2010年10月01日

●原油価格は何によって動くか(EJ第2296号)

 2008年に入ってWTI原油先物価格は「1バレル=100
ドル」以上に張り付いて、なかなか下がらない状況にが続いてい
ます。1年前はどうだったかというと「1バレル=50ドル」、
6年前は「1バレル=20ドル」程度だったのです。どうしてこ
んなに上がってしまったのでしょうか。
 少し歴史を振り返ってみたいと思います。とくに原油価格が乱
高下した2005年8月までの原油相場の状況を振り返ってみま
しょう。2005年の年初は、2004年後半の相場の下落局面
が続いていたのです。
 2004年9月にハリケーン「アイバン」が米国メキシコ湾岸
地区に上陸し、そこにある製油所や油田の設備を破壊してしまっ
たのです。米国メキシコ湾岸地区といえば、南部メキシコ湾に面
する州――とくにテキサス州、ルイジアナ州、ミシシッピー州に
は油田や製油所が結集していたのです。
 ハリケーンがそれらの設備を破壊していったので、原油が足り
なくなるのではないかという懸念が広がって、原油の価格が上昇
したのです。
 しかし、ハリケーンの被災から復旧が進むにつれて、原油価格
は落ち着きを取り戻します。2OO5年1月は「1バレル=42
ドル台」で推移したのです。
 ところが、米国に寒波が襲来したのです。冬場に気温が下がる
と暖房油の需要が高まるので、原油価格の押し上げ要因になりま
す。それにイラクでのテロが激化して、これも原油価格を押し上
げる要因になったのです。
 イラクはサウジアラビアに次いで世界第2位の原油埋蔵量のあ
る国であり、往時に比べると生産力は落ちてはいるものの、日産
200万バレル前後の原油生産を続けていたのです。テロはイラ
クの石油施設を対象としたものであったので、原油生産に影響が
出ることを懸念して原油相場は上昇したのです。こういう状況を
受けて1月半ばには原油相場は上昇――「1バレル=48ドル」
程度まで上がったのです。
 それから、2月中旬にかけて、気温は上昇し、イラクでも選挙
が何とか行われたこともあって、原油相場は「1バレル=45ド
ル」程度まで下がったのです。
 しかし、原油相場は再び上昇するのです。それは米国と中国の
経済が好調なことが原因となって需要が増大し、世界経済拡大の
兆しが見えたことから原油需要が増加し、4月はじめには「1バ
レル=57ドル」に達したのです。
 そして、6月以降原油は50ドルを割ることはなくなったので
す。7月にはハリケーン「デニス」がメキシコ湾岸に接近して一
時的に原油は60ドルを突破したのですが、油田や製油施設には
大きな被害はなかったので、7月中旬には56ドル台まで下落し
たのです。
 ところが、7月の下旬になって、米国で第3位の規模の製油所
で火災が発生し、操業が停止したのです。それに加えて、8月1
日は、サウジアラビアのファハド国王が逝去したのです。新国王
にはアブドラ皇太子が就くことが発表されましたが、新国王の就
任によって、石油政策が変更されることもあるのでその懸念から
原油相場は一時的ですが、上昇したのです。
 8月下旬にはハリケーン「カトリーナ」が、メキシコ湾岸の石
油施設が集中している地域を直撃し、甚大な被害が発生したので
す。原油生産の停滞やガソリン・灯油の供給不足の懸念が広がっ
て、8月末には「1バレル=70.85ドル」という史上最高値
をつけたのです。
 これに対して先進国はすぐ反応し、国際協調による国家石油備
蓄の放出をはじめたのです。その総量6000万バレル――これ
によって原油価格の騰勢は一服することになります。
 2005年1月から8月までの原油相場を振り返ったのですが
さまざまな要因によって原油相場は敏感に反応することが把握で
きたと思います。そして、「1バレル=70ドル台」は当たり前
となっていくのです。
 ところで、石油の問題にはわからないことが多くあります。専
門用語もたくさん出てきます。これを明らかにしないと、先に進
めないので、専門用語を覚えていきましょう。
 このEJの冒頭に――WTI原油先物価格は「1バレル=10
0ドル」と書きましたが、「WTI」とはそもそも何を意味して
いるのでしょうか。
 WTIというのは、「ウェスト・テキサス・インターミディエ
イト」の略です。米国テキサス州のミッドランドを中心とした油
田地帯で産出される原油の総称がWTIなのです。
 当時WTIは潤沢な原油の生産量があったので、米国における
原油取引の指標的存在になったのです。しかし、今やWTIはピ
ークアウトしており、1日40万バレル程度の生産量しかないの
ですが、世界の原油価格の指標になっているのです。
 それは、WTIがニューヨーク・マーカンタイル取引所(NY
MEX)に先物が上場されているためです。NYMEXは、誰も
が参加できる市場で、大量に取引されており、その取引量は1日
当り2億5000万バレルに達しています。その価格は、透明性
が高く洗練されているので、世界の石油取引の指標とするに相応
しいのです。
 この米国のWTIの他に、欧州の「ブレント」と中東の「ドバ
イ」が有名な銘柄です。ブレントは北海油田で採れる銘柄で、欧
州の原油価格の指標となっており、ドバイは中東産の原油であり
アジアで取引される原油の指標的存在です。
 原油は世界各国で取引されています。ブレントやドバイがある
のになぜWTIで石油の価格が決まってしまうかというと、石油
産業の起源が米国であるという歴史的背景があることと、原油が
ドル建てになっていることによります。ロシアや中東の原油が増
えても米国は石油産業の支配的・中心的な存在であり、そうあろ
うとしているのです。      ――[石油危機を読む/07]


≪画像および関連情報≫
 ●先物取引とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  先物取引とは、いわゆるデリバティブ(金融派生商品)の一
  つで、価格や数値が変動する各種商品・指数について、未来
  の売買についてある価格での取引を約定するものを言う。本
  来は、価格変動の影響を避けるための手段――リスクヘッジ
  として利用されるが、価格変動を利用して利益を得るスペキ
  ュレーション(投機)取引というものがある。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

サウジアラビア/アブドラ国王.jpg
サウジアラビア/アブドラ国王
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2010年10月04日

●近代石油産業はこうして誕生(EJ第2297号)

 探鉱・採掘・精製を一連の流れとする近代石油産業が誕生した
のは、1859年の米国においてです。ペンシルベニア州のタイ
タスビルにおいて、元鉄道員のエドアィン・ドレークが石油の機
械堀りに成功したのです。ドレークが採掘に成功した油田は「ド
レーク油田」と名づけられ、タイタスビルは近代石油産業発祥の
地といわれるようになります。
 もう少し詳しい経緯をお話しする必要があります。ニューヨー
クの弁護士だったゼビルは、原油から灯油が作れることを知って
世界最初の石油会社、ペンシルベニアロック社を1854年に設
立しています。
 ゼビルは株主に対して、灯油を作るために岩塩掘削技術を使っ
て原油を地下から掘り出すことを提案したのですが、同意が得ら
れなかったのです。そこで、1959年に掘削専門会社セネカ・
オイル社を設立したのです。
 ゼビルは、石油を汲み取るのではなく、穴を穿って抽出しよう
としたのですが、それを実現してくれる人物としてドレークだっ
たのです。ドレークが石油の機械掘りに成功したことを知ってい
たからです。
 しかし、採掘は簡単ではなく、周りの人から奇人、変人と冷笑
を浴びながらも黙々と採掘を続け、1859年8月28日に深さ
21メートルで約30バレルの採掘に成功したのです。しかし、
この油田はタイタスビルに最初に目を付けて、油田開発を進めた
のはゼビルだったのに、米国の人々は「ドレーク油田」と呼ぶよ
うになったのです。おそらく何をいわれても動ぜず、掘削を続け
たドレークの努力を多としたものと思われます。
 このセネカ・オイル社の成功を聞きつけて、ペンシルベニア州
には全米から投資家や山師が集まってきて、油田の開発を始めた
のです。そして、石油の採掘は、テキサス、カルフォルニア、カ
ナダへと急速に広がっていったのです。このようにして、米国は
世界ではじめて石油産業が成立することになったのです。
 さて、ドレークが油田を発見した当時はどのようにして原油を
運搬したのでしょうか。
 それは、原油を酒の樽(barrel/バレル)に入れて、当時鉄道
が引かれていたピッツバークまで馬車で運んだのです。モルト・
ウィスキーの熟成には「樽」を使うのですが、樽には次の3つが
あります。
―――――――――――――――――――――――――――――
          1.バーボン樽
          2.シェリー樽
          3.ブレーンオーク
―――――――――――――――――――――――――――――
 原油が詰められた「シェリー樽」は、スパニッシュオーク材で
作られており、シェリー酒を熟成するために使われたのです。そ
のため原油は「バレル」という単位を今でも使っているのです。
 当時のシェリー樽の内容量は「159リットル」であったので
それが「1バレル」とされたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
      1 バレル =   159リットル
      1 バレル =    42米ガロン
      1米ガロン = 3.785リットル
      1英ガロン = 4.546リットル
―――――――――――――――――――――――――――――
 ところで、1バレル、すなわち「159リットル」とはどのく
らいの量になるのでしょうか。
 ドラム缶――キャンプ場などで簡易風呂として使われているあ
のドラム缶のことですが、原油1バレルをドラム缶に入れると、
大体3分の2くらい入るといったらわかるでしょうか。結構量と
しては多いのです。
 ところで、「原油」とは何でしょうか。ここまで説明しないで
使ってきていますので、はっきりさせましょう。
 「原油」「石油」「ガソリン」の違いを明らかにするために、
英語での表記を示しておきます。
―――――――――――――――――――――――――――――
       原油   ・・・・・ Crude Oil
       石油   ・・・・・ Oil
       ガソリン ・・・・・ Gasoline
―――――――――――――――――――――――――――――
 いわゆる一般的に「オイル」という場合は、それは石油という
ことになります。すなわち、石油とは、原油やガソリンを含めた
液体の炭化水素の総称なのです。常温・常圧で液体であり、火を
つければ燃える炭素と水素の化合物はすべて「石油」と呼ばれる
のです。
 これに対して「原油」とは、油田から生産される天然の液体炭
化水素のことをいうのです。そして、この「原油」を精製してで
きるものが「ガソリン」なのです。
 実は一口に原油といってもいろいろな種類があるのです。産地
や油質によって製品は異なるのです。原油の油質というのは、硫
黄や不純物が含まれている割合や有機物の構成比の違いによって
次の2つに分かれるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
   1. サワー ・・・・・ 硫黄分の多い原油
   2.スイート ・・・・・ 硫黄分の少い原油
―――――――――――――――――――――――――――――
 また、比重の軽いものを「ライト」、重いものは「ヘビー」と
いいます。比重はAPI度という数字で表され、比重が軽いもの
ほど大きな数値になり、比重が重いものほど小さな数値になるの
です。比重の軽いものほど沸点が低く、重いものは沸点が高い成
分なのです。われわれの身近な存在であるガソリン、灯油、軽油
は、スイートでライトな部分に属するのです。一番ライトなのは
LPGなのです。        ―― [石油危機を読む/08]


≪画像および関連情報≫
 ●ドレーク油田と切手
  ―――――――――――――――――――――――――――
  切手で語る『石油の文化の光と影』も石油産業の誕生に触れ
  る必要があります。石油産業の二大発祥の地として、ペンシ
  ルバニア州タイタスビルのドレーク油田とカスピ海沿岸のバ
  クー油田が代表的な油田地帯として挙げられます。アメリカ
  における石油産業発祥の地を切手で紹介するにも石油切手と
  して発行されたのはドレーク油田開発125年切手しか発行
  されていませんので、特別記念印、メータースタンプ、日付
  抹消印の地名で紹介していきます。切手展特にテーマチィッ
  ク部門では、切手以外に様々な郵便材料を使います。
         http://www9.ocn.ne.jp/~petro/oilbirth.htm
  ―――――――――――――――――――――――――――

ドレーク油田/125年.jpg
ドレーク油田/125年
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2010年10月05日

●炭化水素について知る(EJ第2298号)

 原油というのは、油田から汲み上げられる自然界に存在する資
源です。ガソリンや灯油は、原油を原材料として、精製して作ら
れる石油製品なのです。
 「油田」という言葉から、地底湖のように地下深くに原油が液
体のまま貯まっているように想像するかも知れません。しかし、
実際の油田とは地下数千メートルの地層に埋もれているのです。
その地層は「貯留岩」という無数の細かい粒からできている砂岩
という岩石で形成されており、原油はその貯留岩の中に存在して
いるのです。
 それでは、その貯留岩から原油を採取するにはどのようにする
のでしょうか。
 「リグ」という油田掘削装置があります。リグはダイヤモンド
を先端に取り付けた装置で、貯留岩に貯まっている油層目がけて
掘り進むのです。油層にたどりつくと、シームレスパイプを突き
立てるのですが、そうすると、地層内の圧力で原油が地上に噴き
出してきます。原油の採取はこのようにして行なわれます。
 原油は、化学的には炭素と水素の化合物である炭化水素なので
す。原油の中には、硫黄、窒素、酸素、金属などの化合物も含ま
れているので、原油を炭化水素の種類ごとに分離し、不純物を取
り除くことで、ガソリンや灯油といった石油製品化することを石
油の精製といっています。
 炭化水素というと、高校の理科で習ったフレーズ――メタン、
エタン、プロパン、ブタンを思いだす人がいるかも知れません。
これらはいずれも炭素(O)と水素(H)が結び付いた炭化水素
という物質の仲間です。
 炭化水素には炭素の数が少ないものと多いものがあります。炭
素の数が増えるほど、1個の分子の質量は増加し、沸点が高くな
る傾向があります。沸点が高くなるということは、液体から気体
になる温度が高いことを意味します。
 ここで液体か気体かは重要な意味を持つのです。なぜなら、液
体であれば、運搬したり、貯蔵したりすることが便利であるから
です。天然ガスのような気体の場合、運搬をするのに高度な技術
が必要になります。これに沸点の高低がからんできます。つまり
沸点が低いものほど、気体になりやすいのです。
 沸点と炭素の数、分子の質量の関係を次のようにまとめておく
ことにします。
―――――――――――――――――――――――――――――
  沸点が低い ・・・ 炭素の数が少い/分子が軽い
  沸点が高い ・・・ 炭素の数が多い/分子が重い
―――――――――――――――――――――――――――――
 炭素が1個のメタンは分子が軽いので、地中に埋蔵されている
状態でも気体になっています。よく原油を採掘すると、天然ガス
が出てくることがあります。しかし、かつては、気体を運ぶ技術
がなかったので、無為に燃やすしかなかったのです。
 ところが、現在では技術が進んで、パイプラインで運んだり、
液化してLNG(液化天然ガス)のかたちでタンカーで運んだり
できるようになっているのです。メタンはマイナス160度で液
化され、体積は気体のときの600分の1になるので、大量輸送
が可能になるのです。
 日本はLNGを中東から輸入し、タンクの中を超低温に保つこ
とができるLNGタンカーで輸送しているのです。また、天然ガ
スに含まれるメタンは、都市ガスに利用されています。
 炭素が3〜4個になると、分子の質量が大きくなり、沸点が高
くなります。つまり、気体にはなりにくく、液体になるのです。
プロパンやブタンは、原油の中に溶けて存在するのですが、少し
圧力を加えると、液化します。天然ガスのように超低温にしなく
ても、比較的簡単に液化できるのです。
 液化できれば、ガスポンベに詰めて、輸送したり、保存したり
できるので、用途は大きく広がります。プロパンを中心とするL
PG(液化石油ガス)は、「プロパンガス」と呼ばれて、家庭用
のガスとして使用されています。
 炭素が5〜10個程度の炭化水素は、ガソリンとして使用され
ています。ガソリンはよく知られているように次の2種類があり
ます。
―――――――――――――――――――――――――――――
  1.レギュラー・ガソリン
  2.プレミアム・ガソリン ―――ハイオクガソリン
―――――――――――――――――――――――――――――
 いわゆるハイオクガソリン――オクタン価を上げるとは、発火
点温度を上げてノッキングを起こりにくくするガソリンのことを
いうのです。
 ところで、ガソリンに関連付けて覚えておいて欲しいことがあ
ります。それは「ナフサ」です。ナフサというのは、ガソリンと
同じ沸点の留分のことですが、原材料段階のものを「ナフサ」、
製品化したものを「ガソリン」と呼んでいるのです。つまり、ナ
フサとは、石油化学工業製品の原料となるものなのです。
 暖房用に使われている灯油は、炭素が9〜15個の炭化水素が
中心となっています。灯油は「ケロシン」と呼ばれ、ジェット機
の燃料(ジェット燃料)も、この灯油の留分から製造されている
のです。
 灯油の次に高い沸点の留分は「軽油」です。軽油は、ディーゼ
ル車や船舶やガスタービンの燃料になります。欧州では、ディー
ゼルエンジンの自動車が多く、自動車の燃料のかなりの部分を軽
油が占めているのです。
 とくに寒冷地用のディーゼル燃料は、温度が低くても気化しや
すい灯油を混合した製品となっています。気化しないと、着火・
燃焼が正常に行われなくるのです。
 さて、蒸留により、分留していった残りが「残油」と呼ばれる
のです。重油は、軽油留分、残油などを混合して、粘度や硫黄分
を調節して作られます。     ―― [石油危機を読む/09]


