ルイード」と書いてあります。私はこのCDをテレサ・テンの3
回忌にCDショップで見つけて購入したのです。
このCDは、1976年7月10日に新宿ルイードで行われた
テレサ・テンのコンサートが収録されているのですが、実はこの
とき誰も正式には録音を行っていないのです。したがって、誰か
が私的にコンサートの模様を録音したものと考えられます。
録音の質は必ずしも良くなく、アマチュアによるものです。お
そらくテレサ・テンが誰かに依頼して私的に録音させたものと考
えられます。このテープはテレサ・テンの死後、彼女の持ち物の
中から発見されたものなのです。
しかし、私的録音で音質は良くないとはいえ、このテープのお
陰で、テレサ・テンの日本での初めてのライブのすべてを知るこ
とができます。そういう意味で貴重なCDです。私の持っている
CDは、トーラスレコードがテレサ・テンの持っていたレコード
を使って制作されたものなのです。
1976年7月10日――その日はあいにく小雨が降っており
お客の出足はわるく、客席はまばらだったのです。その時点では
たとえ『空港』がヒットしたとはいっても、テレサ・テンの名前
は幅広く知られているとはいえなかったのです。
しかし、コンサート自体は和気あいあいと進められたのです。
そのステージは正式な司会者がいるわけではなく、テレサ・テン
自身が司会を行い、プログラムを進行させたのです。彼女の日本
語は、たどたどしくはあったものの、必死の勉強の成果で十分意
味の取れるところまで上達していたのです。
バンドは、豊岡豊とスウィング・フェイス――ドラムス、バス
ギター、ピアノ、4トランペット、4トロンボーン、5サックス
となかなか大編成のバンドが担当したのです。
この記念すべきコンサートを再現してみましょう。
その日のテレサ・テンについて、トーラスレコードの鈴木章代
さんは次のように述べています。
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テレサ・テンが登場。黒いチャイナ・ドレスの深いスリット
からのぞく綺麗な脚、少しだけウエーヴのかかったセミ・ロン
グの髪、彼女は輝いていた。
――トーラスレコード製作担当/鈴木章代
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最初の曲『雪化粧』――これは『空港』のコンビ、山上路夫/
猪俣公章の曲です。その歌のあと、テレサ・テンは客席に向かっ
て「こんな雨の日にたくさんの人に来てもらってありがとう」と
述べていますが、心中複雑だったと思われます。なぜなら、客席
は本当にぱらぱらだったからです。それでも客席には彼女の母親
をはじめとして、母国からの応援団も座っていたのです。
ちょうどこのときテレサ・テンには、香港のリー・シアターで
3日間のワンマンショーを開く話がきていたのです。リー・シア
ターといえば3000人を収容できる大ホールであり、彼女はそ
こを満席にできる実力歌手だったからです。
それでも雨のルイードでのコンサートは和やかに進められたの
です。テレサ・テンは、ときどき客席に話しかけながら、『しく
らめんのかおり』『心もよう』という2曲の日本の歌を歌ったの
です。テレサ・テンの日本語は歌に関しては完璧でしたが、話し
かけるときはどうしてもたどたどしくなるのです。「ありがとう
ございました」が「ありがとあんした」というようになってしま
うわけです。
このあと解説を交えて『高山青』という台湾の歌を歌い、『グ
ッドバイ・マイ・ラブ』を歌うのですが、緊張したのか、彼女は
歌のタイミングを間違えてしまっています。この歌は香港の公演
で歌う予定の曲であり、こういうミスは普通起こらないのです。
そして、8曲目になったとき、彼女はいきなりフルートを取り
出します。そして、バンドリーダーの豊岡さんに話しかけて、ド
ラムのテンポに注文をつけます。そして自らフルートを吹き出し
たのです。
ところが、ブゥービーブゥービー、ビューといった調子でうま
く吹けない――しかし、そこはプロのバンドです。たどたどしい
彼女のフルートに合わせて演奏したのは『ジャンバラーヤ』――
これは本当に楽しく、素晴らしい歌だったのです。とにかく歌に
入ると、彼女は安定した完璧な歌を聞かせるのです。
ステージの後半には、この日のために用意したという『五木の
子守唄』『夕焼け小焼け』『長崎は今日も雨だった』『襟裳岬』
『女ひとり』『夜のフェリーポート』を歌い、いよいよ最後の曲
になります。テレサ・テンは客席に話しかけます。
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今日のステージ本当に楽しかった。最後の曲になる前に何か
聞きたいことありませんか。
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テレサ・テンのステージでは、彼女は必ずこのようにして客席
に問いかけるのです。一瞬静寂になると、テレサ・テンは「わか
らないね」といい、いい直すのです。きっと、自分の日本語が伝
わらないのではないかと心配しているのです。この頃はまだ日本
語には自信が持てなかったようです。客席からは「恋人はいます
か」などといういくつかの質問があり、CDからは和やかなもの
が伝わってきます。
そして、最後の曲『マイウエイ』が高らかに歌い上げられて、
印象深い新宿ルイードでのコンサートは終了するのです。有田芳
生氏の本によると、この日会場には俳優の川谷拓三氏もきており
テレサ・テンの歌声に耳を傾けていたといいます。
ちょうどこの頃テレビではドリフターズの「8時だョ!全員集
合」が大ヒットしており、テレサ・テンはこれに出ることを楽し
みにしていたようです。ドリフターズとは仲が良く、地方公演の
ときは彼女が前歌を担当していたといいます。
・・・[テレサ・テン/06]
≪画像および関連情報≫
・『テレサ・テン at ルイード』
Taurus/TACL−2436
テレサ・テン・アット・ルイード