2006年06月15日

●『とうりゃんせ』の由来は多くある(EJ第891号)

 童謡「とうりゃんせ」の「七つのお祝い」の部分は、子どもの
7歳のお祝いの儀式ではなく、神の数「7」にかかわる神道奥義
の試験を意味するという話をしました。天神にいたる道は細く閉
ざされており、文字通り狭き門なのです。
 それでは、「行きはよいよい、帰りは怖い」というのは、どう
いう意味でしょうか。神道の研究家によると「試験に合格すれば
よいが、合格しないと五体満足で帰れる保証はない」という意味
だと述べていますが、いまひとつ説得力がないと思います。
 『童謡の謎2』の合田道人氏は、この部分をどのように説明し
ているのでしょうか。ご紹介しておきたいと思います。
 合田氏は、この歌の発祥地は、現在も埼玉県川越市にある三芳
野神社であるといっています。ちゃんと天神様を祀っており、細
道もあるというのです。三芳野神社は昔からあったのですが、長
禄元年(1457年)に川越城が建てられて、三芳野神社は川越
城の城内に移されているのです。合田氏の説明は、ここがキーポ
イントになるのです。
 「とうりゃんせ」は、もともと川越城内の子女を遊ばせるため
に作られたわらべ歌であるといいます。城内の子女を意識的に外
部とのふれあいから避けるために作られ、子どもを遊ばせた歌で
あるというのです。
 城外の市民が三芳野神社に参詣できないわけではないのです。
しかし、神社は城内にありますから、門番にいちいち誰何され、
参詣の目的を聞かれる――このように考えると、つじつまが合っ
てきます。
 七五三は、当時の子どもは抵抗力が弱く、医学も発達していな
かったので、三歳まで生かせていただいた、五歳まで生かせてい
ただいたというように、神社にお礼に行くというのが、当時の習
わしだったのです。
 この七五三のお参りに三芳野神社に行くとき、門番にわけを話
して入れてもらうのですが、城を警備する武士からみると忍びか
もしれないし、警戒すべき対象となるわけです。子連れの親とし
ては「怖い」わけです。しかし、それなら、「行きはよいよい」
とならず、「行きも怖いし、帰りも怖い」となるはずです。この
帰りだけが怖い理由としては、帰りに城外に出るとき厳しい持ち
物検査などをされたからという説もあります。
 しかし、「とうりゃんせ」の川越発祥の地説はいくつかの点で
難があるのです。というのは、この歌は日本全国くまなく広がっ
ているという点です。川越から広がって行ったといっても日本全
国くまなく広がるものでしょうか。
 それに三芳野神社は城内にあるという特殊事情があり、そうい
うことで歌の意味が通じるのですが、これは一般的ではないと思
います。だいいち、子どもの七つのお祝い程度のことで、一般人
を城内に入れるでしょうか。仮にもし入れたとしても、一年に一
度か二度の特殊の日――例えば、大祭の日などに厳重な監視付き
で許可する程度だと思います。
 それに日本全国には、「とうりゃんせ」発祥の地というのが川
越のほかにもあるのです。ひとつ例をあげると、小田原市国府津
に正暦5年(994年)開基といわれる菅原神社があるのですが
ここには「わらべうた 通りゃんせ 発祥の地」という石碑が立
っており、歌詞も刻まれているのです。
 ここを発祥の地とした場合、通す通さないのやりとりは、箱根
の関所ということで理解できます。合田氏は、この菅原神社を発
祥の地とすると、「細道」とは箱根の山の街道のことではないか
といっています。箱根の関所から歩けば、国府津の菅原神社まで
4時間から5時間はかかるはずです。
 関所は、今の時間で午前6時から夕方4時まで(明け六つ〜夕
七つ)でしたから、朝6時に関所を出て4時間歩いて神社に参拝
し、2時間休んで引き返すと関所の閉門ぎりぎりになってしまう
のです。それに、行きは下り坂ですから「よいよい」ですが、帰
りは登り道ですから、ヘトヘトになってしまいます。
 これが「行きはよいよい、帰りは怖い」という意味ではないか
というわけです。合田氏は歌の中の「怖い」は「こわい」――疲
労困憊という意味ではないかといっています。北海道では、「疲
れた」ということを「こわい」というからです。しかし、関所と
いう制度は江戸時代に作られており、そういう点では年代的には
疑問があります。
 とにかく諸説があるのですが、いずれも決め手はないのです。
しかし、日本全国隅々まで、いやそれどころか現代にいたるまで
「とうりゃんせ」の歌は完全に日本人の頭の中に浸透しているわ
けです。ある発祥地が長い間にわたって、少しずつ浸透していっ
たということでは説明がつかないのです。それよりも、ときの権
力者(天皇)が明確な目的をもって全国に浸透させたと考える方
が納得がいくと思うのです。
 やはりこの歌は、神道奥義を問う試験に関連して、志のある者
がこれに挑戦するということを意味しているのではないか――そ
のように考えます。
 関所の話が出てきたので、少し脱線します。テレビでお馴染み
の杉浦日向子さんの話ですが、当時関所に関して、「入鉄砲と出
女」ということがいわれたのです。どういうことかというと、関
所の役割は、江戸に入る鉄砲と江戸を出る女を厳しく取り締まる
ことだったのです。鉄砲はわかるとして、なぜ、江戸を出る女を
取り締まったのでしょうか。
 それは、江戸幕府は、各藩主が人質として江戸の邸宅に残して
いる妻や娘が国許にこっそり帰るのを警戒したのです。女の場合
化粧をして風貌を変えたり、汚い着物を着て卑賤の者に姿を変え
ることができます。なぜなら、遊女や芸人などは比較的簡単に通
してくれたからです。それに比べれば男に対して関所は寛大であ
ったそうです。ですから、男装をして出ようとする女もいたので
す。それに、奉行所には女性は絶対に入れなかったのです。もち
ろん、奉行所には女性の職員はいないのです。
                    −−−[八咫烏09]

オ五三のお祝い.JPG


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Excerpt: 子供の頃、安寿と厨子王と言う絵本を読んで何故御母さんは目が見えなくなり,成人した厨子王に会った時その目が見えるようになったのか不思議に思っていた。 心理学の本などを読んでいて,分かった。御母さんは子..
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