≪画像および関連情報≫
 ●「ナフサ」とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ナフサとは、原油を常圧商流装置によって蒸留分離して得ら
  れる製品のうち沸点範囲がおおむね35〜180℃程度のも
  のである。粗製ガソリン、直留ガソリンなどとも呼ばれる。
  ナフサのうち沸点範囲が35〜80℃程度のものを軽質ナフ
  サといい、日本では石油化学工業でのエチレンプラント原料
  として多く使用される。輸入原油を国内で精製して製造する
  ものと、ナフサとして輸入するものが相半ばする。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

「ナフサ原油価格推移」.jpg
ナフサ原油価格推移
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2010年10月06日

●原油は最後の一滴まで役に立つ(EJ第2299号)

 4月1日からガソリンの暫定税率分が下がって、石油が身近な
話題になっています。こういう機会を利用して、石油について詳
しく知っておくことは意義があると思います。
 原油を採取してそれを精製するとき使う装置を常圧蒸留装置―
トッパーというのです。巨大な反応塔ですが、そこに原油を注入
し、下から暖めて蒸留するのです。蒸留によって軽い成分から分
留していき、さまざまな石油製品が作られるのです。
 炭化水素の種類というと、メタン、エタン、プロパン、ブタン
ぐらいまでは知っている人は多いですが、その先を知っている人
は少ないと思うので、そのすべてを表示し、それがどういう石油
製品に結びついているのかについてまとめたものが次の表です。
―――――――――――――――――――――――――――――
     名称   凝固点℃   沸点℃      用 途
    メタン   −183  −162     天然ガス
    エタン   −172   −89     天然ガス
   プロパン   −190   −42   液化天然ガス
    ブタン   −135    −1   液化天然ガス
   ペンタン   −120    36       溶剤
   ヘキサン    −94    69     ガソリン
   ヘプタン    −90    98     ガソリン
   オクタン    −59   126     ガソリン
    ノナン    −54   151     ガソリン
    デカン    −30   174     ガソリン
  ウンデカン    −26   196       灯油
   ドデカン    −10   216       灯油
  トリデカン     −6   230       灯油
  トラデカン      5   251       灯油
 ペンタデカン     10   268       軽油
 ヘキサデカン     18   280       軽油
 ヘプタデカン     22   303       軽油
 オクタデカン     28   317       重油
  ナノデカン     32   330       重油
  エイコサン    343   343    潤滑油など
                      ――芥田知至著
     『知られていない原油価格高騰の謎』/技術評論社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 なお、沸点の低いものほど気体になりやすいのです。さて、蒸
留によってそれぞれ分留していった残りが「残油」といわれるも
のです。残油の中には普通の気圧ではなかなか気化しない、いろ
いろな成分が混ざっています。そこで、気圧を低くして気化しや
すい状況にして分留するのです。
 重油は、軽油留分と残油を混合して粘度や硫黄分を調整して作
られるのです。この場合、軽油を中心として残油分をほとんど含
まない重油を「A重油」、残油を中心としてそれに軽油を少し混
ぜたものを「C重油」というのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
  A重油 → 漁船や農業機械のディーゼルエンジン用燃料
  C重油 → 工場や発電所などの大規模ボイラー用の燃料
―――――――――――――――――――――――――――――
 潤滑油は残油から作られます。潤滑油の条件として重要なのは
寒い冬でも凝固せず、粘度が一定であることです。そこで、残油
から一定成分を抽出したあと、それに添加剤を加えて望ましい粘
度や耐久性を備えた潤滑油を作り出すのです。
 潤滑油、すなわちオイルは、自動車、工場の機械設備、家電製
品の部品が回転などの運動によって生ずる摩擦によって磨り減る
ことを防ぐものです。
 自動車などのガソリン・エンジン、ディーゼル・エンジン、飛
行機のジェット・エンジン、船舶用のエンジンなど――これらに
はいずれも潤滑油が必要なのです。ガソリンや軽油や重油を燃焼
することで推進力を得る自動車、飛行機、船舶、農業機械などは
それぞれ同じ石油の成分である潤滑油をいずれも必要としている
のです。このように考えると、石油がいかに大切な資源であるか
がわかと思います。
 残油から精製できるもののひとつに「ワセリン」があります。
日本薬局方にワセリンについて次の記述があります。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ワセリンは、石油から得た炭化水素の混合物を脱色して精製し
 たものをいう。            ――ウィキペディア
―――――――――――――――――――――――――――――
 いうまでもなく、ワセリンは軟膏剤のような医薬品の基剤や化
粧クリームのような化粧品などの基剤として用いられます。また
潤滑剤や皮膚の保湿保護剤として利用されます。
 もうひとつ、残油から採れる重要な石油製品があります。アス
ファルトがそうです。アスファルトは原油の最も重質な成分であ
り、大きな分子量の炭化水素の混合分です。
 現在アスファルトは道路の舗装に使われますが、アスファルト
は、古代から塗料や防水剤などとして利用されていたという記録
が残っています。地上にあった原油から軽質分が自然に蒸発して
天然アスファルトができたのです。
 天然アスファルトは主に接着剤として使われ、旧約聖書の『創
世記』ではバベルの塔の建設にアスファルトが使われているので
す。アスファルトという単語が英語に現れたのは原油の利用が一
般的になり始めた18世紀に至ってからです。
 日本で初めてアスファルト舗装が施されたのは長崎県長崎市の
グラバー園内の歩道なのです。その後東京で舗装がはじまったの
です。使用されたのは秋田県昭和町(現在の潟上市)からはるば
る運ばれた天然アスファルトであったといいます。
 ここで述べたもののほかに、石油製品にはプラスチックや合成
繊維などがあるのです。それだけに石油が枯渇したらそれこそ大
変なことになります。      ―― [石油危機を読む/10]


≪画像および関連情報≫
 ●常圧蒸留装置を描いた切手
  ―――――――――――――――――――――――――――
  切手の意匠として描かれた石油精製装置は、デリックについ
  て多数発行されています。デリックが産油を象徴するなら、
  精製搭は、消費国の工業を象徴します。今回は、切手に描か
  れた常圧蒸留装置を選んでその一部を紹介します。なお、切
  手だけでなく蒸留塔を描いた記念消印については改めて紹介
  します。これが、実に多い。旧ソ連邦、ポーランドなど社会
  主義国は国威高揚から発行しているようです。製油所内でひ
  ときわ高くそびえて見えるのが製油所の心臓部ともいえる常
  圧蒸留装置です。
          http://www9.ocn.ne.jp/~petro/cdudis.htm
  ―――――――――――――――――――――――――――

切手になった常圧蒸留装置.jpg
切手になった常圧蒸留装置
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2010年10月07日

●映画『ジャイアンツ』と石油の関係(EJ第2300号)

 今回のテーマは本日から石油の価格はどのようにして決まるの
かという核心に入っていく予定ですが、あまり固い話ばかりが続
くと頭が痛くなるので、今回はその幕間というか間奏曲というか
――そういう話題から入っていきたいと思います。
 1956年の米国映画に『ジャイアンツ』という作品がありま
す。あのジェームス・ディーンが演じた名作です。ジェームス・
ディーンは自分の出演シーンを撮り終えた数日後に自動車事故で
死亡してしまうのです。
 ところで、ここでいう「ジャイアンツ」とは何のことかご存知
ですか。実は映画『ジャイアンツ』は石油掘削がドラマの背景に
あるのです。簡単にどのような映画か物語を紹介します。
―――――――――――――――――――――――――――――
 メリーランド州の牧場に馬の買い付けに来たテキサスの牧場主
 ヴィック・ベネディクトと牧場の娘レズリーは恋に落ち、結婚
 してテキサスにあるヴィックの農場に移る。レズリーは東部と
 西部の生活習慣の違いに最初は戸惑うものの、やがてベネディ
 クト家の女主人として一家を支えるようになる。レズリーに片
 思いするベネディクト家の使用人ジェットは、石油を掘り当て
 一夜にして億万長者となるが、空しい心は満たされず孤独な人
 生を送る。『陽のあたる場所』(51)や『シェーン』(53)の
 名匠ジョージ・スティーブンス監督が開拓者たちの30年にも
 及ぶ壮大なドラマをダイナミックに描いた大河ウェスタン。
   http://www.geocities.co.jp/hollywood/5710/giant.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 この映画の監督はジョージ・スティーブンスですが、そのキャ
ストを決めるのが大変だったのです。まず、スティーブンス監督
は、主役のヴィック役にウイリアム・ホールディンを考えていた
のですが、途中で気が変わってロック・ハドソンに変更し、ホー
ルディンを落胆させたといいます。
 それからヒロインのレズリー役――監督としては絶対にグレー
ス・ケリーに決めていたのですが、彼女はモナコの大公と結婚し
て映画界から引退してしまったため、出演は不可能になったので
す。今度は監督ががっくりしてしまったという次第です。
 次の候補として、オードリー・ヘップバーンとマレーネ・ディ
ートリッヒが上がったのですが、監督がダメを出し、結局決まっ
たのはエリザベス・テーラーだったのです。ところが、撮影開始
前にテイラーの妊娠が発覚、テイラーの出演に固執したスティー
ブンスは彼女が子供を出産するまで撮影を延期するのです。
 ロック・ハドソンとエリザベス・テーラーに比べれば、ジャー
ムス・ディーンなんか小者です。彼は『ジャイアンツ』が映画化
されることを聞くと、『エデンの東』の撮影中だったにもかかわ
らず、頻繁にスティーブンスのオフィスを訪ねてジェット役をや
らせてくれと懇願してやっとOKをもらったのです。
 映画『ジャイアンツ』といえば、音楽を担当したディミトリー
・ティオムキンにもふれる必要があります。ティオムキンはロシ
アの作曲家ですが、もともとはピアニストです。1925年に米
国に渡り、映画音楽を書きはじめたのです。
 以降、西部劇では「真昼の決闘」、「赤い河」、「アラモ」、
「リオ・ブラボー」。戦争映画では「ナバロンの要塞」などなど
――すばらしい音楽でヒットを連発したのです。とくに「ジャイ
アンツ」は、「アラモ」、「ナバロンの要塞」と並ぶティオムキ
ンの代表作のひとつとなっています。
 さて、「ジャイアンツ」というのは、ここでは米国のテキサス
州のことを指すのです。映画では、ヴィックとジェットとの対立
を古い時代から新しい時代への変遷として描いています。具体的
にいうなら、大牧場が石油産業という時代の変革の流れに押し流
されつつ土地を取られていくさまを描いているのです。
 大牧場の使用人をしていたジェットが牧場主の姉の死に伴い、
遺言どおりに土地の一部を譲り受けたところ、そこで彼は油田を
掘り当てるのです。ところで、当時、1日5万バレル以上出る油
田のことを「ジャイアント」といっていたのです。
 「ジャイアント」は「ジャイアンツ」の単数形――どうやら、
映画『ジャイアンツ』は、テキサス州とこの油田の「ジャイアン
ト」をもじっているのでは・・と考えて、映画『ジャイアンツ』
の話題を取り上げたのです。映画のジェットのように、当時テキ
サス州では複数の「ジャイアント」を掘り当てて、大金持ちにな
った人はたくさんいたのです。
 このように近代的な石油産業は米国で起こったのです。それは
米国内で油田の発見が相次いだことが大きな理由だったのです。
米国で油田開発が本格化した10年後に、ロシアのカスピ海沿岸
のバクーで油田が発見され、ヨーロッパに出荷されるようになり
ます。そして、第1次世界大戦後にも油田の開発ブームが起こり
イランやベネズエラなどに波及していくのです。
 1932年には、バーレーンでアラビア湾最初の油田が発見さ
れ、サウジアラビアやクウェートでの油田発見が続いたのです。
第2次世界大戦後も中東での油田の発見が相次ぎ、遂に1948
年になって、世界最大のサウジアラビアのガワール油田が発見さ
れるにいたるのです。この油田は日量500万バレル――これは
サウジアラビアの生産量の約半分に当ります。
 世界第2の油田は、クウェートのブルガン油田です。日量にし
て、160万バレル――1991年にイラクが侵攻してきた際に
攻撃された油田です。この油田はいまだに原油が地表に自噴する
ため、生産コストが非常に安い点が魅力であり、イラクはこの油
田を手に入れたかったものと思われます。
 このように中東の油田が発見されるはるか前から米国では石油
に関するあらゆる技術が開発されていたので、米国の力を借りて
油田を発見したり、生産したりしたのです。そういう意味で米国
には頭が上がらなかったのです。かくして、こと石油に関しては
今まで米国が主導権を取ってきたのです。石油がドル建てである
こともこれと深い関係があります。― [石油危機を読む/11]


