にその経緯だけを追っていたのでは何も見えてこないものです。
金の戦争――なかんずくその中心を占める米国の金戦略について
調べていくと、とくにそういう感を強くします。
連邦準備制度、第1次世界大戦、世界大恐慌、ロシア革命、第
2次世界大戦など・・・これらの歴史上の大事件にはそれぞれウ
ラの事情が存在するのです。金の戦争を中心にそれらの事件をウ
ラの事情も含めて読み解いていきたいと思います。
1920年代におけるFRBのとった金融政策が妥当なもので
あったかどうかについては多くの議論があります。しかし、大規
模な金融緩和政策の後での急速な金融引き締め策は、金融政策と
しては大きな疑問があります。この件については、あのミルトン
・フリードマン教授をはじめとする多くの経済学者がFRBの政
策のミスを指摘しているのです。
しかし、この恐慌によって1万6000行の銀行が倒産したの
ですが、それらのほとんどをモルガンとロックフェラーの金融財
閥が吸収しているのです。何やらウラ事情がありそうです。
また、紙切れ同然になった企業の株券を独占的に買占め、融資を
返済できなくなった農家から膨大な土地を没収するなど、モルガ
ンとロックフェラーをはじめとする金融財閥はやりたい放題なの
です。明らかにウラがあるのです。
もともと金融危機を防ぐという名目で設立されたFRBである
のに、制度成立以来、1921年、1929年の株価暴落、そし
て1929年から1939年までの世界恐慌、1953年、19
57年、1969年、1975年、1981年の景気後退、そし
て1989年のブラックマンデー――FRBはほとんど有効に対
応できているとはいえないのです。そのため、FRB不要論を唱
える学者もいるのです。
しかし、米国の金に関する戦略という点から考えると、世界大
恐慌のあとに登場したフランクリン・ルーズベルト大統領の一連
の金の抱え込み戦略――金に関わる法整備などは、それをするの
にこれ以上ないほどの絶好の経済環境であったというしかないで
す。そのため、あえてそういう環境を作ったのではないかという
疑念すら湧いてくるのです。
もし、そういう想定が正しいとすると、それは2つの世界大戦
――とくに第1次世界大戦はどういう意図のもとに起こされ、そ
の目的は何であったのかということを解明する必要があります。
第1次世界大戦の目的は、次の4つであるといったら、不思議
に思われるでしょうか。
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1. 国際連盟
2. 金本位制
3.ロシア革命
4.パレスチナ
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この中で、「ロシア革命」と「パレスチナ」は金の問題と直接
には関係がないのですが、ロスチャイルド一族がそんなところに
までかかわっているのかということを知っていただくために簡単
にご紹介することにします。
最初は「ロシア革命」です。
第1次世界大戦当時、ドイツ政府はユダヤ人が仕切っていたの
です。ドイツの主だった閣僚、実際に政治を動かしていた政治家
はそのほとんどがユダヤ人だったのです。なかでも首相兼報道官
のベートマン・ホルヴェッツと諜報機関の長官フェリックス・ウ
ォーバークは、ロスチャイルド一族なのです。
ドイツ政府は、第1次世界大戦中においてロシアを何とかして
連合国から引き離そうとしたのです。ドイツ政府は、列車を仕立
てて運賃を負担し、レーニンとその仲間たちをドイツからモスク
ワに輸送したのです。そのときの費用はユダヤ人が負担したので
す。資金負担者の中には、あのポール・ウォーバークとロスチャ
イルド一族のクーン・ローブ社も含まれていたのです。
そのときロシアに運ばれたロシア革命の指導者は25人ですが
レーニン(ロシア人)以外の24人はすべてユダヤ人であったの
です。レーニンは母親と妻がユダヤ人だったという噂もあり、本
当であればレーニンはユダヤ人ともいえるのです。
そして、ユダヤ人の手によるロシア革命は、1917年、第1
次世界大戦の最中に起こっており、ロシアが連合軍側にいるとき
だったのです。ロスチャイルド一族はもちろん連合国側の英国な
どにもお金を貸しており、戦争をしている双方と関係をつけてい
るのです。
次は「パレスチナ」です。
当時パレスチナはオスマン帝国の支配下にあったのです。第1
次世界大戦の敵国のひとつであるトルコに対し側面から攻撃を加
えたいという戦略的な考え方から、トルコの統治下にあったアラ
ブ人たちに対し、トルコへの武装蜂起を呼び掛けたのです。その
対価として、パレスチナを含むアラブ独立王国を樹立させると約
束したのです。実際に1915年に英国はフセイン=マクマホン
協定を締結しているのです。−→ マクマホン宣言
しかし、狡猾な英国はその一方でロスチャイルド家に対して資
金援助を求め、こちらにはパレスチナをユダヤ人に返してやると
約束していたのです。つまり、同じ土地をパレスチナ人とユダヤ
人の両方に約束したことになります。完全なる「二枚舌外交」と
いわれても仕方がないでしょう。
英国はバルフォア外相を通じて1917年にユダヤ人国家建設
を支持するという書簡を送ったので、ロスチャイルドは資金を提
供したのです。その結果、英国はユダヤ人がパレスチナに国を作
るのを許したのです。−→ バルフォア宣言
当然これは後で大きな問題となりますが、マクマホン宣言の国
の範囲にはパレスチナは入っていないといわれています。しかし
パレスチナ問題はまだ未決着なのです。 ―[金の戦争/12]
≪画像および関連情報≫
●マクマホン宣言とバルフォア宣言
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パレスチナでの国家建設を目指すユダヤ人に支援を約束し、
他方でアラブ人にも独立の承認を約束するという、このイギ
リス政府の矛盾した対応が、現在に至るまでのパレスチナ問
題の遠因になったといわれる。このようなイギリス政府の外
交姿勢は、二枚舌外交と評されている。しかし、フサイン・
マクマホン協定に規定されたアラブ人国家の範囲にはパレス
チナは含まれていないため、実はこの二つは矛盾していない
し、フサイン・イブン・アリーも、エルサレム市以外のパレ
スチナへの関心はなかったことが、後のハイム・ワイツマン
博士との会談で証明されている。 ――ウィキペディア
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ウラジミール・レーニン