2009年05月01日

●通常カットされる夜の女王の語り(EJ第1947号)

 現在、劇場で上演される歌劇『魔笛』がわかりにくいのは、第
2幕のある重要な部分をカットして上演しているからなのです。
 EJ第1942号で書いた『魔笛』のあらすじの中に次の部分
があります。第2幕の第2景です。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ・パミーナが眠っているとモノスタトスが来て誘惑しようとす
 る。そこに夜の女王が登場するので彼は隠れる。女王は復讐の
 思いを強烈に歌い、パミーナに剣を渡しこれでザラストロを刺
 すように命じて去る。
―――――――――――――――――――――――――――――
 夜の女王は、第1幕と第2幕に一回ずつ登場して有名な2つの
アリアを歌うのですが、第1幕では相手はタミーノ、第2幕では
パミーナが相手なのです。
 第2幕で夜の女王は娘のパミーナに対して、次の話を聞かせる
シーンが台本にあるのですが、オペラの上演では、それがカット
されるのが通常になっています。
 まず、夜の女王は、ザラストロの正体を次のように明かすこと
から語りはじめるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 この国の支配者であられたお前のお父さまは、イシスの神に仕
 える人びとのために7つの光輪をつけた「太陽」をみずからす
 すんでお捨てになったのです。今では、他のおかたがその権力
 を象徴する太陽の紋章を胸につけておいでです。そのおかたこ
 そザラストロです。
      ――ジャック・シャイエ著/高橋英郎・藤井康生訳
            『魔笛/秘教オペラ』より。白水社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 これによると、ザラストロは魔法使いでも何でもなく、神から
大陽の紋章を受け継いだ聖者ということになります。しかし、夜
の女王はそれが不満であり、それでは「宇宙を包囲し、それをみ
ずからの光線で貫いている≪太陽の輪≫は、どなたにお遣わしに
なるのですか」と尋ねると、お父さまは次のように答えたことを
娘に教えるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 それは神に仕える男たち(入信者たち)だけにあたえてもらい
 たい。これからはザラストロがその雄々しい守護者となるだろ
 う。ちょうどこれまでわしがそうであったように。もうこれ以
 上きかないでくれ。こういうことはお前ごときの女の才知のう
 かがい知るところではないのだ。お前の務めは、娘ともども神
 に仕える賢明な男たちの導きにすっかり身をゆだねることだ。
           ――ジャック・シャイエ著、前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 夜の女王のこの話の内容を理解するには少し説明が必要です。
 パミーナの父の治世は、物質が形を形成する以前の状態を象徴
していて、男女の性の区別はなかったのです。問題はその区別が
起こったときです。それが起こったとき、宇宙の勢力は、男性と
女性に二分され、父個人の所有する財宝はすべて女性に返された
のですが、その中に「叡智」は入っていなかったのです。
 この「叡智」こそ「宇宙を包囲し、それをみずからの光線で貫
いている≪太陽の輪≫」なのです。そのため、女性は太陽を奪わ
れ、「夜の女王」になって、以後男性の社会から分離されること
になったのです。夜の女王はこれが不満でならないのです。
 しかし、そうであるとすると、ザラストロはなぜ夜の女王から
娘のパミーナを取り上げたのでしょうか。この行為のためにザラ
ストロは、「夜の女王から娘をかどわかした悪者」のレッテルが
貼られることになります。
 これについては次のように説明をすることができます。
 パミーナの父の治世では、男女両性の危機はなかったのですが
性の分離が行われると、昼(男性)の勢力と夜(女性)の勢力に
二分――すなわち、ザラストロの世界と夜の女王の世界に二分さ
れ、争いが起こったのです。
 しかし、夜の女王の娘パミーナと昼の勢力を受け継ぐことにな
る王子タミーノが結婚すれば、男女の争いは解決し、新しい黄金
時代が幕を開くというわけです。つまり、第3世代になれば、問
題は解決されるという考え方です。
 ザラストロは、そういう黄金時代を築くため、心を鬼にして夜
の女王から娘パミーナを引き離し、モノスタトスの管理下に置く
のです。なぜ、心が邪悪なモノスタトスの下に置いたかというと
パミーナに「耐えること」を教えるためなのです。つまり、これ
はザラストロがパミーナに課したひとつの試練なのです。そして
パミーナはそれを乗り越えて次のステージに進むのです。
 どうでしょうか。善悪の逆転などなく、ちゃんと話の筋は通っ
ています。しかし、第2幕の夜の女王がパミーナに聞かせる話は
オペラでは削除されることが多いのです。
 それはこの語りを入れると、ザラストロが悪者ではなくなり、
夜の女王のアリアに見られる怒りや哀しみをうまく表現できなく
なるからではないでしょうか。
―――――――――――――――――――――――――――――
  ――夜の女王のアリア/第2幕――
  地獄と復讐が私の心の中に煮えかかっている
  死と絶望が私のまわりに燃え上がっている
  お前によってザラストロが死の苦しみを感じないなら
  お前はもうけっして私の娘ではない
  永遠に勘当され 永遠に見捨てられる 永久に打ち砕かれる
  自然の全ての絆は勘当され 見捨てられ 打ち砕かれる
  自然の全て絆は
  もしお前によってもザラストロが恐れなくなったとしたら
  お聴き、復讐の神々よ
  お聴き、母親の誓いを
―――――――――――――――――[モーツァルト/25]


≪画像および関連情報≫
 ・ザラストコ/夜の女王/モノスタトス
  ―――――――――――――――――――――――――――
  『魔笛』では、ザラストロの広い人間愛は、自分の娘と「太
  陽の7つの楯」とを喪失した悲しみに映しだされる「夜の女
  王」の狭い利己的な愛と家族中心思想に対比されている。モ
  ノスタトスは、彼の名(モノ[1人きりで]スタトス[立っ
  ている])が暗示するように、利己的個人を象徴する。
      ――キャサリン・トムソン著/湯川新/田口孝吉訳
   『モーツァルトとフリーメーソン』より。法政大学出版局
  ―――――――――――――――――――――――――――

ジャック・シャイエの本.jpg
posted by 管理者 at 02:00| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツァルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月07日

●通過儀礼とは何か(EJ第1948号)

 『魔笛』というオペラを鑑賞するとき、基本的二元論を頭に置
いておく必要があります。それはJとB――あのフリーメーソン
の2本の柱です。
―――――――――――――――――――――――――――――
        J ・・・・・ ヤキン
        B ・・・・・ ボアズ
―――――――――――――――――――――――――――――
 JとBの関連語を並べると、次のようになります。昨日のEJ
では、○印のついている部分を使って説明しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
     ヤキン(J)       ボアズ(B)
     オシリス         イシス
   ○ 男 性          女性
   ○ 太 陽          月
   ○ 昼            夜
     火            水
     金            銀
     能 動          受 動
     3            5
     赤            白または黒
     啓 発          無駄口
     牡牛座          双子座
―――――――――――――――――――――――――――――
 フリーメーソンでは、自然界は次の4つの元素によって形成さ
れているという考え方があります。これを「4大元素」といって
います。
―――――――――――――――――――――――――――――
     火            水
     空気           大地
―――――――――――――――――――――――――――――
 この4大元素は、「太陽」と「月」、「男性」と「女性」に関
連しており、これによって次の図式を描くことができます。これ
は、ジャック・シャイエの考え方に基づいています。
―――――――――――――――――――――――――――――
     ――「太陽」―――――――「月」――→
       ザラストロ・・・・・ 夜の女王
        I          I
        I          I
     ――「火」――――――――「水」――→
       タミーノ ・・・・・ パミーナ
        I          I
        I          I
     ――「空気」―――――――「大地」―→
       パパゲーノ ・・・・ モノスタトス
―――――――――――――――――――――――――――――
 4大元素の2つである「火」と「水」は、それぞれ「太陽」と
「月」に対応し、同時に「男」と「女」――つまり、タミーノと
パミーナを暗示しています。
 4大元素の残りの2つである「空気」と「大地」には、パパゲ
ーノとモノスタトスが対応しています。ジャック・シャイエはパ
パゲーノとモノスタトスについて次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 パパゲーノの場合を見てみよう。空気中に住まう鳥の捕獲者で
 あり、タミーノが鳥の一種と取り違えるほどの鳥の羽根を身に
 まとい、笛(通風楽器)を吹き、羽根が生えているかのように
 身軽であわて者でもあるパパゲーノは、「空気」の王国のあら
 ゆる特徴を所有している。彼とは対照的に正反対なのがモノス
 タトスである。モノスタトスは、地下の闇の黒いシンボルであ
 り、夜の女王と侍女たちの案内人として慣れ親しんだ地下道を
 かけ巡り、ヴァルカンのような地下の洞窟で鍛えられた鎖で誰
 彼なくひっ捉えてやろうと躍起になっている。
      ――ジャック・シャイエ著/高橋英郎・藤井康生訳
            『魔笛/秘教オペラ』より。白水社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 しかし、この図式は、物語の最初の部分ではパパゲーノとモノ
スタトスは逆になっています。パパゲーノは夜の女王に仕えてお
り、モノスタトスはザラストロに仕えていたのです。しかし、最
終的には本来のポジションに戻っています。
 『魔笛』では、これらザラストロ、夜の女王、タミーノ、パミ
ーナ、パパゲーノ、モノスタトスは主要登場人物ということにな
り、それぞれについて詳しく知っておく必要があります。
 フリーメーソンでは、入会希望者があると、ロッジの幹部が集
まって会議を開き、試練を受けさせる資格があるかどうかを協議
します。実際にこのシーンはオペラの中にありますが、そこでタ
ミーノを自分の後継者とする意思を明らかにしているのです。
 フリーメーソンでいう「通過儀礼」という言葉の意味は、ひと
つの世界から他の世界へと通過することをいうのです。考えてみ
ると、『魔笛』というオペラは、タミーノとパミーナがザラスト
ロに主導され、厳しい試練を乗り越えることによって、それぞれ
が住んでいた世界から、フリーメーソンの世界に通過する儀礼全
般について描いたものであることがわかります。
 とくにパミーナについては、彼女の意思に反する誘拐にはじま
り、モノスタトスの執拗ないやがらせに耐えてタミーノと出会う
が、すぐ引き離される――そして「ザラストロを殺せ」と迫る母
の訴えに悩むなど、涙と煩悶のプロセスを辿ってはじめてザラス
トロを信ずるようになるのです。このパミーナの通過儀礼につい
ては非常に説得力があります。
 そのきっかけになったのが、第2幕でザラストロがパミーナを
いたわりながら歌うアリア「この神聖な神殿の中では」(「関連
情報」参照)なのです。    ・・・[モーツァルト/26]


≪画像および関連情報≫
 ・「この神聖な神殿の中では」/ザラストロのアリア
  ―――――――――――――――――――――――――――
    この神聖な神殿の中では
    人々は復讐ということを知らない
    ひとりの人間があやまちを犯せば
    愛がそのひとを本来のつとめに導く
    こうしてそのひとは友の手にすがって
    楽しく満ち足りて、よりよい国にいくのだ
    この神聖な壁の中では
    人間が人間を愛するところでは
    裏切り者のひそむ余地はない
    人々は敵を赦すのだから
    このような教えを喜ばない者は
    人間であることに値しないのだ
  ―――――――――――――――――――――――――――

ザラストロとパミーナ.jpg
ザラストロとパミーナ
posted by 管理者 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツァルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月08日

●3と5の争いのドラマ(EJ第1949号)