≪画像および関連情報≫
 ●映画『ジャイアンツ』の批評/ブログ
  ―――――――――――――――――――――――――――
  映画『ジャイアンツ』はロックフェッラーより後の1920
  年代を舞台とするが、アメリカ石油事業の様子をよく描いて
  いて見逃せない。エリザベス・テーラー、ロック・ハドソン
  が美男美女過ぎて少し浮ついた感じがするが。・・・南部の
  牧場に突然石油が噴出し、独立石油会社がにょきにょき現れ
  る、時あたかもモータリゼーション7。石油はいくらでも要
  る。ひねくれた牧場の使用人ジェームス・ディーンが、わず
  かにもらった土地に石油が噴出すシーンが印象的だ。
  http://blog.goo.ne.jp/ys386kyam/e/41d5959b2078d64c6b980164f8a772e6
  ―――――――――――――――――――――――――――

映画『ジャイアンツ』.jpg
映画『ジャイアンツ』
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2010年10月08日

●国際石油資本による石油支配(EJ第2301号)

 近代石油産業とは、探鉱・採掘・精製・販売の一連の作業を通
して行う産業ですが、それを最初に行ったのは米国であることは
既に述べた通りです。
 しかし、初期の頃は、探鉱・採掘・精製のいずれも技術レベル
が低いこともあって、原油価格はかなり大きな幅で変動していた
のです。ちなみに当時の石油は、ランプをともす灯油として使わ
れていたのです。
 石油の将来性に目を向けたのは、ジョン・D・ロックフェラー
です。当時は石油業者が乱立して価格競争をやっていて、事業と
して収益が見込めない状況だったのです。
 そこで、ロックフェラーはスタンダード・オイル社を設立し、
それを中心として、競争を排除するために買収や密約などのかな
り荒っぽい手法を駆使して、米国の石油産業の独占化を進めたの
です。そして独占状態を利用して価格をつり上げ、巨大な利益を
上げはじめたのです。1880年代のことです。
 しかし、ロックフェラーのこういうやり方は世間の非難を浴び
司法の判断に委ねられることになったのです。そして1911年
にロックフェラーの支配するスタンダード・オイル社に対して米
最高裁は解散を命じます。その結果、スタンダード・オイル社は
34社に分割されることになったのです。
 これら分割されてできた34社のうち、次の2社が頭角をあら
わし、後のエクソンとモービルになるのです。そして、1999
年には両社は合併し、エクソン・モービル社となったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ニュージャージー・スタンダード・オイル → エクソン
   ニューヨーク・スタンダード・オイル → モービル
―――――――――――――――――――――――――――――
 こういう米国の石油資本に対抗する勢力もあらわれてきたので
す。ロシアのバクー油田の開発で成功を収めつつあったダイナマ
イトの発明者であるノーベルとロスチャイルド家のアルフォンス
男爵が組んで、石油会社シェルを立ち上げます。現在のロイヤル
・ダッチ・シェルの前身です。
 1895年当時においては、このように米国産原油とロシア産
原油が次のように拮抗していたのです。このときはまだ中東では
原油は発見されていなかったのです。1901年になると、ロシ
アは世界の石油の半分以上を生産するようになります。
―――――――――――――――――――――――――――――
   米 国産原油 ・・・・・ 日量14.5万バレル
   ロシア産原油 ・・・・・ 日量12.6万バレル
―――――――――――――――――――――――――――――
 1908年にイランで原油が発見され、中東原油も世界市場に
供給されるようになったのです。はじめたのは英国人のダーシー
であり、そのためにアングロ・ペルシャン・カンパニーを設立し
ます。これが後のBP――ブリティッシュ・ペトロリアムの前身
になるのです。
 英国は第1次世界大戦のあと、かつてのドイツの影響下にあっ
た旧トルコ領のメソポタミア――現在のイラクの石油資源を独占
しようとしたのです。イラクの原油は地表に近いところで産出さ
れ、コストが安くて済むので油田として価値が高かったのです。
これに猛反発したのは米国です。
 米国は第1次世界大戦のとき、連合国側の石油供給を一手に引
き受けていたので、石油埋蔵量の枯渇懸念が生じており、イラク
の石油資源には強い関心があったのです。かくして英国と米国は
イラクの石油資源を巡って10年間にわたり争ったのです。
 しかし、この問題は1928年に決着します。イラク石油会社
(IPC)は、次の5社で共同経営することが決まったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
      1.シェル
      2.BP
      3.エクソン
      4.モービル
      5.フランス国営石油公社(CFP)
―――――――――――――――――――――――――――――
 1917年にロシア革命が起こり、シェルの有していたバクー
油田の国有化が表明されます。そのことがきっかけでシェルを中
心として国際石油資本間で争いが激化します。これが原因で、世
界的な石油販売競争が巻き起こり、石油価格は下落したのです。
 この事態を懸念したシェルのデター・ディング社長は、自分の
居城であるスコットランドのアクナキャリー城にエクソンとBP
の首脳を密かに招き、世界の石油資源を地域ごとに3社で分割し
ようと秘密協定を結んだのです。これは後にアクナキャリー協定
と呼ばれるのですが、この協定の適用地域は米国とソ連を除く全
世界だったのです。
 この協定には、あとになって、テキサコ、ガルフ、モービル、
アトランティックの米国4社が加わって7社となり、國際石油市
場における占有率はさらに高まることになったのです。そして、
これらの7社は「セブン・シスターズ」――7人の魔女と呼ばれ
るようになります。
 1938年のことです。米国の中堅石油会社ソーカル(現在の
シェブロン)がサウジアラビアで巨大な油田を発見し、その石油
事業のためにアラムコ――後に国有化により、サウジ・アラムコ
になる――が設立されたのです。しかし、このアラムコもソーカ
ル、テキサコ、エクソン、モービルの米国企業4社によって運営
されたのです。
 この当時国際的に取引される原油の価格は米国を基準に設定さ
れる「ガルフ・プラス方式」が採用されており、この方式が19
50年代まで続いていたのです。ちなみに「ガルフ」というのは
米国のメキシコ湾岸を指しているのです。
 このように米国中心の国際石油資本に支配されていた産油国に
は不満が渦巻いていたのです。 ――― [石油危機を読む/12]


≪画像および関連情報≫
 ●スタンダード・オイルについて
  ―――――――――――――――――――――――――――
  1870年1月10日にロックフェラーは、スタンダード・
  オイル・オブ・オハイオを創設した。彼は買収によって競争
  を勝ち抜き、一社による製油所の統合戦略を進めた。この行
  為はアイダ・ターベルなどに批判される。1874年にチャ
  ールズ・プラット・アンド・カンパニーを買収する。創立者
  のチャールズ・ブラット・とヘンリー・H・ロジャーズは買
  収と同時に同社に加わった。     ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

スタンダード・オイル社/第1製油所.jpg
スタンダード・オイル社/第1製油所
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2010年10月12日

●第1次石油危機はどうして起こったか(EJ第2302号)

 1973年に第1次石油危機が起こっていますが、何が原因で
起こったのでしょうか。この第1次石油危機の原因を解明するこ
とには意義があります。そこに國際石油資本の弱体化の兆しが見
えるからです。
 1950年代は、国際石油資本セブン・シスターズの全盛期で
あったといわれています。しかし、産油国では國際石油資本に対
する強い不満が頂点に達しつつあったのです。
 1948年にベネズエラ政府は、国際石油資本、すなわち、石
油メジャーと交渉して5O%採掘権料を得ることに成功していま
す。これを知ってサウジアラビア政府も同様の採掘権料を取得し
ているのです。しかし、これでも石油メジャーは十分利益を上げ
ることができたのです。
 しかし、産油国では資源ナショナリズムの高まりによって、石
油産業の国有化宣言が相次いだのです。資源ナショナリズムとい
うのは、石油や天然ガスという貴重な天然資源を国家の富として
強く認識することにより、石油メジャーをはじめとする外国資本
にその富を収奪されないようにしようという考え方です。
 きっかけとなったのは、イランによる石油産業の国有化なので
す。当時英国とソ連の影響に下にあったイランでは、選挙で選ば
れたモハマド・モサデグ首相がそれを行ったのです。
 しかし、クーデターが起こってモサデグ政権は転覆してしまい
ます。このクーデターは米国CIAが裏にいたといわれているの
です。その結果、イランでは、1979年のイラン革命まで親米
政権が続くことになったのです。
 その頃ソ連では、ボルガ・ウラル油田の生産量が増加していた
のです。ソ連では、東欧諸国に対し、国際価格より安く石油を提
供していたのですが、1955年頃以降になると、共産圏の需要
を上回る石油を生産できるようになり、共産圏以外の西欧の国に
も石油を提供できるようになっていったのです。
 何しろソ連産原油は、アクナキャリー協定の対象外であるので
非常に安く提供することができるのです。このようにしてソ連産
原油が多く出回った影響で、世界の石油価格にはかなりの下落圧
力がかかったのです。
 こういうとき、セブン・シスターズは、1959年と1960
年に産油国支払う採掘権料を引き下げたのです。これに反発した
産油国側は、1960年にサウジアラビアのタリキ石油相とベネ
ズエラのアルフォンソ石油鉱業相らが中心となってOPEC(石
油輸出国機構)が創設されることになったのです。
 しかし、サウジアラビアでは米国の工作によって、タリキ石油
相は2年後に罷免され、親米派のヤマニ石油相に代わったことに
より、産油国の権利を認める改革は抑えられたのです。
 1968年にはイラクではクーデターによって、サダム・フセ
インが政権を取ったのです。一方リビアでは、カダフィ大佐が政
権を掌握し、石油メジャーに対し、採掘権料の引き上げを認めさ
せたのです。これは石油メジャーによる価格カルテルを打破する
ことにつながり、以後石油メジャー主導で石油価格を決めること
は困難になったのです。
 これを契機にして、産油国による石油産業の国有化が次々と進
められたのです。1971年にリビアとアルジェリアが石油産業
を国有化し、1975年にはイラクでも、それまで米欧の石油資
本に支配されていたイラク石油会社(IPC)の国有化を宣言し
ています。
 一方、国有化まではできないものの、アブダビ、クウェート、
カタールなどの小国は、石油メジャーとの交渉により、採掘権料
の引き上げに成功しています。この中にあって、終始親米路線を
取ってきたサウジアラビアも、1972年にアラムコの25%
を所有し、10年後に51%を所有、1988年には正式に国有
化を宣言し、サウジアラビア・アラムコと名称変更しています。
 1973年に、アラブ諸国とイスラエルの間で第4次中東戦争
が勃発します。アラブ諸国では、あくまでイスラエル支持を続け
る米国に反米感情が高まるなかで、OPECと石油企業との価格
交渉が行われたのです。
 交渉は最初から紛糾し、行き詰ったのです。OPEC側は石油
企業に対し、70%の値上げを通告――この瞬間に価格決定権は
石油メジャーからOPECに移ることになったのです。
 実はOPECのとは別にOAPEC――アラブ石油輸出国機構
という紛らわしい機構があるのですが、OAPECはイスラエル
がバレスチナから撤退するまで、毎月5%の減産を続けると通告
したのです。
 しかし、ニクソン大統領は、あくまでイスラエル支援を発表し
たので、サウジアラビアは米国向けの石油輸出を禁止すると発表
したのです。なお、OAPECは、次の10ヶ国によって構成さ
れているのです。これに対して、OPECの加盟国は現在13ヶ
国(巻末参照)となっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
       クウェート        カタール
       リビア          バーレーン
       サウジアラビア      イラク
       アラブ首長国連邦     シリア
       アルジェリア       エジプト
―――――――――――――――――――――――――――――
 さらにOPECは、1974年1月にさらに石油価格を2倍に
引き上げたのです。これによって原油価格は、それまでの3ドル
から、11.65ドルになったのです。約4倍の引き上げです。
 このように、石油価格の急騰と産油国の禁輸によって、第1次
石油危機は起こったのです。今まで手中にしてきた原油価格決定
権をOPECに移転して危機が発生したのです。OPECによる
原油価格引き上げにより恩恵を受けた国はソ連だったのです。ソ
連ではチュメニ油田の生産量は拡大し、1970年代後半には世
界最大の産油国になっていたのです。[石油危機を読む/13]


≪画像および関連情報≫
 ●OPEC加盟国/13ヶ国
  ―――――――――――――――――――――――――――
     イラク        リビア
     イラン        アラブ首長国連邦
     クウェート      アルジェリア
     サウジアラビア    ナイジェリア
     ベネズエラ      アンゴラ
     カタール       エクアドル
     インドネシア
  ―――――――――――――――――――――――――――

OPEC本部.jpg
OPEC本部
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2010年10月13日

●OPECはなぜ機能しなかったのか(EJ第2303号)

 第1次石油危機は、原油生産の削減と米国をはじめとするイス
ラエル支援国への石油の禁輸がセットになっており、その後に原
油価格の引き上げが追い討ちをかけたのです。
 日本は米国と同盟関係にあり、イスラエル支援国とみなされる
可能性が高かったので、政府は三木武夫副総理を中東諸国に派遣
して日本の立場を説明するとともに、国民生活安定緊急措置法・
石油需給適正化法を制定して事態に備えたのです。
 省エネルギー対策がとられ、デパートではエスカレーターの運
転中止やテレビの深夜放送の休止、ネオンサインの早期消灯やガ
ソリンスタンドの日曜休業などが実施されたのです。
 これらの措置に加えて、国や石油企業が将来の石油危機に備え
て大量の石油備蓄を行うようになったのです。こうした一連の対
策が、1979年の第2次石油危機のときに役立ったのです。
 さて、前回、OPECとは別にOAPECがあるという話をし
ましたが、実にややこしい話です。これについて通商産業省(現
経済産業省)出身で、内閣官房内閣参事官である藤 和彦氏は自
著で次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1970年代から80年代にかけて、人々の目にはOPECが
 かつてない最も強力なカルテルとして映ったはずである。石油
 危機を演出した「泣く子も黙る」OPECは日本の小学校の教
 科書にも登場した。ただ、この点はよく誤解されていることだ
 が、第1次石油危機自体は、OPECではなくOAPEC(ア
 ラブ石油輸出国機構)が引き起こしたもので、OPECはこれ
 に便乗して大幅値上げを断行したにすぎない。
 ――藤 和彦著、『石油を読む』/日経文庫1128/A52
―――――――――――――――――――――――――――――
 1979年にイラン革命が起こります。ホメイニ師を最高指導
者とするイスラム宗教勢力が、親米のパーレビ国王体制を倒して
政権を掌握したのです。
 イラン革命によってイランでの石油生産は中断されます。とく
に日本はイランから大量の原油を購入していたので、石油の需給
が逼迫したのです。しかし、第1次石油危機による学習効果によ
り、省エネをはじめとして、企業の合理化効果、膨大な量の石油
備蓄によって、第1次石油危機よりもひどい状態にはならないで
済んだのです。
 原油価格については、OPEC主導で決められるようになって
おり、リーダー役のサウジアラビアは機会があるたびに原油価格
を上げようとしたのです。
 OPEC内部は一枚岩ではなく、原油価格を上げようとはする
が、どちらかというと穏健な水準での価格統一を目指すサウジア
ラビアと一層の価格の引き上げを主張するイランやリビアなどの
強硬派がたびたび対立し、決定できないこともあったのです。
 しかし、1986年に原油価格が2Oドル以上も下落したので
す。その原因は、サウジアラビアが原油の増産をしたからですが
同時にOPECに加盟していないロシアや北海(英国)やメキシ
コも増産したため原油が大幅に余って価格が暴落したのです。こ
れは、逆オイル・ショックといわれ、産油国の収入が減少し、経
済は低迷したのです。
 これによって、あまりにも人為的に価格を引き上げようとする
と、その反動として需要が急速に減退し、原油価格が暴落するこ
とを産油国――なかんずくサウジアラビアは理解したのです。
 そこで、サウジアラビアは政府販売価格を放棄し、それを「ネ
ットバック価格方式」に変更して、事実上価格カルテルとしての
OPECの機能はその時点で、失われることになったのです。
 「ネットバック価格方式」とは、ガソリンや灯油などの石油製
品の価格から原油価格を逆算して求める方式です。この方式の利
点は、石油の精製マージンが保証される点にやり、原油価格が下
降局面にある場合や見通しが不透明でリスクが高いときは大きな
魅力のある方式なのです。
 これによって原油価格は、各地域における業者間の市場取引に
よって決まるWTI原油が國際原油価格の基準になっていったの
です。つまり、原油の価格形成は、市場メカニズムに委ねられる
ようになったわけです。
 既出の藤 和彦氏は、サウジアラビアの決断について次のよう
に述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 OPECの盟主であるサウジアラビアは、70年代のOPEC
 の人為的高価格政策を「近視眼的なものであった」として80
 年代後半以降は「無茶な引き上げではなく、長期的に持続可能
 な合理的かつ安定的な価格の維持を目指す」と言明している。
 また、「第一次石油危機の際、政治目的は達成できなかったし
 近年の市場実勢から、そもそも武器にはなり得ない」としたう
 えで、「中長期的に見て自殺行為になるようなことをやるつも
 りはない」としている。
 ――藤 和彦著、『石油を読む』/日経文庫1128/A52
―――――――――――――――――――――――――――――
 OPEC設立の目的とは何でしょうか。
 石油はこれまで述べてきたように、その産業としての確立の経
緯から、石油メジャーや先進国が主導権を取って何もかも決めて
きており、産油国はただそれに従ってきたのです。
 こういう方式に対して産油国側には大きな不満があり、産油国
の利益を守ろうという気運が盛り上がって、その結果、OPEC
が設立されたのです。
 OPECでは、あくまで原油相場の安定を目的としますが、そ
のためには産油国が原油の生産量を調整して相場の安定を図るこ
とが必要になります。しかし、この原油の生産調整の足並みがう
まく揃わないのです。原油収入を確保するために決められた生産
枠をオーバーして生産する産油国があるからです。どの国も原油
収入を増やしたいからです。   ―― [石油危機を読む/14]


