2010年05月28日

●テレサ・テン/メービンホテルで客死(EJ第1627号)

 1994年12月31日――テレサ・テンはチェンマイのメー
ビン・ホテルにステファンと一緒に宿泊していたのです。結局、
この年の紅白歌合戦にテレサ・テンは選ばれなかったのです。
 この日ホテルの中庭には新年のカウントダウン用の会場が設け
られており、約300人ほどの宿泊客がカウントダウンを待って
いたのです。テレサ・テンとステファンも宿泊客と一緒にカウン
トダウンを見ていたといいます。
 午前0時に花火が上がり新年が告げられると、ホテルの総支配
人がテレサ・テンに一曲歌って欲しいといってきたのです。そこ
でテレサ・テンが歌ったのは、『梅花(メイフア)』という歌な
のです。この『梅花』という歌には台湾の悲しい歴史が秘められ
ているのです。
 1972年2月21日、米大統領ニクソンは訪中して毛沢東主
席と会談、カーター政権時代の1979年に米中の間に国交が樹
立されたのです。それと同時に米国は台湾との国交を断絶し、台
湾は国際的に孤立してしまうのです。
 台湾では意気消沈した国民を励まそうと、いろいろな歌が作ら
れています。そのひとつが『梅花』なのです。この歌は中国でも
流行したのですが、中国政府はこの歌を放送禁止処分にしている
のです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    梅の花、梅の花
    それはこの世に満ち溢れ 寒ければ寒いほど花開く
    ・・・・・・・・・・・
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 歌い終わると、会場から盛大な拍手と歓声がわきあがったので
す。そして、この小さな舞台での歌が、アジアの歌姫テレサ・テ
ンの最後の舞台になったのです。
 実は、テレサ・テンは12月30日の午前9時に喘息の発作を
起こし、ホテルに医師を呼んでいます。医師が部屋に入ると、寒
いほどエアコンがきいており、部屋にはタバコの煙が充満してい
たといいます。ステファンはヘビー・スモーカーで冷房を強くす
るのがつねであったからです。しかし、これは喘息患者には最悪
の環境なのです。
 医師は直ちにステファンにタバコをやめさせ、テレサ・テンを
チェンマイの市内で一番設備の整っているラム病院に入院させた
のです。医師の治療の結果、翌31日の大晦日になると、喘息の
発作は収まったので、退院したいと願うテレサ・テンの要望を受
け入れて、退院させています。その数時間後にテレサ・テンはホ
テル側の要請によって『梅花』を歌ったのです。
 いったん香港に帰ったテレサ・テンは4月に再びチェンマイに
やってきます。もちろん、ステファンも一緒です。この頃のテレ
サ・テンの身体の調子は一段と悪化しており、かなり咳が出てと
まらない状況だったといいます。このとき、テレサ・テンは、前
回発作を起こしたとき診てもらった医師のクリニックを訪ね、診
察を受けて薬を調合してもらっているのです。
 1995年5月8日――いつも通りにルームサービスで朝食を
とったテレサ・テンは、どこにも出かけず、一日中部屋に閉じこ
もっていたといいます。しかし、ステファンは夕方になってひと
りで外出しているのです。このときは、部屋に閉じこもってほと
んど外に出ないテレサ・テンと対照的にステファンはよく外に出
かけています。一体何をしに出かけたのでしょうか。
 そのあと、異変が起こったのです。午後5時15分頃になって
テレサ・テンは部屋のドアを開け、よろよろと少し歩いたところ
で突然倒れたのです。これを15階のカウンターの女子従業員が
見ており、責任者に通報します。
 テレサ・テンはすぐチェンマイラム病院に運ばれたのですが、
道路が渋滞しており、通常であれば10分で着く病院に30分も
かかってやっと到着したのです。直ちに緊急治療室に入れられた
のですが、テレサ・テンはそのときは既に死亡していたのです。
 病院長による手書きの死亡通知書には、次のように記述されて
いたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 1995年5月8日 関係各位殿――テン・リー・ユン夫人は
 午後5時30分頃、病院到着前に死亡、病院ではすでに心臓停
 止、瞳孔は開いたままで、脳死の状態であった。一定の時間蘇
 生措置が試みられたが、生還せず。享年42歳。
  ――宇崎 真/渡辺也寸志著、『テレサ・テンの真実』より
  徳間書店刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 そのとき、ステファンは外出中でしたが、彼は非常に不審な行
動をとっているのです。
 ステファンはこの日の夕方に外出しています。正確な時刻は不
明ですが、テレサ・テンが部屋から出てくる午後5時15分より
も前であることは確かです。
 ステファンがホテルに戻ってきたのは、午後6時30分頃とい
うことです。その時点でテレサ・テンは既に死亡していたのです
が、ホテルのマネージャーは本当のことがいえず、ステファンに
すぐに病院に行くよう求めたのです。それからステファンは部屋
に入り、1時間経過しても出てこなかったのです。
 マネージャーが電話して「危篤ですから、すぐ行くように」と
重ねていったのですが、それでも出てこないのです。仕方がない
ので、マネージャーは部屋を訪ね、すぐに行くよう求め、やっと
病院に行かせたのです。そのため、ステファンが病院に着いたの
は午後8時を回っていたといいます。午後6時30分から8時過
ぎまでの2時間近い空白の時間――ステファンはホテルの部屋で
一体何をしていたのでしょうか。
 しかも、ステファンは遺体解剖同意書には「解剖するな」と書
き入れています。そして、ホテルに戻ったステファンはテレサの
家族と連絡をとったのです。 ・・・[テレサ・テン/22号]


≪画像および関連情報≫
 ・『梅花』の歌詞
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  梅の花 梅の花 それはこの世に満ち溢れ
  寒ければ寒いほど花咲く
  梅花の辛抱強さは私たちの広大な大中華を象徴する
  ごらんなさい あたり一面梅の花 土地があればきっとある
  氷雪風雨もおそれない
  それは私の国花です
  (館野雅子訳)
  ――有田芳生著、『私の家は山の向こう』より 文藝春秋刊
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

メービンホテル.jpg
メービンホテル


posted by 管理者 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | テレサ・テン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。