 『魔笛』というオペラの中に「3」という数字が効果的に使わ
れている――これはよくいわれることです。表面的に見えるもの
だけでも、「3人の侍女」「3人の童子」「3つの神殿」などが
上げられます。
 一方、フリーメーソンにも「3」という数字は深い関連があり
ます。基本的な位階としての「徒弟」「職人」「親方」の3つの
位階、入会者を受け入れるかどうかを決める3人の試問官、入会
式のさいに「戸を3回たたく」儀礼、それに序曲の3つの和音な
ど、「3」という数字が深く関連します。
 しかし、既出のジャック・シャイエは、『魔笛』というドラマ
は、「3」と「5」の争いによって展開されるといっています。
基本的には、次の対応になっているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
      「昼/男性」の世界 ・・・・・ 3
      「夜/女性」の世界 ・・・・・ 5
―――――――――――――――――――――――――――――
 「5」が夜の世界をあらわし、さらに女性を示すならば、なぜ
「5人の侍女」ではなく「3人の侍女」なのかという疑問に対し
て、ジャック・シャイエは、次のように説明しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 3人の侍女は、何よりもまず、夜の世界の使者である。それゆ
 え彼女たちは、元来、3人ではなく、5人のはずだったことに
 注意しよう。おそらく5人の配役を舞台にのせることが困難で
 あったため、このわずかな歪曲が許されたのだろう。しかし、
 モノスタトスが加担した以後の夜の女王に先導される襲撃グル
 ープは、たしかに象徴的な5人の人物を含んでいることを指摘
 しておこう。―ジャック・シャイエ著/高橋英郎・藤井康生訳
            『魔笛/秘教オペラ』より。白水社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 確かに舞台演出上は、夜の女王の侍女は5人よりも3人の方が
ベターです。しかし、音楽の方では、第1幕の冒頭シーンで3人
の侍女が歌う場面でも三重唱とはしておらず、パパゲーノの口に
鍵をかけて歌うシーン――「フム、フム、君も十分思い知ったろ
う」では、タミーノとパパゲーノを加えてはじめて5重唱にして
いるのです。つまり、3人の侍女の3重唱というのは最後までな
いのです。それほど女性に関しては「5」にこだわるのです。
 モーツァルトは、一般的に台本にはあまりこだわらず、音楽を
書いたといわれます。つまり、台本作りにはあまり口を挟まず、
出来上った台本に対して作曲をしたというのです。
 しかし、少なくとも『魔笛』に関してはそうではなかったと考
えられるのです。なぜなら、『魔笛』の台本は、熱心なフリーメ
ーソンの会員であるモーツァルトが積極的に加わらなければ書け
ない台本であったといえるからです。
 ところで、音楽でどこまで物事を表現できるのかということに
関連して、あのイゴール・ストラヴィンスキーは次のように述べ
ています。これは「ストラヴィンスキーの公理」といわれます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 たいていの場合がそうであるように、音楽が何かを表現してい
 るように見えるとしても・・・、それは、暗黙の因習的な約束
 事によって、貼札とか公文書の書式、つまり、一種の礼儀作法
 のように、われわれが音楽に賦与し、押しつけ、そして習慣的
 か無意識的に、われわれがその本質と混同するようになった単
 なる付加的要素である。 ――イゴール・ストラヴィンスキー
―――――――――――――――――――――――――――――
 難しい表現を使っていますが、要するにストラヴィンスキーは
「音楽には、その本質からすれば、何かを表現する力はない」と
いっているのです。音楽で多くのことを表現できないとすれば、
何かを明確に表現しなければならないオペラにおいては作曲者自
身が台本作りに積極的に関らざるを得ないことになるわけです。
そういうことから少なくとも『魔笛』の台本には、モーツァルト
自身の手が相当加わっていると考えざるを得ないのです。
 少し難しい話で恐縮ですが、ある音楽がメロディーや和音が中
心音と関連づけられて構成されている場合、その音楽は「調性が
ある」といいます。モーツァルトの楽曲分析に詳しいキャサリン
・トムソンは、モーツァルトの作品の調性について次のように述
べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 モーツァルトの作品においては、特定の調性がフリーメーソン
 の思想と明確に結びついている。それらの調性は変ホ長調、ハ
 長調、ならびに両者の関係調であるハ短調である。変ホ長調が
 選ばれたのはこれが管弦器に容易な調であるためと思われる。
 管弦器は結社の支部の祭儀で重要な役割を占めていた。メーソ
 ンのシンボリズムの3という数の重要性を考えると、3つのフ
 ラットの調号にも意義があるのかも知れない。
      ――キャサリン・トムソン著/湯川新/田口孝吉訳
   『モーツァルトとフリーメーソン』より。法政大学出版局
―――――――――――――――――――――――――――――
 『魔笛』の場合、中心となる調性は「ハ長調」です。シャルル
・フランソワ・グノーは「神はハ長調で語る」といっていますが
ハ長調は他のすべての調性の基調となっています。このハ長調の
両側に、調性が対立する2つの世界があります。それは次のよう
な世界です。
―――――――――――――――――――――――――――――
  フラットの世界 ・・・・・ 「叡智」の荘厳さ
  シャープの世界 ・・・・・ 「世俗」の軽薄さ
―――――――――――――――――――――――――――――
 ここで「フラット」とは、変化記号のフラットのことですが、
『魔笛』ではフリーメーソンの儀礼にかかわる部分のほとんどは
フラットが3つ付く変ホ長調で書かれているのです。ここにも3
が出てくるのです。      ・・・[モーツァルト/27]


≪画像および関連情報≫
 ・調性(キー)とは何か/基礎知識
 ――――――――――――――――――――――――――――
  基本的にいうと、全ての曲に調性(キー)というものが存在
  します。その曲の属性とでもいうべきもので、24種類ある
  のです。具体的には「ハ長調/Cメジャー」とか「イ短調/
  Aマイナー」といいます。楽曲はその調性(キー)の上に成
  り立っていて、たまにそのキーから「あえて」はずしてみた
  りして変化をつけるのです。
 ――――――――――――――――――――――――――――

第1幕の5重唱/3人の侍女.jpg
第1幕の5重唱/3人の侍女
posted by 管理者 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツァルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月11日

●『魔笛』における調性の研究(EJ第1950号)

 『魔笛』について書かれているウェブサイトはたくさんありま
す。しかし、本当の意味でこのオペラの楽曲の内部まで踏み込ん
で解説しているケースは少ないと思います。また、たとえあった
としてもおそらく専門的な立場からの分析であり、素人にはとて
も理解できないでしょう。
 しかし、EJでは、あくまで『魔笛』の謎に迫るための必要不
可欠な情報として取り上げており、音楽の素人でも十分理解でき
るように書いているつもりです。『魔笛』というオペラの謎に迫
るためには、少し立ち入った楽曲の分析がどうしても必要になる
からです。
 『魔笛』の楽曲には、序曲の他に全部で21のナンバーがあり
ます。それぞれのナンバーの中には台詞や短い歌唱が含まれてい
ます。とくに第1幕と第2幕の「フィナーレ」にはそれらを多く
含んでいるので、「フィナーレ」についてはさらに細かい区分け
をして、21のナンバーを次に示します。
―――――――――――――――――――――――――――――
  0.序曲
  ≪第1幕≫
  1.導入部
  2.パパゲーノのアリア
  3.タミーノのアリア
  4.夜の女王のアリア
  5.五重唱/タミーノ、パパゲーノ、3人の侍女
  6.三重唱/モノスタトス、パミーナ、パパゲーノ
  7.教訓の二重唱/パミーナとパパゲーノ
  8.第8番/フィナーレ
    A――3人の童子
    B――神殿に入ろうとするタミーノ
    C――パミーナとパパゲーノの逃走
    D――ザラストロの審判
    E――合唱
  ≪第2幕≫
  9.僧侶たちの行進
 10.ザラストロのアリア
 11.僧侶たちの二重唱
 12.五重唱
 13.モノスタトスのクープレ
 14.夜の女王のアリア
 15.ザラストロのアリア
 16.3人の童子の三重唱
 17.パミーナのアリア
 18.僧侶たちの合唱
 19.三重唱/タミーノ、パミーナ、ザラストロ
 20.パパゲーノのクープレ
 21.フィナーレ
    A――パミーナの「空気」の試練
    B――タミーノとパミーナ対する「火」と「水」の試練
    C――パパゲーノとパパゲーナに対する「空気」の試練
    D――夜の女王、3人の侍女、モノスタトスの襲撃
    E――聖なるものに達したカップル
    F――終曲の合唱
―――――――――――――――――――――――――――――
 ストラヴィンスキーは、音楽で何かを表現するには限界がある
といいましたが、モーツァルトは『魔笛』において、何かを表現
するために調性というものにこだわっていたと思えるのです。
 『魔笛』において、モーツァルトは「変ホ長調」という調性を
大事に使っています。これに関連してモーツァルトは次の3つの
ルールを守っているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
   1.「完璧さ」をあらわすのは「 3」である
   2.「清澄さ」をあらわすのは「長調」である
   3.「荘厳さ」をあらわすのは「 ♭」である
―――――――――――――――――――――――――――――
 これら3つのルールから導き出される調性が「変ホ長調」なの
です。変ホ長調は、「♭」が「3」つ付く「長調」の調性である
からです。
 『魔笛』の楽曲において、変ホ長調が使われている楽曲をピッ
クアップすると、次のようになります。
―――――――――――――――――――――――――――――
  1.序曲
  2.タミーノのアリア(3)
  3.教訓の二重唱/パミーナとパパゲーノ(7)
  4.鎧を着た男たち(21B)
  5.第2幕の終曲(21F)
―――――――――――――――――――――――――――――
 興味深いのは、♭が3つの変ホ長調がベストであり、その数が
が減るにつれて、一転暗い感じの曲になることです。すなわち、
♭が2つの変ロ長調では、「夜の女王のアリア」(4)、タミー
ノ、パパゲーノ、3人の侍女の「五重唱」(5)、タミーノ、パ
ミーナ、ザラストロの「三重唱」(19)であり、♭が1つのヘ
長調では、「ザラストロの審判」(8D)、「僧侶たちの行進」
と「ザラストロのアリア」(9/10)、「夜の女王のアリア」
(14)が該当するのです。また、♭が2つのト短調では、嘆き
のアリアといわれる「バミーナのアリア」(17)が該当すると
いった具合です。
 これに対して、シャープ(♯)は「世俗の軽薄さ」をあらわし
ており、3人の侍女やパパゲーノが活躍するほとんどの部分の調
性は、♯が1つのト長調となっています。
 やや専門的な分析になりましたが、モーツァルトはここまで考
えて『魔笛』を書いたのです。 ・・・[モーツァルト/28]


≪画像および関連情報≫
 ・『魔笛』と変ホ長調について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  (変ホ長調)――序曲と終曲の合唱によってオペラ全体を取
  り囲んでいるこの調性は、通過儀礼の崇高な場面だけでなく
  荘厳なあるいは教訓的な意味をもつ大部分の小曲あるいは楽
  句の調性となる。その関係調であるハ短調は、不完全な、あ
  るいは起伏の多い進行を示すことになる。
      ――ジャック・シャイエ著/高橋英郎・藤井康生訳
            『魔笛/秘教オペラ』より。白水社刊
  ―――――――――――――――――――――――――――

ベイルマン/『魔笛』のシーン.jpg
ベイルマン/『魔笛』のシーン
posted by 管理者 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツァルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月12日

●フリーメーソンの通過儀礼とは何か(EJ第1951号)

 『魔笛』をさらに分析するために、フリーメーソンの通過儀礼
について詳しく調べてみる必要があります。既に述べているよう
に、フリーメーソンには次の3つの位階があります。
―――――――――――――――――――――――――――――
          第1位階  徒 弟
          第2位階  職 人
          第3位階  親 方
―――――――――――――――――――――――――――――
 モーツァルトはもちろん、第3位階までをクリアしていること
は既に述べました。各位階ごとに通過儀礼の内容は違うのですが
第3位階の通過儀礼において、その位階への志願者はこれまでの
位階とは異なる役割を演ずることになります。その役割とは「ヒ
ラム・アビブ」なのです。なお、フリーメーソンについての詳細
は、私のブログの「秘密結社の謎と真相」(56回)をお読みく
ださい。ブログのアドレスは次の通りです。
―――――――――――――――――――――――――――――
     http://electronic-journal.seesaa.net/
―――――――――――――――――――――――――――――
 フリーメーソンのロッジには、儀礼を執り行うために次の3人
の役職者がいるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 1.ワーシップフル・マスター ・・・  儀礼総括責任者
 2.シニア ・ウォーデン   ・・・   儀礼の役職者
 3.ジュニア・ウォーデン   ・・・   儀礼の役職者
―――――――――――――――――――――――――――――
 儀礼は真っ暗な闇の中ではじまるのです。東のワーシップフル
・マスターの前にある蝋燭の光だけが見えます。そして、志願者
はこの位階の目的が「死」そのものであることを告げられます。
 最初に、これまでの2つの位階――徒弟と職人の儀礼について
ワーシップフル・マスターから次の要約が読み上げられます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 第1階級においては、神、隣人、そしてわれわれ自身に対する
 責務を教えられた。第2階級では、人間の学問の秘儀に参与し
 創造主の作業を分析し、その善き性質と偉大さを跡付けた。第
 3階級では、それらすべてを固めねばならない。・・・人類を
 友愛の絆で固め・・・死の暗闇の後に・・正義の復活がある。
 そのとき、塵の中にまどろんでいた死すべき肉体は目覚め、そ
 の同胞とつながり、不死を身に纏う・・・
 ――クリストファ・ナイト/ロバート・ロマス著/松田和也訳
               『封印のイエス』より。学研刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 ヒラム・アビフというのは、フリーメーソンの創始者といわれ
ている人物ですが、彼は3人の男によって殺されたという伝承が
あります。第3位階の志願者は、そのヒラム・アビフ自身を演ず
ることが求められるのです。
 まず、志願者は右の額を軽く一撃され、左膝を地面につくよう
指示されます。ヒラム・アビフは、第1の悪漢が武器として持つ
定規で、右の頬を激しく一撃されたのです。そして、次のような
ワーシップフル・マスターによる語りが入ります。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ・・・彼は立ち上がり、西の門に走った。そこに第2の悪漢が
 いた。・・・これに対しても、同じように決然と、同じ答えを
 返した。コンパスを持っていた悪漢は、これでマスターの左の
 頬を激しく打った。マスターは右の膝をもって大地に跪いた。
              ――ナイト/ロマスの前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 志願者はここで左の頬を軽く叩かれ、右膝を地面につくよう指
示されます。そして語りが続けられます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ・・・われらがマスターは、血を流し、意識を失いそうになり
 ながら、東の門に走った。・・・そこには第3の悪漢がいたが
 ・・・同じ答えを返し、・・・巨大な石鎚をもって、額の中央
 に打撃を受けた・・・マスターは絶命し、地面に横たわった。
              ――ナイト/ロマスの前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 ワーシップフル・マスターが背後から近づき、手にした道具で
志願者の額を叩くと、仰向けになって寝るよう指示されます。挑
戦者が床に倒れると、身体に屍衣(死体を包む布)が巻かれ、ワ
ーシップフル・マスターは次のように続けます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ・・・われらがブラザーは・・・秘密を漏らすよりも死を選ん
 だヒラム・アビフと・・・同じ状況に置かれた。・・ブラザー
 ・ジュニア・ウォーデン、われらがマスターの代理人を、エン
 タード・アプレンティスの握手をもって立たしめよ。
              ――ナイト/ロマスの前掲書より
―――――――――――――――――――――――――――――
 フリーメーソンには、3つの握手法――徒弟の握手/職人の握
手/親方の握手法があるのですが、徒弟と職人の握手法が試みら
れますが、志願者を起すことはできません。そこで、ワーシップ
フル・マスターは親方の握手法によって志願者を起こします。そ
して、ワーシップフル・マスターは次のようにいいます。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ブラザーよ、すべてのマスター・メーソンはこのようにして象
 徴的な死から甦り・・仲間に加わったのだ。マスター・メーソ
 ンの光は、天上からの神の光の助けなしには人間の理性では見
 通すことのできぬ闇のヴェールである。・・・
―――――――――――――――――――――――――――――
 このようにして志願者は第3位階「親方」に昇進するのですが
これは「死と復活」の儀礼そのものです。『魔笛』では、これに
当たる儀礼が演じられているのです。―[モーツァルト/29]


