人たち――その数は1960年までにメンフィスの総人口50万
人中20万人に達したのです。
しかし、当時のメンフィスには厳格にして複雑な人種隔離の掟
というものがあったのです。レストランやトイレや病院、それに
動物園や図書館や乗り物など、あらゆる公共の場での人種隔離が
行われていたのです。
黒人たちはメンフィスで黒人地区を形成して、ブルースが誕生
したといわれるビール・ストリートは黒人たちの集結する娯楽場
になっていました。そこでは、宗教歌も世俗歌も都会化され、エ
レキ化され、それは「リズム&ブルース/R&B」という音楽を
作り出したのです。
当時高校生であったエルヴィスは、町の中心街にあるエリス音
楽堂で毎月行われる白人ゴスペル・コンサートに必ず出かけて行
き、日曜日の夜には黒人ゴスペルの作曲家として名高いウィリア
ム・ハーバート・ブルースター牧師による教会のゴスペル集会に
参加していたのです。
確かにメンフィスには厳しい人種隔離の掟はあったのですが、
若者たちは、こと音楽に関しては白人も黒人もなかったのです。
南部人の彼らにとって音楽は最も身近な娯楽であり、とくにエル
ヴィスのような10代の白人の若者には、黒人音楽の強烈なビー
トとそのスタイルは抑えがたい魅力があり、何とかそれを自らの
音楽に取り入れようとしたのです。
20世紀のちょうど半ばに南部社会において、このような音楽
における文化交流が自然発生的に行われ、結果として新しいスタ
イルの音楽――ロックを誕生させる契機となったわけです。
それではエルヴィスはどのようにしてデビューすることになっ
たのでしょうか。その舞台はメンフィスのユニオン・アヴェニュ
ー706番地にあるメンフィス・レコーディング・サービス/サ
ン・レコードだったのです。
このサン・レコードにおいて歌手エルヴィスが産声を上げるこ
とになるいきさつについては、多くのエルヴィス関連本において
ほとんど一致しています。要するに、サン・レコードを経営する
サム・フィリップスとエルヴィスがどういういきさつで出会った
かということです。
これについては、エルヴィス研究の第一人者である前田絢子氏
による次の最新刊が一番詳しいので、これをベースとしてご紹介
することにします。
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前田絢子著/角川選書/413
『エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー』
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サン・レコードは5つしか部屋のない小さな録音スタジオであ
り、主として黒人系のR&Bなどのレコードの製作をやっていた
のです。しかし、それだけではやっていけないので、4ドル支払
えば、誰でもレコードが作れるサービスをやっていたのです。
エルヴィスは、当時ギターの弾き方や音楽の指導を受けていた
年上の音楽仲間のビル・ブラックから、サン・レコードのサム・
フィリップスのことは何回も聞かされていたのです。彼がスゴ腕
の音楽プロデューサーであることをです。そして、ブラックは、
エルヴィスに次のような秘策を与えたのです。
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一番重要なことはサムに君の歌を聞かせることだ。それは難し
いことではない。サン・レコードに行って4ドル支払って自分
の歌を録音してもらうことだ。そうすれば、スタジオのコント
ロール・ルームにいるサムの耳に入る。君の歌は特徴があるの
で、必ずサムの関心を引くと思う。 ――ビル・ブラック
―――――――――――――――――――――――――――――
エルヴィスといえば、派手な衣装をまとい、大げさなアクショ
ンで歌う歌手というイメージが強いので、意外かも知れませんが
非常に内気な性格だったのです。
そのため、ブラックの提案をなかなか実行に移せないでいたの
です。いきなり、ダメといわれたくない――まだ、準備不足だと
考えて伸ばし伸ばしにしていたのです。
1953年にエルヴィスは高校を卒業し、町の電気会社に就職
したのです。そして毎日のように工事用の部品を積んで小さなト
ラックで町を走り回ったのです。車内のラジオからはいつも音楽
が流れていました。実は私もエルヴィスと同年代の1935年生
まれであり、若いときに音楽を聴く手段はもっぱら、ラジオだっ
たのです。LPはまだ高くて手が出なかったのです。
その1953年の夏の土曜日、エルヴィスはかねてから心に温
めていたことを実行します。サン・レコードに行って、自分の歌
を録音したのです。しかし、あいにくそのときスタジオにはサム
・フィリップスはいなかったのです。
しかし、録音を担当したサムの秘書のマリオン・カイスカーが
エルヴィスの歌を録音して残していたのです。もちろんサムに聴
かせるためです。というのは、つねづねサムはスタッフに次のよ
うにいっていたからです。
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黒人のような声と感覚を持った白人がいたら大儲けできる
――前田絢子著/角川選書/413
『エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー』より
―――――――――――――――――――――――――――――
カイスカーは、エルヴィスの声に特別の魅力があることに気が
ついて、スタジオのテープに彼の声を残しておいたのです。連絡
先を聞かれたエルヴィスは期待したのですが、1953年の終り
までは、サン・レコードからは何の連絡もなかったのです。
そこで、1954年1月にエルヴィスは再びサン・レコードを
訪れ、もういちど録音します。そのときは、直接サム・フィリッ
プスに会えたのです。 ――[エルヴィス/02]
≪画像および関連情報≫
・サン・レコードについて
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「キング・オブ・ロック」エルヴィス・プレスリーが、メン
フィスのローカル・レーベル「サン・レコード」で歴史的な
キャリアをスタートさせたのは1954年。つまり今年はエ
ルヴィス・デビュー50周年。ロックンロールを作ったのは
エルヴィスであるからして必然的に「ロック生誕50周年」
にもあたる今年には、エルヴィスとロックンロールの故郷、
聖地グレイスランドを中心に世界中で記念イベントが開催さ
れています。
http://www.cdjournal.com/main/news/news.php?nno=6607
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サム・フィリップス/マリオン・カイスカー
これからも更新頑張ってください。