2008年12月18日

●絶対三神/三位一体か三神か(EJ第1858号)

 リチャード・エリオット・フリードマンという人物をご存知で
しょうか。彼は次の著作で大変有名になった人です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    リチャード・エリオット・フリードマン著/松本英昭訳
 『旧約聖書を推理する−−本当は誰が書いたか』――海青社刊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 フリードマンという人は、ハーバード大学近東言語文明科を卒
業し、同大学の大学院を修了して博士号を得た人物です。とくに
「聖書」の研究家として有名です。
 この本に大変興味深いことが書いてあるのです。それは、次の
ような内容です。
 18世紀において、「聖書」の作者は誰かというテーマを追求
していた聖職者と医者と大学教授がいたのです。彼らは別々に研
究していたのですが、3人とも同じことに気が付いたのです。い
くつもあるのですが、「創世記」の第1章と第2章の矛盾につい
てご紹介しましょう。
 「創世記」第1章27節には次の有名な記述があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに
 創造し、男と女とに創造された。
                ――「創世記」第1章27節
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 しかし、「創世記」第2章では、次のように記述されているの
です。明らかに矛盾しています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け
 手を造ろう。         ――「創世記」第2章19節

 神はそのうえで、動物や鳥を造り、人が寝込んだすきに「あば
 ら骨の一つを取って、その所を肉でふさぎ、人から取ったあば
 ら骨でひとりの女を造りあげた。
             ――「創世記」第2章19〜22節
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 聖職者と医者と大学教授は、なぜ、このような矛盾が生じたの
かを別々に考えた結果、同じ結論に達したのです。それは2つの
テクストを合体したことから生じた矛盾である――ということで
す。2つのテクストとは、次の通りです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    1.神のことを「ヤハウェ」と呼ぶテクスト
    2.神のことを「エロヒム」と呼ぶテクスト
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 日本では「ヤハウェ」という言葉をほとんど聞きません。なぜ
なら、日本語で書かれた「聖書」には「ヤハウェ」という言葉は
一切出てこないからです。それはすべて「主」という言葉に置き
換えられているからです。
 それでは、「エロヒム」とは何でしょうか。
 「エロヒム」とは「エル」の複数形です。「エル」は単数形な
のです。複数形にするのは、ユダヤ教では「尊敬する」という意
を込めているのです。さて、このエロヒム――御父(キリストの
父)を意味しているのです。
 「旧約聖書」については、「神はひとりである」というのは常
識なのです。しかし、「新約聖書」になると、このあたりのこと
がとても微妙になってくるのです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
    1.イエス・キリストは神のひとり子である
    2.御父の子、イエス・キリストも神である
    3.御父に遣わされた聖霊もまた、神である
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これでは神が3人いることになります。そこで出てきたのが、
三位一体の考え方です。つまり、神はあくまでひとりであるが、
そのペルソナ(仮面)として、御父、御子、聖霊がある――こう
いう考え方に立っているのです。わかったようなわからないよう
な考え方であるといえます。
 「ヤハウェ」はヘブライ語で「YHWH」のことであり、「わ
たしはある」という意味なのです。ところが、「出エジプト記」
に次の記述があります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 神はモーセに「わたしはある。わたしはあるという者だ」と言
 われ・・・・。     ――「出エジプト記」第3章14節
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これにより、「ヤハウェ=イエス・キリスト」ということにな
ります。整理すると次のようになります。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  御父とは「エロヒム」のことであり、イエスの父である
  御子とは「イエス・キリスト=ヤハウェ」のことである
  聖霊とは御父「エロヒム」の遣わした聖霊ルーハである
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 なぜ、このような議論をしているのかというと、「絶対3神」
がわからないと、カッパーラの思想が理解できないからです。ユ
ダヤ教やイスラム教は「神はひとり」として3神を認めていない
し、キリスト教は3神は認めるが、あくまで三位一体の考え方に
立っています。それでいて、カッパーラは、日本の神道も含めて
すべての宗教に深く取り入れられているのです。
 ところで、「神はひとり」という表現を使いましたが、神を数
える単位は何でしょうか。
 そうです。「柱」なのです。「生命の樹」の3つの柱――真ん
中に立つ「均衡の柱」、向かって右の「慈悲の柱」、左の「峻厳
の柱――それに神道にも3柱の神は登場します。これらは3神を
認めてはじめて理解できるのです。カッパーラにおいては「柱」
は神の象徴なのです。  ・・・[秘密結社の謎を解く/32]


≪画像および関連情報≫
 ・「ヤハウェ」について
  ユダヤ教徒が一般生活において、神の名を「ヤハウェ」と呼
  ぶことはない。かわりに「神」、「主」(アドーナイ)「御
  名」(ハシェーム)などの呼称を用いる。かつては大祭司が
  年に一度神殿の聖所に入り民全体のあがないの犠牲を捧げる
  時にのみ唱える特別な名であった。対して、アラビア語にお
  いて、ヤハウェは「アッラーフ」と呼称される。これはイス
  ラムとキリスト教徒双方に共通する。
                    ――ウィキペディア

聖ヨハネ教会.jpg
聖ヨハネ教会
posted by 管理者 at 03:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 秘密結社の謎を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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