2006年06月12日

●秦氏創建の神社と賀茂氏の関係(EJ第888号)

 9日に八咫烏の正体は、下鴨神社に帰属して陰陽道をきわめ、
カッバーラを知り尽くした漢波羅たちによって構成される秘密
組織であり、その組織は現在もなお存続しているということを
述べました。
 にわかには信じられないという方がほとんどでしょうが、少
しずつ事実を明らかにしていきます。こういう組織が存在する
ことで分かることは、神道にはさまざまな重要な儀式があって
そういう儀式をどのようなことがあっても守るという強い意思
が働いていることを感じます。
 謎を解くひとつのカギは、下鴨神社です。既に述べたように、
この神社は裏神道を仕切る賀茂氏の神社です。下鴨神社の境内に
は深い緑の森があります。この森は「糺の森」(ただすのもり)
と呼ばれています。「糺(ただす)」というのは、身を糺すとい
う意味であり、毎年土用の丑の日、境内の池では人々は手足を水
に浸して汚れを祓い、無病息災を祈るのです。
 実は、京都にはもうひとつ「糺の森」があるのです。それは、
右京区太秦にあるのですが、この森は「元糺の森」とよばれてい
ます。「元糺の森」も神社の境内にあり、それは次の神社です。
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  木嶋坐天照御魂神社
  このしまにいますあまてるみたま神社
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 この神社の摂社を「養蚕神社」(こかいじんじゃ)というので
すが、この神社は呉服屋、三井家によって崇拝されているところ
から、地元では「蚕の社」として知られています。三井家は蚕の
社の氏子なのです。
 この蚕の社は秦氏によって創建されている神社なのですが、こ
こには奇妙な鳥居が立っています。それは三柱鳥居といって立体
的に3基の鳥居が合体しています。3本の柱によって、三角形の
空間を囲んでおり、一種の結界を形成しているのです。
 三柱鳥居が立っている神社は全国にありますが、そのほとんど
は再建されたものであるのに対し、古代まで遡れるものとしては
蚕の社の三柱鳥居が唯一のものです。
 さて、蚕の社にある「元糺の森」ですが、「元」とあるように
こちらが本家であることを示しています。調べてみると、もとも
と「糺の森」は蚕の社にあったのですが、9世紀の初頭、嵯峨天
皇のころ、糺の森は下鴨神社境内に移ったのです。いうまでもな
く、森そのものが移動したわけではなく、名前だけが移動したの
です。そのため、蚕の社の森は「元糺の森」と称せられるように
なったのです。
 糺の森という名前が移動したといっても、コトは神社の話であ
り、そこに祀られている御魂――すなわち、祭神が移動したと考
えるのが自然です。つまり、蚕の社――木嶋坐天照御魂神社は、
元下鴨神社だった可能性が強いのです。
 それは、蚕の社の社紋が下鴨神社の社紋と同じ「二葉葵」であ
ることが、そのことを何よりも証明しています。蚕の社を祀る秦
氏と下鴨神社の賀茂氏との間には、表に出ない何か深い関係があ
ると考えてよいと思います。
 既に述べたように、三井家は蚕の社の氏子ですが、三井家と同
じ名前の三井神社は、下鴨神社の摂社なのです。そこには、賀茂
建角身命と伊可古夜日女と玉依姫の3人が祀られているのです。
とても偶然とは思われませんし、明らかに同族であると考えてよ
いと思います。
 ところで、「葵の御紋」といえば徳川家の家紋です。しかし、
徳川家の紋は「三葉葵」です。どうして、徳川家がこの紋を使っ
ているのかについては諸説があります。徳川家康は、三河の松平
家の本流といわれていますが、その出自にはいろいろ、疑問があ
るのです。
 歴史家の村岡素一郎氏の研究によると、徳川家康はもともと松
平氏とは関係のない「世良田二郎三郎元信」と称する男であり、
この男が松平当主であった信康を暗殺して岡崎城主になったとい
うのです。この真偽は定かではないですが、家康がいろいろ系図
操作をしていることは確かなのです。
 ところで、葵を家紋としていたのは、徳川四天王のひとりであ
る本多正信です。本多氏は賀茂神社の神官の一族であり、そのル
ーツは賀茂氏、その家紋は「立ち葵」です。そこで、家康は本多
家にあやかって葵を家紋としたといわれているのです。
 しかし、これとても真相であるとは思えないのです。むしろ、
徳川家も賀茂氏の系統で、配下に陰陽師や漢波羅を抱えていたと
する説の方が説得力があります。EJ887号でも述べたように
およそ日本の歴史において、今まで権力を握ったものは、そのす
べてが秘密組織「八咫烏」の力を借りているからです。したがっ
て、徳川家康がそれと無関係であることは考えられないのです。
 さて、秦氏の創建による蚕の社の祭神が下鴨神社に移ったとい
う事実――それが真実であれば、秦氏と賀茂氏はつながっている
ことになります。いや、つながっているというより、賀茂氏は秦
氏そのものであることも考えられるのです。
 5月15日に京都では、平安時代の貴族に扮した人々が街を優
雅に練り歩く祭礼「葵祭」があります。この葵祭を主催している
のが下上賀茂神社なのです。この日天皇の命を受けた勅使が下上
賀茂神社に出向き、神殿において御祭文や祝詞、東遊舞などを奉
納する社頭の儀というものが今でも行われるのです。それに加え
て、5月12日に下鴨神社で行われる秘祭があるのです。これが
葵祭で行われるもっとも重要な儀式となっています。
 2002年6月23日のNHKスペシャル「アジア古都物語」
で、水に関して、下鴨神社のこの秘祭と葵祭が取り上げられま
した。ご覧になったでしょうか。     −−−[八咫烏06]

のミと三柱鳥居.JPG
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