2007年05月30日

●帝国ホテルでの小さな事件(EJ第1373号)

 アーレイ・バーク米海軍大将――日本の海上自衛隊はこの人の親身にわたる協力なし
には今のようなかたちでは創設できなかったといわれます。日本政府は、1961年に
バーク氏の功績に対し、勲一等旭日大綬章を贈っています。
 こんな話があります。彼は、1996年1月1日にワシントン州の郊外ベセスダの海
軍病院で亡くなっているのですが、その葬儀に参列した石田捨雄元海上幕僚長の話によ
ると、バーク氏の遺体の胸には、その勲一等旭日大綬章だけが付けられていたというの
です。棺外側には受賞した勲章がずらりと並べられていたのですが、胸に付けられてい
たのは日本の勲章だけだったというのです。石田海上幕僚長が副官にそのことについて
尋ねると、日本の勲章を胸につけるのはバーク氏の遺言だったそうです。
 生前のバーク氏に対して海上自衛隊はその功績を忘れないために、海上幕僚長(海軍
大将)が訪米するたびに表敬訪問し、それに加えて歴代の防衛駐在官が誕生日になると
自宅に必ず花を届けたというのですから、日本の海軍関係者がいかにバーク氏に対し、
感謝していたかがわかります。晩年のバーク氏は、米海軍よりも海上自衛隊の方が自分
を大事にしてくれると大変喜んでいたというのです。
 しかし、このバーク氏は、かつては大変な日本人嫌いであり、太平洋戦争では、第2
3駆逐艦群司令として出陣し、次のように日本海軍に大きなダメージを与えたのです。
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       巡洋艦                  1隻撃沈
       駆逐艦(川内、初風、大波、巻波、夕霧など) 9隻撃沈
       潜水艦                  1隻撃沈
       飛行機                 30機撃墜
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 バーク氏がなぜこれほどまでに日本に対して敵愾心を持ったかですが、おそらく日本
軍が真珠湾攻撃で戦艦「アリゾナ」を沈めたのが原因ではないかと思います。どうして
かというと、バーク氏が海軍兵学校を出たあと、最初に乗り込んだ軍艦が戦艦「アリゾ
ナ」だったからです。
 彼は、戦艦「アリゾナ」で5年間勤務し、艦内の仕事をすべて覚えたといいます。そ
の仕事ぶりは誠にすばらしく、上官の注目のマトであったのです。同僚たちは、バーク
氏について次のように噂しあっていたといいます。
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      「バークは50になるまでに死ぬだろう。もし死ななければ、
      海軍作戦部長になるだろう」。
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 そして実際に1955年、バーク氏は米国海軍作戦部長に就任するのです。先任を9
2人追い抜いての大抜擢であったといわれています。そして作戦部長を3期6年務め、
退役しています。
 バーク氏が日本にやってきたのは、朝鮮戦争勃発後の1950年9月のことです。そ
のときのバーク氏の階級は少将――ときの米海軍作戦部長フォレスト・シャーマン大
将直々の要請で、日本にやってきたのです。
 彼は日本に向かう飛行機の中での気持を自伝の草稿の中で次のように書いています。
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       東京に飛ぶ飛行機の機内で、私は突然司令部が東京にあるこ
      との意味に思い至った。おそらく日本人とかなりの程度やりと
      りせねばならないだろう。戦争中の経験からして、日本人はま
      ったく好きではなかった。できる限り彼らと接するのを避けよ
      う、(接するにしても)礼儀正しく、冷たく、なるべく距離を
      置こうと決意した。     ――阿川尚之著『海の友情/米国
                  海軍と海上自衛隊』より。中公新書
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 バーク氏の東京での宿舎は帝国ホテルだったのですが、そこでバーク氏が日本人を見
直す小さな事件が起こります。バーク氏に用意された部屋は小さく、ベットと椅子と鏡
台があるだけの陰気な部屋だったそうです。
 そこで、バーク氏はホテルの地下の花屋で花を買って、コップに入れて鏡台の上に飾
り、残りの花はそのままにしておいたのです。ところが、その次の日、花は花瓶にきれ
いに飾られていたのです。それから、毎日部屋に少しずつではあるが、花が飾られるよ
うになり、バーク氏は随分となぐさめられたといいます。
 バーク氏は、花を飾ってくれる心遣いに対してフロントに謝意を述べると、フロント
はそのようなことはしていないというのです。結局その部屋を担当するメイドさんの心
遣いであることがわかったのです。彼女は太平洋戦争で夫を亡くした未亡人でしたが担
当の部屋の外国人が、花を求めていることがわかったので、乏しい給料の中から少しず
つ花を買い、毎日部屋を飾ってくれたとわかったのです。
 バーク氏はホテルを通じていくらか金を包もうとしたのですが、本人が固辞して受け
取ってもらえなかったのです。このことからバーク氏は、金で感謝するのは日本の礼儀
に反することを知り、親切には親切で返すしかないことを学んだといっています。
 後にバーク氏は、この小さな出来事によって、自分の日本人嫌いが正当なものか、考
えるようになったといっています。実際にこの帝国ホテルの小事件を境に、バーク氏は
かつて自分が日本人に対して立てていた方針――できる限り彼らと接するのを避け、接
するにしても礼儀正しく、冷たく、なるべく距離をを置く――を撤回し、積極的に日本
人と付き合うようになったといいます。
 バーク氏は、日本という国をもっと知りたいと思い、当時極東空軍司令部(明治生命
館)にいた同期のエディー・ピアス大佐に相談します。そして、ピアス大佐から紹介さ
れたのが、野村吉三郎元海軍大将なのです。
 こうして戦争に負けた国の老海軍大将と、戦争に勝った国の前途ある海軍少将との交
流がはじまったのです。               ・・・[自衛隊の実力/04]
posted by 管理者 at 04:29| Comment(0) | TrackBack(1) | 自衛隊の実力 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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