2007年03月12日

●大和民族のルーツはイスラエルである(EJ第550号)

 ここまで「ユダヤ人」と「イスラエル人」をとくに説明しないで使ってきています。
今朝はこのあたりのことを整理しておきたいと思います。そうしないと、これから先の
話が混乱してしまうと思うからです。
 そもそも「イスラエル」ということばが先にできたのです。イスラエルの父祖といわ
れるヤコブという人が、自分の名前を「イスラエル」と改めたことにより、彼の子孫が
イスラエル民族と呼ばれるようになったからです。
 イスラエルには12人の息子がいて、それぞれがイスラエルの12部族となったので
す。紀元前10世紀になって、イスラエルは、ソロモン王のもとで繁栄の絶頂を迎えます。当時イスラエル人12部族は、統一王国イスラエルを形成していたのです。
 しかし、ソロモン王が死ぬと、統一王国イスラエルは、南北に分裂し、王朝は2つに
分かれ、「北王国イスラエル」と「南王国ユダ」になります。北王国イスラエルは「サ
マリア」とも呼ばれ南王国ユダは「ユダヤ」と呼ばれるようになったのです。
 現在、ユダヤ人というのは、基本的にはこの南王国ユダの人々とその子孫をさすので
すが、ユダヤ人をイスラエル人と同義に使う場合もあります。そこに明確な区分けはな
いようです。
 さて、サマリア、すなわち北王国イスラエルは、かつてのイスラエル12部族のうち
10部族が属しているのです。念のため、その10部族の名前をご紹介しておきます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        ルベン、ガド、エフライム、イッサカル、ゼブルン
        ナフタリ、アシェル、ダン、マナセ、ベニヤミン
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 その後紀元前8世紀になって、北王国イスラエルは、東の強国アッシリア帝国の王サ
ルゴンU世の軍隊に征服され、北王国イスラエルの10部族全員がアッシリアの捕囚と
して、アッシリアに強制移住させられてしまうのです。
 これ以来、北王国イスラエルの10部族は歴史の公の部隊からは姿を消してしまうの
です。そのため北王国イスラエルの人々のことを「イスラエルの失われた10部族」と
呼ぶのです。
 それにしても北王国イスラエルの人々は、一体どこに行ってしまったのでしょうか。
アッシリアは彼らをどこに移住させようとしたのでしょうか。聖書には、次のように記
述されています。
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      「アッシリアの王は、イスラエル人をアッシリアに捕らえ移し
      彼らをハラフと、ハボル、すなわちゴザン川のほとり、イディ
      ヤの町に連れていった」(U列王記18.11)
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 これは現在のイラク北部にあたるそうです。イスラエルの10部族の人々は、捕囚と
してまずここに連れてこられて、やがて世界各地に散っていったといわれます。つまり
、この地が彼らの放浪の出発点になったのです。
 これらイスラエル10部族の一部の人たちが、「聖なる宝」を携えて日本にたどりつ
いて日本人の先祖となったという説があります。この説は特定の学者だけが唱えている
説ではなく、かなり多くの学者も同じことをいっています。それには、それなりの根拠
というものがあるのですが、これについてはいずれ述べていきたいと思います。
 小谷部全一郎という人がいます。彼は、1929年に『日本及日本国民之起源』を出
版し、日本の古来のさまざまな風習は、日本人と天皇家のルーツが古代イスラエル人で
あることを示していると主張して一大センセーションを巻き起こしたのです。なお、小
谷部全一郎のこの本は、「日本人のルーツはユダヤ人だ」(たま書房)というタイトルで
再販されています。
 昨日のEJで述べた以外で、小谷部博士の指摘しているものの一部をご紹介しましょ
う。日本神道では、水や塩を使って禊(みそぎ)を行いますが、古代ユダヤ人も禊を厳
粛に行うのです。パレスチナの有名なヨルダン川は、日本語に直すと「禊川」になるの
です。相撲で力士が土俵に上るとき、水で口をゆすぎ、仕切りの前に塩をまきますが、
これは土俵を清めているのです。
 それから、日本の神社は檜で建てられますが、古代ユダヤでも檜で神殿を建築してい
ます。また、日本の神社には拝殿と奥殿がありますが、古代ユダヤの神殿にも拝殿(聖
所)と奥殿(至聖所)があります。ユダヤ教の神殿の至聖所には祭司以外は入ることが
許されませんが、日本の神社の奥殿も神主以外は入ることを許されていないのです。
 ユダヤ教の神殿の入口の近くには水を満たした水盤があり、ここで司祭および参拝者
は手を洗い清めて参入しますが、これは日本の神社でも同様ですね。
 日本人は神社で参拝するとき、身をかがめて神を拝し、あるいは人に礼をしますが、
古代ユダヤ人も同じように身を屈めて礼をしていたというのです。
 これ以外にも正月行事のいわれ、履き物を脱ぐ風習と足を洗う風習、盆踊りのこと、
結婚式のこと、葬式の風習など、数え切れないほど類似点があるのです。
 日本神話によると、大和民族の先祖は「高天原」(タカマガハラ)からきたとされて
います。この高天原とは、一般的には、天上界と理解されていますが、小谷部博士はこ
れは天上界のことではなく、西アジアの「タガーマ(地方の)ハラン」のことであると
主張したのです。
 タガーマ地方とは、現在のイラク北部からアルメニアのあたりに当たり、そこに古代
には「ハラン」と場所があったのです。この場所は、イスラエル10部族がアッシリア
に連れてこられた場所であり、放浪の出発点です。だから、ここを高天原と呼んでもお
かしくないでしょう。小谷部博士は、日本に来たのは、イスラエル10部族のうち、ガ
ド族とマナセ族の2つの部族であると主張しています。 
・・・ [日本人とユダヤ人/03]


posted by 管理者 at 04:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 日本人とユダヤ人 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
日本人に何故基督教徒が増えないのか疑問に感じていました。古代日本の支配階層が古代ユダヤ人だったということですね。日本人には古代ユダヤ教の強い影響下に成立した原始神道経由で旧約聖書の教えが刷り込まれているために、カトリックやプロテスタントの新約聖書的教義を受け付けなくなっているということでしょうか。日本書紀・古事記は旧約聖書と非常に多くの共通点をもっているといわれています。イスラエルから何万キロも離れた日本にのみ古代ユダヤ文化が生き残っているということは日本人は徹底して旧約聖書の民ということなんでしょうね。
Posted by ツシマ at 2008年11月01日 20:27
イスラエル民族は実は単なる奴隷集団であり、民族ではなかったことが、現在は証明されています。選民思想も一神教もそれらをぬぐうためのものであったと現在は分析されています。日本人がユダヤ関係なんてことはましてありえませんし、あってほしくありませんが。また旧約聖書の話は、古代シュメールの文献のぱくりが多いことがそもそもあります。
Posted by ヤハウェ at 2012年08月19日 23:45
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