≪画像および関連情報≫
 ●藤和彦氏の『石油を読む』についてのコメント
  ―――――――――――――――――――――――――――
  石油の市場は、輸送コストの低さ等の理由から、現在単一の
  世界市場として統合されており、しかも嘗ての石油メジャー
  による国際カルテルがあった時代等とは異なり、その価格は
  ニューヨーク・ロンドンの石油先物市場によって概ね決定さ
  れる。「市場の再配分機能」により、特定輸入国に供給削減
  のしわ寄せがくることはかなりの程度避けられるのである。
   http://d.hatena.ne.jp/kuma_asset/20070912/1189610922
  ―――――――――――――――――――――――――――

藤 和彦氏.jpg
藤 和彦氏
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2010年10月14日

●カルテルが成立しにくいOPECの現状(EJ第2304号)

 考えてみると、原油高騰については、次のように3段階あると
思います。
―――――――――――――――――――――――――――――
    第1次価格上昇: 第1次・第2次石油危機時点
    第2次価格上昇: 2OO3年〜2006年時点
    第3次価格上昇: 2006年〜2008年時点
―――――――――――――――――――――――――――――
 ここまで述べてきたのは、「第1次価格上昇」です。添付ファ
イルとして、1948年から2004年までの原油価格の長期推
移のグラフをつけているので、説明に合わせてごらんください。
 第1次石油危機で原油価格は1バレル20ドル台になり、それ
が1979年の第2次石油危機で4Oドル台になっています。こ
れが「第1次価格上昇」です。
 これが2006年までに6Oドル台に達しているのです。この
2回にわたる価格上昇のそれぞれのインパクトについて、三菱U
FJリサーチ&コンサルティング調査部主任研究員、芥田知至氏
は次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 2Oドルから40ドルに20ドルに上がったのと40ドルから
 60ドルに上がったのとでは、同じ20ドルでもインパクトは
 違う。前者が2倍なのに対して、後者は1.5倍に過ぎない。
 学校の周りのランチの相場がそれまでの500円から急に10
 00円に上がってしまったら学生は大きなショックであろうが
 欲しいと思っていた20万円のノートパソコンが、あと500
 円高い値段であったとしても、ショックはそれほどでもないで
 あろう。                 ――芥田知至著
     『知られていない原油価格高騰の謎』/技術評論社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 要するに、「第1次価格上昇」は、価格決定権のある0PEC
が人為的に価格を引き上げた結果ですが、「第2次価格上昇」で
は、日々の相場の変動が積み上げられた結果として価格が上昇し
ているのです。この方が人為的に引き上げが行われるよりもショ
ック度は少ないといえます。
 1999年のことです。ベネズエラではチャベス大統領が政権
を担うことになったのです。この新政権は、従来の親米政権とは
異なり、米国に対立する一方で、0PEC各国との関係強化を目
指し、OPECに対し、ある方式を提案したのです。
 その方式とは「プライス・バンド制」といい、2000年3月
にOPEC各国は、この制度を導入することで合意しています。
「プライス・バンド制」――目標価格帯制とは、あらかじめ目標
価格帯を決めておき、これをベースに原油の増産・減産を決める
という方式です。
 OPECは、プライス・バンドを22〜28ドルとし、下限の
22ドルを10営業日連続で下回った場合は日量50万バレルを
減産し、逆に上限の28ドルを20営業日連続で上回った場合は
日量50万バレルを増産する――これがOPECが採用したプラ
イス・バンド制なのです。しかし、このプライス・バンド制は、
OPEC参加国のすべてが参加したわけではなく、1Oヶ国だけ
の参加だったという点を考慮すべきです。
 しかし、2003年になると、原油価格がプライス・バンドの
上限を超えた状態がずっと続いていたのです。OPECの立場か
ら見ると、原油を十分に供給しているにもかかわらず、原油相場
は下がらず上昇を続けていることになるのです。そうなると、プ
ライス・バンド制は形骸化せざるを得ないことになります。
 OPECは、2005年1月の総会において、プライス・バン
ドの22〜28ドルを一時的に停止することを決めています。当
時のOPECのアハマド議長は「原価価格は35ドルが適正」と
述べて、プライス・バンドの変更を示唆していたのですが、結局
は新たなプライス・バンドを設定することはなかったのです。
 この時期から原油価格は高止まりしているのに、世界景気は好
調で、原油需要は増加している――産油国にとっては理想的な状
態が継続していたのです。したがって、プライス・バンド制をあ
えてとる必要はなかったのです。ここで、現在OPECの市場支
配力はどの程度のものなのかについて考えてみます。
 国際石油市場におけるOPECと非OPEC生産のシェアは平
均すると次のようになっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
        OPEC ・・・・・ 40%
       非OPEC ・・・・・ 60%
―――――――――――――――――――――――――――――
 国際石油市場における国単位の市場寡占度を見ても、1970
年代以降一貫して、産油国同士の競争が激しくなっており、カル
テルが成立しにくい状況になっています。
 少し難しくなって恐縮ですが、「ハーフィンダール指数」とい
うものがあります。これは、パーセントであらわした各産油国の
シェアの2乗を合計した指数です。仮に一国が市場を完全独占し
た場合はシェア100%ですから、100%の2乗で指数は10
000になります。1965年以降の節目のある年のハーフィン
ダール指数(市場寡占度)を示しておきます
―――――――――――――――――――――――――――――
             ハーフィンダール指数
    1965年 ・・・・・・・・ 1300
    1979年 ・・・・・・・・  900
    1990年 ・・・・・・・・  700
    1999年 ・・・・・・・・  500
―――――――――――――――――――――――――――――
 指数が500以下であれば「完全競争状態」ということになり
ますが、1999年以降はそうなっています。最近では、OPE
Cの戦略を超えたところで原油価格は動いています。どういう構
造になっているのでしょうか。  ―― [石油危機を読む/15]


≪画像および関連情報≫
 ●プライス・バンドに関する記事(2004年当時)
  ――――――――――――――――――――――――――
  OPECは、15日(2004年9月15日)にウィーンで
  定例総会を開催する。主な議題は、生産上限を据え置くか否
  かという点と、原油生産上限を決める上で指標とされる目標
  価格帯いわゆるOPECプライスバンドに関し、現行の22
  〜28ドル/バレルを引き上げるか否かという点である。先
  週、OPEC関係者が引上げに合意することを明らかにした
  との報道が流れた。同報道の根拠は、これまで引上げに慎重
  な姿勢を示していたサウジアラビアが引上げを容認する姿勢
  に転じたためとされている。具体的な新価格帯については、
  総会前の非公式会議で協議する必要があるが、22〜28ド
  ルは余りに実勢から懸け離れていることから、OPECプラ
  イスバンド制、ひいては生産調整の信頼性回復に、目標価格
  帯を引き上げるべきだとする論者は多い。
http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/s09.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

原油価格の長期推移.jpg
原油価格の長期推移
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2010年10月15日

●先渡し取引は先物取引の基礎(EJ第2305号)

 かつては石油メジャーが原油価格を決めていた時代があったの
です。その価格決定権を産油国によるOPECが奪い、OPEC
が一時期原油価格を支配したのですが、それも長くは続かなかっ
たのです。自ら主導して価格を決めることの難しさをOPECの
盟主サウジアラビア自身が知ったからです。
 結局、原油価格は現在のところ「市場」が価格を決定する時代
になっているのです。原油市場に参加する人の中で、今よりも高
い値段であっても原油が欲しいと考える人や高い値段でないと原
油を売りたくないと思う人が多いと価格は上がり、その逆である
と価格は下がるのです。
 このことを整理すると次のようになります。要するに需給のバ
ランスによって原油価格は決定されるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 原油の需要が多く供給が少ないと価格は上がり、原油の需要が
 少なく供給が多いと価格は下がる
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、現在「1バレル=100ドル」以上になっている原油
価格は、こうした需給関係で決まったものではなく、投機的資金
がどれだけ流れ込むかによって決まるようになっているのです。
これについては、今後の原油価格を予測する際に重要であり、改
めて述べることにします。
 ところで、原油については、「原油先物市場」といわれますが
どうして「先物」なのでしょうか。
 既出の芥田知至氏は、航空会社の例を引いて次のように分かり
易く説明しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ある日本の航空会社が1機2000万ドルの航空機を20機注
 文したとすると注文総額は4億ドルである。注文した時点では
 「1ドル=100円」であったが、決済を行う1年後には「1
 ドル=125円」になっていたとすると、航空会社にしてみれ
 ば、「4×(125−100)=100億円」も損をしたこと
 になる。こういうリスクは航空会社としては回避したい。そこ
 で「先物」市場が有益な役割を果たす。例えば、先物市場で、
 1年後のドルを「1ドル=105円」で4億ドル分を調達する
 ことができれば、こうしたリスクは発生しない。
                      ――芥田知至著
     『知られていない原油価格高騰の謎』/技術評論社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 さて、この「先物取引」には若干「怖い」というか「油断なら
ない」イメージがあります。よく「先物相場」に手を出してスッ
テンテンになったという話をよく聞くからです。
 しかし、それは「先物取引」のことを正確に理解していないか
らです。そこで「原油先物市場」を理解するうえから、「先物取
引」について解説します。
 「先物取引」について知る場合、「先渡し取引」について理解
する必要があります。「先渡し取引」は「先物取引」の基礎とな
るものであり、実はこの「先渡し取引」――享保15年(173
0)に八代将軍吉宗の時代から行われていたのです。
 この場合の取引の対象となった商品は「米」です。当時の大阪
は米の一大集積地であったのです。もともとは淀屋という米屋の
店頭で取引をしていたのですが、後に大岡越前守によって堂島で
米会所取引がスタートしたのです。これは日本における先物取引
のはじめといわれていますが、正しくは「先渡し取引」です。こ
の取引とは、次のような取引のことをいうのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ≪先渡し取引とは何か≫
 先渡し取引とは、あらかじめ値段と数量を決めて、相対で、将
 来の決められた期日に売買を行うことを約束する取引のことを
 いう。契約日には値段と数量と受け渡し日についての契約だけ
 が結ばれ、実際のお金と品物の交換は将来、受け渡し日が到来
 した時に同時に行われる。
―――――――――――――――――――――――――――――
 先渡し取引の良い点は、受け渡し日が将来であっても価格が既
に決まっているので、将来の価格変動の影響を受けないというこ
とです。これによって、売る方も買う方も将来の事業計画を立て
易くなります。
 しかし、先渡し取引は相対取引ですので、不便な点も多くあり
ます。そこで、先渡し取引の何が問題で、先物取引だとどう解決
されるのかという点について説明します。
 添付ファイルを見ていただきたいと思います。Aさん、Bさん
Cさんの3人だけからなる市場を考えます。まず、7月10日に
AさんとBさんの間に「12月25日にAさんは金1キログラム
をBさんに300万円で売却する」という契約が結ばれたとしま
しょう。
 AさんはBさんに売却するための金1キログラムを入手するた
め、9月20日にCさんとの間に「12月25日にCさんは金1
キログラムをAさんに250万円で売却する」という契約を結び
ました。この2つの契約はいずれも12月25日を受け渡し日と
する先渡し取引ということになります。
 この契約が12月25日に正常に履行される場合は、Aさんは
50万円の利益を手にすることができます。しかし、12月25
日までは利益は入らないことと、Cさんから金1キログラムを購
入する代金250万円を用意しなければなりません。
 虫の良いことを考えるなら、自分は少しでも早く利益の50万
円を手にし、後の取引はBとCの間でやって欲しい――というも
のです。もうひとつこの取引の怖いことは、もし、商品の受け渡
し日までにBさんかCさんが倒産したり、逃げたりしたら、Aさ
んは大損害を蒙ることになります。したがって、先渡し取引はよ
ほど信頼できる相手としか取引できないということになり、市場
は限定されます。        ―― [石油危機を読む/16]


≪画像および関連情報≫
 ●「堂島米会所」とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  堂島米会所(どうじまこめかいしょ)とは、享保15年8月
  13日大阪堂島に開設された米の取引所。当時大坂は全国の
  年貢米が集まるところで、米会所では米の所有権を示す米切
  手が売買されていた。ここでは、正米取引と帳合米取引が行
  われていたが、前者は現物取引、後者は先物取引である。敷
  銀という証拠金を積むだけで、差金決済による先物取引が可
  能であり、現代の基本的な先物市場の仕組みを備えた、世界
  初の整備された先物取引市場であった。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

先渡し取引/図解.jpg
先渡し取引/図解
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2010年10月18日

●原油先物市場/NYMEX(EJ第2306号)

