではかなりの生存
者がいたと考えられますが、そういう生存者の救出は一切行ってはいないのです。まさ
に見殺しです。
 いったいこの特殊部隊は何をしていたのでしょうか。
 JAL123便が御巣鷹山に墜落した直接の原因について、池田昌昭氏は恐ろしい仮
説を立てています。それは、自衛隊機のミサイル発射によってエンジン部分が破壊され
たことによる墜落という仮説です。あまりにも恐ろしい、考えられない推測であり、に
わかには信じられない思いがあります。
 しかし、仮にそうであったとするとツジツマが合ってくるのです。自衛隊――いや、
自衛隊は一応軍隊組織であり、上の命令によって動く存在であるので、「自衛隊を動か
している存在」−つまり、政府としては、どうしても隠さなければならないものがあっ
たのです。
 それは、日米でひそかに開発を進めていた巡航ミサイル―――それ自体が極秘である
のに、こともあろうにその演習用ミサイルが、民間機であるJAL123便の垂直尾翼
にぶつかってそれを破壊してしまったことです。
 しかも、その痕跡がはっきりと破壊された尾翼の跡に残っているということが緊急発
進した自衛隊機によって確認されているのです。もし、JAL123便が横田基地や羽
田空港などに着陸を試みたとして、大勢の人が亡くなるようなことになったら、その原
因が白日の下に晒されることになる――そんなことになったら政府や自衛隊は持たない
と考えて不思議はないのです。
 この場合、「自衛隊を動かしている存在」によって一番都合が良いのは、JAL12
3便が、人が容易には近づけない険しい山岳地帯に激突して、機体がこなごなに破壊さ
れ、垂直尾翼の痕跡もろとも、すべてが隠蔽されることだと思います。
 そのため、JAL123便を方向転換させ、自衛隊の特殊部隊の演習場である御巣鷹
山付近の山岳地帯に誘導したのです。しかし、JAL123便の機長は、それでも必死
の不時着を試みようとしているので、ミサイルを発射して墜落させたのではないかとい
うのです。
 「自衛隊を動かしている存在」にとってさらに都合が良いことは、全員が死亡するこ
とでしょう。生存者――とくにすべての事情を知る機長をはじめとする操縦クルーに生
存者がいることは、「自衛隊を動かしている存在」にとって、致命的になります。
 生存者はいない方が良い――これが米軍の救出の申し出をあえて断り、墜落場所が特
定されているにもかかわらず、直ちに救出しようとしなかった理由であったとしたら、
これほど人の道に外れる行為はないといえます。
 仮にそうであったとしたら、墜落現場での自衛隊特殊部隊の任務は、機体の墜落状況
の調査、ミサイルで粉砕されたあらゆる痕跡の回収――とくにミサイル痕が残っている
遺体の回収、垂直尾翼の痕跡の除去などになります。
 とくにコックピット内は焼き尽くされ、何もなかったし、操縦クルーの遺体はなく、
ただ歯が残されているのみという状況であったといわれます。いかに激しく地面にぶつ
かったとはいえ、遺体の一部は残るはずであるし、コックピット部分には燃料タンクは
ないのに焼け爛れていたといわれます。それは、まるで火炎放射器で焼いた跡のようで
あったといいます。機首前部付近では「遺体がない」という声が相次いだといいます。
                       ・・・[御巣鷹山事故の謎/13]

posted by 管理者 at 03:54| Comment(3) | TrackBack(0) | 御巣鷹山事故の謎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
現場3Km付近の橋のプレートには「昭和57年」に落成や「昭和60年」と書いてあります。報道や回想録等で行くのが大変だったといった記述が多く出されていますが昭和60年8月におきましては地上からでも到達できたことが伺えます。
Posted by 123 at 2007年10月14日 09:02
なぜ早急な救助が出来なかったのか。
それは、医療用アイソトープを積載していたなどの問題がありました。
実際、自衛隊などが安全性の確保についてまごついている間に翌朝?上野村の救助隊が勝手に登ってしまったため、それから救助が始まったと記憶しています。
Posted by 123 at 2010年09月28日 14:05
池田さんは今お元気で普通にお暮らしですか?
この記事を読んで、あり得る事と思いました。
人が信じれない、益々そうなります。地位も名誉もお金もある人で、本当に立派な人間て、どこにいるんでしょうか。どなたか、知っておられたら
教えてください。
太古のの昔から、人間が人間を自分の利益の為に
殺すことは、直接手を下さないだけで、なんにも
変わっていません。 あの当時、ニュースやワイドショーは、ずっと見ていましたが、なんかおかしいと思っていました。
ボイスレコーダーですか、すぐにも全部開示しませんでしたし、どうもなんか、おかしい展開だと思っていました。
そんな事もあったのでしょうと思うと、この世の
不条理になおも泣けてきます。
池田さんが、なんの辛い目に合うことなく、マスコミもこのことを取り上げてはいないのでしょうか。  今も元気で普通の生活をされていらっしゃるならいいのですが、不幸なめに合わされていたら、とても辛いです。
私に、今の私に、なにができるのでしょうか。
どこにぶつけていいのかわからない、悔しい思い
でいっぱいです。
このサイトこの池田さんのこの記事を知ったのが
沈まぬ太陽をテレビで見てから、山崎豊子さんのこととか調べていて、昨日知りました。
ずっとしらずにいました。
本当に悔しくて、なりません。
Posted by 坪田陽子 匿名希望 at 2011年02月16日 22:22
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