ず、ポップチャートの第1位、それからカントリーチャートでも
第1位をとっているのです。さらに、リズム・アンド・ブルース
(R&B)の部門でも第5位に入る健闘ぶりです。
レコード発売はさらに続きます。この「ハート・ブレイク・ホ
テル」に続いて、次の2曲が発売されたのです。
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Hound Dog / 「ハウンド・ドッグ」
Don't Be Cruel/「冷たくしないで」
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これも大ヒットするのです。「ハウンド・ドッグ」は2つの部
門で、「冷たくしないで」は3つの部門で第1位に輝いているの
です。ここまでくると、もはやエルヴィスのロックンロールの勢
いを誰も止めることはできない状態になったのです。
パーカー大佐は、全米ネットワークのテレビにエルヴィスを出
演させるためにテレビ局を飛びまわっており、彼の努力は少しず
つ実りつつあったのです。
エルヴィスはニューヨークに行き、CBSテレビの「トミー・
ドーシー・ステージ・ショウ」を皮切りに、ABCテレビの「ミ
ルトン・バール・ショウ」などに複数回出演したのです。
エルヴィスが「ミルトン・バール・ショウ」の2回目のショウ
で、「ハウンド・ドッグ」を歌ったときです。これが良識ある保
守層の人々の怒りに火をつけてしまったのです。そして、彼らは
次のような非難声明を出したのです。
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エルヴィスなる者によるロックンロールは、労働者階級特有の
下品なしぐさをし、黒人文化による過度にセクシーな動作を伴
うものであり、許し難いことである。
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彼らは各地で一斉にロックンロール排斥運動を起こし、これが
全米に広がったのです。騒ぎは拡大し、ニューヨーク州、マサチ
ューセッツ州、カルフォルニア州においてはロックンロール・コ
ンサート禁止令が出され、多くの放送局がロックンロール放送を
中止し、警察、教会、PTA、婦人団体などまで出動して、エル
ヴィスを名指しで非難する事態になったのです。
ある新聞は、次の見出しを付けて、エルヴィスを非難したので
す。どういう意味かわかりますか。
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エルヴィス・ザ・ペルヴィス
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「ペルヴィス」というのは、骨盤のことであり、現在ではそう
いうダイエット・エクササイズもあります。つまり、この新聞の
見出しは、エルヴィスの腰を揺らして歌うスタイルを批判してい
るのです。
実はこういうときにこそ、パーカー大佐は役に立ったのです。
エルヴィス一人であればおそらくすくみあがってしまったであろ
う事態も大佐の指示通りにやることによって、うまく乗り切るこ
とができたのです。
エルヴィスがフロリダ州でコンサートをやったときの話です。
コンサートが始まる前から大勢の警官が会場に張り込んで、エル
ヴィスが例のスタイルで歌ったら逮捕する構えでいたところ、大
佐の指示でプログラムをゴスペル調のバラード中心に変更し、指
一本しか動かさなかったので、警察は、エルヴィスを逮捕できな
かったということがあったのです。
海千山千のパーカー大佐が付いていたからこそ、こういう修羅
場を乗り切ることができたのです。収益金の50%という大佐の
のギャラはけっして高くはなかったのです。エルヴィスの両親は
賢明な判断をしたことになります。
しかし、全員が批判していたわけではなかったのです。黒人は
もとより白人の若者はこぞってエルヴィスを支持したのです。そ
して皮肉なことに、殺到する非難や抗議はエルヴィスを全米の家
庭の茶の間に入り込ませることになり、かえって若者たちを中心
にエルヴィスのファンは急増したのです。
こういう状況の中において、パーカー大佐は、エルヴィスを何
としても出演させたいテレビ番組があったのです。その番組は、
「トースト・オブ・ザ・タウン」といい、一般的には「エド・サ
リヴァン・ショウ」として知られていたのです。
このエド・サリヴァンとはどういう人物なのでしょうか。既出
の前田絢子氏の本からご紹介します。
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エド・サリヴァンは、ニューヨーク生まれ、ニューヨーク育ち
で、南部文化に対する知識も理解も持ち合わせていなかった。
実生活でも、画面の上でも、生真面目でユーモアに欠け、融通
のきかない堅物だった。まるで、時代の裁判官のような威厳を
もって、毎週日曜夜8時から1時間、一流スターを紹介しつづ
けた。 ――前田絢子著/角川選書/413
『エルヴィス、最後のアメリカン・ヒーロー』より
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エド・サリヴァンのような無骨な人物がどうして人気を勝ち得
たかについては、当時の米国の社会が伝統を重んじ、穏健にして
保守的であったことと無関係ではないと思います。彼のようなけ
っして羽目を外さない堅実さが、社会道徳の守護神として米国社
会に受けていたのです。
エルヴィスが登場してきた1950年代の半ばにおいて、エド
・サリヴァンの人気は絶頂にあり、エルヴィスについて次のよう
にいっていたのです。
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あのような下品な動作をする子供は私の番組には絶対に登場さ
せない。 ――エド・サリヴァン
――――――――――――― ―― [エルヴィス/14]
≪画像および関連情報≫
・エド・サリヴァン・ショウとは何か
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エド・サリヴァン・ショウは、エド・サリヴァンがホスト役
を務める、米国CBSで放映された、バラエティー番組。放
映期間は、1948年6月20日〜1971年6月6日、当
時の放送時間は日曜日:午後8時(現地)から。番組発足当
時のタイトルは、'Toast Of The Town' (トースト・オブ・
ザ・タウン、直訳すると「町の人気者」である。番組内容は
ゲストとのトークと、その芸の披露とが主となっていて、出
演したゲストは、コメディアン、バレエダンサー、曲芸師、
クラシック音楽家、オペラ、ポピュラー音楽のシンガーなど
である。 ――ウィキペディア
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エド・サリヴァン