 前回「先渡し取引」について解説しました。今日はその続きで
「先物取引」について説明します。
 Aさん、Bさん、Cさんの3人による「先渡し取引」は、例の
ように12月25日にAさんはCさんから250万円で金1キロ
グラムを買い取り、それをBさんに300万円で売って50万円
の利益を手にすることになります。そういう内容の契約になって
いるわけです。
 しかし、Aさんが50万円の利益を手にするには、契約が確実
に果たされることが条件になります。契約の相手によってはリス
クがあり、不便な点が少なくないのです。また、信用のある人同
士でないとできないので、市場がきわめて限定されます。
 そこで、AさんとBさん、Cさんの間に中立的な立場の取引所
を入れ、取引すべての仲介をするシステムが考えられたのです。
これによって、契約不履行のリスクも取引所が負うようにすれば
取引は安全に行えるようになります。
 この場合、Aさんは契約不履行のリスクから解消されるだけで
なく、取引所との間に同じ受け渡し日の同じ品物の売りと買いが
あるので、受け渡し日を待たずに50万円の利益が確定し、取引
から離脱することが可能になります。このような取引を「先物取
引」というのです。
 先渡し取引は、将来の決まった期日に現在決めた価格で実際に
商品を受け渡す取引形態のことをいうのですが、現在の先物取引
では、実際に商品の受け渡しをせずに、期日までに反対売買によ
って差金を決済することができる取引なのです。
 反対売買とは、売りに対して買い、買いに対して売りのことを
いいまいす。「売り玉」――売り契約を仕切ることを買い戻し、
「買い玉」――買い契約を仕切ることを転売といいます。「玉」
(ぎょく)とは契約を意味します。
 NYMEX――ナイメックス/ニューヨーク・マーカンタイル
取引所――ここで取引される原油がWTI原油であり、世界の指
標原油となっているのです。NYMEXは、最も魅力的な原油先
物市場のひとつであるといわれています。それは、非常に多くの
原油先物の売買への参加者を数多く集めることに成功したからで
す。したがって、そこで決まる原油の価格は、世界の原油市場や
エネルギー市場に大きな影響力を持っているのです。
 NYMEXとはどのような取引所なのでしょうか。簡単にその
歴史を振り返ってみることにします。
 1872年にNYMEXの前身であるニューヨーク・バター・
チーズ取引所が開設されています。開設してから着実に取引品目
を増やしたあと、NYMEXに名称変更をします。その後、農産
物から鉱工業品にシフトし、1978年には暖房油を上場して、
世界ではじめてエネルギー関連の商品を上場する取引所になって
いるのです。
 1994年には、ニューヨーク商品取引所(COMEX)を吸
収したのです。これによって、NYMEXは、次の2つを部門を
有する大きな取引所になったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.NYMEX部門
   ・原油、ガソリン、天然ガス、電力、プラチナなど
 2.COMEX部門
   ・金、銅など
―――――――――――――――――――――――――――――
 なお、NYMEXは、世界の多くの取引所が電子取引を行って
いるなかで、現在でも仲介業者がフロアに集まって売買注文を交
わす立ち会い制度を引き続き採用しているのです。
 立ち会い制度の利点は、どの業者がどのタイミングでどれだけ
の注文を出したかという情報が分かり易いので、透明性が高いと
いう点にあります。もっとも立ち会い時間外においては、NYM
EXにおいても電子取引システムでの売買を行っています。
 なお、NYMEXにおいては、トレーダーが両手の手のひらを
自分の方に向けているときは「買い」であり、逆に両手の手のひ
らを外に向けているときは「売り」をあらわしています。
 最新情報によると、NYMEXを運営するNYMEXホールデ
ィングスは、2008年3月にCMEグループ――シカゴ・マー
カンタイル・エクスチェンジ――に買収されています。CMEは
米国シカゴの北米最大の先物取引所です。これによって、CME
グループは、金利・株式・原油・穀物・貴金属の先物などを幅広
く扱う世界最大のデリバティブ取引所となったといえます。
 さて、NYMEXの扱っている原油は「WTI原油の」といっ
て、米国オクラホマ州クッシング地区で現物(原油)の引渡しを
条件としている取引なのです。その日量はせいぜい30万バレル
前後であり、取引された原油はパイプラインで米国の一部地域に
供給されているだけで、国際的にはまったく流通していないので
す。WTIというのは、「ウエスト・テキサス・インターミディ
エイト」の頭文字をとったものです。
 世界の石油消費量は、2007年度の統計で、日量8500万
バレルであるので、WTI原油はその0.4%程度のシェアに過
ぎないのです。それなのにNYMEXで取引されるのは1日3億
バレルにも及ぶのです。この数字がいかに異常であるかは、その
数が世界が1日で使う石油消費量の3倍強であることを考えると
すぐわかるはずです。
 明らかに石油の需給関係とはまるで関係のないところで、原油
の価格が決められているわけです。サブプライム問題以降、原油
価格は、1バレル当たり30ドル以上上昇していますが、世界の
石油の需給関係に大きな変化が生じたわけではないのです。それ
に、第1次石油危機のときのように、OPECが価格の上昇に何
かをしたというわけでもないのです。
 一体なぜ、原油価格は「1バレル=100ドル」を大きく突破
したのでしょうか。明日から、これについて考えていくことにし
ます。            ―― [石油危機を読む/17]


≪画像および関連情報≫
 ●オクラホマ州クッシングとは !?
  ―――――――――――――――――――――――――――
  テキサス州に隣接するオクラホマ州は、米国の石油輸入施設
  や石油精製施設が集中するメキシコ湾岸地域と米国の主要石
  油消費地域である中西部やニューヨークをつなぐ架け橋の役
  割を果たしていますが、その中でもクッシングは、“世界の
  パイプラインの交差点”と揶揄されるように北米の石油産業
  の一大中心地で、WTI原油の受渡し地点の役割も果たして
  います。     http://com.nsnnet.jp/topics/tpc25.htm
  ―――――――――――――――――――――――――――

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先物取引/図解
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2010年10月19日

●原油高騰の原因を探る(EJ第2307号)

 原油の価格が高止まりしている原因を明らかにする前に原油価
格に影響を与える3つの油田について説明しておきます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.NYMEXで取引されているWTI原油
 2.ロンドンのICEで取引されている北海ブレント原油
 3.TOCOMで取引されているドバイ原油
 注:NYMEX ・ ニューヨーク・マーカンタイル取引所
   ICE ・・・ アイス先物取引所、旧IPE
   TOCOM ・ 東京工業品取引所
―――――――――――――――――――――――――――――
 つまり、これら3つの油田の原油先物価格が北米、欧州、アジ
ア各市場において、原油先物価格のベンチマークとなっているの
です。なかでもWTI原油が現在マーカーオイル(指標原油)と
して、北米市場だけでなく、世界の原油先物価格のベンチマーク
となっているのです。
 実は、原油価格は、各国の市場が開く時間と原油の性質によっ
て影響を受けるのです。まず、NYMEXで決定した原油価格が
東京工業品取引所で扱っているドバイ原油価格に影響し、さらに
ロンドンICE取引所での北海ブレント原油価格に影響する――
そういう仕組みが働いているのです。
 これに加えてWTI原油は、原油の性質の価値が高いため、そ
ういう意味からも原油先物価格の世界標準となっているのです。
原油の性質の価値が高いとは、硫黄分が少なくガソリンなどが多
く取れる軽質であることを意味します。WTI原油は、北海ブレ
ント原油やドバイ原油に比べて軽質なのです。
 さて、なぜ原油価格は100ドルを突破し、今後も高止まりす
る様相を示しているのでしょうか。
 まず、基本的なことを押さえておくことにします。原油の需要
面での要因について考えます。
 原油需要は増大の一途をたどっています。新興国では、自動車
や航空機の普及が進んだことに加えて、石油化学プラントが建設
され、電力使用量が増えるなど、さまざまな面での原油需要が急
増しています。今後この面の需要は増大すると考えられます。
 それでは、原油の供給面はどうでしょうか。
 供給面では、生産コストの高い原油が供給される傾向は不可避
なのです。開発が容易な油田は既に開発し尽くされ、多額な開発
費を投じないと開発できない案件が増えているのです。これは、
当然原油価格上昇の要因になります。
 もうひとつ米国の製油所の能力不足が上げられるのです。2O
O5年2月の米国エネルギー省の調査によると、米国のすべての
製油所は全米で19ヶ所しかなく、その製油能力は、原油換算で
日量1320万バレルです。しかし、米国国内の消費量は日量で
2800万バレル――あと日量1500万バレルの原油が不足し
輸入する必要があるのです。
 ところが、米国の製油所の分布ならぴにその構造はきわめて不
安定な状態にあります。全米の製油所の能力は、日量1320万
バレルの約60%の約800万バレル分はメキシコ湾岸のテキサ
ス、ルイジアナの両州にあるからです。
 どうしてかというと、メキシコ湾岸は俗に「ハリケーン銀座」
と呼ばれるほど、年に何度も大型のハリケーンの襲撃を受ける地
域なのです。2005年には年間実に12回ものハリケーンが、
このメキシコ湾岸で成長して米国本土を襲い、大きな被害を与え
ているのです。
 それに米国ではここ30年以上にわたって製油所の新設が行わ
れていないのです。最も新しいものでも1976年に完成したも
のであり、今日まで、30年以上使い続けられており、当然設備
は老朽化しているのです。したがって、小さい規模のハリケーン
でも設備の一部が損傷を受けて、製油所の活動が停止することも
あり得ることなのです。そういう意味で米国の製油所はきわめて
不安定なのです。
 米国の製油所の能力が原油価格に影響を与える――ちょっと考
えると不思議な感じがしますが、2006年8月7日に発生した
米国最大の油田――アラスカ州ノーススロープのブルドーベイ油
田の生産停止の影響を述べることにします。
 何が原因かというと、プルドーベイ原油を輸送するパイプライ
ンに腐食と原油漏れが発生したのです。問題のある部分は22マ
イル(約35キロメートル)のうち、16マイル(約26キロメ
ートル)であり、この部分を交換する必要が生じたのです。
 プルドーベイ油田の原油生産量は日量40万バレルであり、米
国国内の原油生産量の10%未満ではありますが、カルフォルニ
ア州を中心に米国西海岸に原油を供給し、カルフォルニア州にお
ける精製原油の20%はこの油田に依存しているのです。
 2006年7月14日――NYMEXのWTI原油価格は終値
で「1ドル=77.03ドル」に達していたのです。イランの核
開発問題、北朝鮮のミサイル発射、イスラエルによるレバノン空
爆などがその原因です。
 しかし、その後イスラエルとレバノンの停戦によって原油価格
は沈静化していたのです。しかし、8月7日のプルドーベイ油田
の生産停止の発表を受けて、NYMEXの原油価格は瞬間的に高
騰して「1ドル=77.30ドル」になり、終値については「1
ドル=76.98ドル」というその時点の史上2番目の高値を記
録したのです。
 このWTI原油の高騰は、ロンドン市場の北海ブレント原油は
78.64ドルと史上最高値をつけ、日本原油市場に上場してい
るドバイ原油も8月8日に72ドルという高値をつけたのです。
 このように、國際原油価格形成のメカニズムは、米国が発信源
となっており、米国国内の製油所のトラブル、ハリケーンの到来
など国内事情によって、WTI原油先物価格が乱高下する構造に
なっているのです。そういう状況が投機筋に買い材料を与えるこ
とになります。        ―― [石油危機を読む/18]


≪画像および関連情報≫
 ●ブルドーベイについて書いてあるブログより
  ―――――――――――――――――――――――――――
  車窓のお供は有名なアラスカパイプライン。緩やかな起伏で
  チラチラと見え隠れしつつ延々と続いています。1977年
  北極海ブルドーベイの油田から石油を輸送するために、様々
  な条件を考えて敷設されたというアラスカ半島縦断全長にし
  て1280キロメートルのグレーのパイプ。自然の大きさと
  人間のすることのすごさに目をみはり、久々に「地上の星」
  のテーマソングが頭をよぎります。
     http://babu.jp/~lorispaw/travel/06-alaska/3.htm
  ―――――――――――――――――――――――――――

ブルドーベイ油田のパイプライン/アラスカ.jpg
ブルドーベイ油田のパイプライン/アラスカ
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2010年10月20日

●プロとアマが同居している原油先物市場(EJ第2308号)

 原油の取引市場には、プロとアマが同居している市場といわれ
ています。それはどういう意味でしょうか。
 NYMEX市場における取引参加者には、米国商品先物取引委
員会(CFTC)に報告義務のある業者とそうでない業者がある
のです。
―――――――――――――――――――――――――――――
  1.CFTCに報告義務のある業者
    ・ 当業者 ・・ 原油の実物取引をする業者
    ・非当業者 ・・ 原油を実物取引しない業者
  2.CFTCに報告義務のない業者
―――――――――――――――――――――――――――――
 ここで問題なのは、CFTCに報告義務のある業者の中の非当
業者とCFTCに報告義務のない業者なのです。これらの業者は
石油の実物取引はしない投機・投資目的の業者であるからです。
 非当業者には、ヘッジファンド、年金基金などの機関投資家が
該当するのですが、彼らは投機や投資の対象として原油先物を購
入しているのです。
 非当業者のヘッジファンド、年金基金などの機関投資家は、基
本的に石油産業に関しては専門知識を持たない業者であり、いわ
ば石油に関してはアマなのです。これに対して、当業者は石油事
業者そのものであり、プロということになります。冒頭において
原油の取引市場には、プロとアマが同居している市場といったの
は、そういう意味です。
 それでは、石油産業のアマ的存在のヘッジファンド、年金基金
などの機関投資家は、なぜ、原油先物市場に参加しはじめたので
しょうか。
 それは、これまで石油を大量消費していた先進国が、今後も安
い原油の時代が続くことに疑問を持つようになったことです。そ
もそも原油は、1980年代以降20年以上にわたって、「1バ
レル=10ドル〜2Oドルの間で推移しており、投資対象として
は、まるで魅力がなかったのです。
 しかし、21世紀に入ると事情が一変したのです。それはさま
ざまな要因によって原油価格が上昇したこと、それに加えて原油
需給の逼迫懸念をあおる報告書や論文が相次いで報告されたから
であるといえます。これらを「ピークオイル論」――原油の生産
は既にピークを超えている――というのですが、何となく意図的
の感があります。
 大きなインパクトを与えたのは、米投資銀行のゴールドマン・
サックスが2005年春に出した次の趣旨の報告書です。
―――――――――――――――――――――――――――――
   原油価格は「1バレル=105ドル」まで上昇する
         ――ゴールドマン・サックスの報告書
―――――――――――――――――――――――――――――
 原油の希少性が高まり、どうやらそれが本当らしいということ
がわかってくると、原油価格が上がってくることは必定であり、
高利回りの投資対象を必死に探している投資家が原油先物市場を
見逃すはずがないのです。
 ここで重要なのは、「原油価格は絶対に下がらない」と投資家
が考えはじめているということです。米国最大の年金基金である
カルバース――カルフォルニア州公務員退職者年金基金などが、
これによって本格的に原油を投資対象として検討することをはじ
めていることです。
 ここで、言葉の問題ですが、ヘッジファンドなどの投機筋と年
金基金などの投資家を区別して使う必要があります。
―――――――――――――――――――――――――――――
    ヘッジファンドなど ・・・・・ 投機筋
    年金基金など    ・・・・・ 投資家
―――――――――――――――――――――――――――――
 「投機筋」と「投資家」はどう違うのでしょうか。
 ヘッジファンドなどの「投機筋」は、先物買い、空売りなどの
さまざまな金融手法を駆使するのに対して、年金基金などの「投
資家」は、資金運用手法に大きな縛りがあり、空売りなどで短期
的に利ざやを稼ぐことはできないのです。したがって、運用対象
は、おのずと安定的に利益を上げられる銘柄に長期投資すること
に限定されるのです。
 原油先物市場の「買い」と「売り」には、長い間にできた「常
識」というものがあります。実際にNYMEXのWTI原油価格
が「1バレル=10〜30ドル」で推移していたときには、次の
常識というかルールが成立していたのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 原油先物価格は、期近物の方が期先物よりも価格は高くなる 
―――――――――――――――――――――――――――――
 原油先物価格は、「6月物」とか「8月物」といわれますが、
これは「限月」といって、数字は取引の期限の満了をあらわして
いるのです。これに関して、「期先物」と「期先物」という言葉
について知る必要があります。
―――――――――――――――――――――――――――――
       期近物 ・・・・・ 満期が近い
       期先物 ・・・・・ 満期が遠い
―――――――――――――――――――――――――――――
 満期が遠い「期先物」は価格が安いので、そこで買って、満期
が近い「期近物」になって売れば利ざやを稼げる――これが常識
だったのです。これを「バックワーデーション」というのです。
 ところが、2004年〜2006年の3年間は、一貫して原油
価格が上昇基調にあったので、すべての限月において原油価格が
上昇していたので、したがって、すべての限月において利益が上
がるようになったのです。これを「スポット・リターン」という
のです。これに対して、先物を買って、期近で売るのを「ロール
・リターン」といいます。この原油先物市場の常識があることか
ら変わることになります。   ―― [石油危機を読む/19]


