エルサレム間の巡礼を保護する――これがテンプル騎士団の目的
だったはずです。
しかし、騎士団創設当初の人数はたったの9人――このような
人数で、強力なイスラム教徒軍から巡礼を保護できるはずはない
し、事実保護した証拠や記録は何ひとつ出てきていないのです。
しかも、彼らは9年間もヘロデ王のソロモンの神殿にこもって何
かをしていたのです。一体何をしていたのでしょうか。
彼らはヘロデ王の神殿の遺跡の地下を発掘して、トンネルを掘
り、何かを探していたようなのです。皮肉なことに、巡礼の保護
に当たったという証拠はありませんが、遺跡を発掘していたとい
う証拠ならたくさんあるのです。
フランスの歴史家、ゲタン・ドラフォージュは次のように記述
しています。
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この9人の騎士たちの真の使命は、おそらくはモーセの時代に
遡る、ユダヤ教および古代エジプトの秘儀の伝承のエッセンス
が含まれた遺物と写本を発見することであった。
――クリストファー・ナイト/ロバート・ロマス著/
松田和也訳、『封印のイエス/「ヒラムの鍵」が解く
キリストのミステリー』
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また、『神々の指紋』の著者、グラハム・ハンコックも次のよ
うに述べて、その証拠として、後年イスラエルの考古学者が発見
したトンネルの存在についての公式文書を示しています。
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騎士たちの目的の中心は神殿の遺跡そのものであり、また、そ
こには大規模なる発掘の跡も残っている。
――グラハム・ハンコック
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また、20世紀初頭において、英国陸軍工兵隊のチャールズ・
ウイルソンは、この神殿の地下からテンプル騎士団のものと思わ
れる遺品の数々を発掘したと報告しています。明らかに、テンプ
ル騎士団の9人は、9年間もかけて、ひたすら神殿の地下のトン
ネルを掘り進んで、何かを探していたのです。
問題は、何を探していたのか、そして、それは発見されたのか
ということですが、それがいずれもはっきりとはしないのです。
はっきりしていることは、騎士団の9人は上層部――はっきりし
ていない――から密命をを受けてやっていたということです。
推測ですが、おそらく9人によって何かが発見され、その功績
によって騎士団には大変な特権が与えられたとは考えられないで
しょうか。そうでなければ、テンプル騎士団に対してキリスト教
会が、あれほどの特権を与えるはずがないからです。
おそらく直接命令を出したのはボードゥアン2世ではないかと
考えられます。あくまで巡礼を守るというのは表向きの理由と考
えられます。そうでなければ、本来の職務を果たさない9人の騎
士団の費用を負担するはずがない――自然に考えると、このよう
に推理できます。
しかし、ボードゥアン2世は亡くなってしまったので、ユーグ
・ド・パヤンスは、その発見したものを教皇のホノリウス2世に
示して、騎士団は会憲を手にしたとは考えられないでしょうか。
いずれにせよ、騎士団の設立の本当の目的は不明のままになって
いるのです。
その本当の目的はおくとして、テンプル騎士団のその後の運命
について述べることにします。
テンプル騎士団が勢力を拡大し、銀行業務なども当たって、保
有資産が増えてくると、その転覆を企む者が出てくるものなので
す。それに騎士団自身も金回りが豊かになると、態度も横柄にな
り、しだいに人々の信頼を損ねるようになります。このようにし
て騎士団は少しずつ評判を落としていったのです。
当時のフランスの国王は悪名高きフィリップ4世――彼は莫大
な借金を抱えていたのです。主として借金をしていたのはユダヤ
の豪商からですが、テンプル騎士団からも融資を受けていたとい
われます。
そこでフィリップ4世はユダヤ人の弾圧をはじめ、彼らの財産
を没収するというひどいことをはじめたのです。これによって借
金をチャラにしてしまおうというわけです。
これに味をしめたフィリップ4世は、テンプル騎士団も潰しに
かかったのです。そして、テンプル騎士団に対して、次の2つの
難題を突きつけるのです。
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1.テンプル騎士団は聖ヨハネ騎士団と合体せよ
2.皇太子のテンプル騎士団への入団を承認せよ
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聖ヨハネ騎士団はフィリップ4世の傀儡であり、事実上テンプ
ル騎士団を自分の傘下に置くということですし、王子を騎士団に
入れれば、内部から崩されます。そこで、テンプル騎士団は両方
とも断固拒否したのです。
フィリップ4世は、自分に逆らうローマ教皇を政治的に失脚さ
せ、その地位に気心の知れたクレメンス5世を着けて足場を固め
てから、テンプル騎士団の料理に取り掛かったのです。
1307年10月、フィリップ4世はフランス全土にいるテン
プル騎士団を全員を一網打尽に逮捕させたのです。その総数は、
3000人〜4000人に及んだといわれます。
そのときのテンプル騎士団の総長は、ジャック・デ・モレーで
すが、彼は何かの間違いであり、おとなしく縛につけと団員に抵
抗を禁じたのです。
モレー総長は、フィリップ4世の狡猾な思惑を見抜けなかった
のです。そして、遂にテンプル騎士団の最後のときがやってくる
のです。 ・・・[秘密結社の謎を解く/17]
≪画像および関連情報≫
・フィリップ4世
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フランスの王(在位1285年〜1314)。整った顔立ち
のため端麗王と称される。官僚制度の強化に努め、絶対王政
への端緒になった。対外的には豊かなフランドル地方の支配
を目指し、フランドルの都市市民と激しく争った。また、ロ
ーマ教皇と激しく対立し、フランス国内の支持を得てアナー
ニを起こし、最終的に教皇権を従え教皇庁をアヴィニョンに
移した(教皇のアヴィニョン捕囚)。また、テンプル騎士団
を異端として弾圧・解体したため、後世に悪評を得ることに
なった。 ――ウィキペディア
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