う説には抵抗がある」という趣旨の質問がきていますので、最初にこの質問についてお
答えしておきたいと思います。
確かにイスラエル人は白人ですが、「旧約聖書」に登場する古代イスラエル人はセム
族といって、中背で毛髪・瞳孔は黒く、どちらかというと日本人に似ているのです。し
かし、イスラエル人は長い歴史の中でユダヤ教を信奉する白人(カザール人)との間で徐
々に混血が繰り返されて白人化したとされています。
さて、今朝は空海の話をするのですが、それには、ときの大和朝廷がその発祥の地、
すなわち邪馬台国をなぜ隠さなければならなかったかということを知っていただく必要があります。
まず、大和朝廷が発祥地を隠すためにどのような方策をとったかについて述べましょ
う。
第1に、皇族たちが大和朝廷の発祥の地が四国にあることを絶対に口外しないことを
誓約させています。天武8年(679年)のことであり、これを「吉野宮の会盟」とい
うのです。
第2に、大和朝廷の発祥の地が四国にあることを隠すためのカムフラージュを施した
記紀(古事記、日本書紀)を編纂したことです。記紀にはそういう個所がたくさんある
のです。
第3に、記紀の記述を信用させるために、各国々に「風土記」を編纂させ、そのなか
に記紀の記述を裏付けるような記事を掲載させたのです。さらに、「万葉集」を編纂し、歌のうえでも朝廷の発祥地を隠したのです。
第4に、全国各地にカムフラージュ用の神社を創建したり、場合によっては山を築い
たりしたのです。そして、朝廷の発祥地である阿波へは他国者を立ち入らせないように
したのです。
まだありますが、ざっとこんな具合ですから、記紀や万葉集などから、いくら邪馬台
国を探そうとしても見つからないのは当然のことなのです。
最大の疑問は、このように歴史をゆがめるようなことをしてまで、大和朝廷はその発
祥地をなぜ隠そうとしたかです。結論をいうとそれがわかってしまったら、唐が契約の
箱(アーク)を奪いに攻め込んでくるという恐れがあったからなのです。
当時の大和朝廷は極端なほどに唐来襲を恐れていたのです。それは663年に行われ
た朝鮮の白村江(はくすきのえ)における日本・百済連合軍と唐・新羅連合軍との戦い
で、日本は唐の水軍に敗れ、惨敗しているからです。そして、その結果百済が滅び、国
が滅びることの惨めさを身にしみて知ったからです。
もうひとつ理由があります。それは、ちょうどその頃、唐ではイラン人を中心とする
キリスト教の一派によってキリスト教が流行り始めたということです。これは景教(け
いきょう)と呼ばれるのですが、これについては改めてお話しします。
こんな時代に、もし「日本にはユダヤの秘宝契約の箱がある」ということが唐にわか
ってしまったら、本気で奪いにくる可能性は十分あったのです。まして、白村江の戦い
で唐は日本に勝っており、日本恐れるに足らずということがわかってしまったのですか
ら、なおさらのことです。
空海は唐に詳しく、唐が日本の国力のはるかに上を行く国であることを誰よりも熟知
していたので、大和朝廷の隠蔽工作に協力したのです。空海と四国といえば、四国88
ヶ所の霊場の存在がありますが、これと隠蔽工作とは関係があるのでしょうか。
これは、隠蔽工作の第4の方策「朝廷の発祥地である阿波へは他国者を立ち入らせな
いようにする」ということと、深い関係があります。
一般の人は空海が88ヶ所の霊場を開いたというからには、そのすべてが真言宗の寺
であると思っています。しかし、実際には空海の創建した真言宗の寺は38ヶ所、残り
の50ヶ所の寺は真言宗以外の宗派の寺です。このことから、四国88ヶ所を開いたの
はく空海ではないという説もあるほどです。
添付ファイルに地図を出していますが、この88ヶ所の札所はいずれの札所からも剣
山を含む一帯が見えないよう配慮されているのです。つまり、空海は可能な限り他国の
者には剣山を含む一帯を見せないよう札所を配置したのです。
札所の配置に注目していただきたいのです。88ヶ所中1番札所霊山寺から10番札
所切幡寺までは、「十里十ヶ所」といって各札所間の距離が短いのです。
ところが、10番札所の切幡寺から西は、池田町までの広い地域に札所がまったく置
かれていないのです。それでは、この区域は空海とまったく縁がないのかというとそう
ではなく、空海の創建した寺はたくさんあるのです。とくに池田町にある箸蔵寺は空海
の創建であり、四国では最大級の寺であるのに札所にしていないのです。
ところで第1番の札所から第10番の札所までの寺の開基を調べてみると、4番から
10番までが空海の開基となっています。
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第 4 番 ・・・ 大日寺 第 8 番 ・・・ 熊谷寺
第 5 番 ・・・ 地蔵寺 第 9 番 ・・・ 法輪寺
第 6 番 ・・・ 安楽寺 第10番 ・・・ 切幡寺
第 7 盤 ・・・ 十楽寺
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これらの寺の頭文字を並べると、「大・地・安・十・熊・法・切」となります。大杉
博氏によると、これは「大地に安住するために隈を法で切る」という意味だというので
す。
この隈とは「彎曲して入り組んだ所」という意味で、10番の切幡寺から西側の池田
町沿いの平野部も隈に該当します。そこを切るとはそこから先に行かせないという強い
意思をあらわしているというのです。 ・・・ [日本人とユダヤ人/06]
空海が開いたと言うのでしょう。