2010年05月25日

●両岸の政治に翻弄される『龍』と『君』(EJ第1624号)

 1989年6月3日の夜の天安門広場の様子です。それは6月
4日未明の惨劇のあと辛うじて脱出した学生リーダーの一人であ
る柴玲(チャイ・リン)の吹き込んだテープによって詳しく知る
ことができます。
 その夜広場に座り込む学生たちは誰ともなく「龍的傳人」(ロ
ンダチュアンレン)を歌い出したというのです。この歌はあの台
湾出身のシンガーソングライター候徳鍵が作曲した歌であり、座
り込みの現場に当の候徳鍵がいたからです。
 「龍的傳人」の中間部分に次の一節があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
        古き東方に一匹の龍がいる
        その名は中国
        古き東方に一団の人がいる
        彼らは龍の傳人だ
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 龍は、馬の頭、鹿の角、蛇の胴体、鶏の爪という生命力の強さ
の象徴を合体させた架空の動物なのです。中国では昔から龍神崇
拝があり、やがていつしか中国は自らを龍にたとえるようになっ
ていったのです。中国人は龍の子孫であるというのです。
 候徳鍵がこの歌を発表したのは1978年――台湾で20万枚
を超える爆発的なヒットになったのです。とくに大陸では熱狂的
に受け入れられたのです。なぜなら、この歌は明らかに大陸讃歌
であるからです。
 1978年といえば、テレサ・テンが2回目のリサイタルを開
いた年であり、1979年には日本で偽造パスポート事件を起こ
しています。テレサ・テンと候徳鍵はともに外省人の人気歌手で
あり、ともに大陸に対して一種の憧れを抱いていたという共通性
はあるものの、その後の運命はきわめて対照的です。
 台湾政府から「愛国歌手」と称えられたテレサ・テンに対して
候徳鍵は同じ台湾政府から「売国奴」として扱われることになる
からです。どうして候徳鍵は、そういう運命になったしまったの
でしょうか。
 台湾政府は、「龍的傳人」が台湾や大陸で大ヒットすると、こ
の歌は大陸讃歌であるとして、放送・販売を全面停止処分とする
のです。そういう事情もあって、1983年に候徳鍵は新婚間も
ない家庭を捨て、香港経由で大陸に渡り、そのまま中華人民共和
国に亡命しているのです。そして大陸で音楽活動を始めるのです
が、これには共産党のバックアップがあってのことなのです。
 その候徳鍵が再び注目を集めたのは、1989年6月2日のこ
とです。天安門広場の学生を支援するため、知識人3人とハンス
トに参加したときです。
 候徳鍵は天安門広場に最後まで残っている学生や市民の安全の
保証を軍隊とかけあったとされています。しかし、交渉はうまく
行かず、軍は6月4日の未明に戦車を繰り出して学生たちの強制
排除を行うのです。
 この強制排除によってどのくらいの犠牲者が出たかについては
不明なのです。それでも当日天安門周辺で319人が死亡してい
るのは確かなのです。まさに「血の弾圧」といえます。1997
年になって、全人代常務副委員長の非公式発言によると、北京を
含めた全国21都市で学生・市民と当局の衝突で15000人以
上の死傷者が出たことを認めているのです。
 しかし、6月4日の天安門広場の騒乱の渦中に候徳鍵はいなく
なってしまったのです。ところが2ヶ月後に、候徳鍵は何事もな
かったように北京の自宅に戻るのです。1989年8月22日の
読売新聞は次のように伝えています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 北京の民主化要求運動で学生たちと最後まで天安門広場に残り
 その後、行方が全く知れなかった台湾出身の人気歌手兼作曲家
 候徳鍵さん(33)が、このほど2ヶ月ぶりに北京市内の自宅
 に無事戻った。候さんはこの間、中国当局の追及を恐れて在北
 京オーストラリア大使館に避難していた。同大使館を離れるに
 当たっては中国当局との間で候さんの安全確保など「裏取引」
 があったとの見方がもっぱらだ。
           ――1989年8月22日付、読売新聞
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 候徳鍵は外国人記者に天安門事件について聞かれたとき、次の
ように答えていますが、これは明らかにウソであり、中国当局と
の取引であると考えられるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 学生、市民、軍人に限らず、殺された者は一人として見なかっ
 たし、戦車や装甲車が群集をひくのも見ていない。
             ――読売新聞社記者の質問に対して
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 しかし、候徳鍵は天安門事件のさい、当局に拘束された知識人
や学生の釈放を求めて当局と折衝するなどの活動を行っていたの
です。そして、彼は天安門事件から1年が経過する前後に再び姿
を消してしまうのです。
 これは、天安門事件一周年の活動を警戒する中国当局によって
他の活動家と一緒に「予防拘束」されたものとみられます。そし
て候徳鍵は、1990年6月20日に台湾に姿を現したのです。
彼は自ら中国を脱出し、台湾に戻ったとしていますが、これは中
国から強制送還されたとの見方がもっぱらなのです。候徳鍵が台
湾に戻ってよいことは何もないからです。
 果たせるかな、候徳鍵は社会から黙殺されたまま、人目を忍ぶ
ように台湾で暮らしていたのですが、1994年10月に覚せい
剤所持の現行犯で台湾の警察に逮捕されたのです。
 こういう経過を知ると、テレサ・テンも候徳鍵も台湾と中国の
政治のはざまに翻弄された犠牲者であると見ることができます。
ともに民主的な中国を夢見て活動していたのです。それにしても
候徳鍵の「龍的傳人」は素晴らしい詞ですね。
               ・・・[テレサ・テン/19]


≪画像および関連情報≫
 ・「龍的傳人」/作詞・作曲/候徳鍵
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  はるか東方にひと筋の川がある   古き東方に一匹の龍がいる
  その名を長江という        その名は中国
  はるか東方にひと筋の川がある   古き東方に一団の人がいる
  その名を黄河という        彼らは龍の傳人だ
  長江の美しさを未だ目にしないが  巨龍の足もとで私は育ち
  魂はつねに長江に遊んでいる    やがて私も龍の傳人になった
  黄河の怒涛を未だ目にしないが   黒い瞳、黒い髪、黄色の肌
  その響きを夢のなかで聞いている  我らは永遠に龍の傳人
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    ――平野久美子著、『テレサ・テンが見た夢』より 唱文社刊


天安門事件.jpg
天安門事件


posted by 管理者 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | テレサ・テン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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