3人の委員――ラッセル、クーパー、ボッグズについては分析を終わっています。
続いて、委員会の結論を支持した3人――マックロイ、フォード、ダレスの3人につ
いて述べていくことにします。
ジョン・マックロイ元世界銀行総裁――この人物についての情報は多くないのですが
はっきりしていることが2つあります。
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1.ロックフェラー家に非常に近い
2.CIAとの結びつきが強いこと
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ジョン・マックロイは、1920年代にスタンダード・オイルの顧問弁護士をしてい
ます。スタンダード・オイルはロックフェラー家の所有なのです。また、マックロイは
チェースとマンハッタンの合併を成功させ、ロックフェラーに高く評価され、非常にそ
の信頼は厚かったといわれます。
それと同時に、このマックロイはCIAとの結びつきも強いのです。もともとマック
ロイはCIAの前身であるOSS――オフィス・オブ・ストラテジック・サービス/戦
略情報事務局)の幹部をやっていたことがあるのです。このOSSには、同じウォーレ
ン委員会の委員であるアレン・ダレスも第2次大戦中にスイス支局長を務めており、マ
ックロイとは関係が深いのです。
マックロイは、チェ−ス・マンハッタン銀行会長を務めるかたわら、ユナイテッド・
フルーツ社の理事もしています。このユナイテッド・フルーツ社はもちろんロックフェ
ラー系の企業です。
1954年にユナイテッド・フルーツ社はCIAと組んでグァテマラの左翼政権アル
ベネス政府転覆を成功させるという荒っぽいこともやっているのです。さらに、マック
ロイは、あのベクテル社の顧問も務めているのです。ベクテル社については、昨年6月
16日のEJ第1128号で詳しく紹介しております。
まだあります。マックロイは、ニクソンにも近いといわれています。こんな話があり
ます。ウォーターゲート事件の最中のことですが、ニクソンがウォーターゲート特別調
査委員会検事としてこのマックロイを任命するよう指示したことをニクソンによってク
ビにされた元司法長官エリオット・リチャードソンが明かしているのです。
このマックロイは、ウォーレン委員会の結論を最初から最後まで強力に支持したこと
で知られています。いずれにしてもマックロイも、JFK暗殺には何の陰謀も存在しな
かったとしなければならない一派を代表する人物であったようです。
さて、残るはフォード委員とダレス委員です。実は、この2人――トロイの木馬とい
われているのです。なぜ、トロイの木馬かというと、委員会の結論を一定の方向に内部
から誘導し、委員会内部で行われた審議、尋問、証言などの情報をそれぞれの組織に対
して情報伝達する任務を負っていたからです。フォードとダレスにおけるそれぞれの組
織とは次の通りです。
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ジェラルド・フォード ・・・・・ FBI
アレン・ダレス ・・・・・・・・ CIA
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ウォーレン委員会は、ジョンソン大統領から任命され、JFK暗殺事件の真相を究明
するという重大任務を負っていたにもかかわらず、委員たちの出席率が低いことで、歴
史に名を残したのです。その中にあって、フォード委員とダレス委員の出席率はズバ抜
けて高かったのです。そのことも、フォードとダレスが、情報内通をやっていた証拠と
されています。
とにかくウォーレン委員会に与えられた期間は次のようにわずかであり、委員の出席
率がよくなければ真相に迫ることなど最初からできなかったはずなのです。
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スタッフの編成 ・・・・・・・・ 1964年1月末日
調査(聴聞会を含む)完了 ・・・ 1964年5月1日
報告書の起草完了 ・・・・・・・ 1964年6月1日
大統領に提出/報告書発表 ・・・ 1964年7月1日
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委員会では、このきつい日程の中で94人の証人を尋問しているのですが、その尋問
に7人の委員が全員出席したことは一度もなかったのです。しかし、フォードとダレス
の出席率は次のように、際立って高かったのです。
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フォード 94人中70人の証言聴取 ・・ 74.5%
アレン 94人中60人の証言聴取 ・・ 63.8%
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ジェラルド・フォードは、数ある米議員の中でも、FBIやCIAに理解のある人物
であり、副大統領時代のニクソンの友人だったのです。そのニクソンがジョンソン大統
領にフォード議員を委員として売り込んだことは既に述べました。
フォードとニクソン――ニクソンが陰湿で陰謀めいたイメージであるのに対して、フ
ォードはネアカのスポーツマンタイプであり、爽やかなイメージの持主であって、性格
は好対照であるといえます。
そのことを意識していたニクソンは、何かにつけてフォードを重用したのです。フォ
ードもニクソンについていったことで彼は一度も選挙を経験しないで、副大統領、大統
領へと上りつめた唯一の人物となったのです。
最初は、1973年にニクソン政権下のスピロ・アグニュー副大統領が収賄疑惑で辞
任したときに副大統領となり、続いてニクソン大統領がウォーターゲート事件で辞任し
たあと、そのまま押し出されて大統領に就任するという信じられないような幸運がフォ
ードに舞い込んだのです。 ・・・・・ [JFK13]