2008年12月02日

●トリノの聖骸布の謎を解明する(第1846号)

 「トリノの聖骸布」というのをご存知でしょうか。
 これは、処刑されたキリストが磔から下ろされたとき、その遺
骸を包み込んだ布のことです。当然のことながら、布には血が染
みわたって濡れてしまったのですが、後日その布を洗って干して
みたところ、人の全身像のようなものが浮き出ていたのです。
 少し正確にいうと、大きさ「437センチ×111センチ」の
麻布に、キリストと思しき磔刑に処せられた男性の全身像が写真
のネガ状に鮮明に写っているのです。その顔がキリストにきわめ
て似ていたところから、キリストの復活の証拠であるとして「聖
骸布」として、後世に伝えられたのです。
 それでは、なぜ「聖骸布」に「トリノの」という形容詞が付い
ているのでしょうか。
 それは、現在はバチカン市国が所有し、トリノ市の聖ヨハネ大
聖堂に保管されているからです。しかし、どういう経路でトリノ
に来たのかについては、はっきりしていないのです。また、この
この聖骸布――その真贋をめぐって今まで800年もの間、大論
争が行われてきたのです。
 聖骸布に関して行われた直近(1986年)の調査では、炭素
年代測定の手法を用いて布の年代が計測された結果、この布が、
1260年から1390年に縫合されたもので、良く出来た捏造
物であるとする結論が出されているのです。
 しかし、テンプル騎士団を調べていて、聖骸布に関する新説を
発見したのです。それは、フィリップ4世に逮捕され、拷問を受
けたジャック・ド・モレーに関しての新しい情報です。
 ド・モレーを取り調べたフランスの異端審問所長官、ギョーム
・アンベールは、当代随一の勇者として知られるジャック・ド・
モレーを何とか殺したくないと考えていたのです。そこで、彼は
パリのテンプル騎士団のテンプルを訪れ、徹底的に調査をしたの
です。そうしたところ、2階に真鍮のプレートの付いた大きなド
アを発見したのです。
 この後は、既にご紹介済みの『封印のイエス』から引用するこ
とにします。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  その部屋の中にあったものは、どう見ても反キリスト的な装
 飾の数々であった――中央に目の付いたピラミッド、星をちり
 ばめた天井、そして定規とコンパス。
  これを見たアンベールは、やはり噂は事実であったのだ、と
 確信した。東に目をやると、そこには2本の柱があり、またそ
 こにあった白木の箱の中には、14フィート (約4.3メート
 ル) の屍衣と、人間の頭蓋骨、そして2本の大腿骨があった。
 これこそ、「復活」の儀式に使うものであろう。
     ――クリストファー・ナイト/ロバート・ロマス著/
     松田和也訳、『封印のイエス/「ヒラムの鍵」が解く
                  キリストのミステリー』
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 これらは後で述べるフリーメーソンの儀式で使われるものだっ
たのですが、アンベールはこれを動かぬ証拠として、ド・モレー
に自供を勧めたのです。しかし、ド・モレーはこれを拒否したの
です。そして、結局、ド・モレーは1314年に処刑されてしま
うのですが、処刑の方法はキリストと同じ磔刑であったと『封印
のイエス』の著者は書いています。29日のEJでド・モレーは
セーヌ河の中洲で火あぶりの刑と書きましたが、処刑の方法をめ
ぐっては諸説があるようです。
 『封印のイエス』の著者によると、ド・モレーの体は、十字架
から降ろされ、屍衣に包まれ、冷たくじめじめした土牢に入れら
れたのです。大量の血と汗、それに乳酸の混じった液体が、ド・
モレーの体の形にこの布を深く染め上げたのです。『封印のイエ
ス』の記述は次のように続きます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 この屍衣に染みついたド・モレーの姿は極めて鮮明であった。
 布に染み込んだ乳酸が、漂白剤のフランキンセンスと反応した
 からである。長い鼻、真ん中から分けた長い髪、豊かな髭、が
 っしりした6フィート(約1.8メートル)の肉体は、この聖
 堂騎士団(テンプル騎士団のこと)の最後のグランドマスター
 の肖像とぴったりと符合する。
     ――クリストファー・ナイト/ロバート・ロマス著/
     松田和也訳、『封印のイエス/「ヒラムの鍵」が解く
                  キリストのミステリー』
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 『封印のイエス』の著者は、現在「トリノの聖骸布」と呼ばれ
ているものは、キリストのそれではなく、ド・モレーの屍衣であ
ると主張するのです。
 既に述べたように、バチカンは「この布は1260年より以前
のものではあり得ない」と発表しています。したがって、キリス
トのそれでないことは証明されているのです。
 しかし、ジャック・ド・モレーが処刑されたのは1314年で
あり、この布がド・モレーを包んだものである可能性は十分ある
のです。キリストに顔が似ているといっても、考えてみると、誰
もキリストの顔を見た人はいないのです。その点、ド・モレーに
は肖像絵が残っており、顔はきわめてよく似ているのです。もし
かしたら、われわれがキリストとして親しんできた顔は、ド・モ
レーであるかも知れないということになります。
 もうひとつきわめて奇怪なことがあります。バチカンがこの発
表を行った日が10月13日――ド・モレーが逮捕され、拷問さ
れた日と同じなのです。とても偶然とは思えないのです。
 考えてみると、バチカンは一貫して「聖骸布は聖遺物ではあり
得ない」としてキリストであることを否定してきています。した
がって、バチカンは最初からわかっていて、まさにその布のゆか
りの日を選んで発表したのではないか――『封印のイエス』の著
者はこのように推理しています。   
            ・・・[秘密結社の謎を探る/20]


≪画像および関連情報≫
 ・トリノ聖骸布の放射性炭素年代測定
  長年論争が続いたトリノ聖骸布の作成時期は、1986年9
  月のワークショップを契機に、AMSによる放射性炭素年代
  測定から調べる事となった。ここに紹介する3編の原論文は
  その経過と結果を示すものである。一つはトリノ聖骸布の美
  術史的及び宗教的側面からの位置づけの考察である。次は前
  述のワークショップを組織し、測定計画を議定書として教皇
  庁に提出する迄を述べる。第3論文はAMSによる測定で、
  トリノ聖骸布が中世の作である事を示す。
  http://www.rada.or.jp/database/home4/normal/ht-docs/member/synopsis/040200.html

聖骸布とド・モレー.jpg



posted by 管理者 at 03:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 秘密結社の謎を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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