≪画像および関連情報≫
 ・フリーメーソンの握手法――「親方の握手法」
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ハサミのように開かれた指が意味するもの――それはフリー
  メイソンの重要な象徴である直角定規もしくは開かれたコン
  パスである。さらに、その手の型で握手をすることは、直角
  定規とコンパスを交差させることを意味し、メイソンが信条
  とする“道徳”と“真理”の調和を表現している。
   http://unkokuse.hp.infoseek.co.jp/shinpi/meison.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

フリーメーソンの握手法.jpg
フリーメーソンの握手法
posted by 管理者 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツァルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月13日

●『気絶による変容』というものがある(EJ第1952号)

 フリーメーソンの第3位階「親方」への通過儀礼において「仮
の死」があり、それから目覚めると新しい世界に入ることができ
るというのは、キリストの死と復活を暗示させます。
 『魔笛』において、試練を受ける対象者――タミーノ、パミー
ナ、パパゲーノの3人は、いずれも「仮の死」――気絶を経験し
それが試練を受ける契機となっているのです。
 タミーノは舞台に登場するとすぐ大蛇の前で気絶しています。
これによってタミーノの何かが変容するのです。そして、試練が
ひとつ終わるごとに人格が形成されていくのです。
 はじめて『魔笛』を見たとき、蛇に追いかけられて何らなすこ
となく気絶してしまうような弱い男に、夜の女王が強大なザラス
トロに捕われている娘の救出を依頼する矛盾を感じたものですが
そこに「気絶による変容」という深い意味があったのです。
 それでは、パミーナはどうでしょうか。
 パミーナもタミーノと同様に登場するとすぐ、モノスタトスと
のやりとりの中で気絶しています。その直後にパパゲーノがやっ
てきてパミーナは目覚めるのです。
 興味深いことに、タミーノにしてもパミーナにしても、気絶か
ら目覚めて最初に見る顔――つまり、気絶の変容による新しい生
が見るのはいずれもパパゲーノであるという事実です。
 タミーノの場合は、蛇を退治した3人の侍女であり、パミーナ
の場合はモノスタトスであるのがオペラの流れとしては自然なの
ですが、目を覚まして最初に見たのはあえてパパゲーノになって
います。これについてジャック・シャイエは、これが意味のある
ことであるとして、次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 彼らの新しい生が最初に見たものは、消えやすい「空気」の幻
 覚の化身である軽薄で軽率なパパゲーノ以外の何者でもない。
 それは、この最初の変容が感覚的なものでしかなかったからで
 ある。真の愛のより深遠なる叫びがそれに結びつくときに初め
 て、彼らは本当に彼ら自身となるのである。このような愛は彼
 らにはまだ早すぎるので、彼らはその愛の対象それ自体を見つ
 めることができない。そのために、タミーノは肖像画を通して
 バミーナはパパゲーノの話によって、パパゲーノは老婆の醜悪
 な姿でしか、それぞれ愛の対象を知らないのである。彼らが実
 際にお互いの姿を「眺める」ためには、他の試練、他の変容を
 さらに経験する必要がある。
      ――ジャック・シャイエ著/高橋英郎・藤井康生訳
            『魔笛/秘教オペラ』より。白水社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 ここで、『魔笛』というオペラの中で演じられる「試練」につ
いて知る必要があります。「試練」には次の4つがあります。こ
れはフリーメーソンの通過儀礼と密接な関連を持っています。
―――――――――――――――――――――――――――――
           1.大地の試練
           2.空気の試練
           3.水 の試練
           4.火 の試練
―――――――――――――――――――――――――――――
 「大地の試練」は、フリーメーソンのロッジでは、反省の部屋
というところで行われます。志願者は目隠しをされて狭くて暗い
場所に案内されるのです。その部屋には、「V・I・T・R・I
・O・L」という文字が書いてありますが、それは次の意味をあ
らわすラテン語なのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
   Visita Interiorem Terrae,Rectificando Invenies
   Occultum Lapidem /大地の内奥を訪れよ、汝正しき
   道を辿りて隠れたる石を見出さん
―――――――――――――――――――――――――――――
 オペラにおいては、タミーノとパパゲーノに対する最初の試練
が行われる地下の場面が反省の部屋であり、そのままのかたちで
再現されています。
 この部屋では徹底した「沈黙」が求められます。沈黙は大地の
試練だけではなく、どの試練でも求められるのですが、試練ごと
にレベルが高くなります。ところで、オペラのこのシーンで観客
たちは「沈黙の試練なのに結構よく喋っているじゃないか」と感
ずるはずです。
 しかし、ここで求められているのは、「男性が女性に対して行
う沈黙」なのです。シャイエによれば、この試練は男性を女性に
対して無感覚にし、男性に女性を警戒するように教えることが目
的であるとしているのです。
 試練では、奈落(大地)から3人の侍女があらわれ、タミーノと
パパゲーノに対して、ザラストロの教団を信じないようけしかけ
執拗に2人に話しかけようとします。これが、ナンバー12の五
重唱なのです。
 タミーノはそれに一切耳をかさないのですが、パパゲーノはそ
れを守りきれないのです。最後に「神聖な敷居が汚されている」
という聖職者たちの合唱が起こり、すさまじい雷鳴が轟きます。
ここでパパゲーノは気絶するのです。パパゲーノは大地の試練に
不合格になりますが、この気絶で確実に一皮むけるのです。
 どうして、タミーノが合格で、パパゲーノが不合格なのかとい
うと、3人の侍女が退散したあとで、タミーノを担当する弁者と
パパゲーノを担当する第2の僧がたいまつを持って登場し、弁者
はタミーノに合格を宣言するのに対し、第2の僧はパパゲーノに
は何もいわないからです。演出による違いはありますが、そうい
うシーンがちゃんと入っているのです。
 試練が終わると、志願者は頭からヴェールをかけられて反省の
部屋から連れ出されます。これは、フリーメーソンの儀礼での目
隠しとまったく同じです。大地の試練以外の試練については、明
日のEJでお話しします。   ・・・[モーツァルト/30]


≪画像および関連情報≫
 ・「反省の部屋」の版画と諸シンボル
  ―――――――――――――――――――――――――――
  添付ファイルの右の図は、『魔笛』の1791年初版台本の
  扉絵であるが、反省の部屋を描いている。左の図は、反省の
  部屋につねに見られる数多くのシンボル――壷、砂時計、伝
  統的な頭蓋骨に代わる斬首像など――のかたわらに「大地の
  内奥」を思わせるシャベルとツルハシがはっきり見られる。
      ――ジャック・シャイエ著/高橋英郎・藤井康生訳
            『魔笛/秘教オペラ』より。白水社刊
  ―――――――――――――――――――――――――――

『魔笛』初版台本/1791.jpg
『魔笛』初版台本/1791
posted by 管理者 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツァルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月14日

●モーツァルトとホ長調の研究(EJ第1953号)

 パミーナに対する大地の試練は、どのように行われていたので
しょうか。
 それは、タミーノの大地の試練のすぐあとで行われているので
す。楽曲ナンバー13「モノスタトスのクープレ」(EJ第19
50号参照)です。
 場面は心地よい庭園で時間は夜です。薔薇とさまざまな花壇の
あるところにパミーナは眠っています。薔薇は女性のフリーメー
ソンの入信式のシンボルなのです。女性フリーメーソン結社につ
いては『魔笛』と関係があるので、改めて述べることにします。
 夜はそのまま「反省の部屋」になり、夜はパミーナの母親の王
国です。そこに大地の化身であるモノスタトスが登場し、眠って
いるパミーナに対し、「これほどの魅力に鈍感でいられる男はい
ない」と歌い、パミーナを自分のものにしようとします。
 そうすると、奈落(大地)から夜の女王が姿をあらわし、モノ
スタトスを追い払うのです。夜の女王は、目を覚ました娘に対し
省略されることの多い例の打ち明け話(EJ第1947号参照)
をするのです。そして、短刀を渡してザラストロを殺せと娘に命
令します。
 短刀を手にして思案にくれているパミーナのところに再びモノ
スタトスがあらわれます。夜の女王の話を盗み聞きしていたので
す。そして、パミーナにいうことを聞かないと、その話をザラス
トロにばらすと脅迫しますが、パミーナはそれを拒否します。
 そこにザラストロがあらわれてモノスタトスを追い払います。
ここでパミーナの大地の試練は終了するのです。ザラストロの2
つ目のアリアがここで歌われることは既に述べましたが、このア
リアはモーツァルトにとっては大変珍しい曲なのです。
 それは、このアリアの調性がホ長調であることです。ホ長調は
シャープ(♯)が4つ付く調性であり、モーツァルトがめったに
使わない調性なのです。既出のジャック・シャイエは、これにつ
いて次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ホ長調はモーツァルトがそれまで用いてきた調性のうちでは、
 最もシャープの数が多いものであり、それも極度に倹約してい
 る。彼の全器楽作品の調性目録のなかで、この調性が見られる
 のは、1780年までに3度、1780年から1791年まで
 に2度であり、それもほとんどメヌエットのトリオのなかにあ
 る。それは、この曲が喚起している至福の楽園の牧歌的な清澄
 さを描くためにはとくに適していた――たとえ、それを用いる
 ことによって、モーツァルトがスコアの他の調性のさまざまな
 約束ごとを乱しているとしてもである。
      ――ジャック・シャイエ著/高橋英郎・藤井康生訳
            『魔笛/秘教オペラ』より。白水社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 このザラストロのアリアは、大地の試練で悩み苦しむパミーナ
にとって最大の癒しとなる歌になっています。そこには賢者たち
の楽園の牧歌的な描写があり、夜の女王が訴える復讐を知らず、
友愛が支配しています。『魔笛』を鑑賞した人でも、ぜひ改めて
このアリアを聴き直してみる価値はあると思います。
 このアリアの最後の一節は、夜の女王の心の狭さを批判する警
句ともなっています。
―――――――――――――――――――――――――――――
   このような教えを喜ばない者は人たるに値しない
―――――――――――――――――――――――――――――
 このなかの「人」は「Mensch/人間」であって「Mann/男」で
はないのです。もはや両性の争いではなく、人類が問題なのだと
いうことを歌っているからです。まして復讐などはあってはなら
ないと歌うのです。
 次の試練は「空気の試練」です。この試練には、次の2つのこ
とが試されるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
       1.ご馳走の誘惑を乗り越える
       2.高度のレベルの沈黙を守る
―――――――――――――――――――――――――――――
 タミーノとパパゲーノの空気の試練は、楽曲ナンバー16「3
人の童子の3重唱」からはじまるのです。3人の童子はこのとき
大地の試練を受けるとき、取り上げられていたタミーノの笛とパ
パゲーノの鈴を2人に返しているのですが、これには深い意味が
あるのです。
 タミーノにとって上記の1に関しては問題ではないものの、つ
らかったのは、2の「高度のレベルの沈黙を守る」ことだったの
です。「高度のレベル」とは、世間的な女性一般に対して沈黙を
守るだけでなく、自分が深く愛する女性――パミーナに対しても
沈黙を貫かなければならないことを意味していたからです。
 パパゲーノはご馳走にむさぶりついたのですが、タミーノはそ
れを拒否し、自分の手に戻ってきた笛を吹いたのです。笛に誘わ
れてパミーナが姿をあらわしたのですが、彼は彼女と話すことを
拒否し、沈黙を守ったのです。パミーナは、タミーノが試練を受
けていることを知らないので、タミーノが自分を嫌いになったも
のと思い込み、絶望感に襲われたのです。そして、タミーノは空
気の試練に合格するのです。
 これに対してパミーナに対する空気の試練は、タミーノとの別
れと苦悩、自殺の決意――そして、それを乗り越えたことがその
まま試練になっているのです。タミーノやパパゲーノと違う点は
彼らが試練と知って挑戦しているのに対し、パミーナはそれが試
練であるとは聞かされていないことです。
 これで、タミーノとパミーナは、気絶に続く2つの試練――大
地の試験と空気の試練という2つの試練をクリアしたことになり
あと最大の難関といわれる水と火の試練の2つを残すのみとなっ
たのです。この2つの試練をタミーノとパミーナは2人で受ける
こにとなるのです。      ・・・[モーツァルト/31]


≪画像および関連情報≫
 ・「沈黙」を守ることについて
  ―――――――――――――――――――――――――――
  フリーメーソンの入会者に対して「沈黙」は執拗に勧告され
  ている。その勧告とは彼らがロッジのなかで見たり聞いたり
  するすべてのことに対して沈黙を守るということである。秘
  密結社ということばが無意味なことばであってはならないか
  らである。しかし、『魔笛』のなかでは、男性が女性に対し
  て沈黙を守るということである。
  ―――――――――――――――――――――――――――

沈黙の戒め/ホ長調.jpg
沈黙の戒め/ホ長調
posted by 管理者 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツァルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月15日

●パパゲーノの大地と空気の試練(EJ第1954号)

