2009年01月20日

●フリーメーソンリー発祥の地はサン・クレア(EJ第1877号)

 ロスリン礼拝堂の内部には、壁やアーチなどに不思議な彫刻が
見られるのです。なかでも注目すべきは、新大陸の植物であるア
ロエ・サボテンやトウモロコシを描いた彫刻です。当時のスコッ
トランド人は、サボテンやトウモロコシなどを知るはずはないの
です。どうして、これが描かれているのでしょうか。
 ロスリン礼拝堂の建設が始まったのは、1445年頃のことで
あり、ウィリアム・サン・クレアの手によって建築が開始された
のです。サン・クレア家とテンプル騎士団とのつながりは、テン
プル騎士団の初代総長であるユーグ・ド・パヤンスが、カトリー
ヌ・サン・クレアと結婚したことによってはじまるのです。そし
て、スコットランドのサン・クレアは「テンプル」と呼ばれるよ
うになるのです。
 ロスリン礼拝堂の建築は長期間に及び、ウィリアム・サン・ク
レアの息子のオリヴァー・サン・クレアの代になってやっと完成
しています。正確にはわかりませんが、1490年代に完成した
とみられます。完成までに実に45年を要しているのです。
 もっともロスリン礼拝堂は完成しておらず、未完成のままであ
るという説もありますが、ロスリン礼拝堂は完成していると考え
るべきです。その根拠は後で示します。
 さて、コロンブスが現在のバハマ諸島の一角に到達し、「西欧
人による新大陸発見」を成し遂げたのが1492年のことです。
しかし、その時点でロスリン礼拝堂の建設は終了しており、礼拝
堂の壁面にサボテンやトウモロコシを描けるはずはないのです。
スコットランド人にとって未知のものだからです。
 ここで考えられることは、スコットランド人の誰かが、コロン
ブスが米国を発見する前に米国に行っている可能性です。既に述
べたように、テンプル騎士団は船団――艦隊を持っており、航海
術にも長けていたのです。したがって、彼らが米国まで行ってい
た可能性を否定できないのです。
 それに、1328年に、スコットランドのブルース王の破門が
解けたときには、スコットランドのテンプル騎士団はほとんど姿
を消していたのですが、テンプル騎士団はどこに消えてしまった
のでしょうか。
 可能性としては、米国があるのです。そうであるとしたら、テ
ンプル船団がスコットランドに次ぐ拠点を探索するため、米国大
陸に行っていたことは十分考えられるのです。そうであるとした
ら、サボテンやトウモロコシを模した彫刻が残っていても不思議
はないということになります。
 昨日のEJで述べたように、ロスリン礼拝堂は地上部分は当時
としては異例の速さで完成したのですが、地下部分の建設に非常
に長い時間をかけているのです。したがって、その地下部分は、
地上部分をはるかに上回る巨大な構造になっているものと考えら
れます。
 この建物は、ウィリアム・サン・クレア自身がほとんどつきっ
きりで細部にわたって指導に当たり、自ら監督していたといわれ
ます。彼は、ユーグ・ド・パヤンスら9人の騎士たちが発見した
エルサレムのヘロデ王の神殿の地下構造を忠実に再現させようと
していたものと思われるのです。
 ウィリアム・サン・クレアは、この礼拝堂の建設に当たって、
大陸から腕の良い石工や熟練工を大勢招いて建設を行わせたとい
われています。おそらくそのときは、ロスリンの町自体がそうし
た職人たちの町と化したものと考えられます。推定ですが、その
さい、石工たちに地下室の構造などの秘密を守らせるために高額
の料金を支払い、種々の誓約をさせたといわれているのです。ど
うやら、これがフリーメーソンリーの起源になったのではないか
と考えられます。
 しかし、ロスリン礼拝堂の地下部分の発掘は、まだ、行われて
いないのです。それには理由があるのです。その理由のひとつが
清教徒革命です。
 1642年にイングランドでは、清教徒が中心になって王党派
を打倒するピューリタン革命が起こっています。国王派と武力衝
突して内乱となったのです。議会派のクロムウェルが清教徒の新
式軍隊を作り、国王派をやぶって王を処刑し(1649年),共
和国を樹立したのです。
 そのときクロムウェル率いる議会党軍は、アイルランド、ウェ
ールズ、スコットランド、イングランドを巡り、目に付く限りの
カトリックの教会を破壊しているのです。
 サン・クレア家は当然のことながら王党派であり、1650年
にロスリン城は完膚なきまでに破壊されたのですが、なぜか、ロ
スリン礼拝堂には手を付けていないのです。それは、ロスリン礼
拝堂がカトリック教会でない証拠であり、クロムウェル自身が高
位のメーソンリーであったからといわれているのです。
 しかし、議会軍がやってくるという情報を掴んだロスリンの住
人たちは、礼拝堂の置物が破壊されることを恐れて、礼拝堂の中
のものを全部持ち出して、付近に隠したのです。したがって、現
在では、地上の広間にあった彫刻はすべて取り払われたままにな
っているのです。
 最近ロスリン礼拝堂は観光客でごった返しているそうです。し
かし、この礼拝堂の謎は、礼拝堂を含むテンプル地区の大規模な
発掘を行えば解けるはずです。しかし、なぜか、英国政府はそれ
をやろうとしません。なぜ、発掘をやらないのかについては、い
ろいろ理由があるはずです。出てきては困る史料がたくさんある
と思われるからです。
 いずれにしても、フリーメーソンリーはテンプル騎士団と深い
関係があり、どうやら、スコットランドがその発祥の地であると
考えられるのです。その謎を解く鍵がロスリン礼拝堂です。
 既に50回を超えた今回のテーマ――終着点が見えてきていま
すが、もう少しお話しすることが残っています。明日は、ロスリ
ン礼拝堂とソロモンの神殿の関係について、貴重な資料を基にし
て解明を進めます。   ・・・[秘密結社の謎を探る/51]


≪画像および関連情報≫
 ・清教徒革命/ピューリタン革命
  清教徒革命(せいきょうとかくめい; Puritan Revolutionま
  たはWars of the Three Kingdoms、ピューリタン革命)は、
  狭義には1642年から1649年にかけて、イングランド
  アイルランド・スコットランドで起きた内戦・革命である。
  広義には1638年の主教戦争から1660年の王政復古ま
  でを含み、「大反乱」、「三国戦争」もしくは「イギリス革
  命」とあわせて「イギリス革命」、「ブリテン革命」とも呼
  ばれる。              ――ウィキペディア

サボテンとトウモロコシの彫刻.jpg


posted by 管理者 at 02:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 秘密結社の謎を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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