≪画像および関連情報≫
 ●ヘッジファンドとは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ヘッジファンドの正確な定義は難しいが、公募によって一般
  から広く小口の資金を集めて大規模なファンドを形成するこ
  とを目指す通常の投資信託と異なり、通常は私募によって機
  関投資家や富裕層等から私的に大規模な資金を集め、金融派
  生商品等を活用した様々な手法で運用するファンドのことを
  指す。代替投資の一つ。       ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

NYMEX.jpg
NYMEX
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2010年10月21日

●バックワーデーションとコンタンゴ(EJ第2309号)

 昨日のEJの復習をしておきます。原油先物市場の「買い」と
「売り」の常識を再現します。
―――――――――――――――――――――――――――――
 原油先物価格は、期近物の方が期先物よりも価格は高くなる
―――――――――――――――――――――――――――――
 期近物とは満期の近い物をいい、これに対して期先物とは満期
の遠いものをいうのです。先物原油を購入すると、現物で決済す
る満期までの先物原油購入資金の金利が発生します。そのため、
先物原油購入のための金利相当分だけ期先の原油価格が低くなる
――これは経済学的に見て当然のことです。こういう状態を「バ
ックワーデーション」というのです。
 したがって、原油先物の常識的な投資手法では、高い期近物を
売って安い期先物を買い、ロールオーバーしていくという手法を
とるのです。
 しかし、2004年の後半からこのようなバックワーデーショ
ンの市場構造に変化が生じているのです。どういうことかという
と、「原油価格は期近物よりも期先物の方が上昇する」という事
態になっているのです。こういう状態のことを「コンタンゴ」と
いいます。
 バックワーデーションとコンタンゴ――相場関係の専門用語で
あって一般的には知られていない言葉です。参考書などを読むと
これらの言葉には次の解説が出ています。
―――――――――――――――――――――――――――――
    バックワーデーション ・・・・・ 逆ざや
    コンタンゴ ・・・・・・・・・・ 順ざや
―――――――――――――――――――――――――――――
 バックワーデーションの先物市場構造においては、投機筋は期
先で原油を買い、期近になると原油価格が上がるので、そこで原
油売りのオペレーションを行って利ざやを稼ぐことができるので
です。これは投資家によって都合の良い状態です。
 つまり、今まで原油に関しては「逆ざや」が常識であったとい
うことになります。例えば、ガソリンは「逆ざや」ですが、灯油
に関しては、需要が増す冬場は「逆ざや」、夏場は「順ざや」に
なるのです。このように商品によって、「逆ざや」「順ざや」は
違ってくるのです。
 期近物が期先物より安い状態になるコンタンゴは、投資家にと
って都合の悪い状態になります。今、原油先物市場でパラダイム
の転換といわれているのは、バックワデーションからコンタンゴ
に市場が変化してしまったことをいうのです。
 問題は、なぜ、原油先物市場においては、バックワデーション
がコンタンゴになってしまったのでしょうか。
 変化は2004年後半から起こっているのです。この時期はい
わゆる「ピークオイル論」が出はじめた時期と一致します。この
ように原油価格は今後値上がりして高止まりするという観測によ
り、年金基金や投資信託の資金が大量に原油先物市場に流入した
ことが市場の構造変化の原因とする説が現在主流なのです。
 年金基金や投資信託が具体的に何をしたかというと、期近物を
売って、その資金で期先物を購入する――これを大量の資金で繰
り返して行ったのです。その結果、原油価格は期近物よりも期先
物の方が上昇するコンタンゴの状態になったというわけです。
 既出の芥田知至氏――三菱UFJリサーチ&コンサルティング
調査部主任研究員は、年金基金や投資信託の資金が大量に原油先
物市場に入り込んできたことが原油価格高騰の原因であるという
説にやや懐疑的であるという意見を持っています。
 添付ファイルの上のグラフを見てください。このグラフでは左
ほど期近物であり、右に行くほど期先物になります。2004年
10月までの原油先物市場では、「1」のように期先物ほど価格
は低かったのです。これは、バックワーデーションですね。
 芥田氏は、2004年10月までバックワーデーションの状態
であったことについて、次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 原油先物市場がバックワーデーションであった理由は1980
 年代以来の継続的な供給力の過剰や長期的な価格低迷があった
 とみられる。長い間にわたって、価格の下落や低迷を経験して
 いたため、原油価格が先行き上昇するという見方が、生じにく
 くなっていた。              ――芥田知至著
     『知られていない原油価格高騰の謎』/技術評論社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、2005年に入ると状況に変化があらわれるのです。
2005年4月には「2」のグラフのようになり、期近物の価格
が下がりはじめ、12月になると「3」のグラフのようになって
期近物の方が期先物より下がるいわゆるコンタンゴの状態になっ
たのです。
 芥田氏は原油価格先物がコンタンゴの状態になったことが過去
にもあったことを上げ、現在のコンタンゴの状態が必ずしも年金
基金や投資信託の資金の原油先物市場への大量流入のせいばかり
ではないといっているのだと思います。
 添付ファイルの下のグラフを見てください。芥田氏はここでは
コンタンゴの状態を見るために「6ヶ月物と期近物の価格差」を
グラフにしているのです。6ヶ月物は流動性は高く、投機的な思
惑や石油関連業者の価格変動リスクに対する意識などもよく反映
していると考えられるからです。
 1990年以降で見ると、2005年と同程度にコンタンゴに
なったのは、1990年の湾岸戦争直前時期と、1997年のア
ジア通貨危機のとき――いずれも期近物の原油価格が足元の需給
緩和懸念などから下落したためあまり価格が変動しなかった期先
物との価格差がプラス方向に拡大したのです。しかし、2500
年にかけては、足元の原油価格が上昇しているにもかかわらず、
期先物については先高感が出ているのです。これについては来週
考えることにします。      ―― [石油危機を読む/20]


≪画像および関連情報≫
 ●コンタンゴの語源を探る
  ―――――――――――――――――――――――――――
  コンタンゴというものは少し変わった言葉である。コンタン
  ゴの語源は、語源は明確ではなく continue という言葉が変
  化したもの、あるいはラテン語の contingo ではないかとも
  いわれている。意味はcontactと同じである。
  ―――――――――――――――――――――――――――

WTI原油の先物カーブの変遷.jpg
WTI原油の先物カーブの変遷
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2010年10月22日

●『ピーク・オイル論』と原油価格(EJ第2310号)

 1956年のことです。石油会社シェルに在籍していた構造地
質学者のM・キング・ハバートは、次の予告をしています。
―――――――――――――――――――――――――――――
    米国の石油生産のピークが1970年に来る
            ――M・キング・ハバート
―――――――――――――――――――――――――――――
 原油というものが有限の資源であることは誰でも知っているこ
とです。いつか石油の生産量はピークに達し、その後減少に向か
うということも理解できます。ハバートは米国の場合、そのピー
クが1970年に来ると予告したのです。これはその後「ピーク
・オイル論」といわれ、世界中で論議を呼ぶことになります。
 ハバートはこう考えたのです。規模の大きい、地表近くの見つ
かりやすい油田は発見しやすいので、すでに発見されてしまって
おり、残りの油田は発見に時間がかかるうえに規模は小さくなる
――と。大規模油田がこれから発見される可能性はきわめて低い
ので、1970年ごろから下降線をたどると予測したのです。
 米国には1万4000以上の油田がありますが、そのうちの大
規模な100程度の油田が総産出量の約3分の2を占めているの
です。このような大規模油田は長期にわたって安定した量を産出
できますが、その後急速に産出量が減少するのです。
 ハバートは、アラスカとハワイを除く米国本土48州で、19
01年から1956年の間に発見・生産された原油量の統計を集
めたのです。その結果、米国で確認された原油埋蔵量は1930
年代までは急増しているものの、その後勢いが衰えていることが
わかったのです。
 ハバートは、このパターンをグラフ化したところ、米国の原油
供給量が近く頂点に達し、その後減少に転ずる釣り鐘型になるこ
とがわかったのです。
 ハバートがこの予測を出した1956年の米国は、新たな油田
発見が相次ぎ、米国は世界最大の産油国だったのです。したがっ
て、誰もハバートの予告には耳を傾けなかったのです。しかし、
1970年、米国の石油生産量は、ハバートの予測通りピークを
迎えその後は2度と同じ生産量に達することはなかったのです。
 しかし、石油が出るところは米国だけではないのです。世界全
体のピーク・オイルはいつなのでしょうか。
 ハバートは、米国での予測に使ったパターン「ハバート曲線」
を使って、世界全体の石油産出量についても予測をしているので
すが、それによるとピーク時を2006年頃としているのです。
 そういえば、確かにこの頃から原油価格は上昇傾向になってい
ます。ピーク・オイル論にしたがい、投機筋による原油価
格上昇の期待形成ができたからでしょうか。しかし、専門筋では
このピーク・オイル論に否定的なのです。
 2006年9月に米国テキサス州ダラスで開催された「OPE
Cセミナー」において、サウジアラビアの国有石油会社サウジア
ラムコのトップは、次のように明確にピーク・オイル論を否定し
ているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 地球の5兆7OOO億バレルもの生産可能な原油数量に対して
 世界はこれまでにわずか約1兆バレル、いわば、約18%しか
 生産していない。残りの4兆7000億バレルは現在の生産ス
 ピードで計算して今後140年以上消費し続けるのに十分な量
 である。――藤 和彦著、『石油を読む/地政学的発想を超え
    て』より。日本経済新聞社/日経文庫1128/A52
―――――――――――――――――――――――――――――
 ハバートの予告が的中したのは、米国の場合、探鉱活動が非常
に進んでいたので、原油埋蔵量の予測が比較的正確に把握するこ
とができた点にあるのです。しかし、世界の原油埋蔵量となると
そう簡単には予測できないのです。
 残存している原油埋蔵量は、地質学者が実際に現地調査を行っ
て推計する方法と、過去の原油産出量の統計を分析して推計する
方法の2つがありますが、最低で800億バレル〜2兆9000
億バレルと大きな幅があり、正確に把握することは困難です。
 ピーク・オイル論のように資源量の枯渇から来る原油価格高騰
傾向に加えて、油田や製油所に対する投資不足が原油価格の高騰
を招くという考え方もあります。
 ピーク・オイル論があらわれた2006年11月に國際エネル
ギー機関/IEAは、次の衝撃的なレポートをまとめています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 世界の需要を賄うには2030年までに油田や製油所に4兆3
 000億ドルの投資が必要であり、この投資不足が続くと、長
 期的には原油価格は130ドルに達する可能性がある。
              ――國際エネルギー機関/IEA
―――――――――――――――――――――――――――――
 2008年4月18日付の日本経済新聞は、17日の早朝、W
TIで期近の5月物が、一時「1バレル=115.54ドル」ま
で上昇したと伝えています。その原因として、新聞は「米製油所
の稼働率低迷」とタイトルを付けて、次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 米エネルギー省によると、直近の米製油所の稼働率は81.4
 %で、一年前の同じ時期に比べて9ポイント低く、2005年
 10月下旬(82.5%)以来の低水準だ。大型ハリケーンの
 被害で設備が破壊された当時と違い、今回は石油会社が操業を
 抑えているのが原因だ。
         ――2008.4.18/日本経済新聞より
―――――――――――――――――――――――――――――
 2008年4月の時点で「1バレル=115.54ドル」まで
きているのです。IEAの予測は2030年に130ドルですが
そんなにかかからないで、そのラインまで到達する可能性が高い
ことも予測されます。やはり、原油価格はこのまま上がり続ける
のでしょうか。        ―― [石油危機を読む/21]


≪画像および関連情報≫
 ●ピーク・オイル論に言及している本
  ―――――――――――――――――――――――――――
  現在「ピーク・オイル」という言葉が声高に叫ばれている。
  世界の石油生産はピークを迎えつつあるという意味である。
  これは世界の専門家たちがハバート博士の分析方法を利用し
  て立てた予測によるものだ。ピークはまもなくやってくる。
  石油を燃料として利用できる時代の終焉まで、もう時間はな
  い。ハバート博士に師事したケネス・S・ディフェイス博士
  は本書で起源、探査、生産、流通、代替エネルギーまで、石
  油産業のすべてを詳細に解説し、ハバート理論の長所と短所
  迫りくる事態への対処法までを網羅している。「石油の代わ
  りにステージに上がる代替エネルギーは何か?」「燃料とし
  て利用されなくなった石油はどうなるのか?」。本書はこれ
  らの疑問に答えてくれる必携の書だ。
  ―――――――――――――――――――――――――――

ピーク・オイル論.jpg
ピーク・オイル論
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2010年10月25日

●『無機成因説』の信憑性(EJ第2311号)

