2009年04月27日

●『魔笛』の台本は誰が書いたのか(EJ第1944号)

 『魔笛』が分かりにくいのは、互いに大した関係もなく、矛盾
さえしている2つの別な作品を組み合わせて作られたものだから
という説がいまだに信じられています。
 『魔笛』の台本は、エマヌエル・シカネーダーが書いたという
ことになっています。そのとき、シカネーダーはジングシュピー
ル(歌芝居)で勝負しようと決めていたのです。しかし、レオポ
ルト・シュタット劇場で同業者のマリネルリがそのジャンルで既
に成功しており、マリネルリと張り合う結果になったのです。
 当時、シカネーダーが種本にしていたのは、クリストフ・マル
ティーン・ヴィーランドという童話作家の作品集であり、シカネ
ーダーは『魔笛』より前にその種本に基づく『オペロン』という
作品で成功していたのです。
 シカネーダーは『魔笛』の台本を作成するのに当たって、『オ
ベロン』の続編として考えていたヴィーランドの別の物語、『ル
ル、あるいは魔笛』を使うことに決め、既に第1幕を書き上げて
いたのです。
 ところが、レオポルト・シュタット劇場が同じ種本に着想を得
ている『魔法の竪琴、あるいはファゴット吹きカスパール』とい
う作品を先に上演してしまったのです。そこで、シカネーダーは
第1幕のほとんどを生かし、第2幕は当初予定した筋書きを大幅
に変更して完成させたのが『魔笛』の台本なのです。第1幕と第
2幕のトーンが違うのは、そのためだというのです。
 こういう台本の途中変更説や2本の異なる作品の統合説が『魔
笛』の筋書きがおかしいことの原因として定着してしまったのは
当時の音楽学者、サン・フォワ、エドワード・デント、ヘルマン
・アーベルトらの怠慢によるものといえます。彼らはろくに調べ
もせず、『魔笛』を論理も意味もない単なる子供だましの童話と
して片付けてしまったからです。
 しかし、『魔笛』の筋にはすべて意味があって、一貫性があり
2つの作品の統合説などはあり得ないのです。また、レオポルト
・シュタット劇場の作品が上演されたのは1791年6月8日な
のですが、モーツァルトは6月11日には既に第2幕の僧侶の二
重奏まで作曲を進めていたことが、妻のコンスタンツェに宛てた
手紙で明らかなのです。2つの別な作品を統合したなどというこ
とはあり得ないのです。
 モーツァルトは『魔笛』が初演される直前にプラハに出かけて
いますが、その時点で総譜はほとんど完成していたのです。プラ
ハから戻ってきて、「僧侶たちの行進曲」と「序曲」を完成させ
ています。これらの部分は文字通りインクも乾かぬままに総練習
の譜面台に載せられたといわれます。
 2つの作品の統合説は、台本をシカネーダーがひとりですべて
を書いたという前提から生じているのです。しかし、『魔笛』の
台本作家には諸説があるのです。はっきりしているのは、いずれ
も1人の力で書き上げられたものではないということです。『魔
笛』の台本には、次の4人が何らかのかたちでかかわっていると
いわれます。
―――――――――――――――――――――――――――――
   1.エマヌエル・シカネーダー
   2.ヨハン・ゲオルク・メッツラー
   3.イグナーツ・フォン・ボルン
   4.ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
―――――――――――――――――――――――――――――
 『魔笛』の台本は、熱心なフリーメーソンの会員であるゲーテ
がそういっているように、非常に緻密に組み立てられているので
す。したがって、シカネーダー1人ですべてを書くことは不可能
であると思われます。とくにフリーメーソンの基本思想について
シカネーダーは書く力はないといえるのです。
 『魔笛』に関する研究家であるジャック・シャイエはシカネー
ダーについて次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 モーツァルトとシカネーダーがロッジの同志であったというの
 は通説になっているが、これは半分しか正確ではない。シカネ
 ーダーは、たしかにフリーメーソンであったが、放蕩のかどで
 「職人」位階以上に昇進することもなく、レーゲンスブルクの
 彼のロッジ「3つ鍵カール」から1789年5月4日に破門さ
 れていた。――ジャック・シャイエ著/高橋英郎・藤井康生訳
            『魔笛/秘教オペラ』より。白水社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 ヨハン・ゲオルク・メッツラーとは何者でしょうか。
 この人は、シカネーダー劇団の団員の1人であり、『魔笛』の
初演において、「奴隷第一」という役で出演しているのです。た
だし、ギーゼッケという名前になっているのです。彼は俳優とし
ては二流ですが、当時の芸人としては学があり、必要に応じて劇
作家、法律家、そして鉱物学者でもあったのです。
 ギーゼッケもフリーメーソンであったといわれますが、その詳
細はわかっていないのです。しかし、ギーゼッケはシカネーダー
ではできないフリーメーソンの儀礼について書ける力を持ってい
たといえます。そのため、『魔笛』の台本は、自らが演ずるパパ
ゲーノに関するエピソードだけをシカネーダーが書き、後のすべ
てをギーゼッケが書いたといわれるのです。
 しかし、『魔笛』の第1幕の後半以降の内容は非常に高度であ
り、ギーゼッケをもってしても書くのは無理であったとする説が
あるのです。そこで出てきたのは、イグナーツ・フォン・ボルン
の『魔笛』の台本とのかかわりです。それでは、フォン・ボルン
とは何者でしょうか。
 フォン・ボルンは、ウィーン最大のフリーメーソンのロッジで
ある「真の調和」を創設した人物です。「真の調和」ロッジには
モーツァルトもよく出入りしており、フォン・ボルンが台本制作
にかかわったという可能性は十分あります。フォン・ボルンにつ
いては、明日のEJで述べます。・・・[モーツァルト/22]


≪画像および関連情報≫
 ・モーツァルトとシカネーダーの関係
  ―――――――――――――――――――――――――――
  シカネーダーがモーツァルトと出会ったのは随分前のことで
  モーツァルトが17歳のころのことである。1777年10
  月14日のモーザー一座の公演にはモーツァルトもこれを観
  劇に出かけているが、この時はシカネーダーは出演していな
  いが、78年にはザルツブルクにシカネーダーが興行に訪れ
  たときには頻繁に交流があったようである。レオポルトシュ
  タット劇場との熾烈なライバル関係にあったシカネーダーは
  モーツァルトに対して魔法オペラの作曲を再三にわたって依
  頼していたが、詳細は不明な点が多い。
 http://homepage3.nifty.com/classicair/feuture/fueture_38.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

アン・デア・ウィーン劇場.jpg
アン・デア・ウィーン劇場
posted by 管理者 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツァルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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