 『魔笛』において演じられるフリーメーソンの通過儀礼――つ
まり、「試練」は、あくまでタミーノとパミーナを中心に描かれ
ており、パパゲーノとパパゲーナのそれはどちらかというと狂言
まわし的に表現されています。
 しかし、狂言まわしといっても、そこに原則論的なものは貫か
れていて、ちゃんと説明がつくのです。そこで、パパゲーノによ
る「水の試練」について見ていくことにします。
 タミーノが空気の試練を受けているとき、パパゲーノもその場
にいたのです。しかし、パパゲーノは、3人の童子が運んできた
ご馳走をたらふく食べ、試練に背を向けています。パパゲーノは
喉の渇きを訴えると、水差しを持った老婆がどこからともなく忽
然とあらわれるのです。
 パパゲーノは水が出てきたことに腹を立て、その水を老婆に浴
びせます。実はパパゲーノは葡萄酒しか飲まないので、水を屈辱
的な飲み物と考えており、飲むことを拒絶したわけです。
 しかし、「水」は女性のシンボルであり、パパゲーノはこれを
拒否してしまったので、彼はカップルを構成する機会を逸したこ
とになるのです。
 一方、パパゲーナの方は、パパゲーノから水を浴びせられたこ
とによって、結果として洗礼を施こされることになったのです。
これは、彼女にとっては、不完全ながら水の試練を受けたことに
なり、それだけパパゲーナはパパゲーノに近づきやすくなったこ
とを意味しています。しかし、試練が十分でないので、老婆のか
たちは変わらないのです。もちろんパパゲーノは、そんなことは
知らないでいるのです。
 しかし、パパゲーノは一回だけ老婆の姿でないパパゲーナを見
る機会があります。それはパパゲーノが大地の試練に失敗したと
き、弁者が登場し、パパゲーノの臆病さを責めたのです。「お前
は大地の暗い奥底を永遠にさまようがよい」と僧侶がいうと、パ
パゲーノは、「そんなことはどうでもよい。葡萄酒を飲ませてく
れ」とせがみます。僧侶は「それなら、飲ませてあげよう」とい
うと、大地から大きな葡萄酒があらわれたのです。パパゲーノは
われを忘れて葡萄酒を飲むのです。
 これはかたちを変えた大地の試練なのです。葡萄酒は「母なる
大地」の生産物のシンボルであるからです。興に乗ったパパゲー
ノは、夜の女王からもらった鈴――グロッケンシュピールを鳴ら
して有名なアリア――「かわいい娘か女房が」を歌います。
―――――――――――――――――――――――――――――
       可愛い娘か女房が
       欲しゅうてならぬ、パパゲーノは
       おお、そんなにやさしい小鳩がいたら
       さぞやおいらは楽しかろ!
       飲むもの、食うもの、みなうまく
       位でいえばお殿様
       賢者のように満ち足りて
       極楽浄土にいる気持
       かわいい娘か女房か
―――――――――――――――――――――――――――――
 この鈴の音を聞いて、小さな老婆が杖で大地を叩いて踊りなが
ら登場します。彼女は可愛いらしく、空気のように軽快なパパゲ
ーナの姿になっているのです。ジャック・シャイエによると、こ
れは葡萄酒の力によって幻覚として老婆がパパゲーナの姿になっ
ていると解説しています。
 その証拠にパパゲーノがわれを忘れてパパゲーナに抱きつこう
とすると、僧侶が中に入って2人を引き離します。試練が完了し
ていない――つまり、空気の試練が終わっていないというわけで
す。パパゲーノは絶望のあまり絶叫します。
―――――――――――――――――――――――――――――
  たとえ大地に飲み込まれても、あの娘のあとを追ってやる
―――――――――――――――――――――――――――――
 そうすると、たちまち大地がパパゲーノの足元から崩れ、彼は
地中に飲み込まれます。これによって、パパゲーノの大地の試練
は終了したのです。
 すっかり、絶望したパパゲーノは、首をつって自殺しようとし
ます。このとき、モーツァルトは喜劇の軽やかな調子を離れるこ
となく、苦悩の音楽を表現することに成功しています。オーケス
トラの激しい動き、多様な転調、短調の軽いタッチなどを駆使し
てです。パパゲーノの悲しさ、絶望感がよく出ています。
 彼は首吊りを実行に移そうとして、若干時間稼ぎをします。誰
かが引き止めてくれると考えたからです。
 しかし、誰も引き止めてくれないので、今度は5つの連続音の
出る小さな笛を何回も吹きます。これがよかったのです。笛は通
風楽器であり、タミーノの笛と同様に空気の試練の道具として機
能したからです。
 その効果はてきめんで、3人の童子はパパゲーノに呼びかけま
す。「パパゲーノ!鈴を鳴らしてごらん!」と。楽曲ナンバーの
21−Cです。鈴の音に誘導されて、老婆の姿でないパパゲーナ
が登場します。そして2人で歌われるのが、「パ・パ・パの二重
唱」といわれるナンバーです。
 この二重唱について、ジャック・シャイエは次のように書いて
います。本当に心温まる二重唱です。
―――――――――――――――――――――――――――――
 無邪気でありながら非常に面白いこの有名な二重唱は、最も近
 いカデンツの和音からはみ出すことなく、また3つの区分のど
 の肉声でも転調することなく、130小節にわたってその面白
 さを保つという離れ業をやってのける。
      ――ジャック・シャイエ著/高橋英郎・藤井康生訳
            『魔笛/秘教オペラ』より。白水社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 次は、火と水の試験です。  ・・・[モーツァルト/32]


≪画像および関連情報≫
 ・通過儀礼による「気絶」について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  いかなる試練も一巡すると人格が完全に変容することになっ
  ている。すなわち、未来の選ばれた人は、まず古い生を死に
  次いで新しい生に生まれ変わるのである。このような観念は
  フリーメーソン結社が位階の称号を授与するたびに、(「知
  識」に一歩近づくことを表わしている)採りいれているもの
  だが、この結社独自のものではない。キリスト教を含むほと
  んどすべての宗教はそのことを知っている。
      ――ジャック・シャイエ著/高橋英郎・藤井康生訳
            『魔笛/秘教オペラ』より。白水社刊
  ―――――――――――――――――――――――――――

パパゲーノの大地の試練.jpg
パパゲーノの大地の試練
posted by 管理者 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツァルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月18日

●タミーノとパミーナの火と水の試練(EJ第1955号)

 タミーノとパミーナについては、大地の試練と空気の試練は既
にクリアしています。しかし、パミーナは女性であることなどか
ら、タミーノと同じ試練の方法ではなく、別バージョンとなって
おり、本人はそうと意識していないのです。
 彼らに残っているのは、火と水の試練です。タミーノはその試
練を受け入れ、挑戦しようとしますが、パミーナは命令も許可も
受けていないので、その心構えはできていないのです。そのため
自分に背を向けてしまうタミーノに対して絶望感を抱いて自殺し
ようとします。
 それを引きとめたのは、3人の童子なのです。短刀で自殺しよ
うとするパミーナに対して次のようにいうのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 おお、不幸な人よ、おやめなさい。あなたの王子さまがこれを
 見たら、悲しみのあまり死んでしまいますよ。彼はあなただけ
 を愛しているのですから。         ――3人の童子
―――――――――――――――――――――――――――――
 3人の童子のこのことばを聞いて、パミーナは愕然とし、生気
を取り戻すのです。そして、3人の童子はパミーナをタミーノの
ところに連れていくのです。
 場面は変わって、タミーノに対する火と水の試練の現場です。
突如として2人の鎧を着た男が登場します。闇の中で黒い鎧を着
て、兜の上には火が燃えている――あるいは手に松明を持って登
場してくるのです。そして、男たちは次のように歌うのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
   苦難に満ちたこの道をたどる者は、
   火、水、空気、土によって浄められる
   死の恐怖に打ち勝つことができるならば
   この地上から天界に舞い上がるであろう
   かくて、その者は心の目を開かれ、イシスの秘儀に
   全身を捧げることができるであろう
―――――――――――――――――――――――――――――
 「兜の上で火が燃えている」――不思議な兜ですが、モリエー
ルの「町人貴族」にも、この奇怪な兜――ここでは兜ではなく帽
子であるが――が登場します。第4幕第8場で、トルコ風儀式が
行われるのですが、そこに登場する回教僧のターバンの上には、
火のついたローソクが立ててあるのです。これも明らかに宗教的
な結社の儀式と思われます。
 2人の男は、要するに「火」と「水」の番人なのですが、彼ら
の歌は、ルター派教会の讃美歌「コラール」の旋律で歌われてい
る点に留意する必要があります。特定の宗教に依存しないはずの
フリーメーソンの儀礼において、なぜ、コラールが出てくるので
しょうか。これはモーツァルト音楽の音楽的装飾の領域における
謎とされているのです。
 ちなみに、コラールのメロディーは多くの場合単純で、歌うの
が容易なのです。それらは一般に韻を踏んだ詞を持つ、有節形式
(歌詞に1番、2番があること)です。初期のコラールの歌詞と
音楽は宗教改革以前の賛美歌や世俗歌からとられたのですが、い
くつかのコラールの旋律はマルティン・ルター自身によって書か
れたものもあるということです。
 さて、タミーノが「私のために恐怖の門を開け」と歌い、火と
水の試練への一歩を踏み出そうとしたとき、パミーナの声が聞こ
えてくるのです。彼女はタミーノと危険を共にしたいと願い出て
許されたのです。
 ここで重要なことは、パミーナが、自分が試練に立ち向かって
いることを認識している点です。それは女性がその資格において
入信式の試練を受ける許可を正式に受けていることを意味するか
らです。2人の鎧を着た男とタミーノの三重唱のかたちでパミー
ナがタミーノと一緒に火と水の試練を受けることが次のように歌
われるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
   夜も死も恐れない女は、尊敬に値し、清められよう
―――――――――――――――――――――――――――――
 女性とフリーメーソン結社との関係については改めて述べるが
女性は正式には「火(男)」と「水(女)」――夫婦の2つの元
素によってしか清められることはないのです。しかし、パミーナ
は、既に見てきたように、本人はそれを認識していなかったもの
の、他の2つの元素「大地」と「空気」の試練を結果としてクリ
アしているのです。タミーナは、この三重唱によってはじめて、
夜の王国の女としての侮辱から解放されたことになるわけです。
 ここでパミーナはタミーノに魔法の笛を吹くよう進言するので
す。そして、実際に火と水の試練は、2人がそれを受けている間
タミーノの吹く笛の音色が響いているだけで終るのです。試練の
中身は何も明らかにされないのです。
 ジャック・シャイエは、魔法の笛について、次のように述べて
いるので、ご紹介しましょう。
―――――――――――――――――――――――――――――
 魔法の「笛」の存在は、この試練に新たな広がりをあたえてい
 る。この試練は、もはやたんに一定のプログラムの成就ではな
 く、一つの縮図であり、総括である。つまり、「笛」は、その
 中に4大元素を凝縮しているだけでなく、タミーノ(火)がパ
 ミーナ(水)を伴って、「大地」の奥に入り、そこで彼ら自身
 のシンボルである2つの元素「男」と「女」に直面するのは、
 その笛に息(空気)を吹き込むことによってである。
      ――ジャック・シャイエ著/高橋英郎・藤井康生訳
            『魔笛/秘教オペラ』より。白水社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 音楽は神々の言葉を借りたものという考え方があり、笛は音楽
の魔術的な力を意味しています。そうであるとすると、このオペ
ラの題名はやはり『魔笛』なのです。
               ・・・[モーツァルト/33]


≪画像および関連情報≫
 ・タミーノとパパゲーノの火と水の試練の音楽
  ―――――――――――――――――――――――――――
  宗教的金属楽器のわずかな珍しい和音――ティンパニーがた
  だちにこれはこだまの反響のように弱音で答えている――に
  かろうじて支えられて、魔法の笛は、技巧をいっさい排除し
  た厳粛な行進曲として鳴り響く。その間に、火山の門が左右
  に開き、次いでカップルの背後から閉じられる。われわれは
  試練には立ち会わない――このように秘密である――、そし
て音楽のなかでそれを強調するものは何もない。魔法の笛だ
  けが冷静に行進曲を続ける。やがて(演劇的慣習からすれば
  少し早すぎるが)、パミーナとタミーノが再び現われ、抱擁
  し合って舞台中央にとどまる。そのとき、笛の音が止み、オ
  ーケストラが再び鳴りはじめる。
      ――ジャック・シャイエ著/高橋英郎・藤井康生訳
            『魔笛/秘教オペラ』より。白水社刊
  ―――――――――――――――――――――――――――

火と水の試練.jpg
火と水の試練
posted by 管理者 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツァルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月19日

●フリーメーソン結社への女性の入会(EJ第1956号)