 「石油とは何か」――実はこの基本的なことが現在でもわかっ
てはいないのです。石油は一般的には「化石燃料」といわれます
が、化石燃料とは、古代の動物や微生物の屍骸が変質して、石油
に変化したもの――そこから化石燃料というのです。
 地中奥深く行けば行くほど、マントル層の熱を受けやすくなる
ので、屍骸に高熱が加えられ、そこに地殻の重みも加わって、強
い圧力がかかるのです。この高温と高圧によって屍骸が変質して
石油になるというわけです。
 しかし、石油には、次の2つの説があり、科学的にどちらが正
しいか、結論が出ていないのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
          1.生物由来説
          2.無機成因説
―――――――――――――――――――――――――――――
 科学的には「生物由来説」で決まりなのですが、それを裏付け
る証拠というか、根拠は意外に弱いのです。
 ジョージ・メイソン大学のロバート・アーリック教授が上げる
「生物由来説」の根拠を示しておきます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.石油の成分には生物由来の炭化水素が含まれていること
 2.しばしば「光学活性」を示し、生物が取り込みやすい回
   転方向の分子が多く混入している
 3.生物が取り込みやすい奇数の数を持つ炭素化合物が多い
―――――――――――――――――――――――――――――
 それぞれが専門的な根拠なので、あえて説明は省略しませんが
「生物由来説」を裏付けるというほど決定的な根拠とはいえない
ように思います。
 これに対して「無機成因説」の根拠は実にたくさんあります。
コーネル大学のトマス・ゴールド教授の意見を基に他の意見を加
えて列挙すると次のようになります。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.採掘してしまった油田から石油が再び同量まで自然に回
   復することがある
 2.地域により石油成分は大きく変わるはずだが、一定成分
   に落ち着いている
 3.生物起源では説明つかぬ成分の含有、地殻深部の石油に
   生物の痕跡がない
 5.生物が生息していた特定地層だけでなく、どんな深さに
   も炭化水素がある
 6.本来生物活動とは関係のない花崗岩の隙間に石油がある
   という事実がある
 7.ペルシャ湾の油田分布を見るとプレート境界に沿って線
   上に配列している
 8.石油中にはダイヤモンドの微粒子が含有――ダイヤンモ
   ンドは無機物由来
     http://www.bekkoame.ne.jp/~mineki/petroleum.htm
―――――――――――――――――――――――――――――
 「無機成因説」は、もともと地球深部に大量に存在する炭化水
素が、地殻の断裂を通じて地表に向けて上昇し、油田を形成した
ものと考える説です。
 地球の深部から地表に上昇してくるプロセスにおいて動物の屍
骸を巻き込んだとすれば、「無機成因説」で「生物由来説」の説
明もできてしまうことになります。
 実は、最近「無機成因説」を裏付ける数々の事実や現象が続出
しているので、その1つが「生物由来説」では探鉱対象になり得
ない地点――深さが5千メートル以上のところで、相次いで発見
された油ガス田の存在です。
 堆積盆地を掘り進んだ基盤岩の内部に垂直方向に広がる油田、
基盤岩が地表まで盛り上がった「楯状地」で発見された油田など
いわゆる「基盤岩油田」は世界で450以上も商業化されている
のです。
 米国科学アカデミーが2004年9月に発表した興味ある論文
があります。その論文は、人工ダイヤモンドで密閉した微少な空
間に方解石、ウスタイト、水という地殻に豊富に存在する物質を
入れ、上部のマントルに相当する高温高圧条件下に置いたところ
容易に油ガスが生成されたというのです。生物が関与せず、水と
岩石の反応だけで生成されることを実証したという内容です。
 最近になって新規発見油田に目を向けると、かつて探鉱が困難
であった大水深部――西アフリカ、ブラジル、メキシコ湾、東南
アジアにおける水深500〜2000メートルの大陸棚の斜面で
近年数億バレル規模の大油田が極めて高い成功率で次々と発見さ
れているほか、カザフスタンのカシャガン油田やイランのアザデ
ガン油田など、1980年代に発見されなかったような超巨大油
田も新たに発見されているのです。
 さらに、ベトナム沖では、これまで主な探鉱対象とみなされて
いなかった花崗岩質基盤岩を対象とする探鉱が近年活発化し、大
規模油ガス田の発見が相次いでいます。このように、探鉱最前線
では次々と新たな地質プレイ――従来試みられなかった、新しい
地質概念に基づく探鉱対象にチャレンジする姿が見られ、発見効
率が向上しているのです。
 これだけの根拠があるのに、「無機成因説」は科学的には一顧
だにされていないのです。AとBという2つの説があって、A、
すなわち「生物由来説」ですべてが説明できない状態にあるのに
もうひとつの説であるB、すなわち「無機成因説」をなぜ積極的
に解明しないのでしょうか。
 日本の学界にはこういうことがよくあるのです。まして日本は
資源が乏しい国といわれているのですから、騙されたと思って予
算を付けて、「無機成因説」を本気で研究してみるべきではない
でしょうか。案外日本列島の下からとんでもない油田が眠ってい
るかも知れないのです。     ―― [石油危機を読む/22]


≪画像および関連情報≫
 ●原油無機起源説に脚光か/電気新聞より
  ―――――――――――――――――――――――――――
  「石油・天然ガスは地球内部で無機的に生成され続ける」と
  する無機起源説を見直す動きが出始めている。従来の有機起
  源説では説明が難しい油ガス田の発見が世界各地で相次いだ
  ことに加え、米国科学アカデミーが上部マントルを再現した
  環境で無機的に油ガスを生成する実験に成功するなど、妥当
  性を裏付けるような事実が明らかになってきたためだ。仮に
  妥当ならば資源量は無限に近く、エネルギー情勢、世界経済
  は劇的に変わる。日本エネルギー経済研究所総合戦略ユニッ
  トの中島敬史・主任研究員は「資源開発の可能性が格段に広
  がる。常識にとらわれないオープンな議論を」と話す。
http://www.shimbun.denki.or.jp/backnum/news/20050715.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

製油所の風景.jpg
製油所の風景
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2010年10月26日

●『無機成因説』の信憑性/その2(EJ第2312号)

 「生物由来説」が正しいとして、石油はあとどのくらい残って
いるでしょうか。
 精密な根拠に基づくものではありませんが、地球に残されてい
る石油の埋蔵量は、およそ1兆1000億バレル――ちょうど琵
琶湖4杯分といわれます。この量を今までの消費のペースで使う
と、2040年にはなくなってしまう計算だそうです。
 しかし、これは基本的には液体としての原油の残量であり、そ
れに、オイルサンドやオイルシェールというオイルを含んだ砂や
岩からの精製する分を加えると、あと10兆バレルは残っている
計算になります。
 しかし、オイルサンドやオイルシェールからの石油の精製はコ
ストと時間がかかり、どうしても原油価格は高騰せざるを得ない
ことになるのです。いずれにせよ、「生物由来説」が正しいとす
る限り、即座に何らかの対策を講ずる必要があります。このまま
では原油価格は急ピッチで高騰していくことになるはずです。
 しかし、「無機成因説」が正しいとすると、基本的に発想を転
換する必要があります。この説に立つと、実質的に原油は無限に
存在することになり、枯渇を恐れる必要はなくなります。しかし
油田の発見・探索に関しては、今までとは違った考え方で臨む必
要があるのです。
 前回、「無機成因説」の一部の根拠を示しましたが、もうひと
つの説を示しておきます。それは次の本です。
―――――――――――――――――――――――――――――
                 トーマス・ゴールド著
  「未知なる地底高熱生物圏/生命起源説をぬりかえる」
          丸武志訳  2000年/大月書店刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 この内容は驚くべきものです。石油は化石が原料なのではなく
地下の炭化水素が変質して石油やメタンガスに変わるという説な
のです。実際に地球の内部には膨大な量の炭素が存在するのが自
然であり、一部分は炭化水素の形で存在しているのです。この本
について記述しているブログを参考にしてその内容を示しておく
ことにします。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ●トーマス・ゴールドによれば、石油・石炭・天然ガスは「化
  石燃料」ではない。しかも実質的に無尽蔵である。
 ●しかし、だからといって無制限に使って良いものではない。
  資源の枯渇の心配は要らないかもしれないが、環境は間違い
  なく悪化する。
 ●トーマス・ゴールドによれば、地底には地表を凌ぐ生物圏が
  存在する。地表の生命は地底の生命の分家である。まさに母
  なる大地である。
 ●トーマス・ゴールドによれば、他の惑星にも地底生物圏が存
  在する。地球だけが特別なのではない。生命はいたるところ
  にある。
 ●トーマス・ゴールドによれば、科学の定説はしばしば根拠が
  希薄である。科学者だって思ったほど優秀なわけではない。
  思い違い、早とちりも結構多い。
        http://club.pep.ne.jp/~tatematsu/book8.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 こういう説に立つと、資源のない日本でも地底には石油や天然
ガスがある可能性があるということになります。まだ記憶に残っ
ている事例として、渋谷のクアハウスの爆発事故がありましたが
原因は天然ガスだといわれています。
 東京都北区の温泉掘削現場から突然大量の天然ガスが噴出して
昼夜燃え続け、大量の泥水の注入でやっと鎮火したという事例、
千葉県九十九里浜町の「いわし博物館」の文書収蔵庫で大爆発が
起き、職員2名が死傷するという事例――いずれも天然ガスに関
係があるのです。
 石油や天然ガスに関しては、いつの頃からなのか、化石燃料で
あるという前提に立って、油田の探索が行われてきています。化
石燃料であれば、石油や天然ガスは堆積岩の下にしかないと考え
るのは常識であり、実際の油田調査はそういうところしかやって
いないのが現状です。
 ところで、日本には、地球深部掘削船『ちきゅう』という特殊
な船があり、これによる調査プロジェクトがあることをご存知で
しょうか。これは地球の地下深くにもぐることによって、「地殻
内流体の解明」を行っているのです。しかし、これは建前であっ
て本当の目的は「地下生物圏の解明」をすることによって「石油
・石炭・天然ガス無機起源説」の解明を目指しているのです。
 石油無機起源説の日本での提唱者に日本エネルギー経済研究所
の中島敬史氏という人物がいます。中島氏が執筆した「無機起源
石油・天然ガスが日本を救う!?―地球深層ガス説」の一部を次
にご紹介しておきます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 日本は、2つの巨大な大陸地殻プレート――ユーラシアプレー
 トと北米プレートが接する境界線があり、サハリン西方から日
 本海を経由して新潟、長野、静岡まで縦断・横断していると推
 定されています。この大きな境界線沿いや、これに雁行して並
 走する断裂が存在すれば、将来の探鉱対象エリアとなるかも知
 れない。こうした新しい視点で日本列島を再評価することによ
 り、我が国に新たな石油・天然ガス資源の発見を導くのではな
 いか。これらの前では、"石油ピーク問題"は霧散する。しかし
 それら豊富な石油・天然ガス資源は決して地表付近に分布する
 ものではなく、深部探鉱に対する投資が不可欠である。石油資
 源量における悲観論が広がり、リスクを避けるべく探鉱への投
 資が滞れば、いずれ"石油ピーク"が訪れるであろう
                      ――中島敬史氏
―――――――――――――――――――――――――――――
               ―― [石油危機を読む/23]


≪画像および関連情報≫
 ●講演・座談会 石油の無機起源説について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  誰も予想しなかった石油高価格が続き、世界経済への悪影響
  が懸念される情勢を背景に、石油資源のピーク説が有力視さ
  れる一方で、その対極的とも言える無機起源説が最近の多く
  の事例を元に注目を集めてきている。人類の未来を考える大
  前提となるエネルギーの将来を検討するには、こうした考え
  を無視することはできない。これまであまり紹介されていな
  い無機起源説を取り上げて、その内容の理解を深めることと
  した。    ――日本エネルギー経済研究所/主任研究員
                      中島 敬史 氏
http://www.engy-sqr.com/member_discusion/document/sekiyu-mukisetsu051001.htm
  ―――――――――――――――――――――――――――

「未知なる地底高熱生物圏」/ゴールド.jpg
「未知なる地底高熱生物圏」/ゴールド
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2010年10月27日

●ベトナム天然ガス事業とロシア(EJ第2313号)

 EJ第2311号で、ベトナム油田の開発について次のことを
書いたのですが、再現しておきます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ベトナム沖では、これまで主な探鉱対象とみなされていなかっ
 た花崗岩質基盤岩を対象とする探鉱が近年活発化し、大規模油
 ガス田の発見が相次いでいます。このように、探鉱最前線では
 次々と新たな地質プレイ――従来試みられなかった、新しい地
 質概念に基づく探鉱対象にチャレンジする姿が見られ、発見効
 率が向上しているのです。      ――EJ第2311号
―――――――――――――――――――――――――――――
 つまり、ベトナム沖では石油が出ているのですが、この海底油
田はいわく付きであり、ロシアが支援をしていることはあまり知
られていないのです。
 実はロシアは、かなり前から密かに「無機成因説」に立って油
田の探索をやってきていると思われるのです。そのため「超深度
油井」の探索・掘削について高度な技術を持っているのです。
 1970年にロシアは、40230フィートの深度に達する実
験油井を掘ることに成功しています。地球のマントルという非常
に深いところに石油があるという理論なので、深く油井を掘る必
要があるのです。
 ベトナム南部沖の海底油田は、1970年代に米国のモービル
社が開発に着手したのですが、サイゴン陥落後はソ連が引き継い
で、1986年にバクホー油田で商業生産を開始したのです。
 ロシアは、ベトナムに対してある提案をしたのです。ベトナム
に、リスクのない共同石油事業を始めたいと主張したのです。石
油技術者をモスクワから派遣して、ロシアは装備と技術を無料で
提供し、実際に石油が見つかって、その事業が商業ベースに乗っ
た際にはその利益の数パーセントを手数料としてもらえればいい
という提案なのです。
 ロシアとしてはよほど自信がなければ、こういう不利な提案は
しないはずですが、既に超深度油井の掘削に自信を持っていたの
で、ベトナムに提案したのでしょう。一方、ベトナムには失う物
は何もなかったので、ロシアに即時に同意しています。このロシ
アの提案は成功し、ベトナムの石油事業は軌道に乗ったのです。
 結果として、ロシアはベトナムの自信を回復することに助力し
ベトナムは西側諸国の過大な食糧援助への依存を石油事業の成功
によって減らすことができたといわれます。
 ベトナムでの石油採掘は、1960年にハノイトラフで開始さ
れたのですが、当初は成功の可能性が低かったのです。しかし、
当時のソビエト連邦からの技術的・経済的援助のもとでハノイト
ラフにおける採掘は行われ、1969年には初めての試掘井戸が
開坑しています。それ以来多数の油田が掘り当てられ、その過程
で天然ガスも発見されています。このように徐々に石油資源・天
然ガス資源の開発が進められ、やがてベトナムの石油産業は国の
経済を支え、かつ国家歳入の大きな割合――25%近くを占める
基幹的産業となるに至っているのです。
 少し歴史を振り返ると、もともとロシアは1980年代には原
油生産量日量1000万バレルを誇る世界最大の産油国だったの
です。しかし、1980年代後半以降は、原油価格低迷期におい
て石油収入が激減して国家財政が危機に瀕し、ソビエト連邦の崩
壊の引き金になったのです。
 ソ連崩壊後は、社会主義経済から市場経済に移行し、フランス
の石油サービス会社シュランベルジェなどの外国資本の技術を受
け入れ、ロシアの石油産業は劇的に復活を遂げているのです。そ
の結果、ロシアは天然ガス生産第1位、原油生産量はサウジアラ
ビアに次いで第2位のエネルギー大国になっています。
 このようにロシアは、天然ガスに強いのです。実は天然ガスに
強いということは、ロシアが超深度油井の掘削に強いことを証明
しているのです。これは、今後のロシアの国家戦略と深く関って
くるのです。
 天然ガスの利用は、石炭、石油に次いで3番目であり、遅れて
登場してきたエネルギーなのです。なぜでしょうか。その理由に
は次の3つがあります。
―――――――――――――――――――――――――――――
   1.天然ガスは運搬が困難な気体であること
   2.天然ガスは石油より深い地層に存在する
―――――――――――――――――――――――――――――
 第1の理由は、固体の石炭、液体の石油と違って天然ガスは気
体であって、運搬が難しく、パイプラインの敷設などでコストが
かかる点が上げられます。
 したがって、当初天然ガスは、ガス田が消費地に近い場合や所
得水準の高い地域でしか利用できなかったのです。しかし、技術
の発達した現在は、まさに天然ガスの時代といえます。
 第2の理由は、天然ガスは石油よりもさらに深い地層に存在し
ていることです。要するに、深く掘る技術がないとガス田の発見
が困難なのです。
 したがって、ロシアが天然ガス生産第1位であることは、ロシ
アが深い油井を掘る技術に優れていることを意味しています。石
油会社はどちらかというと、なるべく深く掘るのは避ける傾向が
あるのですが、ロシアは、そういう技術に長けているのです。こ
れに関連して、藤和彦氏は次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 特に地層が深くなればなるほど石油より天然ガスの方が多く存
 在することが確実なので、今後資源探査の対象がより深い層に
 なればなるほど、多くのガス田が発見されてくることになる。
               ――藤 和彦著『石油を読む』
      より。日本経済新聞社/日経文庫1128/A52
―――――――――――――――――――――――――――――
 繰り返しますが、これからは石油の時代というよりも天然ガス
の時代なのです。       ―― [石油危機を読む/24]


