2010年01月14日

●サム・フィリップスとエルヴィスの出会い(EJ第2190号)

 続々と南部の農村からメンフィスという都会に集まってきた黒
人たち――その数は1960年までにメンフィスの総人口50万
人中20万人に達したのです。
 しかし、当時のメンフィスには厳格にして複雑な人種隔離の掟
というものがあったのです。レストランやトイレや病院、それに
動物園や図書館や乗り物など、あらゆる公共の場での人種隔離が
行われていたのです。
 黒人たちはメンフィスで黒人地区を形成して、ブルースが誕生
したといわれるビール・ストリートは黒人たちの集結する娯楽場
になっていました。そこでは、宗教歌も世俗歌も都会化され、エ
レキ化され、それは「リズム&ブルース/R&B」という音楽を
作り出したのです。
 当時高校生であったエルヴィスは、町の中心街にあるエリス音
楽堂で毎月行われる白人ゴスペル・コンサートに必ず出かけて行
き、日曜日の夜には黒人ゴスペルの作曲家として名高いウィリア
ム・ハーバート・ブルースター牧師による教会のゴスペル集会に
参加していたのです。
 確かにメンフィスには厳しい人種隔離の掟はあったのですが、
若者たちは、こと音楽に関しては白人も黒人もなかったのです。
南部人の彼らにとって音楽は最も身近な娯楽であり、とくにエル
ヴィスのような10代の白人の若者には、黒人音楽の強烈なビー
トとそのスタイルは抑えがたい魅力があり、何とかそれを自らの
音楽に取り入れようとしたのです。
 20世紀のちょうど半ばに南部社会において、このような音楽
における文化交流が自然発生的に行われ、結果として新しいスタ
イルの音楽――ロックを誕生させる契機となったわけです。
 それではエルヴィスはどのようにしてデビューすることになっ
たのでしょうか。その舞台はメンフィスのユニオン・アヴェニュ
ー706番地にあるメンフィス・レコーディング・サービス/サ
ン・レコードだったのです。
 このサン・レコードにおいて歌手エルヴィスが産声を上げるこ
とになるいきさつについては、多くのエルヴィス関連本において
ほとんど一致しています。要するに、サン・レコードを経営する
サム・フィリップスとエルヴィスがどういういきさつで出会った
かということです。
 これについては、エルヴィス研究の第一人者である前田絢子氏
による次の最新刊が一番詳しいので、これをベースとしてご紹介
することにします。
―――――――――――――――――――――――――――――
   前田絢子著/角川選書/413
   『エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー』
―――――――――――――――――――――――――――――
 サン・レコードは5つしか部屋のない小さな録音スタジオであ
り、主として黒人系のR&Bなどのレコードの製作をやっていた
のです。しかし、それだけではやっていけないので、4ドル支払
えば、誰でもレコードが作れるサービスをやっていたのです。
 エルヴィスは、当時ギターの弾き方や音楽の指導を受けていた
年上の音楽仲間のビル・ブラックから、サン・レコードのサム・
フィリップスのことは何回も聞かされていたのです。彼がスゴ腕
の音楽プロデューサーであることをです。そして、ブラックは、
エルヴィスに次のような秘策を与えたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 一番重要なことはサムに君の歌を聞かせることだ。それは難し
 いことではない。サン・レコードに行って4ドル支払って自分
 の歌を録音してもらうことだ。そうすれば、スタジオのコント
 ロール・ルームにいるサムの耳に入る。君の歌は特徴があるの
 で、必ずサムの関心を引くと思う。   ――ビル・ブラック
―――――――――――――――――――――――――――――
 エルヴィスといえば、派手な衣装をまとい、大げさなアクショ
ンで歌う歌手というイメージが強いので、意外かも知れませんが
非常に内気な性格だったのです。
 そのため、ブラックの提案をなかなか実行に移せないでいたの
です。いきなり、ダメといわれたくない――まだ、準備不足だと
考えて伸ばし伸ばしにしていたのです。
 1953年にエルヴィスは高校を卒業し、町の電気会社に就職
したのです。そして毎日のように工事用の部品を積んで小さなト
ラックで町を走り回ったのです。車内のラジオからはいつも音楽
が流れていました。実は私もエルヴィスと同年代の1935年生
まれであり、若いときに音楽を聴く手段はもっぱら、ラジオだっ
たのです。LPはまだ高くて手が出なかったのです。
 その1953年の夏の土曜日、エルヴィスはかねてから心に温
めていたことを実行します。サン・レコードに行って、自分の歌
を録音したのです。しかし、あいにくそのときスタジオにはサム
・フィリップスはいなかったのです。
 しかし、録音を担当したサムの秘書のマリオン・カイスカーが
エルヴィスの歌を録音して残していたのです。もちろんサムに聴
かせるためです。というのは、つねづねサムはスタッフに次のよ
うにいっていたからです。
―――――――――――――――――――――――――――――
  黒人のような声と感覚を持った白人がいたら大儲けできる
             ――前田絢子著/角川選書/413
      『エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー』より
―――――――――――――――――――――――――――――
 カイスカーは、エルヴィスの声に特別の魅力があることに気が
ついて、スタジオのテープに彼の声を残しておいたのです。連絡
先を聞かれたエルヴィスは期待したのですが、1953年の終り
までは、サン・レコードからは何の連絡もなかったのです。
 そこで、1954年1月にエルヴィスは再びサン・レコードを
訪れ、もういちど録音します。そのときは、直接サム・フィリッ
プスに会えたのです。       ――[エルヴィス/02]


≪画像および関連情報≫
 ・サン・レコードについて
  ―――――――――――――――――――――――――――
  「キング・オブ・ロック」エルヴィス・プレスリーが、メン
  フィスのローカル・レーベル「サン・レコード」で歴史的な
  キャリアをスタートさせたのは1954年。つまり今年はエ
  ルヴィス・デビュー50周年。ロックンロールを作ったのは
  エルヴィスであるからして必然的に「ロック生誕50周年」
  にもあたる今年には、エルヴィスとロックンロールの故郷、
  聖地グレイスランドを中心に世界中で記念イベントが開催さ
  れています。
   http://www.cdjournal.com/main/news/news.php?nno=6607
  ―――――――――――――――――――――――――――

サム・フィリップス/マリオン・カイスカー.jpg
サム・フィリップス/マリオン・カイスカー
posted by 管理者 at 03:00| Comment(2) | TrackBack(0) | エルヴィス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
素晴らしいブログを読ませていただきありがとうございます。
これからも更新頑張ってください。
Posted by 出会いとか at 2010年02月09日 18:58
ジョニーキャッシュの伝記映画を観て、サン・フィリップスの存在を知りました。彼の自伝が来年早々に発売されるようですね。まずは『エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー』を読んでみます。
Posted by ETCマンツーマン英会話 at 2012年11月27日 18:52
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