2010年05月19日

●テレサ・テン スパイ説の真偽(EJ第1620号)

 昨日ご紹介した『テレサ・テンの真実』という本――テレサ・
テンの死後、彼女は台湾の諜報部員であったと断定している本に
ついて有田芳生氏は、関鍵記者について虚偽の記述が多いとして
いますが、次の3点については間違っていないのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   1.関鍵記者は来日し、拓殖大学に在学している
   2.雑誌「新大陸」の編集に参加し、原稿を投稿
   3.1989年に中国公安警察に逮捕されている
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 しかし、この本ではこれら3つの事実とテレサ・テンの諜報部
員説とを意図的にからみあわせて記述している――そういうこと
が有田氏の本からわかります。そういう意味において有田氏の本
の記述は正確であり、詳細をきわめています。
 関鍵記者は、偶然にテレサ・テンと電話対談が実現したことを
チャンスとしてとらえ、それを出世の足がかりにしようとしたの
です。関鍵記者は、1985年7月から86年にかけて、テレサ
・テンに関する多くのレポートを書き、中国共産党北京市委員会
や同党統一戦線工作部、文化部、共産党中央書記処、国家安全部
の指導者に送り続けています。
 関鍵記者の努力は実りつつあったのです。中国共産党としても
テレサ・テンを大陸に招聘してコンサートを開くことは、台湾と
の統一戦略になると判断し、中国共産党中央宣伝部の指導下にあ
る国務院の文化部と党の統一戦線工作部が中心になって、テレサ
・テンを大陸に招く準備をすることが決まったからです。
 しかし、テレサ・テン側はコンサートに政治的な色をつけたく
ないとして、民間の文化芸術団体――全国青年同盟や中国国際文
化交流センターなどの後援を受ける案を提案したのです。こうい
う折衝は、テレサ・テンの意向を踏まえながら、陸文藻が関鍵記
者をはじめとする複数の人物と折衝を重ね、進められていったの
です。中国共産党の意向もテレサ招聘には前向きであり、この問
題にはかなり柔軟に対応したので、話は順調に進み、次の計画が
まとめられたのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
         1.北京では5ステージ
         2.上海では3ステージ
         3.最長滞在期間1ヶ月
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 こうなると、テレサ・テンの大陸招聘は国家レベルの話になっ
ているのです。その頃テレサ・テンは日本では、「愛人」で紅白
歌合戦に出場し、シングル「時の流れに身をまかせ」を発売して
ヒット中ではありましたが、日本人の多くはテレサ・テンがそん
な大歌手であると誰が考えていなかったと思います。
 しかし、問題は台湾政府の意向だったのです。テレサ・テンは
それとなく政府関係者に打診を行っています。表面的にはあまり
色よい返事は得られなかったのですが、あえて黙認するというム
ードは広がりつつあったといえます。
 テレサ・テンの構想は、北京の中心である天安門で100万人
を集めてコンサートを行いたい――こういう壮大なものだったの
です。そしてそれはその時点では決して不可能なことではなく、
十分実現の可能性があったといえます。しかし、それは予想もつ
かないあの天安門事件の発生によって無残にも潰えることになっ
てしまうのです。
 ここでもう一度関鍵記者の話に戻ります。
 1986年頃から関鍵記者は日本に留学したいと考えるように
なっていったのです。日本に行けば、テレサ・テンと会える機会
も生まれるし、学歴も得られると考えたからです。
 しかし、自費で日本に留学するには身元引受人が必要になるの
ですが、日本人新聞記者の紹介で身元引受人もできたので、87
年に日本にやってきます。そして、東京ランゲージ・スクール新
宿本校に入学するのです。そして、家族も呼び寄せて、日本で暮
らしはじめるのです。
 関鍵は1988年10月から雑誌『新大陸』の編集に参加する
ようになります。この雑誌は、日本地区の中国留学生学友会が創
刊しており、中国の宣伝をするということで、中国大使館から資
金援助を受けていたのです。
 1989年6月、天安門事件が起こります。このとき関鍵は学
生を支援する過激なビラを作成して配付し、次第に反政府運動に
没頭するようになるのです。これを受けて、中国の公安当局は日
本の留学生の動きを探りはじめるのです。
 その後、関鍵は日本で暮らす資金を稼ぐため、かなり危ない仕
事に手を染めるのです。それは、香港の雑誌に北京政府の内幕に
関する記事を投稿することによって、生活費を得るようになって
いったのです。
 そして、そのネタを入手するためたびたび北京に行き、『人民
日報』の大衆工作部で働いていた妹の手を借りて機密資料を持ち
出したのです。
 これがひそかに関鍵をマークして内偵を進めていた中国の公安
警察の知るところとなり、1991年9月16日夜、関鍵は身柄
を拘束されてしまいます。同時に関鍵の妹も逮捕されています。
逮捕容疑は、「国外の人間のため不法に国家機密を提供した罪」
と「スパイ罪」です。
 そして、裁判の結果、懲役20年、政治権利剥奪5年の刑が確
定して収監されるのです。有名な新聞記者であった関鍵の逮捕は
国内でさまざまな憶測を呼び、日本のスパイ説、台湾のスパイ説
の噂が飛び交ったのです。
 もともと関鍵は、テレサ・テンとの電話インタビューで有名に
なった経緯があり、関鍵の話と関連付けてテレサ・テンの名前が
どうしても出てくることになるのです。これがテレサ・テンスパ
イ説のひとつの原因になってくるのです。来週はいよいよ天安門
事件とテレサ・テンの話に入ります。
               ・・・[テレサ・テン/15]

≪画像および関連情報≫
 ・テレサ・テンスパイ説を説く本
  宇崎 真/渡辺也寸志著、『テレサ・テンの真実』より
  徳間書店刊

スパイ説の根拠になった本.jpg
スパイ説の根拠になった本


posted by 管理者 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | テレサ・テン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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