≪画像および関連情報≫
 ●天然ガスとは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  天然ガスとは、地下から噴出するガスのうちの、メタンガス
  などの可燃性天然ガスをいう。同じ化石燃料ではあるが、石
  油や石炭に比べて燃焼したときの二酸化炭素の排出量が少な
  いことから、環境負荷の少ないエネルギーとして注目され、
  利用されるようになったのである。天然ガス自動車、ビルや
  家庭の冷暖房を行うコジェネレーションなどへの活用も図ら
  れている。             ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――
 ●天然ガス自動車
  http://www.gas.or.jp/ngvj/text/ngv_str.html

天然ガス自動車.jpg
天然ガス自動車
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2010年10月28日

●エネルギーを外交手段として使うロシア(EJ第2314号)

 ロシアの石油・天然ガス戦略に話が及んできたので、いわゆる
「地政学リスク」といわれるものについて述べることにします。
なぜなら、これも原油価格高騰に大きな影響を与える要素である
からです。
 ところで、ロシアといえば最近プーチン大統領の再婚話が話題
となっています。これについて21日の日刊「ゲンダイ」紙に興
味ある記事が出ていましたのでご紹介します。
 記事の内容は、プーチン大統領の再婚騒動はクレムリンの権力
闘争だったというのです。このニュースを報道した日刊タブロイ
ド紙「モスコフスキー・コレスポンデント」が休刊したことにつ
いて、外務省元主任分析官佐藤優氏は次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 コレスポンデント紙はクレムリンを巡る権力闘争に巻き込まれ
 たのではないか。次期大統領メドベージェフ周辺がプーチン大
 統領に対する世論の支持と国民の恐怖感がどれくらい残ってい
 るのかを政権交代前に探り、プーチンにダメージを与えようと
 仕組んだ可能性が高い。           ――佐藤優氏
        2008.4.21日付、日刊「ゲンダイ」より
―――――――――――――――――――――――――――――
 次期大統領メドベージェフ氏には「プーチンの傀儡」というイ
メージがあり、とてもそんなことができるイメージはないように
みえます。しかし、プーチン自身もエリツィンから大統領の指名
を受けて大統領になったにもかかわらず、プーチンはエリツィン
の力をそいで、絶対的な権力基盤を構築しており、メドベージェ
フも同じことをきっとやると思われているのです。
 それでは、メドベージェフ周辺が今回仕掛けた謀略の成果は、
どうだったのでしょうか。
 その判断は非常に難しいですが、ロシアでは過去に大統領の女
性スキャンダルが表沙汰になったことはないのです。エリツィン
もゴルバチョフにも女性問題があったのですが、表沙汰にはなら
なかったのです。しかし、今回はニュースが世界中に流される結
果となっており、これをどうみるかです。もとよりプーチン大統
領が悪いわけではないのですが、この騒動を権力闘争と考えると
ロシアがどういう国であるかがわかります。
 このニュースをなぜ取り上げたかですが、次期大統領のメドベ
ージェフが、2000年から2002年までロシアのガス企業で
ある「ガスプロム」社の取締役会議長(会長)を務めていたこと
があるからです。彼はエネルギーの問題については熟知している
のです。
 「地政学」というのは、もともと19世紀の欧州におけるパワ
ーポリティクス――権力政治の概念であり、ドイツの政治学者カ
ール・ハウスホーファーが学問として体系化したのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 地政学とは地理的な環境が国家に与える政治的、軍事的、経済
 的な影響を巨視的な視点で研究するものである。イギリスドイ
 ツ、アメリカ合衆国などで国家戦略に科学的根拠と正当性を与
 えることを目的とした。「地政学的」のように言葉として政治
 談議の中で聞かれることがある。    ――ウィキペディア
―――――――――――――――――――――――――――――
 現在、この地政学の概念は拡大され、石油や天然ガスなどの資
源保有国における政治的、宗教的、社会的リスクが国際関係に与
える影響までも含む幅広い問題を取り上げるようになってきてい
るのです。具体的には、イランの核開発問題、ナイジェリアにお
ける反政府運動、ベネズエラにおける反米社会主義的政策による
石油資源の国有化などが上げられますが、いずれも原油価格高騰
に関わる地政学リスクといえるのです。
 ロシアのプーチン大統領は、ロシアにとって石油と天然ガスは
国威発揚の有力な武器になるとの信念を持っているのです。20
05年以降において、彼は石油・天然ガスを次の3つの国家企業
によって独占させることによって、国家戦略として使おうとして
いるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
   石油       ・・・・・ ロスネッチ
   天然ガス     ・・・・・ ガスプロム
   輸送パイプライン ・・・・・ トランススネフチ
―――――――――――――――――――――――――――――
 2006年になると、プーチン大統領はこれを実施に移してい
ます。2006年正月早々、ロシアはウクライナに対して天然ガ
スの供給を停止したのです。かねてからロシアとウクライナは天
然ガスを巡ってもめていたのです。
 このニュースは衝撃をもって全世界に伝えられたのです。遂に
ロシアはエネルギーを外交手段として使い出してきている――世
界はこう考えたのです。どうみても「ウクライナいじめ」としか
みえなかったので、ウクライナに国際的同情が集まったのです。
 なぜ、このようなことになったのでしょうか。なぜ、ロシアは
ウクライナに対し、天然ガスの供給を止めるという措置を取った
のでしょうか。
 その原因は、ロシアのガスプロム社が2005年11月に、旧
ソ連・東欧諸国に対して、天然ガスの輸出価格の大幅値上げを通
告したことに始まるのです。
 しかし、ウクライナに対しては、1000立方メートル当たり
50ドルであった料金を160ドルに引き上げたのです。これに
対してウクライナが反発すると、ガスプロム社はさらに230ド
ルに引き上げたのです。
 当然ウクライナは拒否したのですが、そうするとガスプロム社
は2006年1月から天然ガスの供給を停止したのです。なぜ、
ウクライナにだけはこういう結果になったのでしょうか。
 これについては、双方にいろいろな事情があり、一概にどちら
が悪いとはいえないのです。この問題については、来週のEJで
述べることにします。     ―― [石油危機を読む/25]


≪画像および関連情報≫
 ●地政学リスクとは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  地政学リスクとは、特定地域が抱える政治的・軍事的な緊張
  の高まりが世界経済全体の先行きを不透明にすること。米連
  邦準備理事会(FRB)が2002年9月に出した声明文で
  触れてから、多く用いられるようになった。主に中東情勢の
  緊迫を指すが、予測が極めて難しく、不確実性の増大が企業
  行動や消費者心理に悪影響を与え、外国為替相場が乱高下す
  るなど、経済活動の障害になる可能性がある。
  ―――――――――――――――――――――――――――

ドミトリー・メドベージェフ.jpg
 
ドミトリー・メドベージェフ
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2010年10月29日

●地政学か地経学か/ロシアの戦略(EJ第2315号)

 ロシアとウクライナの天然ガスを巡る紛争には歴史的に見てい
ろいろないきさつがあるのです。この紛争には直接関係はないも
のの、遠因ではないかとされているのは、ソ連崩壊後の混乱期に
ロシア側がウクライナに対して貿易代金の不払いをやった過去が
あったことです。
 資源が少なく、経済的にも苦しいウクライナとしては、これに
よって、ロシアに対して強い不信感を持つようになったと思われ
るのです。おそらくソ連崩壊後のロシアは、ウクライナへの貿易
代金が払えなかったものと思われます。
 ロシアはソ連時代に東欧から西欧にかけてパイプライン輸送網
を敷き、天然ガスを西欧諸国を含む関係各国に供給していたので
す。とくにウクライナを含む旧共産圏の国に対しては、他の西欧
諸国よりも格段に安い価格で天然ガスを供給していたのです。
 この場合、パイプラインは各国の領内を通るので、その部分は
「パイプライン利用料」として、ロシアがその国に利用料を支払
うことになっているのです。
 ウクライナはソ連邦時代から、再三にわたってロシアに無断で
ガスの抜き取りをしたり、天然ガスの料金を支払わなかったりし
ており、それに対抗してソ連はガスの供給を停止することが何度
も行われていたのです。
 そして、プーチン大統領統治下の2006年1月にロシアはウ
クライナに対して天然ガスの供給停止を行ったのです。ロシアと
しては、今までと同様の経済的なもめごとであり、ビジネス上の
出来事に過ぎないとしているのです。つまり、「地政学」ではな
く、「地経学」であるというわけです。
 しかし、この問題は今後のロシアのエネルギー戦略を読み取る
格好の事例であり、少し詳しく述べることにします。
 そもそも2005年のロシアとウクライナの天然ガスをめぐる
紛争が政治的であるとみられるのは、2004年12月のウクラ
イナ大統領選挙でビクトル・ユーシチェンコ大統領が誕生し、彼
が親欧米の立場を鮮明にしたことにあるのです。この選挙を巡っ
て、いわゆる「オレンジ革命」が発生しています。
 オレンジ革命というのは、米国が仕掛けたとみられる「色つき
革命」と呼ばれる民主化活動であり、ウクライナ大統領選挙のさ
い、巻き起こったのです。なぜ、オレンジ革命というのかという
と、オレンジをシンボルカラーとして、リボンやマフラーにオレ
ンジ色の物を使用したことからなのです。ロシアが応援したのは
ビクトル・ヤヌコビッチ候補であり、この選挙でプーチン大統領
はそれこそなりふりかまわずヤヌコビッチ候補に肩入れしたので
すが、ユーシチェンコ候補に敗れ去ったのです。
 勝利を勝ち取ったユーシチェンコ大統領は、EUへのウクライ
ナの加盟を希望し、ロシア離れの立場を公然と表明したのです。
加えてユーシチェンコ大統領は、ロシアが提唱する「CIS」に
よる「集団安全保障条約機構」と「ユーラシア経済共同体」にも
拒否反応を示したのです。
 CISというのは、旧ソ連邦の12ヶ国で形成された緩やかな
国家共同体であり、これを「独立国家共同体」と称するのです。
ウクライナから見ると、プーチン大統領は、旧ソ連邦の12ヶ国
を再びまとめようと画策しているように見えるのでしょう。
 この事態を見てロシアはウクライナに対して、欧米化路線を取
るなら、CISに対するガスの特別価格を廃して、西欧諸国並み
の料金である230〜40ドル(1000立方メートル当たり)
を支払えと通告したのです。
 それまでロシアはウクライナに対して、ソ連崩壊後、パイプラ
インのウクライナ通過料とバーター決済で、50〜80ドルで提
供していたのです。したがって、ロシアの値上げ通告は、3倍か
ら4倍の大幅値上げになるのです。
 当然ウクライナは猛反発し、ロシアの要求を拒否し続けたので
す。段階的な値上げならともかく、一挙に4倍なんか支払えるは
ずがないというわけです。
 ロシアの本音としては、何とかウクライナをロシアの勢力圏に
取り込みたかったのです。ウクライナは1991年にソ連から独
立しているのですが、ウクライナは、国内においてエネルギー資
源を産出できないので、エネルギーに関しては大きくロシアに依
存せざるを得ない立場です。
 ウクライナという国は、黒海に面しており、カスピ海で産出さ
れる石油・天然ガスの欧米に対しての積み出し港として重要なポ
ジションにあったのです。もちろんロシアはウクライナを地政学
的に重要な地域としてとらえています。
 ロシアとウクライナのガス価格交渉の経過について、ソ連・ロ
シア研究の第一人者である木村汎北海道大学名誉教授は次のよう
に述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 モスクワとキエフ(ウクライナ)の主張は平行線をたどり、決
 着する見通しが一向に立たなかった。業を煮やしたプーチン政
 権は、遂に05年末、キエフ宛に最後通牒を突きつけた。もし
 キエフが1000立方メートル当たり230〜40ドルへの値
 上げに応じなければ、モスクワは翌年1月1日を期して、ウク
 ライナ向けのガス供給を停止する、との通告である。その言葉
 どうりにロシアは、06年元旦の午前10時、ガスの元栓を締
 めた。    ――木村汎著、『プーチンのエネルギー戦略』
                         北星堂刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 これがロシアのプーチン政権がウクライナに対して取った強硬
措置です。ロシアは単なるビジネス上のもめごとであると主張し
ていますが、これはプーチン政権による「エネルギー外交戦略」
そのものです。それは単にウクライナだけではなく、EU諸国や
日本に対しても今後ロシアが取ってくる可能性のある戦略である
といえます。ロシアはエネルギーを外交の手段として使おうとし
ているのです。         ―― [石油危機を読む/26]


≪画像および関連情報≫
 ●オレンジ革命について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  プーチンは2003年のイラク戦争には反対して米国と対立
  する。イラクのフセイン政権打倒を果たし、自信を付けたア
  メリカ政府は「世界民主化」と銘打って、西欧のNGOなど
  と共にCIS域内の民主化勢力の支援を行った。この結果、
  グルジア(バラ革命)、ウクライナ(オレンジ革命)、キル
  ギスで独裁政権が倒れて民主化された。しかし、米軍が駐留
  していたウズベキスタンでは、市民運動が革命に繋がらずに
  失敗、その結果アメリカは怒りを買い、同国から米軍を撤収
  させることとなった。また、プーチンはこの動きに対し、2
  006初頭にウクライナへの天然ガス輸出を停止、EU諸国
  にも影響を与え、欧米の民主化勢力を牽制した。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

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木村 汎教授の本
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