2009年01月23日

●フリーメーソンは宗教ではない(EJ第1880号)

 昨日のEJで指摘した5つの謎のうち、2番目の謎というか疑
問について考えてみます。
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 2.フリーメーソンリーとは宗教なのか。とくにキリスト教と
   はどのような関係か。
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 これについては、加治将一氏の『石の扉』にちょうどよい回答
が出ていますので、ご紹介しましょう。
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 「宗教ですか?」
 「ノーです。宗教ではありません。たしかに、入会の資格に、
 『神の存在を信じていること』というのがあります。しかしこ
 れは、特定の宗教を持っていなければならないという意味では
 ありません。メンバーの思想信条をどれか一つに傾斜させよう
 という希望も強制も持ち合わせていないのです」
 「では、神を信じるとは、どういうことなのですか?」
 「宇宙には人間の及ばない、なにか至高なるものがあって、そ
 の存在を信じていますか?というほどのことです」
 ――加治将一著、『石の扉/フリーメーソンで読み解く歴史』
                         新潮社刊
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 フリーメーソンは宗教ではありませんが、フリーメーソンとキ
リスト教との関係は複雑であるといえます。1490年代にロス
リン礼拝堂が完成してから1717年の英国のグランドロッジの
開設までの約230年間、フリーメーソンリーは秘密裏に地下活
動を行なっていたのです。なぜかというと、カトリック教会を恐
れていたからです。
 当時カトリック教会は強大な権力を持ち、宗教組織ではないフ
リーメーソンリーであっても、異端と称して潰しに出てくる可能
性が十分あったからです。というのは、科学を取り入れるかどう
かという点において、カトリック教会とフリーメーソンリーは険
悪な関係にあったからです。
 フリーメーソンリーはその象徴である定規とコンパスを見ても
わかるように、科学を積極的に取り入れる姿勢があります。しか
し、カトリック教会はガリレイを迫害して宗教裁判にかけたよう
に科学を歓迎しないのです。そのため、フリーメーソンリーは、
そういう科学者たちにとって格好の隠れ蓑になったのです。
 そうしているうちに1517年10月31日、ドイツのヴィッ
テンベルク大学教授のマルティン・ルターが、宗教革命運動の火
蓋を切るのです。
 ルターは救済というものは、神の恩寵によって万人に与えられ
るものであり、神と個人が直接関係を持つものであると主張した
のです。しかし、カトリック教会の考え方は、神と個人の間に仲
介者としての神父――教会が入るというものであり、カトリック
教会は教皇権への挑戦であるとして、ルターとその仲間を異端で
あるとして、1521年に正式に破門するのです。
 しかし、このルターの考え方はのちに「プロテスタント」と呼
ばれるようになり、とくにイングランドでは、英国教会が誕生し
女王エリザベス1世の時代には、強力なプロテスタント国家とし
て成長することになります。ちなみに「プロテスタント」という
ことばは「抗議を行なう者」という意味なのです。
 1583年にスコットランド王ジェームス6世が就任します。
彼は1603年にイングランド王ジェームス1世となってイング
ランド王とスコットランド王の両方を治める史上最初の王となる
のです。
 彼は、ジェームス6世のときにフリーメーソンになっているの
です。1601年、35歳のときにスクーン・アンド・バース・
ロッジナンバー3でメーソンリーに加入しているのです。これに
よって、メーソンリーが表舞台に登場する絶好の機会が訪れるこ
とになり、1717年に英国においてグランド・ロッジの公式開
設が実現したというわけです。
 ジェームス1世は、イングランド王になるとすぐ、ウィリアム
・ショウという人物を「ゼネラル・ウォーデン」に任命し、この
ショウによってメーソンリーのロッジ・システムはスコットラン
ドからイングランドへ、そして西欧世界へと拡大していくことに
なります。
 このジェームス1世は学識に優れ、人間の才能を見抜くなかな
か立派な人物だったのです。彼は既にメーソンであった思想家フ
ランシス・ベーコンにナイトの称号を与え、ウィリアム・ショウ
と手を携えてメーソンリーの組織の整備を行なわせています。そ
して、フランシス・ベーコンは国王の期待に応えてヴェルラム男
爵の地位を手に入れています。
 しかし、その一方でローマ・カトリック教会とプロテスタント
との対立は激しいものになっていったのです。その矛先は宗教組
織ではないフリーメーソンリーに対しても向けられたのです。当
時のローマ・カトリック教会は、フリーメーソンリーの自由思想
を危険な思想とし、科学を探求する姿勢を嫌ったからです。
 ローマ・カトリック教会は、もともとあったエルサレム教会が
ローマ人との戦争に敗れた後を受け継いだものなのです。当時ロ
ーマ帝国はその政体の維持に危機を迎えており、根本的な建て直
しに迫られていたのです。時の皇帝コンスタンティヌスの人気も
地に堕ちており、最悪の状態だっのです。
 彼は政体を磐石なものにするには、民の肉体ではなく、精神を
支配するシステムを作ろうとしたのです。そこで、あらゆる宗教
を一本に統一する国際会議「ニケーア公会議」を開き、イエスを
神に祭り上げ、その救いは教会を通してのみ得られるという民衆
の精神を支配するのに都合のよいシステムを構築したのです。
 こうしてローマ・カトリック教会がはじまったのです。そして
教会の教義に反する教えはすべて異端として葬り去るという精神
の支配をはじめたのです。・・・[秘密結社の謎を解く/54]


≪画像および関連情報≫
 ・「ニケーア公会議」
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  325年、三位一体を主張するアタナシウス派を正統とし,
  アリウスを異端として排斥することを決定した宗教会議。ア
  レクサンドリアの司祭アリウスは,イエス=キリストは人間
  であり,神によって選ばれた人ではあるが神性をもたず,天
  なる父と異にすると主張した。アリウスの説はアレクサンド
  リアの司教アレクサンデルによって誤りだとされ,318年
  アレクサンドリアで開かれた宗教会議でアリウスは追放され
  た。 http://www.tabiken.com/history/doc/N/N326L100.HTM
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ジェームス1世.jpg


posted by 管理者 at 03:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 秘密結社の謎を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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