 『魔笛』において、タミーノとパミーナの火と水の試練を見て
いると、フリーメーソンには女性も入会が認められることがわか
ります。火と水の試練をクリアしたタミーノとパミーナは最終的
に聖職者の衣装を着てあらわれるからです。
 モーツァルトの女性観をあらわすオペラに、『コシ・ファン・
トゥッテ』というのがあります。このオペラは次のような内容を
持つ作品です。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ≪第一幕≫
  中世のナポリ。フェランドとグリエルモは軍人で友人同士。
 またドラベッラとフィオルデリジは姉妹。それぞれフェランド
 はドラベッラと、グリエルモとフィオルデリジは婚約者同士で
 ある。二人の男性は共通の友人である老哲学者ドン・アルフォ
 ンソと女性の貞節について賭をする。
  軍隊の出征を告げる太鼓。二人は偽って戦地に向かうことに
 なる。フェランドとグリエルモは賭で約束したとおり、変装し
 て互いの相手の婚約者の前にあらわれアタックする。女 中の
 デスピーナもドン・アルフオンソに買収され、彼に協力する。
 ≪第二幕≫
  はじめは固く拒否していた姉妹も次第にこころを動かしはじ
 める。デスピーナもこれに拍車をかけるようにけしかける。ま
 ずはフィオルデリジが陥落して、ついでドラベッラも相手を受
 け入れる。新しい恋人同士の結婚式が始まろうとする。
  そのとき太鼓が鳴って、軍隊が出征から帰ってくる。二人の
 男性は変装からもとの軍人にもどる。青ざめる姉妹。真相があ
 かされる。四人はもとのさやにおさまって、めでたしめでたし
 となる?
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Miyuki/3174/cosi.html
―――――――――――――――――――――――――――――
 要するに、このオペラは女性が偽りの愛の誘惑に負けるかどう
かという賭けがテーマなのです。しかも本当の恋人同士が入れ替
わるという仕組みになっていて、観客は二重の意味でモラルに反
した禁断のゲームを味あうことになります。
 それに、このオペラの題名は「女は皆こうしたもの」という意
味であり、そこには女性に対する軽蔑感が感じられます。モーツ
ァルト自身がそういう考え方であったかどうかはわかりませんが
18世紀の欧州社会全体が、表面的には女性に対して親切な態度
を装いながら、その奥底にそういう軽蔑感を包み隠していたこと
は間違いないと考えられるのです。
 カトリック教会をみればわかるように、いかなる宗教団体もそ
の初期の段階においては、多かれ少なかれ男性支配、少なくとも
男女分離の世界であったのです。すなわち、女性が入信式ないし
それに類するものに近づくことを絶対に排除したのです。
 カトリック教会においては、現在でも一部の例外として下位の
地位に就くことはあるものの、女性が聖職に就くことは基本的に
抑制されているのです。その点については、自由、平等、友愛を
掲げるフリーメーソン結社も例外ではないのです。
 フリーメーソン結社には、アンダーソン憲章というものがあり
ます。これはジェイムズ・アンダーソン(1680〜1739)
が起草し、1723年にロンドンで公表されています。各ロッジ
は、これをベースにしてロッジの規約を作成したのです。
 この憲章は二部から成っており、第一部では「フリーメーソン
の歴史」、第2部は「フリーメーソンの責務」と題する6ヶ条が
定められています。その第2部の第3条に「入会規定」として、
次の趣旨のことが記述されています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ≪入会規定/第3条≫
  健全なる肉体と精神を持つ、神を信じる名声ある男性である
  こと。奴隷、女性、品行が悪いかあるいは汚名を受けた人は
  資格がない。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ロッジの中には、この入会規定に疑問を抱き、女性の加入を認
めるところも出てきたのです。この場合、正規の男性ロッジとは
別に女性だけのロッジを作り、それを「養子ロッジ」とするかた
ちをとったのです。しかし、そのロッジは男性ロッジよりも一段
低い位置に置いたのです。
 そういう中にあって、「モプス結社」と名乗るロッジが登場し
てきます。この結社は、男性の役員が義務的に存在していたもの
の、女性に広く門戸を開いた結社で、慈善事業の実行を使命とし
て活動したのです。
 しかし、英国の大ロッジは「ロッジは完全に男性によって構成
されていなければならない」とし、「男女混合ロッジ」や入会規
定において女性の入会を認めているロッジとは、いかなる関係も
持ってはならない――こういう厳しい根本原則を掲げて反対した
のです。その結果、非正規のフリーメーソンロッジがたくさん生
まれることになります。
 さらに1784年になると、錬金術師といわれるカリオストロ
が「エジプトの儀礼」という名称で、男女両性から成るフリーメ
ーソン結社を設立し、自らは男性ロッジ「偉大なるコプト人」と
いう称号を名乗り、妻のロレンツァ・フェリチァーニには「シバ
の女王」という名称を与えて、女性ロッジの「偉大なる女親方」
の地位に昇進させたのです。
 この「エジプトの儀礼」は、あくまでも男性ロッジと女性ロッ
ジを同格に位置づけていますが、男性ロッジの位階の数を3から
7に増やして、結果として男性ロッジを高い位階を持つ上位のフ
リーメーソン結社に位置づけたのです。
 このカリオストロの儀礼の考え方を『魔笛』の台本作家は取り
入れているフシがあるのです。『魔笛』は、結社への女性の入会
に関して一つの道を拓いているのですが、これについては明日の
EJで述べます。       ・・・[モーツァルト/34]


≪画像および関連情報≫
 ・モプス結社の「モプス」とは何か
  ―――――――――――――――――――――――――――
  「モプス」が何を意味するかはっきりとはわからないが、予
  言者「モプスス」ではないかと考えられる。ギリシャ神話の
  中にはこの名前を持つ予言者は2人いる。ヴィヴァルディは
  「モプスス」についてのカンタータを書いている。
  ―――――――――――――――――――――――――――
 ・歌劇『コシ・ファン・トゥッテ』から

歌劇『コシ・ファン・トゥッテ』より.jpg
歌劇『コシ・ファン・トゥッテ』より
posted by 管理者 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツァルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月20日

●フリーメーソン結社とフェミニスム(EJ第1957号)

 フリーメーソンにおける「男性ロッジ」と「女性ロッジ」の対
立は、『魔笛』における「ザラストロ」と「夜の女王」との対立
と同じ構図であると考えることができます。
 夜の女王は闇の世界だけを統治しており、彼女の配下の3人の
侍女は夜の女王の結社に入信した者とみなすことができます。し
かし、彼女たちの性では絶対に通過できない永遠に不完全な入信
式を受けたことになるのです。これは女性ロッジに入信した女性
と同じ立場であるといえます。
 一方ザラストロは、「太陽の輪」を有し、神の殿堂を守ること
を使命としています。そして、自分たちこそが正規のロッジであ
るとして、闇の世界は認めないのです。闇の世界の存在は神の殿
堂を汚し、呪詛の雷鳴を招く根拠になっている――そう考えてい
るのです。夜の女王や3人の侍女がザラストロの神殿に近づくと
激しい雷鳴が轟くのはそのためです。
 しかし、『魔笛』におけるパミーナの扱い方は、女性にとって
ひとつの救いをもたらすものとなっています。なぜなら、闇の世
界の住人であったパミーナは、その世界から拉致されたとはいえ
彼女の功徳により、必要な試練を乗り越えて、最終的には聖職者
の地位を得ているからです。
 これは、女性ロッジに入会した女性であっても、男性ロッジに
入会した男性と同じように、ひとつずつ位階を乗り越えて最終的
に聖職者のポジションが得られる可能性を暗示しているものとし
て注目されるのです。
 モーツァルトならびに『魔笛』の台本作家は、モプス結社――
代表的な女性ロッジを意識してオペラを作っていると考えられま
す。モプス結社は女性の入信者に対して固有の儀礼を行っていた
のです。この儀礼を象徴するものは、『魔笛』の第1幕の前半に
おいて多く見られるのです。それは次の3つです。
―――――――――――――――――――――――――――――
         1.3人の侍女たちの殺す蛇
         2.パパゲーノが提供する鳥
         3.秘密を厳守させる南京錠
―――――――――――――――――――――――――――――
 第1は「3人の侍女たちの殺す蛇」です。
 聖書の「創世記」において、蛇は女性を誘惑するための小道具
として使われています。蛇はエヴァに近づき、神が禁じていたに
もかかわらず、善悪の知識の木の実を食べるよう唆したのです。
 ジャック・シャイエは、モプス結社の入信式について、次のよ
うに述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 女性の入信式には聖書の「誘惑」への暗示が満ち溢れている。
 第1段階、すなわち「徒弟」位階へ加入するためには、未来の
 「姉妹」は蛇の絵を手に握っていなければならない。次の位階
 すなわち、「職人」位階では、彼女たちは、エデンの園の場面
 を追体験し、「叡知」の果実である林檎を食べなければならな
 い。この林檎は、真二つに割れていて、種が女性の数である五
 角星を表わしている。
      ――ジャック・シャイエ著/高橋英郎・藤井康生訳
            『魔笛/秘教オペラ』より。白水社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 第2は「パパゲーノが提供する鳥」です。
 この場合、鳥は「軽薄さ」の象徴なのです。パパゲーノは自分
の食用に鳥を捕えているのではなく、夜の女王の命令によって鳥
を捕え、その鳥(軽薄さ)と引き換えに日々の食料と飲料を得て
暮らしているのです。このようなことでは、彼女たちが「完全な
知識」に近づくことはけっしてないのです。
 第3は「秘密を厳守させる南京錠」です。
 『魔笛』の第1幕の冒頭において、3人の侍女はパパゲーノが
蛇を殺したのは自分だとウソをついた罰として、口に南京錠をか
けて、喋らせないようにするシーンがあります。実は、この南京
錠もモプス結社の入信式に使われる道具なのです。
 この南京錠は、モプス結社の職人の位階において、秘密を厳守
させるための小道具なのです。儀礼においては、次のように行わ
れるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 導師は新会員を起き上がらせる。そして、先を聖なる槽の中に
 ひたしておいた鏝(こて)をとって、彼女の唇に五度触れさせ
 てから次のようにいう。「余が汝の唇にあてたものは、秘密厳
 守の封印である。汝はやがてその封印に秘められた教訓を学ぶ
 ことになろう」。
      ――ジャック・シャイエ著/高橋英郎・藤井康生訳
            『魔笛/秘教オペラ』より。白水社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 夜の女王と3人の侍女をよく見ると、ヴェールで顔を隠してい
ます。これは、女性が完全な「知識」に近づくことがないことを
示しているのです。彼女たちの行動には制約があり、明らかに限
界があるのです。
 タミーノとパパゲーノが夜の女王と3人の侍女から説得され、
その気になってザラストロの城に出かけようとする――そうする
と、3人の侍女は別れを告げて去って行こうとするシーンがあり
ます。タミーノはあわてて「道を教えてくれ」というと、侍女た
ちは3人の童子にその役割を譲って姿を消してしまいます。
 これは、侍女たちにはその性――女性の制約によって、ザラス
トロの城への案内ができないのです。そこで男性の3人の童子に
その役割をバトンタッチしたのです。3人の童子は女性歌手が歌
うことが多いですが、通過儀礼としては3人の童子はあくまでも
男性であることが必要なのです。
 このような観点から考えても、『魔笛』におけるパミーナの扱
いは異例であって、その後の女性ロッジの扱いについて重要なイ
ンパクトを与えたのです。   ・・・[モーツァルト/35]


≪画像および関連情報≫
 ・3人の侍女と別れの場面
  ―――――――――――――――――――――――――――
  タミーノ :おっと、美しいご婦人方、教えてください。
  パパゲーノ:その城にはどう行くのですか。
  3人の侍女:若く、美しく、やさしく、賢い3人の少年が、
        あなた方の旅に見え隠れに付き合います。その
        少年たちが案内してくれるでしょう。彼らの助
        言に従えば、それで良いのです。
  ―――――――――――――――――――――――――――

女性ロッジ/男性ロッジ入信式.jpg
女性ロッジ/男性ロッジ入信式
posted by 管理者 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツァルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月21日

●真の台本作家は誰なのか(EJ第1958号)

 『魔笛』というオペラは、台本は取るに足らないおとぎ話であ
るが、その素晴らしい音楽によって、モーツァルトの代表的なオ
ペラになっていると考えている人が多いと思います。実際にこの
オペラは、劇としての意味はよく分からなくても、全編に流れる
優しい、親しみやすい音楽によって、観客として十分な満足感が
得られることは確かです。
 『魔笛』の台本作家は、エマヌエル・シカネーダーということ
になっています。しかし、ここまでの分析により、シカネーダー
は、演出は担当したものの、このオペラの真の台本作家ではない
のではないかと考えられるのです。
 なぜなら、『魔笛』では、明らかに台本も音楽もフリーメーソ
ン結社の通過儀礼を精緻に描いており、これほどの内容の台本を
シカネーダーに書けるはずがないからです。確かにシカネーダー
は、一時期フリーメーソンであったことがありますが、熱心な会
員ではなく、「職人」以上の位階に昇進できなかったのです。そ
の後、日頃の行いが良くないという理由で、レーゲンスブルグの
彼のロッジ「3つ鍵カール」から破門されているのです。そうい
う男が、これほどの精緻な台本を書けるはずがないのです。
 それなら、一体誰が『魔笛』の台本を書いたのでしょうか。
 確証はないものの、情報を総合すると、イグナーツ・フォン・
ボルンの指導を受けたモーツァルトがあくまで主体となって台本
作りに取り組み、それをシカネーダーやギーゼッケなどがサポー
トしたのではないかと考えられるのです。
 モーツァルトは「恩恵」ロッジに籍を置いていたとはいえ、自
分のロッジよりも、フォン・ボルンが主宰する同系統の「真の調
和」ロッジの方に熱心に出席しており、フォン・ボルンの影響を
大きく受けていたのです。したがって、『魔笛』の制作に当たっ
て、モーツァルトがフォン・ボルンの指導を受けたという可能性
は十分あるのです。
 この台本の解釈を巡って、演出上大きな間違いも出てくるので
す。確証がないのであえて名前を伏せますが、ある高名な指揮者
――音楽ファンでなくても誰でも知っている高名な指揮者は『魔
笛』の演出に当たって、「3人の童子」を「3人の精霊」と解釈
し、舞台上も女性に演じさせています。しかし、これは大きな間
違いということになります。
 確かに「3人の童子」は女声で歌われることが多いのですが、
舞台に出てくるときはあくまで男の子の格好をしていなければな
らないのです。なぜなら、「3人の童子」は、ザラストロ側の人
間であり、通過儀礼において一定の役割を果たしているのであっ
て、必ず男性でなければならない――その理由は既に述べた通り
です。しかるに、その高名な指揮者は、そういうことについて、
全く意を払っていないのです。
 1791年9月30日、『魔笛』は初演されています。その初
演を観る機会を持った観客は、その比類のない音楽の美しさとモ
チーフの豊富さに、それまでのモーツァルトの作品とは違った感
動を示したといいます。それは「熱狂」と呼ぶにふさわしい反応
示したのです。
 上演のたびごとにその熱狂さは増大し、このオペラは、初演以
来16晩連続して上演されたのです。モーツァルトは、最初の3
晩は指揮をとったのですが、そのときモーツァルトの身体はかな
り弱っていて、モーツァルトの弟子のジュスマイヤーが横に座っ
て譜面をめくっていたといいます。
 初演の日、観客は喝采の嵐のなかで、モーツァルトを熱心に呼
び求めたのですが、一向に姿をあらわさなかったというのです。
シカネーダーとジュスマイヤーは、劇場中を探して、隠れている
モーツァルトを探して舞台に立たせたといわれます。
 結局、『魔笛』は、1791年10月は24回上演されており
その売り上げ総額は、8443フローリンを計上したといわれて
います。入場料も安く、劇場も狭かったにもかかわらずこの額は
当時としては信じられない額であったのです。
 しかし、『魔笛』では、モーツァルトに大した収益はもたらさ
なかったのです。それは、シカネーダーがモーツァルトに約束の
謝礼金を支払わなかったからです。当時は、作曲家よりも劇場の
支配人の方が力は強かったからです。
 本来は他の劇場にスコアを売るときは、それはモーツァルトの
収入になるはずだったのに、シカネーダーはその約束を破り、約
束の金を払わなかったのです。
 映画『アマデウス』では、『魔笛』の初演の演奏の最中にモー
ツァルトが倒れた設定になっていますが、実際はそうではなく、
初演以来の上演のたびに、『魔笛』が人気を集めつつあったとき
モーツァルトは、もはや寝床から起き上がるのは困難になりつつ
あったのです。
 そういうときでも、モーツァルトは『魔笛』の公演は気になっ
ていたらしく、ベットでしきりと時計を見ては、「ちょうど夜の
女王が出てくる時刻だ」などとつぶやいていたというのです。そ
れほど、モーツァルトにとってこのオペラは、今までのオペラと
は違う特別な思い入れがあったものと考えられます。
 『魔笛』に関しては、その解釈を巡って諸説があるため、その
演出は大変難しいのです。それは指揮者や演出家がどれだけこの
オペラを知っているかによって、その演出の出来栄えが大きく異
なってくるからです。
 そういう意味で注目されたのは、2005年のザルツブルク音
楽祭での『魔笛』の公演――リッカルド・ムーティの指揮による
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏です。
 次の年にモーツァルト生誕250周年を控えているので、意欲
的な演出が注目されたのですが、期待通りのユニークな演出が行
われて話題となっています。グラハム・ヴィックの演出です。
 ヴィックの『魔笛』の演出は大方の意表をつくものであり、賛
否両論があります。この演出の詳細については、明日のEJでお
知らせしたいと思います。   ・・・ [モーツァルト/36]


