2010年05月31日

●テレサ・テン/国をあげての盛大な葬儀(EJ第1628号)

 1995年5月12日未明――TG636便でテレサ・テンの
遺体はチェンマイから台湾の中正国際空港に戻ってきたのです。
このとき、空港には200人を超える報道陣と、陸海空三軍の儀
仗兵が出迎えています。そしてこの日、テレサ・テンの葬儀を行
うための台湾政府葬儀委員会が発足しています。
 5月13日になると、遺体は台北にある中華テレビ局内に設置
された霊堂に安置され、棺にはテレサ・テンの好んだ色――紫の
布がかけられていたのです。そこにはテレサ・テンの肖像が掲げ
られ、堂内にはテレサ・テンの歌声が途切れることなく流されて
いたのです。この礼拝所にはその日だけで2000人を超える人
が足を運んでいるのです。
 5月22日に台湾政府は、テレサ・テンの葬儀を公葬(国葬に
準ずる)とすることに決定し、5月28日に実施すると発表して
います。そして、テレサ・テンには、次の褒章が授与されていま
す。一芸能人にはまさに異例のことといえます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
      政府 ・・・・・・・ 華夏一等奨章
      軍 ・・・・・・・・ 陸海空軍褒章
      僑務委員会 ・・・・ 華光一等奨章
      総統 ・・・・・・・ 褒揚令 褒章
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 「華夏一等奨章」は日本でいうと国民栄誉賞のようなものに当
たりますが、芸能人に授与されるのははじめてのことです。
 5月28日の葬儀は、午前7時30分から親族だけの葬儀、午
前8時から友人や葬儀委員による追悼会、午前9時からは公葬、
午前11時から覆旗典例の順序で進められたのです。
 追悼会では、トーラスレコードの舟木社長が弔辞を読み、その
席には作詞家の荒木とよひさ、作曲家の三木たかしの姿もあった
のです。追悼会の最後にはテレサ・テンが残した詞に曲をつけた
「星願」が演奏されています。歌ったのは、テレサ・テンの声に
似ている李宝埼という歌手であり、歌は葬儀の2日前に完成した
といわれています。
 午前9時から11時までは公葬が行われています。台湾以外で
は、香港、日本、東南アジア各地、中には大陸から処罰覚悟で多
くのテレサ・テンファンが参列し、その規模は国家主席であった
蒋介石総統の葬儀に次ぐものとなったのです。
 午前11時からの「覆旗典例」について、有田氏は次のように
書いています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  午前11時過ぎ、「覆旗典例」がはじまった。総統府秘書長
 国民党中央委員会秘書長などの手によって棺が閉められ、中華
 民国旗(青天白日満地紅旗)、国民党旗(青天白日旗)がかけ
 られた。芸能人としてはじめてのことである。哀悼の演奏が行
 われるなかを連戦・行政院長、宗楚瑜・台湾省長らが焼香し、
 献花した。
  ――有田芳生著、『私の家は山の向こう』より 文藝春秋刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 こうしてテレサ・テンの棺は精鋭軍人に担がれ、車で金宝山霊
園に向ったのです。葬儀場周辺や沿道には3万人のファンが詰め
かけて、棺を見送っています。
 テレサ・テンは金宝山霊園の公墓に土葬されたのです。台湾で
は、土葬する場合の手続きが難しく、土地取得も必要なので、特
別の功労のあった人だけが許されるのです。
 チェンマイでテレサ・テンが死亡したとき、台湾の著名な霊園
が次々に土地提供を申し出たというのです。結局は金宝山霊園に
決まり、現在では台湾の観光スポットになっているのです。とく
に日本人はよくテレサ・テンの墓を訪れるといいます。
 テレサ・テンの葬儀の模様を見た日本人は、改めてテレサ・テ
ンが、台湾や中国、それに東南アジアをはじめとする華僑社会に
おいていかに影響力を持つ歌手であったかを思い知らされたと思
うのです。日本と他のアジアの諸国とでは、テレサ・テンの評価
に関して大きなギャップがあったからです。
 テレサ・テンの墓地のある金宝山霊園のパンフレットには、テ
レサ・テンについて次のように書いてあります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 テレサ・テンはわが国の芸能文化にその一生をささげたばかり
 でなく、国際的に傑出した芸術家でありました。彼女は常に努
 力を惜しまず、奇跡ともいえる芸術性を発揮して、歌謡界にお
 いて空前の成功をおさめました。と同時に、国を愛し、軍を敬
 い、軍人の士気を鼓舞する活動にも大いに貢献したのです。そ
 の甘美で優雅な歌声は、大陸はおろかアジア、世界の華人まで
 も魅了し、深い感動を呼びました。しかし、なににもまして重
 要なことは、彼女が純真にして善良な、誠実にして謙虚な人格
 の持ち主であったことです。であればこそテレサ・テンは、中
 国文化や中国歌謡を真に国際化することに成功した唯一の巨星
 となり得たのです。
 ――平野久美子著、『テレサ・テンが見た夢』より 晶文社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 テレサ・テンが亡くなってから、彼女の突然死に関連していく
つかの疑惑が報道されています。エイズ死亡説、毒殺説、大麻疑
惑、スパイ疑惑など・・・です。死因に不審な点があるとされた
のは、チェンマイのテレビ局がテレサ・テンの遺体の上半身を無
神経にも放送したからです。それを英国のロイター通信社がそれ
を世界に配信したのです。とくに左の耳の下の赤い斑点があるこ
とは大きな話題となったのです。それに関して、ステファンにつ
いても数多い疑惑が出ています。
 そのほとんどは根拠のないものであり、改めて取り上げるまで
もないことですが、納得できない人も一部いることは確かです。
テレサ・テンのテーマはあと2回で終了する予定ですが、残りの
2回で、これらの疑惑について述べたいと思います。
               ・・・[テレサ・テン/23]


≪画像および関連情報≫
 ・金宝山墓園
  テレサ・テンが眠るのは台北県北海岸の金宝山墓園。台北市
  内から車で1時間半ほどの小高い山にあり、海も一望できる
  眺めのよい墓地である。テレサのお墓の前には、ト音記号の
  形に美しく整備された花壇の中にテレサの銅像が静かにたた
  ずんでいる。毎年命日の5月8日には、この「テレサ・テン
  紀念公園」で、テレサを偲ぶ記念式典が開催される。

  http://www.tabitabi-taipei.com/youyou/200504/park.html

テレサ・テンの墓園.jpg
テレサ・テンの墓園


posted by 管理者 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | テレサ・テン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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