2007年09月04日

●自衛隊はなぜ米軍の救助を断ったか(EJ第1062号)

 1994年9月25日のことです。テレビ朝日「ニュース・ステーション」では「米
軍幻の救出劇」と題して、御巣鷹山日航機墜落事故関連の番組を放映しています。
 1985年8月12日当日、沖縄嘉手納基地から横田基地に帰投中の米軍C−130
輸送機は関東南A空域にさしかかっていたのです。そのとき、同機のマイケル・アント
ヌッチ航法士(ナビゲーター)は、横田基地からJAL123便の探索命令を受けたの
で、一帯を捜索した結果、午後7時30分前にJAL123便の墜落現場を確認してい
ます。番組では、マイケル・アントヌッチ航法士が次のようにいっています。
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       あたりはちょうど夕暮れだったが、地面はまだ見える明るさ
      でした。燻る機体も炎も見えた。  ――アントヌッチ航法士
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 米軍C−130のジョン・グリフィン機長は、JAL123便の残骸の上空600メ
ートルで旋回飛行をし、横田基地からの位置を測定し、20分後には正確な墜落場所の
位置を横田基地に知らせているのです。
 午後8時30分になって、横田基地からC−130に再び連絡が入り、「60キロ離
れた米陸軍キャンプ座間から救難ヘリUH−1が、そちらに向かっている」と知らせて
きたのです。
 やがて救難ヘリUH−1は飛来し、乗員2人を下ろそうとして木の梢から15メート
ルのところまで降下したのです。そのときC−130に横田基地からいきなり「直ちに
基地に帰還せよ」という命令が入ったのです。
 しかし、ヘリは「救助に入りたい」――と連絡。これに対して、横田基地の司令官は
「日本側の救助隊が向かっている。繰り返す直ちに基地に帰還せよ」と短兵急に帰還を
命じたのです。時刻は午後9時20分――地上に降りかけていたヘリの乗員も再びロー
プを登ってヘリに戻り、救難ヘリも去っていったのです。そしてC−130は横田基地
に帰還するのです。
 横田基地で待っていたのは、第316戦術航空団のジョエル・シルズ副司令官――グ
リフィン機長が報告を終えると、シルズ副司令官は「良くやった。しかし、このことは
一切マスコミには話してはいけない」といったといいます。
 このヘリの音を生存者の落合由美さんは聞いており、次のようにいっています。
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       やがて真っ暗闇のなかに、ヘリコプターの音が聞こえたので
      す。あかりは見えないのですが、音ははっきり聞こえていまし
      た。それもすぐ近くです。これで、助かる、と私は夢中で 右
      手を伸ばし、振りました。けれど、ヘリコプターはだんだん、
      遠くに行ってしまうんです。このときもまだ何人もの荒い息遣
      いが聞こえていたのです。 ――――――― 落合由美さんの証言
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 このように、1994年9月25日の「ニュース・ステーション」は、日本側の都合
による米軍救援活動中止要請が事実であることを報道しています。何ということでしょ
う。米C−130は午後7時30分に墜落場所を特定し、20分後には横田基地に正確
な墜落場所を知らせているのです。もちろん日本側にもその時点で伝えられています。
 それなのにテレビでは、次の日の朝まで墜落場所を特定できていないと報道している
のです。これは明らかに意図的です。加藤紘一防衛庁長官(当時)にいたっては、12
日の夜に墜落場所の上空までヘリで飛来しながら救援を指示せず、次の日の朝まで放置
したのです。
 C−130の航法士、マイケル・アントヌッチ氏は『週刊文春』1995年9月28
日号でも次のようにいっています。
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       あの飛行機事故のことは、10年経った今も脳裏に焼き付い
      て離れない。JAL123便が管制塔に『緊急』を告げたとき
      たまたま近くを飛んでいた。現場はすぐに確認できた。墜落の
      2時間後には、アメリカ海軍(陸軍?)の救助ヘリが現場に着
      いた。あの時、ストップがかからなければ、もっとたくさんの
      人が助かっていたに違いない。日本の救援隊が現場に着いたの
      は、その14時間も経ってからというではないか。 ――『週刊
      文春』1995年9月28日号より。
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 これに対して防衛庁は、米軍ヘリが墜落現場上空に到着し、救助寸前であったことに
ついて次のように否定の見解を示しているのです。
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       「米軍ヘリが現場上空に飛来した事実は認められない」
                        ―――― 防衛庁
       「当時の記録がないので、ノーコメント」
                      ―――― 米国防総省
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 そのうえ、自衛隊の松永貞昭中部航空方面司令官(当時)は次のようにコメントして
いるのです。
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       「夜間でしかも急斜面への降下は自殺行為である」
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 これに対して、米陸軍救難ヘリのスタッフは次のように反論しています。
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       「陸軍のヘリにはサーチライトはもちろん、1980年代
       から、夜間暗視装置を標準装備しており、夜間でも急斜面
       でも、救急隊員であれば、だれでも降下できる」
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 その頃、墜落場所付近では奇怪なことが起きていたのです。
                       ・・・[御巣鷹山事故の謎/12]

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posted by 管理者 at 05:00| Comment(1) | TrackBack(1) | 御巣鷹山事故の謎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
信じていただく必要はありませんが、私はJAL123に乗る予定をしていましたが、お盆前のコンクリート打ちの重要な検査のために翌朝の便に変更して難を逃れました。17回忌の翌年、もうご遺族も少ないかと思って家内とお山に登りました。沢山の遺族がおられましたが、その中で、ご子息がキャンセル待ちがとれたのでこれから搭乗するとの電話を受けたお父さんがおられました。無念でならない様子でした。昨年も300人を超えるご遺族がのぼられたそうです。幸い4席空席があったので、私の身代わりは無かったのが救いです。坂本九さんは常日頃事故の多かった日本航空を避けておられたがこの日だけはANAが取れないで遭難されたとのことでした。澤本孟士
Posted by 澤本孟士 at 2008年03月12日 10:55
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