≪画像および関連情報≫
 ・『レクイエム』と『魔笛』について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  『レクイエム』と『魔笛』のあいだには、いくつかの類似点
  がある。アインシュタインは、メーソン的要素が、教会の葬
  儀に浸透していただろうと考えている。バセットホルンとト
  ロンボーンを演奏する冒頭部『レクイエム』の厳粛な曲の流
  れは、オペラの方の厳粛な場面を想起させるし、また、「妙
  なるラッパ」のなかのいくつかの言葉は、『魔笛』の言葉に
  似ている。
      ――キャサリン・トムソン著/湯川新/田口孝吉訳
   『モーツァルトとフリーメーソン』より。法政大学出版局
  ―――――――――――――――――――――――――――

3人の童子.jpg
3人の童子
posted by 管理者 at 03:58| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツァルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月22日

●意表をつくヴィックによる新演出(EJ第1959号)

 2005年のザルツブルグ音楽祭においては、モーツァルト生
誕250周年の前年ということで、モーツァルトについては、3
つのオペラ――『魔笛』、『ポントの王ミトリダーテ』、『コシ
・ファン・トゥッテ』が新演出で演奏されたのです。
 そのうち、『魔笛』に関しては、次の指揮者、演出者によって
演奏されています。
―――――――――――――――――――――――――――――
              モーツァルト作曲/歌劇『魔笛』
     リッカルド・ムーティ指揮/グラハム・ヴィック演出
            ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
―――――――――――――――――――――――――――――
 2005年の『魔笛』の新演出の模様のご紹介は、広島大学大
学院文学研究科論集/第65巻による河原俊雄氏の論文に基づい
ています。
 『魔笛』では、序曲が終わって第1幕の幕が上がると、うっそ
うとした奥深い森の中のシーン。そこに、いきなり、タミーノが
「助けてくれ!」と叫びながら、舞台の奥から飛び出してくるの
です。その後から、巨大な蛇がタミーノを追いかけてきます。
 演出によりますが、多くの場合、大蛇は中に人が入ったぬいぐ
るみで、ぜんぜん怖さを感じないのです。まさに子供騙しそのも
のです。いかにもシカネーダーらしい演出といえます。
 ところが、ヴィックの演出はぜんぜん違うのです。幕が上がる
と、そこは森の中などではなく、小さな部屋――すなわち、タミ
ーノの部屋なのです。そこには、熱帯魚の水槽があり、サーフボ
ードが置いてあり、PCまであるのです。
 そこに蛇が登場してきます。それも小さな青大将ぐらいの蛇な
のです。しかし、タミーノは大げさに救いを求めます。「助けて
くれ!」「助けてくれ!」と。そして、ベットの上で気絶してし
まうのです。
 もっとも、蛇の好きなことは別として、舞台の上で明らかにぬ
いぐるみとわかる大蛇が出てくるよりも、自分の部屋に青大将程
度の大きさの蛇があらわれたときの方が怖いとは思います。しか
し、気絶までするのは大げさではありますが・・・。
 それでは、蛇を退治するために登場する3人の侍女はどこから
出てくるのかというと、壁からスルリと出てくるのです。衣装は
部屋の壁紙の柄や色と同じなのです。3人の侍女は蛇を退治する
と、気絶しているタミーノを眺め、あれやこれや美少年を賛美し
て、触りまくるのです。
 それならば、パパゲーノはどこから出てくるのでしょうか。そ
れは東京ガスのCMのように洋服ダンスから出てくるのです。例
のガス・パッ・チョです。毛皮のようなタッチの緑色の長いコー
トを着て、どことなく、ヒッピー風のスタイルで登場します。
 こういう展開でわかるように、ヴィックは『魔笛』の台本で指
定されている状況をできる限り、日常的な世界に置き換えようと
しているわけです。
 それでは、パミーナの肖像画を見せられてアリアを歌う場面は
どうなっているのでしょうか。ヴィックは肖像画をパミーナのポ
スターにしているのです。そのポスターを部屋の床の上に広げて
見入るタミーノ。そして、思わずアリアを歌う。10代後半の年
齢のタミーノであれば、あってもおかしくはないといえます。一
目惚れです。
 どちらかというと『魔笛』では、最初からタミーノを神々しい
特別な青年としてとらえ、オペラの主役にして、王子が数々の苦
難を乗り越えて理性と道徳と叡知を身に着けてザラストロの後継
者となるプロセスを画く演出をするのが多いのです。
 しかし、ヴィックの演出では、タミーノを若くて未熟な青年と
して突き放し、客観的に見ているところがあります。この演出は
正しいのです。10代後半の若者は未熟であって当然であり、そ
ういう若者が、最終的にザラストロの後継者になるということが
観客に素直に納得できるかどうか。それは、以後のさまざまな試
練を彼が乗り越える演出にすべてがかかっているといえます。
 タミーノの未熟さ、軽薄さは、音楽の付かないパパゲーノとの
次の対話でよく表現されています。『魔笛』の台本は、もともと
そのように表現されているのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 タミーノ :君は陽気な人なんだね。誰なのか教えてくれる?
 パパゲーノ:誰なのかだって。ばかな質問だね。あんたと同じ
       人間さ。それじゃ、今度はこっちが誰なのかって
       聞いたら?
 タミーノ :そうしたらこう答える。王家の血筋の者だって。
―――――――――――――――――――――――――――――
 タミーノにとっては、「王子」とは自分を他人と識別できる唯
一の社会的属性だと思っています。しかし、同然のことながら、
それはパパゲーノにとっては何の意味もないことなのです。王子
である前に人間である――これが重要なのです。
 これと関連あるやり取りが、弁者とザラストロの間で行われて
いるのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 弁者   :・・・私はこの若者のことが心配なのです。もし
       もです。もしも苦痛に打ちひしがれ、精神に見捨
       てられ、厳しい戦いに屈するようなことにでもな
       ったら、彼は王子ですよ。
 ザラストロ:それ以上だ。彼は人間だ。
―――――――――――――――――――――――――――――
 「王子である以前に人間である」――タミーノとパパゲーノと
のやり取り、弁者とザラストロとのやり取り、ともに同じことを
いっています。この意味において、パパゲーノはザラストロの考
えは同じであり、タミーノにそれを気づかせる存在となっている
のです。ヴィックの演出はそのあたりのことを意識してやってい
ると考えることができます。  ・・・[モーツァルト/37]


≪画像および関連情報≫
 ・ザルツブルグ音楽祭について
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ザルツブルク・フェスティヴァル/ザルツブルク音楽祭は、
  オーストリアのザルツブルグで開かれる音楽祭である。毎年
  夏に行われる。モーツァルトを記念したフェスティヴァルと
  して、世界的に知られている。ウィーン・フィルを始め、世
  界のトップオーケストラ、歌劇団、指揮者が集うこのフェス
  ティヴァルは、世界でもっとも高級かつ注目を浴びる音楽祭
  であるが、あくまで演劇部門が大きなウェイトを占めており
  本来ならば「音楽祭」と呼ぶのは不適当(原語であるドイツ
  語名称は「ザルツブルクの祝祭」という意味でしかない)で
  あるが、日本では慣習上「音楽祭」と呼称している。ここで
  も、以降は便宜上「音楽祭」と呼称する。
                    ――ウィキペディア
  ―――――――――――――――――――――――――――

ヴィック演出の『魔笛』のシーン.jpg
ヴィック演出の『魔笛』のシーン
posted by 管理者 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツァルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月25日

●ザラストロの国をどう描くか(EJ第1960号)

 グラハム・ヴィッツの『魔笛』の新演出について、論評を続け
ることにします。『魔笛』を演出するさい、一番問題となるのは
ザラストロの王国をどのように描くかです。
 『魔笛』におけるザラストロの王国は、そこはフリーメーソン
の世界であり、理想の国――神々の国という描き方をするのが一
般的です。そうでないと、その国の一員になるのを目指して厳し
い試練を受けることとの整合性がとれなくなるからです。
 しかし、『魔笛』の台本で設定されているザラストロの王国は
必ずしも理想の国とはいえないようです。ヴィックと一緒にドラ
マトゥルギー(作劇)を担当しているデレック・ヴェーバーは、
ザラストロの王国について次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 タミーノはザラストロの世界に入り込む。そこでは1人の誘拐
 された娘が選ばれた者をおびき寄せるためのおとりとして監視
 されている。その社会は上辺はきれいだが、その下には汚い暗
 黒の世界があり、その世界なくしてはこの社会は存続すること
 はできず、その社会には奴隷集団を引き連れたモノスタトスの
 ような人物が棲んでいる。    ――デレック・ヴェーバー
            ――広島大学大学院文学研究科論集/
            第65巻による河原俊雄氏の論文より
―――――――――――――――――――――――――――――
 あえていうまでもないことながら、上記の文中にある「誘拐さ
れた娘」とはパミーナのことであり、「選ばれた者」はタミーノ
を意味しています。確かに奴隷制度に支えられているザラストロ
の王国には大きな矛盾があります。このザラストロの王国の持つ
矛盾について次のような表現があります。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ザラストロは、アメリカ合衆国の北部では人権を唱えながらも
 同時に南部では216人の奴隷を所有し、そこに何ら非道徳性
 を感じなかったジョージ・ワシントンに等しい。
               ――上記河原俊雄氏の論文より
―――――――――――――――――――――――――――――
 それでは、ヴィックはザラストロの国をどのように表現したの
でしょうか。
 第2幕が始まると、観客はあっと驚きます。それは、ザラスト
ロの国の住民が全員老人――それもかなり高齢の老人ばかりだか
らです。点滴を受けている老人、本を読んでいる老人、居眠りを
している老人、ぼんやり虚空を見つめる老人――まさに老人のオ
ンパレードなのです。
 その中にあって、舞台の中央では鎧を着た2人の若い男が黙々
とシャベルで穴を掘っているのです。彼らは、ザラストロの高齢
社会を支えている労働者なのです。彼らがいないとこの社会は成
り立たないのですが、若者の人数が圧倒的に足りないのです。2
人という数がそれを示しています。
 これは、明らかに現代の社会――いやごく近未来の社会そのも
のといってよいと思います。そこには未来に対する夢もなく、迫
り来る死の恐怖を免れるために宗教にしがみつく――そういう宗
教社会をヴィックは『魔笛』の中で、ザラストロの国として描き
出したのです。
 それでは、ザラストロの国の入り口にある3つの門はどのよう
に表現されたのでしょうか。
 ザラストロの3つの門――「自然」「叡知」「理性」のそれぞ
れの門は、いかめしい感じがするのですが、ヴィックは、客席か
ら見て、右側の門の上には「鳥かご」、中央の門の上には「地球
儀」、そして左側の門の上には「積み上げられた書籍」が置くと
いう演出をしています。
 結局、タミーノに扉を開くには、「積み上げられた書籍」が置
いてある左の門だったのです。これは、まだ多くのものが欠けて
いた10代後半のタミーノに対して、熱心に勉学に取り組み、知
識を増やすことをザラストロの国では求めていたことを示してい
るのです。しかし、そのようにしてたどりついた社会が老人ばか
りの高齢社会だったというわけです。
 このヴィック演出の『魔笛』を見た観客をギョッとさせるシー
ンは他にもたくさんあるのです。そのひとつに、第1幕の後半に
タミーノが魔法の笛を吹くと、森の中からたくさんの動物が出て
くるのですが、それらの動物のいくつかを狩猟姿のザラストロや
その配下が射殺するシーンです。これは、ザラストロの国が持っ
ている危険な一面をヴィックは知らせているものと思われます。
 もうひとつは、タミーノとパミーナの火と水の試練――これを
ヴィックは、なんとロシアン・ルーレットに変えてしまっている
のです。タミーノとパミーナは、互いに抱き合いながら、銃を頭
に当てて、引き金を引くのです。1発目は「カチッ」という音が
して空砲、続いて2発目も空砲だったのです。これで試練は終り
です。このヴィックの演出について、河原俊雄氏は次のように述
べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 試練などといっても、それ自体何の意味もないし価値もない。
 ロシアン・ルーレットと同じ。しかし命がけであることには変
 わりがない。炎の試練や水の試練を2人でくぐり抜けるぐらい
 の心理的な恐怖と危険はある。しかし、この試練自体に何らか
 の特別の意味があるわけではない。その主張は明快だ。神秘的
 なものや高速なものを具体的で現実的なものに読みかえる。こ
 の姿勢は一貫している。   ――上記河原俊雄氏の論文より
―――――――――――――――――――――――――――――
 この火と水の試練は、最も厳しい、死に直面する試練といいな
がら、オペラでは実に簡単に済んでしまうことに違和感を覚える
観客もいるはずです。ただ、フルートが単純なメロディをかなで
るだけです。おそらく演出上最も難しいシーンであると思うので
す。それをロシアン・ルーレットに変えてしまうとは・・・驚く
べき新演出です。       ・・・[モーツァルト/38]


