います。それでは大和朝廷発祥の地は四国のどこかということを明らかにしておく必要
があります。
四国には山上部落が弥生時代からあったといわれます。それに古代史の研究家の大杉
博氏によると、四国では有史以前から明治時代まで、毎年山を焼く習慣があったそうで
す。そのため四国のほとんどの山の中腹以上が奈良の若草山のように草原になっていた
といいます。
そして冬になると、その草山の草が枯れて地肌が露出し、ちょうど馬体のような色に
なるので、遠くから四国の山を見ると変な形の馬がたくさん寄り集まっているように見
えていたといわれます。その姿を形容して「邪馬台国」といったのではないかという説
があるのです。つまり、「変な馬を台にしたような国」という意味です。
また、その山上の国を「天国(あまつくに)」とか、「高天原(たかまがはら)」と
呼んだり、「ヤマトの国」(山人の国)と呼んでいたといわれます。このように邪馬台
国は四国山上にあったとすると、記紀にある「芦原中国(あしはらなかつくに)」と「出雲」を含めた日本発祥の地は、四国の阿波であると考えられるのです。もちろん剣山も阿波にあります。
剣山山頂に上がると、そこに広がる風景は、パレスチナの地形によく似ているそうで
す。ちなみにエルサレムは800メートルの山上にあり、日本に渡来した古代イスラエ
ル人がパレスチナに似た四国の山上を選ぶことには不思議はないのです。
前回10番札所の切幡寺より西には行かせないという何らかの強い意思が存在する
ことについて述べました。実際に切幡寺から池田町までの吉野川沿いには街道が敷かれ
ていないのです。切幡寺まで行き、そこから土佐に行くのは、吉野川沿いに進み池田町
を通って入るのが一番近いのに、そこは街道がないので通れず、わざわざ讃岐を通って
入るしかなかったのです。
つまり、吉野川沿いに土佐に入るコースは人を入れないブラックホールがあったわけ
です。しかし、皇族関係の人はこのコースを通ることを許されていたという話もありま
す。実はこのブラックホールこそが「芦原中国(あしはらなかつくに)」ということに
なるのです。大和朝廷はEJ553で述べたように国策として、このブラックホールの
地域を隠そうとしたのです。
四国88ヶ所めぐりについてもう少し考察してみたいと思います。いわゆる遍路たち
が四国88ヶ所を巡礼する習わしは、南北朝時代に生まれたといわれています。
遍路姿は死装束です。これを着て四国88ヶ所を巡礼するのはたとえ途中で行き倒れ
てもよいという意思のあらわれであるとされています。それは、四国が常世国(とこよ
こく)と考えられているからです。かつての日本では、死後に常世国に行くのが理想と
されていたのです。
これに加えて四国は「葬られた国」という意味があるのです。葬られた国とは、大和
朝廷の発祥地が故意に隠されて表面上は存在しないという意味です。そういう意味にお
いて、やはり、四国は「死国」を意味しているということになるのです。
これに関して大杉博氏は、四国を死国にせざるを得なくなった悲しみを詠んだ歌が
「いろは歌」で、やはり作家は空海であるといっています。これはなかなか面白い説です。
「いろは歌」の7字折り返しの一番下の字を読むと、「とかなくてしす(咎なくて死
す)」となりますが、これは人の死ではなく大和朝廷の発祥地阿波を隠さざるを得なく
なったことを指しているというのです。つまり、「咎がないのに葬られた死国」という
意味です。
大杉氏による「いろは歌」の解釈は次の通りです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
『母(いろは)なる国は、その匂いがいっぱい残っているが、
これでおしまいか。この世は無常である。さまざまの因縁によ
って生じた現象を、今日ようやく乗り越えて、これから、浅い
夢を見ず、酔いもせず、厳しい現実の世を生きてゆく』。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
大杉氏は「いろは」を母、すなわち、大和朝廷を生み出した母なる国と解釈し、「浅
い夢を見ず、酔いもせず、厳しい現実の世を生きてゆく」は空海が困難かつ厳しい問題
に生涯を捧げていることをあらわしていると主張しています。
さて、剣山についての話題です。剣山では7月13日から剣神社の夏祭りが行われる
のですが、7月17日には「神輿渡御(みこしとぎょ)」という神事があります。大勢
の山伏姿の信者たちによって、神輿が剣山の山頂に担ぎ上げられるのです。EJ552
号で述べたように、神輿のルーツは契約の箱(アーク)とされているので、象徴的な神
事であると思います。
問題はこの7月17日という日です。この日は京都の八坂神社では山鉾巡行が行われ
る日でもあります。『旧約聖書』によるとノアの箱船がトルコとアルメニア国境にある
アララテ山に漂着した日が7月17日なのです。
古代イスラエル人が住めなくなったイスラエルを逃れてはるばる日本に渡来し、剣山
にアークを安置したことは、ノアの箱船がアララテ山に漂着したことにも匹敵する出来
事であり、そのために「神輿渡御」の神事が残っているのではないかというのです。
ところで、八坂神社で山鉾巡行が行われるときの掛け声は「エンヤラヤー」です。日
本人にとっては単なる掛け声のこの「エンヤラヤー」は、古代ヘブライ語、すなわちヘ
ブル語では「我こそは神を誉め讃えまつらん」を意味するのです。これらの昔から伝わ
る意味不明のことばはヘブル語であることが多いのです。
八坂神社の「ヤサカ」は古代ヘブル語の「イヤサカ」からきていると考えられます。
イヤサカは「神を讃える」という意味であり、これがやがて「ヤサカ」となったので
す。日本という国についてわれわれはあまりに知らないですね。
・・・ [日本人とユダヤ人/07]