2010年06月16日

●ホンカイサマとクルムセ国(EJ第1640号)

 古くからアイヌ民族のあいだに、次のような伝説が伝わってい
ます。
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 昔、ホンカイサマは金色の鷲が飛ぶのを見て、その鷲に従い、
 昔先祖が往来した海を渡って、大きな川のあるクルムセ国にお
 行きなされた。             ――アイヌの伝説
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 「ホンカイサマ」とは何でしょうか。
 このアイヌの伝説は、佐々木勝三氏の本にも出てきますが、そ
こでは「ホンカンさま」となっていました。アイヌ語に詳しい人
の話によると、アイヌ語には濁音というものはなく、「サ」の音
が出る前に「ン」という音があれば「イ」と発音するのです。し
たがって、「ホンカイサマ」と書いてあっても、発音は「ホンカ
ンサマ」になるのです。
 「ホンカンサマ」は、その読み方からしても「判官様」に通じ
るものがあります。佐々木勝三氏は、平泉から義経主従が北に逃
れたとされる道を実地踏査しているのですが、釜石市の近くで、
「ホンカンサマ」と呼ばれる神社―――「法冠神社」を発見して
います。神社の正確な場所は次の通りです。
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     法冠神社 ――― 釜石市大字片岸字室浜
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 法冠神社を建立したのは、室浜に住む山崎久右衛門氏の先祖と
いうことです。神社の由来は、山崎氏の説明によると、次のよう
なものだったのです。
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 この地は義経一行が、山越えに来て野宿、もしくは休息をした
 ところだと伝えられています。義経さまたちは、この山を越え
 て大槌のほうへ行かれたということです。その跡へ私の先祖が
 お宮を建てたのです。
         ――佐々木勝三、大町北造、横田正二/共著
   『成吉思汗は源義経/義経は生きていた』より。勁文社刊
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 一口にアイヌ民族といっても、次の2つの種族があるのです。
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  荒蝦夷(あらえぞ) ・・・ 北海道に留まっている種族
  熱蝦夷(にぎえぞ) ・・・ 北海道を脱出している種族
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 「荒蝦夷」というのは、ずっと北海道におり、現在は網走地方
に少し残っているだけです。「熱蝦夷」というのは、もともとは
東北地方に住んでいたのですが、日本民族の勢力が北にのびるに
つれて、しだいに北へと圧迫され、北海道に逃げ込んで、釧路か
ら西の日高地方に住むようになった種族です。この種族は昔は勇
猛さを誇ったのですが、現在は少数民族になっています。
 注目すべきは、ホンカイサマ伝説は熱蝦夷にだけに伝わってい
るという事実です。小谷部全一郎の『成吉思汗は源義経也』に反
論するため、多くの歴史学者は実際にアイヌ種族を調べています
が、そのほとんどは荒蝦夷に会っていたのではないでしょうか。
荒蝦夷をいくら調べても義経の痕跡は出てこないのです。
 明治時代に熱蝦夷の酋長を調べたある学者によると、ホンカイ
サマはアイヌの祖先たちに弓矢の作り方と使い方を教え、それで
鳥獣を捕えたり、網で魚を取る技術を指導したのです。さらに手
工農作のことまで教えたので、ホンカイサマを命の親として神に
祭っているというのです。
 さらにその酋長の話では、やがてホンカイサマは蝦夷地から樺
太へ攻め入り、アイヌに害をなすその土地の酋長を殺し、そこか
ら海を渡ってクルムセの国に入ったというのです。そのさいに、
一族の智者、勇者、若者を動員し、金銀財宝を持って出陣してし
まい、戻ってこなかったために勇猛を誇ったアイヌ族は急速に衰
えたといわれています。
 さて、問題は「クルムセの国」はどこかということです。伝説
の部分をよく見ると、次の2つのヒントがあります。
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      1.昔、先祖が往来したことがある
      2.その国の近くに大きな川がある
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 結論からいうと、義経の時代には「契丹(きったん)」と呼ば
れていた地域ではないかと思われるのです。当時、新羅、高麗、
百済というのは現在の朝鮮半島のことであり、契丹は現在のウラ
ジオストックを中心とするシベリア地方をさします。
 大きな川とは、黒竜江であると思われます。この黒竜江の下流
は、昔から有名な砂金の産地なのです。したがって、秀衡時代の
藤原氏がこのシベリア地方と何らかの関係があるのではないかと
いうことは、あながち荒唐無稽なこととは思われないのです。藤
原氏の所有していたと思われる金は尋常ならざる量だからです。
 ホンカイサマがアイヌの大群を率いて大陸に渡ったとすると、
シベリアの原住民の中には、アイヌ民族と似た風俗が残っている
はずですが、その点はどうなのでしょうか。
 それがあるのです。シベリア西部に住んでいるウオグルという
民族がいるのです。この民族は男は多毛質であり、女は口のまわ
りに入墨をするなど、アイヌ族とよく似た風俗を持っています。
それに住居は丸太の掘立小屋であり、着ている着物の刺繍の模様
も、アイヌのものと酷似しているのです。
 ところで義経は、当時の大陸の状況についてどの程度の知識が
あったかです。推測ですが、私は義経は相当の知識を持っていた
と考えます。NHKの大河ドラマの『義経』の中に、屏風の絵を
前にして平清盛が、まだ幼い牛若に対して海の向こうの話を聞か
せるシーンがあり、印象に残っています。清盛は、都を一時福原
(神戸)に移してまで、海外との交易を考えていたのです。それ
が幼い義経の脳裏に刻み付けられたのです。[義経の謎/10]


≪画像および関連情報≫
 ・シベリア
  シベリアというのは、ロシア連邦のアジア地域、すなわち、
  ウラル山脈以東に広がる広大な地域をいい、シベリアという
  地名は単に地理的範囲を示すものであり、行政単位としては
  意味を持たない。
 ・黒竜江
  現・中国東北地方とソ連邦シベリアの国境を流れる大河。ロ
  シア人はアムール川と称している。全長は4350キロメー
  トルで世界第8位。流域面積は205万1500平方キロメ
  ートルで世界第10位。最上流部はモンゴル高原北東部のヘ
  ンテイ山脈で,ここよりオノン川とケルレン川の二つに分か
  れて流れ出す。オノン川は北東流してシルカ川に注ぎ,ケル
  レン川は東流してアルグン川に注ぎ,アルグン川は、北東流
  して漠河付近でシルカ川と合流する。この合流点より下流を
  黒竜江という。合流点からは大きな狐を描いて南東に流れ,
  松花江などの多くの支流を集めながら小興安嶺の北西端より
  北東流して間宮海峡に注いでいる。

黒竜江.jpg
黒竜江


posted by 管理者 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 義経の謎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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