≪画像および関連情報≫
 ・ザルツブルグ音楽祭/2006のブログより
  ―――――――――――――――――――――――――――
  2006年のザルツブルグ音楽祭で最後に聴いたプログラム
  は、アーノンクール指揮のウィーンフィル、モーツァルトの
  後期三大交響曲でした(2006年8月25日)。交響曲第
  39番。1−4楽章を通じて早めのテンポで統一感があり、
  テンポを変えながら起承転結を作る演奏とは異なる解釈。古
  学奏法は、ピリオド奏法で、どちらかと言うと音が小さくな
  りがちと理解していましたが、古学奏法で耳に優しいながら
  もウィーンフィルは大音響を奏でていて、衝撃的な演奏。特
  筆すべきは第3楽章。曲の印象を左右するティンパニの4音
  大き目で乾いた3音に続き、4音目はばちを反対にクルリと
  回して軽く打つ演奏に固唾を呑んでしまいました。
http://blogs.yahoo.co.jp/classicstation2006/4745434.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

ロシアン・ルーレット.jpg
ロシアン・ルーレット
posted by 管理者 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツァルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月26日

●酷評のヴィック『魔笛』新演出(EJ第1961号)

 グラハム・ヴィックの演出では、夜の女王はどこから現われる
のでしょうか。
 3人の侍女は壁から、パパゲーノは洋服ダンスから現われたの
ですが、夜の女王はベットの下から登場したのです。それも、ネ
グリジェ姿で現われたのです。そして、タミーノにすがるように
威圧するように「娘を助けてくれ!」と懇願したのです。客席か
らはクスクス笑う声が聞こえたといいます。
 『魔笛』というオペラは、演出する立場から考えてみると、要
素として次の4つがあることがわかります。
―――――――――――――――――――――――――――――
  1.メルヒェン的要素    3.ユートピア的教義
  2.民衆・大衆劇要素    4.偉大なる愛の物語
―――――――――――――――――――――――――――――
 これらの要素のどれに重点を置き、それらをどのように組み合
わせてオペラを演出するかということになります。そのさい、欠
かせないのが、ザラストロの国をどのように描くかなのです。
 ハリー・クプファーという旧東ドイツ出身の演出家がいます。
彼の演出としては、ワーグーナーの楽劇『指輪』の演出が有名で
すが、非常に多くのオペラを演出しているのです。
 そのクプファーの新演出による『魔笛』では、ザラストロの国
を旧東ドイツの政治体制を持つ官僚社会として演出しています。
その時点で東ドイツはまだ崩壊していないのです。これについて
河原俊雄氏は次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ベルリンのコーミッシェ・オーバーでの70年代80年代のク
 プファーの演出では、ザラストロの世界を旧東ドイツの政治体
 制を戯画化した官僚社会と規定し、タミーノはその社会に洗脳
 されて最後にはそこに所属することになる。パミーナはそのタ
 ミーノの姿を見て戸惑い、最後には踏みとどまり、一緒にはそ
 の社会に入らない。クプファーの演出では、ザラストロの世界
 は明らかに理想的な世界ではなく、非人間的な世界である。
            ――広島大学大学院文学研究科論集/
            第65巻による河原俊雄氏の論文より
―――――――――――――――――――――――――――――
 90年代になって東ドイツが崩壊すると、クプファーはザラス
トロの世界を共産主義が支配する官僚社会からコンピュータの支
配する管理社会に変えているのです。
 それまでの『魔笛』におけるタミーノという役柄は、神の国に
入る「選ばれし者」として神格化する傾向があったのですが、ク
プファーは、タミーノをして自らの位階を上昇させる出世欲にし
か関心がなく、自らの社会のありようには無批判な人物としてと
らえています。
 タミーノを神格化しないという点ではヴィックも同様ですが、
彼は決してタミーノを、クプファーのように否定していないので
す。ヴィックはタミーノをまだ世間のことを知らない、どこにで
もいるハイティーンとしてとらえているのです。
 ヴィックは、ザラストロの世界を来るべき高齢社会として演出
しているのですが、ザラストロはタミーノを「選ばれし者」とし
てパミーナと一緒に自分の世界に引き入れようとします。ザラス
トロはやがて「選ばれし者」――すなわち、救世主が現われて、
この衰退しきった社会を救ってくれると考えているのです。
 この点については、夜の女王も同じなのです。彼女もタミーノ
を「選ばれし者」としてとらえており、ザラストロとの間で自分
の娘であるパミーナをからめて、タミーノの争奪戦の様相を演じ
ているのです。
 「選ばれし者」――救世主といえば、映画『マトリックス』を
連想します。機械化軍団に追い詰められてどうにもならなくなっ
たザイオンにおける人間社会――彼らはひたすら救世主を求め、
その役割をネオが演ずる――あの映画『マトリックス』に大変似
ていると思います。事実、ヴィックの演出の評価にはその点を指
摘した評論家はたくさんいるのです。
 はっきりいって、このヴィック演出の『魔笛』の評判はさんざ
んのものです。2005年8月4日付、ツァイト紙に掲載された
評論家C・シュパーンの批評は、ヴィックの新演出の『魔笛』を
「ファンタジー・ショウ」であると断じ、皮肉たっぷりに次のよ
うに述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 舞台の上では金切り声の寄せ集めがひっきりなしに動き回り、
 舞台の下のオーケストラ・ボックスでは本物の輝きが瞬く。
           ――C・シュパーン/河原氏の前掲論文
―――――――――――――――――――――――――――――
 つまり、C・シュパーンは、リッカルド・ムーティの指揮によ
るウィーン・フィルの演奏はいうことはないほど素晴らしいが、
ヴィックの演出とはまるで合っていないということをいいたかっ
たものと思われます。
 フランクフルト・アルゲマイネ・ツァイテュング紙上で、J・
シュピノーラは、ヴィック演出を次のように批評しています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 時代に沿った魔法の等価物を彼は求めた。その魔法について彼
 はほとんどわかっていないように思える。その結果、気の抜け
 た代用品以上のものは見つけられなかった。ヴィックの演出は
 『マトリックス』や『ハリー・ポッター』のファンタジー美学
 を真似したのだが、映画はそれをもっとうまくやれる。
          ――J・シュピノーラ/河原氏の前掲論文
―――――――――――――――――――――――――――――
 J・シュピノーラはかねてから『魔笛』の演出は、何らかの明
確な主張を持っている者がやるべきであるといってきた人ですが
ヴィックのこの演出には不満であったと思われます。
 このように『魔笛』には、さまざまな解釈とそれに基づく演出
が考えられるのです。     ・・・[モーツァルト/39]


≪画像および関連情報≫
 ・ヴィック新演出のその他の批評
  ―――――――――――――――――――――――――――
  いずれの論調も厳しい。酷評といってもいい。しかしこれら
  の新聞評に共通するのは、映画『マトリックス』のイメージ
  を借用したという点に対する批評である。しかし、映画『マ
  トリックス』と『魔笛』を重ねるということがヴィックの演
  出の眼目ではない。これはあくまでも枠組みの設定なのだ。
  その枠組みの中で彼が表現したいくつかの重要なメッセージ
  についてはいずれの批評もまったく言及していない。
                   ――河原氏の前掲論文
  ―――――――――――――――――――――――――――

ベットの下から現われた夜の女王.jpg
ベットの下から現われた夜の女王
posted by 管理者 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツァルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月27日

●『レクイエム』とモーツァルトの死(EJ第1962号)

―――――――――――――――――――――――――――――
 ちょうど今、僕の忠実な召使の一世殿が持ってきてくれた値の
 はる蝶鮫を一切れ食べたところだ。今日はなんだか食欲がある
 ので、できればもう少し何か買って来てくれるよう、彼を使い
 に出した。
――アントン・ノイマイヤー著/礒山稚・大山典訳 『ハイド
ンとモーツァルト/現代医学のみた大作曲家の生と死』 より。
東京書籍刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 これは、1791年10月8日にモーツァルトが、バーデンに
温泉治療に行っているコンスタンツェに出した手紙です。文中に
「一世殿」とあるのは従僕のダイナーのことです。手紙の内容が
本当かどうかはわかりませんが、これを見る限りではこの時点で
モーツァルトは食欲もあって大変元気だったようです。ところが
モーツァルトは、それから58日後の12月5日に亡くなってい
るのです。35歳の短い生涯だったといえます。それにしても何
が原因の急死なのでしょうか。
 20回にわたって、『魔笛』の謎について分析しましたが、今
日からこのテーマの最後として、「モーツァルトはなぜ早死にし
たか」について述べていきます。
 モーツァルトの死と不思議な依頼人によって彼が死の直前まで
書いていた「レクイエム」とは不思議な関連があるのです。映画
『アマデウス』では、仮面をつけたサリエリがモーツァルトを訪
ねてきて「レクイエム」の作曲を依頼する話になっていますが、
これは事実ではないのです。
 モーツァルトに「レクイエム」の依頼をしてきたのは、フラン
ツ・ヴァルゼック伯爵であるといわれています。しかし、依頼者
の名前は依頼者の希望によって伏せられており、モーツァルトの
友人でホルン奏者のライトゲープを通し、ブフベルクの仲介によ
り依頼がもたらされたのです。相当高額の手付金を支払う条件で
あり、完成時期についても厳しい注文はなく、モーツァルトにと
って悪い仕事ではなかったのです。
 ヴァルゼック伯爵は若くして亡くなった妻を悼むために鎮魂の
ミサの作曲をモーツァルトに依頼したのです。しかし、モーツァ
ルトは、依頼を受けた当時『魔笛』の作曲を行っており、その他
プラハでの戴冠式のためのオペラ『皇帝ティトスの慈悲』を書く
仕事もあって忙しかったのですが、コンスタンツェの積極的な勧
めもあって引き受けたのです。
 ヴァルゼック伯爵がなぜ自分の名前を隠して依頼したかについ
ては理由があります。ヴァルゼック伯爵は、シュトゥパハ城に住
んでいて、ここに客を招いて室内楽の夕べをよく催したのです。
そういう折に、そのとき演奏された曲の作曲者をお客に問い、当
てさせることを好んだといわれます。
 したがって、妻の鎮魂ミサを演奏するとき、作曲者を隠してお
くことによって、それを当てさせる楽しみのために依頼者の名前
を伏せたのではないかと考えられています。実は、モーツァルト
の財政の危機をたびたび救っているブフベルクの家の持主はヴァ
ルゼック伯爵であり、そのつながりでモーツァルトへの作曲の依
頼があったのです。
 しかし、この「レクイエム」はいろいろな意味でモーツァルト
を精神的に不安定にしたのです。な゛゜なら、モーツァルトは、
「レクイエム」の作曲に驚くほど熱心に真剣に取り組んだのです
が、そうすると必ず体調が悪くなり、不快な気分になることが多
くなったからです。そういうモーツァルトの様子を心配してコン
スタンツェは夫から譜面を取り上げたこともあるのです。
 ヴァルゼック伯爵の使者はときどきモーツァルトの前に現われ
て「レクイエム」の進行状態を聞きにきています。忙しさに追わ
れてなかなか「レクイエム」を完成のできないモーツァルトは、
催促の使者の影に次第に怯えるようになっていきます。
 1791年6月のある日、モーツァルトとコンスタンツェは、
ウィーンのプラーター公園を散策中にモーツァルトはコンスタン
ツェに次のようにいったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 僕は自分のために「レクイエム」を書いている。僕はもう長く
 ない。きっと毒を盛られたんだ。その考えを振り払えない。
                     ――モーツァルト
―――――――――――――――――――――――――――――
 この話の真偽はわかりませんが、モーツァルトはその毒の名前
までいったというのです。その毒の名前は「アクア・トファナ」
――18世紀によく知られた毒薬です。『モーツァルトとコンス
タンツェ』の著者であるフランシス・カーは、「アクア・トファ
ナ」について次のように述べています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 この毒薬は、17世紀にシチリアの女性テオファニア・ディ・
 アダモとその娘のナポリのジュニアが発明したのである。16
 59年、ローマで大勢の男が死ぬという事件があった。ローマ
 警察が死因を究明したところ、彼らはその妻たちによって毒殺
 されたことが判明したが、この大量殺人に使われた毒薬がじつ
 はアクア・トファナだった。毒薬の発明者である2人の女性は
 その年ローマで逮捕された。   ――フランシス・カー著/
     横山一雄訳『モーツァルトとコンスタンツェ』より。
                       音楽之友社刊
―――――――――――――――――――――――――――――
 アクア・トファナは白砒素、アンチモン、酸化鉛の混合物なの
です。すぐに死にいたることはなく、徐々に効果をあらわし、自
然の苦痛のように診断される特徴を持っているのです。
 しかし、モーツァルトは死の数ヶ月前から、しきりと毒を盛ら
れたというようになっていたのです。ちょうどそれと時期を同じ
くして「レクイエム」の作曲に取り組んでいたので、とくにそう
いう妄想を抱くようになっていたのです。モーツァルトは誰が毒
を盛ったと考えていたのでしょうか。・[モーツァルト/40]


≪画像および関連情報≫
 ・死とレクイエムについて
  ―――――――――――――――――――――――――――
  キリスト教では死者のためのミサ曲であるレクイエムが用い
  られる。死者の霊が最後の審判に当たって、天国に入れられ
  ることを願う目的で行なうミサのことである。レクイエムと
  いう言葉は、カトリック教の式文が「彼らに永遠の安息を与
  えたまえ」で始まることから取られた。死者が天国に入れる
  ように神に祈る典礼であって、死者の霊に直接働きかけるも
  のではない。したがって、鎮魂曲、鎮魂ミサという呼称は適
  当ではない。
  http://www.osoushiki-plaza.com/institut/dw/199006.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

大作曲家の生と死/ハイドン・モーツァルト.jpg
大作曲家の生と死/ハイドン・モーツァルト
posted by 管理者 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツァルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月28日

●反対派が送り込んだジュスマイヤー(EJ第1963号)

 モーツァルトほどの大音楽家になると、音楽を目指す若者が弟
子として入門したいと大勢申し出るはずです。しかし、当のモー
ツァルトは極力弟子はとらない方針でやってきたのです。
一曲でも多くの曲を作曲して曲を残したい――モーツァルトはそ
う考えていたからです。
 モーツァルトは、若いときから死と正面から向き合う独特の死
生観を持っており、漠然とではあるものの、自分の人生は短いと
悟っていたふしがあります。したがって、弟子の指導に時間を取
られるよりもその時間に作曲したいと考えていたのです。
 そのため、モーツァルトは宮廷などに職を得ることによって、
定収入を得ようと必死になったのです。幸いモーツァルトにとっ
ては、皇帝ヨーゼフ2世のバックアップがあったのです。少なく
とも、1790年2月20日にヨーゼフ2世がなくなるまではそ
の方針でやってこれたのです。
 モーツァルトは、ヨーゼフ2世に代わって皇帝を襲位したレオ
ポルト2世に対して、宮廷の副楽長を与えてくれるよう請願書を
出しています。その理由として、サリエリ楽長は教会音楽には精
通していないが、自分は若い頃から教会音楽の様式を熟知してい
るので、副楽長としてやっていける――こういう主張を請願書に
盛り込んでいたのです。
 このモーツァルトの要求は、彼の実力からいっても当然過ぎる
ものだったのですが、モーツァルトは宮廷のエスタブリッシュメ
ントたちに警戒されていたのです。それにレオポルト2世はヨー
ゼフ2世と違って、音楽についての関心も低く、サリエリ楽長の
一派にまかせ切りだったのです。そのため、モーツァルトの請願
書は無視されてしまったのです。
 宮廷の副楽長の地位が得られないとわかったモーツァルトは、
弟子を取ることを決意して、ブフベルクに依頼の手紙を出してい
ます。それに応じて弟子として志願してきたのが、24歳の美青
年で、後でいろいろと問題になる次の弟子です。
―――――――――――――――――――――――――――――
      フランツ・クサヴァー・ジュスマイヤー
―――――――――――――――――――――――――――――
 その頃モーツァルトが疑心暗鬼になっていたことがあります。
それはモーツァルトの締め出しの動きが、単に宮廷からの追い出
しに止まらず、自分の周辺にまで及んでくる気配だったのです。
具体的にいうと、モーツァルトとコンスタンツェの間を意図的に
引き裂こうとする反対派の動きです。
 というのは、コンスタンツェには浪費癖があり、人づきあいに
にも問題があって、モーツァルトとしては、彼の反対派がそこに
つけ込んでくることを恐れていたのです。
 それは、コンスタンツェを残してモーツァルトが少し長い旅に
出るときなどに、モーツァルトが妻に対して送った異常ともいえ
る内容の次の手紙を見ればわかると思います。ここでいう長い旅
とは、1789年にリヒノフスキー侯爵に要請され、同行せざる
を得なかった2ヶ月間にわたる北ドイツへの旅のことですが、こ
れについては、EJ第1939号をご覧ください。
―――――――――――――――――――――――――――――
 ねぇ、お前、ぼくから、たくさんのお願いがあるんだよ。第一
 に、淋しがるな。第二に、からだに気をつけ、春の外気に気を
 許すな。第三に、独りで出歩くな。一番いいのは、全く出歩か
 ないこと。第四に、僕の愛情を確信すること。ぼくはお前のか
 わいい肖像を目の前に置かないでお前に手紙を書いたことは一
 度もない。
   ――真木洋三著、『モーツァルトは誰に殺されたか』より
                       読売新聞社刊
−――――――――――――――――――――――――――――
 モーツァルトはこれ以外に妻の親戚や自分の友人に、ときどき
家に行って、コンスタンツェの様子を見てくれるよう頼み、コン
スタンツェ自身には手紙で、どういう人が訪ねてきたかについて
出来るだけ頻繁に手紙で知らせるよう書いています。頼んだ人が
本当に行ってくれているのか知りたかったのでしょう。
 最愛の妻を心配する夫の行為といえなくはありませんが、少し
常軌を逸しているといっても過言ではないと思います。そこには
コンスタンツェの軽率な言動をモーツァルト反対派につけ込まれ
ることを恐れていたものと考えられます。
 モーツァルトは、弟子に応募してきたジュスマイヤーにいくつ
かの質問をしています。「今まで誰かに教わったことはあるか」
という問いに対して、ジュスマイヤーは「自己流」と答えている
のですが、モーツァルトはそれをうそと見抜いたのです。ピアノ
の弾き方を見れば自己流では絶対にできない相当の腕前であった
からです。そういうことから、モーツァルトはジュスマイヤーは
反対派から送り込まれたスパイと考えていたふしがあります。
 ジュスマイヤーはモーツァルトの弟子になると、作曲の手伝い
をしたり、写譜をしたりして、モーツァルトをサポートしていま
す。モーツァルトには他にも何人か弟子はいたのですが、現在で
もジュスマイヤーの名前が残っているのは、彼がモーツァルトの
未完の「レクイエム」を補筆完成させたことにあるといえます。
 さらにもうひとつ、ジュスマイヤーはモーツァルトの指示を受
けて、コンスタンツェのバーデンでの脚の治療のサポートをして
います。しかし、このコンスタンツェの病気というのが今ひとつ
はっきりしないのです。
 モーツァルトの作品がますます輝きを増して、『魔笛』が大成
功しているにもかかわらず、モーツァルトが依然として多額の借
金をしなければならなかったのは、コンスタンツェの病気の治療
費の支払いが巨額であったことが原因であるといわれています。
 それもウィーンから25キロ離れた郊外にあるバーデンでの温
泉治療であり、馬車代や宿泊代など、多額の費用がかかったので
す。モーツァルトはこともあろうに妻の治療のサポートにジュス
マイヤーを同行させているのです。・・[モーツァルト/41]


≪画像および関連情報≫
 ・「レクイエム」にからむ2人の人物
  ―――――――――――――――――――――――――――
  CD業界には不思議な偶然が重なることがある。今回もまさ
  にそう。モーツァルトのレクイエムに絡む二人の作曲家の珍
  しい作品が同時期に登場することになったのである。ジュス
  マイヤーとアイブラー。有名なのはもちろんジュスマイヤー
  で、現在彼は“モーツァルト・レクイエムの補筆完成者”と
  して世界中で知られる。だが、彼の作品がCDとして登場す
  ることはきわめて珍しい。もちろんレクイエムのCDは現在
  存在しない。そしてもうひとりはアイブラー。モーツァルト
  のレクイエムの補筆完成を最初に依頼されながら、断念した
  人である。
      http://www.aria-cd.com/oldhp/yomimono/vol30.htm
  ―――――――――――――――――――――――――――

モーツァルトとジュスマイヤー.jpg
モーツァルトとジュスマイヤー
posted by 管理者 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツァルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月29日

●モーツァルトは病死か毒殺か(EJ第1964号)

 モーツァルトの死の原因は何か――これは今日においても大き
な謎となって残っています。それは、死亡年齢が35歳という当
時でも信じられないほどの若死にだったからです。
 もちろん公式には「病死」ということになっています。妻のコ
ンスタンツェの第2の夫のニッセンは、モーツァルトの最後の病
を次のように書いています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 彼が病床に伏した死病は、15日間続いた。それは両手足に腫
 張をきたし、ほとんど動かせなくなることから始まった。その
 後、突然の嘔吐が続いたこの病気は急性粟粒疹熱と言われた。
 死の2時間前まで、彼は意識があった。
 ――アントン・ノイマイヤー著/礒山稚・大山典訳、『ハイド
    ンとモーツァルト/現代医学のみた大作曲家の生と死』
―――――――――――――――――――――――――――――
 「急性粟粒疹熱」というのは病名ではないのです。当時ウィー
ンでは、ウィルス性感冒が流行していて、この流行感冒にかかる
と、発熱時に激しい発汗があり、小水泡様の部分的に化膿した皮
膚発疹がしばしば生ずるので、それを「急性粟粒疹熱」といった
のです。したがって、これは病名ではなく、病気の結果生ずる症
状なのです。それなら、病名は何でしょうか。
 モーツァルトの臨終の場にいたのは、医師のクロセット、妻の
コンスタンツェ、コンスタンツェの妹のゾフィーの3人であった
といわれます。
 したがって、ニッセンが『モーツァルト伝』を記述するとき、
モーツァルトの臨終の模様の詳細を妻から聞いて書いていると誰
でも考えますが、実はニッセンは妹のゾフィーから聞いているの
です。なぜなら、ニッセンがコンスタンツェに何度聞いても、彼
女はなぜか口を閉ざして何も話さなかったからです。
 それでは、クロセットという医師が診断しているのに、なぜ正
式な病名を書いていないのでしょうか。死亡診断書と聖シュテフ
ァン教会事務局の死者台帳には「急性粟粒疹熱」と書かれている
だけなのです。
 ところで、モーツァルトが死亡したのは、1791年12月5
日午前0時55分です。その前にモーツァルトが人前に出たのは
11月18日、フリーメーソンの会合だったのです。そのときは
とくに外見上モーツァルトに何の異常もみられなかったのです。
しかし、それから2日後の11月20日にモーツァルトは流行性
感冒を患って床につき、その2週間後に亡くなったということに
なっています。
 12月5日に亡くなっているにもかかわらず、ウィーンの市民
がモーツァルトの死を知ったのは、12月7日になってからなの
です。同日付の「ウィーン新聞」は次のように伝えています。
―――――――――――――――――――――――――――――
 今月4日から5日にかけての晩、当地において、皇王室付き宮
 廷作曲家ヴォルフガング・モーツァルト氏が死去した。彼はま
 れに見る音楽的才能によって、すでに幼少よりヨーロッパ全土
 にその名を知られており、卓越した天賦の才能を首尾よく発展
 させ、それを一貫して使い続けることによって、最も偉大な巨
 匠への階段を昇り詰めた。そのことは広く愛され、賛美された
 彼の作品が証明している。これらの作品は、彼の死によって高
 貴なる音楽がこうむった取り返しのつかない損失の大きさを示
 している。――1791年12月7日付「ウィーン新聞」より
―――――――――――――――――――――――――――――
 1791年といえば、3大交響曲、歌劇『魔笛』などの成功に
よって、モーツァルトはウィーンの話題の中心だったはずです。
そのモーツァルトの死が、2日も遅れて報道されること自体がお
かしいといえます。
 まして、モーツァルトの葬儀はその前日の6日に終っていて、
市民は誰ひとりとして葬儀には参加できなかったのです。いや、
ウィーン市民どころか、後で述べる理由によって、妻のコンスタ
ンツェをはじめ、モーツァルトの近親者も霊柩馬車に乗って途中
まで行ったものの、途中で降りてしまい、誰も墓地まで行ってい
ないのです。これは明らかに異常なことです。
 そうこうしているうちに、1791年12月12日付のベルリ
ンの「音楽週報」に次のような記事が載ったのです。
―――――――――――――――――――――――――――――
 モーツァルトが亡くなった。彼はプラハから病気のまま帰国し
 それ以来ずっと患っていた。彼は浮腫とみなされており、先週
 末、ウィーンで死去した。死後体がふくれたので、毒殺された
 のではないかと考えられている。
       ――1791年12月12日付「音楽週報」より
―――――――――――――――――――――――――――――
 これが毒殺説が広まった発端なのです。もちろん「音楽週報」
の通信員は確たる根拠を持ってこれを書いたのではないのです。
ただ、死体の状況がどこからともなく伝わってきて、それを毒殺
に結びつけたに過ぎないのです。
 それに18世紀の社会的風潮として、有名な人物が突然死した
りすると、それを不自然な死因と結びつけてしまう傾向があった
のです。そのため、この記事を発端として、毒殺説は拡大して後
世に伝えられることになったのです。
 病死説と毒殺説――真相はどちらなのでしょうか。
 この結論は現代においてもまだ出ていないのです。そこでEJ
では、いろいろな情報を基にして、この後その謎に迫っていきた
いと考えています。次のような詩の一節があります。タイトルは
「モーツァルトの死に寄せて」です。
―――――――――――――――――――――――――――――
 人類と音楽の名誉にかけて望みたい。このオルフェウスが自然
 死を遂げたのであることを!
        ――ヨハン・イーザック・フォン・ゲルニング
――――――――――――――――・・[モーツァルト/42]


≪画像および関連情報≫
 ・映画『アマデウス』の原作
  ―――――――――――――――――――――――――――
  ロシアの文学者プーシキンはこの説を題材に戯曲「モーツァ
  ルトとサリエーリ」を書き、この戯曲が成功したために(映
  画『アマデウス』もこの作品に基づいています)「モーツァ
  ルト毒殺説」は非常にポピュラーなものとなりました。その
  ため、この毒殺(犯人はサリエーリ)を真実であるかのよう
  に受けとめている人もいるようですが、これはあくまでも、
  フィクションで、信憑性も低いとされています。しかし、モ
  ーツァルト最後の作品が「レクイエム(鎮魂曲)」で、実際
  にこの曲がモーツァルトの追悼ミサに使われたというのは非
  常に因縁めいた話ではあります。「神に愛された」作曲家は
  自分の死も音楽で飾る宿命にあったということでしょうか。
       http://www.ocn.ne.jp/music/mozart/intro.html
  ―――――――――――――――――――――――――――

モーツァルトの葬儀.jpg
モーツァルトの葬儀
posted by 管理者 at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | モーツァルト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。